これが現存する旧陸軍の迷彩ペンキだ!

update:070324

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(兵頭 二十八 先生 より)
 ここに掲げる写真は、函館市浜町の戸井高校(浜町717番地)のグラウンドと、公営住宅戸井沢団地(浜町921番地3)の間の雑木林にある、第二次大戦中の旧陸軍のコンクリート要塞の一部である。撮影DATEは、根雪が消えた直後の快晴日、2007年3月22日だ。
 2007年5月の函館ツアーでは、この珍しい遺跡にも、皆様をご案内するつもりである。

 現地は、汐首岬の、やや恵山寄り(太平洋寄り)に位置する。函館空港からは自動車で片道25分くらいなのだが、現地人の案内人なしでは、到達は至難だろう。

 なにしろ日教組最後の牙城とされる北海道では、こうした旧軍施設は教育界の研究保存対象としては意図的にスルーされている。現地に行っても見事に何の案内表示も無いし、観光ガイドブックに紹介されたこともない。

 汐首岬は、青森県の大間崎との距離がもっとも近い北海道の陸地だ。ここが、津軽海峡の太平洋側入り口のチョークポイントに当たっていた。そういう場所には、必ず要塞砲が置かれたのである。
 現在、この戸井要塞の砲台跡などは残っていないようだ。残されているのは、兵員の棲息部だと考えられる。

 とにかく塗装が貴重だ。対米戦争中の旧軍の迷彩塗装がそのまま残っている。しかしこれも、やがては時間とともに失われることは確実。よって小生は奮発してデジカメで撮影した。ツアーご参加の皆さんも、どうか高性能デジタル写真でこの色を永久に保存してやって欲しいと願うものであります。

 なお、現地に通ずる国道278号は、有名な「廃線」跡に並行している。
 函館市内から戸井要塞まで、旧軍は鉄道を繋げるつもりで、海岸に沿って、トンネルやコンクリート製アーチ橋をいくつも建設したのだ。だがそれは終戦までに間に合わず、けっきょく計画は放棄された。そして、トンネルと鉄道アーチ橋だけが、海岸に沿って、今も点々と残っており、道路から間近に、よく見えるのだ。
 例によって函館市は、この旧軍の近代遺産を、観光資源としては宣伝したくないらしく、観光ガイドブックにもほとんど紹介は載っていない。地元民も、それが何だかよく知らないのだ。
 ツアー参加者の中に、もしも熱心な廃線マニアがいれば、帰路の途中、その見学のための便宜も図りましょう!

 あと、観光名所となっている「元町公民館」を「お約束」として正規コースの中にてご案内致す予定ですが、もし、〈そんなものよりアイヌ人の武器が観たいのだ〉という方がいらっしゃれば、オプションとして、バス駐車場からすぐ近くの「北方民族資料館」を御覧いただけます。離頭銛、弓、矢、各種刀剣、木製制裁棒などの珍しい実物が展示されています。(残念ながら館内は撮影禁止です。)
 さらにまた、同じ時間を利用するオプションとして、これまた公民館から近い「船魂神社」の庭にある28センチ榴弾(砲ではなくタマ)に触りたいという方がいらっしゃれば、やはり、ご案内可能です。(北方民族史料館と船魂神社の両方を見学することはできません。方位が逆ですので。)

 では、皆様、5月19日にお目にかかりましょう。

☆☆☆平成19年5月19日〜20日の函館・江差方面軍事史探訪ツアーの詳細は、下記までお問い合わせ下さい。

日本エアービジョン株式会社 担当:浅田均
〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目3番先 北有楽ビル1階
電話:03−3538−2071

(管理人 より)
近代から現代の歴史を丸ごと満喫する北の大地ツアー
歴史パノラマ探訪in北海道

行ってみたいぜこのツアー。でも電話で問い合わせはし難いなというシャイな貴方は、メールで。
コンテンツ[お知らせ]に書いて有りますのでよろしくお願します〜。

函館山要塞が残した28cm砲弾
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