■ ◎「読書余論」 2012年1月25日配信号 の 内容予告
はじめにごあいさつ
2011年をサバイバルしたみなさまに心より新年のお慶びを申し上げます。
いやホントにわたくしも経済的に生き残れた……というのが実感です。
旧年は、おかげさまで『【新訳】戦争論』も世に問うことができました。あの津波後の出版苦境の余波の中でひたすら自室に閉じ篭もってこの大作をリリースできたのだなぁと思いますと、なんだか、産卵後の鮭になったような気分で、フラフラしてます。あとは余生ですわ。しみじみ思います。
2012年は3月過ぎに草思社さんから1冊、おもしろいものが出ると思います。
運がよければその前に『箱館戦争』が元就社さんから出てくれるでしょう。さっそく初詣はこの願をかけに「北海道東照宮」に参ります。
そのあとの企画ですけど、ネタはいっぱいあるんですが、とにかく最近「遅筆」になりました。ですから企画はよく選ばないと……。ジジイにふさわしい有意義なものを厳選したいですね。では以下、例によりまして「読書余論」の次号の予告。
▼西郷従宏『元帥 西郷従道伝』S56-4
孫による決定版資料。名前の読みは間違いなく「じゅうどう」であって「ツグミチ」等はすべて誤りだという。その理由がまた面白く説得的だ。
鳥羽伏見戦での桐野の居場所にも言及している稀少な資料。
あと余談ですがどうも西郷隆盛はクラウゼヴィッツの『戦争論』のエッセンスを何かで読んでいたように思えてならないんですよ。征韓派の中で、隆盛の理論だけが、シャープすぎるんです。ロシアとは戦わずして和睦できるという甘っちょろい板垣や副島なんぞとは別次元で、もう同日の談ではないのです。蝦夷で防禦すれば必敗だから、こっちから半島沿いに出て行ってウラジオや尼港でロシア軍と決戦し、それによって北海道を保つと言ってるんですよ。これはもうクラウゼヴィッツなんですよ。ということは朝鮮はシュレジエン地方だというつもりなんですよ。彼だけになぜそんな雄渾な「軍略」の把握が可能だったのか? これからの長期的な研究課題にしておこうと思っております。▼池田史郎「久米邦武遺稿『葉隠巻首評註』について」(『日本歴史』H1-3)
▼谷中信一「『逸周書』研究(四)――その兵法思想について」(『日本女子大学紀要 文学部』H5)
▼山内盛彬『琉球の舞踊と護身舞踊』1963
「ヌンチャク」ではなくて「ヌンチャグ」なのね……。▼内田知雄「孔子および孟子の兵戦思想」(『同志社法学』1954-12所収)
▼内田知雄「荀子の兵戦論」(『同志社法学』1955-3所収)
▼湯浅邦弘「『司馬法』に於ける支配原理の峻別」(『島根大学教育学部紀要(人文・社会科学)』H2-12所収)
▼西田龍雄による書評:林英律著『夏譯《孫子兵法》研究』上下冊(『東洋學報』1995-10、(財)東洋文庫pub.所収)
▼細見古香庵『古作 茶の湯釜』S39
「クサリガマ」の初出を確かめようと思って閲覧したのだが……雑学の宝庫でござったは。ちなみに西郷従道も茶坊主出身。▼『ルソー全集 第十一巻』1980、白水社pub.
