岐阜の喜久一丸稲荷神社の現存28cm砲弾のレポート
report 1
ver.2005.0321
写真
(タイトルをクリックして、大きな画像を見てください)説明 1:側面の全景
この面の銅体は、完全に減失していますが、溝部には銅サビ(緑青)がべっとりと付着しています。弾頭のコーン部と円筒部分との境界部には、接合跡(?)があります。溶接跡のようなハッキリした盛り上がりがあり、少なくともワンピース削り出し、あるいは一体鋳造には見えませんでした。
(いずれにせよ旋盤仕上げ加工を行うはずですが・・・)。
なお、胴前部の銅帯溝にある白いものは、鳥のフンです・・・。
2:斜め前方の全景
こちらは日光が当たる面のためか、赤サビがひどいです。しかし、銅帯が一部現存しているのがわかります。 3:弾底部直径測定
縁が丸く画取り加工されており、巻尺がうまくかかりませんで、定規と相成りました。中央の穴は信管穴。その上の突起部は、掲示板の投稿で触れた「リング」(左手で隠れている部分にもう一つあり)。
これがホントーに妙なシロモノで、他のものがもげた形跡は無いし、後から取り付けたにしても用途不詳、意図不明です(二つのリングの穴が指し示す方向は、一直線上あるいは平行関係にはない)。吊下用にはそもそも小さすぎるし・・・。
4:3の拡大図
280ミリ以上ということは無さそうです。 5:弾底部銅帯の接写
防錆のためか、黒い塗料が厚く塗られております・・・?
しかし、銅体がガスシールのためならば、この形状もナゾです。まさか、散弾銃のライフルスラッグではあるまいに・・・。
6:アングルを変えての接写
黒塗料の下に、緑青がうかんでいます。 7:信管部の接写
ねじ山はサビて、蛇腹ホースの内側の如し(?)です。縁の
加工からすると、信管は皿ビス様になっており、ねじこむとツライチになるのでしょうか?
8:奉納譜
全文は以下のとおり。
奉 納
明 治 三 十 七 八
年 日 露 戦 役 於
旅 順 港 内 敵 艦
バ ー ヤ ン 命 中
我 軍 二 〇 〇 山
高 地 射 砲 二 十
八 珊 砲 丸
呉軍港廻航記念
元海軍○信○兵曹
勳七等矢木野新也
※原文旧字縦書、改行ママ。○は判読できず。なお、「矢」は「大」の、「木」は「水」の可能性あり。)
9:胴前部銅帯の接写
寸法を計測し忘れました・・・不覚! 10:弾頭先端部接写
欠損が見えますが、たとえ完全でもせいぜいが+10ミリでしょう。
パーテーションラインは見当たりません。
計測値は下図のとおりです。(手描きですみません・・・)
スケールはほぼ1/10ですが、あくまで模式図ですので、形状の正確さは
保証できません。また、数値が食い違っている可能性もあります。御了承を。
全長(A−H) 835mm
弾長(A−G) 800mm
弾径(I−M) 274mm
信管穴径(K−L) 38mm
胴部溝幅(C−D) 9mm
弾底溝幅(E−F) 30mm
テーパー部(A−B) 321mm
信管穴加工(J−K) 12mm
付記:ご参考までに。
垂井町 http://www.ginet.or.jp/tarui/
タルイピアセンター http://cscns.csc.gifu.gifu.jp/virtual/7/index2.htm
タルイピアセンターは、毎週月曜日及び月最終木曜日休館です。町立図書館が併設されているようです。また、学芸員が在籍しています(但し、電話で話した限りでは、現地を訪れたことは無い様ですが)。
※「垂井の文化財 第23集 (1999)」 p63〜64 大岡明臣氏の記事によりますと、奉納譜の末二行は 「元海軍一等信号兵曹 勲七等 水野新也」となるようです(但し、この場合字数が足りませんが)。「矢木野」「水野」ともに地元にはよくある姓のようです(特に、前者は以前町長がでているそうです)。「不破郡史 下巻」によると、日露戦争の出征者に、前者に該当する名前は見出せませんでしたが、後者は、「会原村 歩一 勲八 水野新也」の名がありました(p110)。しかし、この人物は所属も勲位も食い違っております・・・
情報提供:Masato-Shit 様