ピュグマリオン。なんと作曲まで手掛け、その演出の影響はモーツァルトに及ぶ。▼村山修一『天神御霊信仰』1996
▼真壁俊信『天神信仰史の研究』H6
▼無名氏著『侠骨木戸少佐』M26-8
インディジョーンズとゴルゴ13の原型がここにあった。
◆ ◆ ◆
「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は500円です。
バックナンバーも1号分が500円で、1号分のみでも講読ができます。
過去のコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
http://www.budotusin.net/yoron.html
で、タイトルが確認できます。ウェブサイトでわからない詳細なお問い合わせは、(有)杉山穎男事務所
sugiyama@budotusin.net
へどうぞ。
■ 【新訳】戦争論 初版の字句の修正について
83ページに「運命はそこで極まってしまうぞ。」とありますが、これは、「運命はそこで窮まってしまうぞ。」に直した方が良いと思いましたので、二刷で訂正することになるだろうと思います。
宜しくどうぞ。
■ ■PHPの新書新刊『[新訳]戦争論』初版の誤植について
160ページ2行目に「追求推進」とありますが、これは正しくは「追及推進」です。
197ページにも「優良な道路を選んで追求」とありますが、これも正しくは「優良な道路を選んで追及」です。どちらも原稿では「追及」と書いたのですが、なぜかいつのまにか「追求」に変えられていた。孔明の罠に裏を掻かれてしまいました。軍事用語の「追及」が、出版社備え付けの辞典に載っていなかったんでしょうかね。
さて、都内有名書店での発売は12月9日前後だと思いますが、宣伝は早めにスタートさせましょう。
以下は、今回の新書で、ぜんたいのページ数が足らぬため、下書きから削除した文章の一部を、加工して掲載するものであります。本書を入手されて、一気呵成に一読された後で、以下の情報を「脳内増補」してみてください。有益と思います。
――1831年にクラウゼヴィッツが病気にならず、天がなお数十年の余命を与えたとして、『戦争論』は完成されなかった蓋然性がありましょう。と申しますのは、その後、鉄道と蒸気船が普及し、ドイツの人口は著増し、〈隣国心臓部への分進合撃は不可〉と強調していたクラウゼヴィッツの渾身の立論は、崩れて行ったからです。それを修正するための体力や時間が、クラウゼヴィッツには、あったでしょうか?
新たに所与となった鉄道網を前提に、在郷の予備役男子を召集する速さのアドバンテージによって隣国を「動員奇襲」して楽勝する――という、普墺戦争(1866年)から第二次大戦初盤の東方電撃戦までのドイツ参謀本部の開戦パターンは、クラウゼヴィッツの『戦争論』が生み出したものではありません。フリードリヒ大王時代いらい地道に育成されてきたドイツの地方町村役人の兵事事務が、その分業により、国軍の第一回会戦までの「摩擦」を極小化したお蔭でした。――産業革命後の列強の工業力が、陸戦兵器と弾薬の圧倒的な増産補給、すなわち現代的国家総力戦を可能にしますのは、1861年勃発のアメリカ南北戦争以降の話になります。1831年に死んでいるクラウゼヴィッツの生前の誰も、第一次大戦型の大量浪費戦争など、想像すらできませんでした。
――ヨーロッパには晴天の日中に見通しが良くきく平野が多く、大砲や小銃の性能にも、騎兵の機動力にも、諸国軍ごとにほとんど差異がありませんでしたので、防禦の有利さが際立っていました。ただしクラウゼヴィッツ没後の19世紀後半に、西欧には鉄道が四通八達し、20世紀に入るや内燃機関によって歩兵をトラックで機動させられるようにもなりますと、欧州大陸の内陸部において、攻撃側が防禦側の虚を衝けるオプションが、いささか増えました。
――クラウゼヴィッツの「政治」の明晰な定義が知りたいところですけれども、それは、ありません。フランスの知識人のように、短くて気の利いた表現で真相を言い切ってしまう作文の流儀も、クラウゼヴィッツは愛好しませんでした。
――フランスにとってはスウェーデンは伝統的に、対ドイツ有事の際の潜在的な同盟者のひとつなので、プロイセン人としてはカール12世をむやみに褒める気持になどなりません。
――〈こちらが不戦を欲しても、隣国が放っておいてはくれないぞ〉と、クラウゼヴィッツは同胞ドイツ人たちに向かって警告しております。
〈こちらがてきとうなところで戦争を切り上げたいと思ったって、相手が途中で停止してくれるとは限らないぞ。特に相手が革命後の共和国軍だったり、ナポレオンのような頭領に指揮されていた場合はね〉とも。
それほどに、プロイセンやドイツ諸邦の上下には、近代の戦争に関して、いまもって、無気力もしくは不徹底な把握が蔓延している――と、クラウゼヴィッツは憂えざるを得なかったのです。――もし野球の試合で、守備の回では、「ピッチャーよ、打者が対応できないくらいの剛速球で三球三振にうちとりなさい」というサインばかり出し、攻撃の回では、「打者よ、ストライクをとりにきた球をすべてフルスイングして必ずホームランにするかせめて長打を放て」という指導しかしない、そんな監督がいたら、すぐ辞めてくれた方がたすかりますよね。
クラウゼヴィッツの『戦争論』以前には、そうした非現実的な野球監督さんに類した〈戦争指南書〉が、あまりに多かったわけです。
クラウゼヴィッツは、なんとかしてドイツ国民の対仏敢闘精神を鼓舞しようとしましたが、それだけで、現実のプロイセンやドイツ全体が救われるだろうと信じられるほど、ドイツの置かれた状況は甘くはありませんでした。――「変則的な銃器決闘」でたとえてみましょう。象でも当たれば倒せる大口径弾が1発だけ飛び出す、しかし何らかの理由でもし外してしまったならもう次弾は無いという単発猟用ライフル銃と、ポケット・サイズで1発の威力はかなり非力ながら2連発が可能なデリンジャー型護身拳銃とが、立会人によって1梃ずつ用意されており、後者は再装填してつごう4発まで発射してもかまいませんよと、いわれたら、あなたはどちらを選びますか?
――あぶないスポーツや喧嘩をしたがるのは、スポーツや格闘を知り尽くした年寄りよりも、そうした経験の十二分ではない青年ではないでしょうか。ミドルティーンの青年の肉体は、もしスポーツや喧嘩によって負傷しても、盛んな成長過程にありますために、老人よりもすばやく治癒し恢復します。彼らは頭の中でそんな計算をしているわけじゃありませんけれども、身体が本能でそれを知っているため、怪我の危険に対して大胆なのです。
相撲の世界でしたら、『ここで上手投げを打てば、強敵に土をつけて名誉の勝ち越しだが、代償として、オレの肩関節は外れるかもしれぬ』と一瞬思ったときに、それでもためらわず打ってしまうのが若武者で、やめておくのがオジサン力士でしょう。
老兵は、自己の身体の故障の恢復が、若いときよりも長期間を要することを知っています。また、勝利の暁に得られる心地好さを希求する欲も、全般的な好奇心とともに、少壮のみぎりよりも減じていましょう。
じぶんが果たさねばならない義務をどのくらい重んずるかは、老若とは関係なく、それまでに「廉恥」について自得するところがあったか否かによるでしょう。――クセノポーンは、兵術とは「行動の自由を確保するの術」だと言っています。クラウゼヴィッツは、国民や司令官が勇気や自信を、より多く持つようになれば、その国軍に可能な作戦が無限に広がり、強敵にも対抗しやすくなるだろう、と考えていました。
――クラウゼヴィッツはヒョロっとした体格で、膂力や頑健さを誇るタイプではなかったでしょう。しかし不潔で不便な野営生活を中年過ぎまでも厭わなかったことは、自他ともに認める彼の軍人適性でした。
――クラウゼヴィッツには、「フランス革命啓蒙史観」によってそれ以前の時代を見るところがあったかもしれません。王様全般が嫌いだったのだとすれば、ますます古代の戦争など、敬遠するのみでしょう。
――フランスにおけるクラウゼヴィッツ研究のクスリが効き過ぎるほどに効いてしまい、攻撃精神第一主義を「塹壕+機関銃」を相手に発揮するという第一次大戦の悲惨を結果したと見たがる人もいます。
――ルソー・ファンのクラウゼヴィッツは、時のプロイセン宮廷からは、反君主的思想の持ち主として警戒の目で見られています。現王室のご先祖をおとしめるような示唆は、プロイセンの公務員として粟[ぞく]を食む身の彼には不可能でした。
――ケダモノは捕食者から追いすがられると、敵し得ぬまでも、最後の最後まで反噬[はんぜい]のポーズを示します(兎のような情けない例外は忘れましょう)。軍隊も見倣うべきです。熊や狼も、人間が一散に逃げ出せば、元気づいて追いかけてきますけれども、こちらが背中を見せずにじりじりと後退すれば、攻撃をためらうでしょう。
退却軍と追撃軍の機動力に差がありすぎる場合は、攻者の浸透や包囲のスケールが大きくなり、その結果として、絵に描いたような「追撃」は見られなくなります。1991年の湾岸戦争では、これが起きました。――島や海岸寄りの要塞は、船で攻城砲や弾薬を輸送できるので、攻略が楽にできる場合もあるでしょう。しかし独仏国境にあるような、内陸部の要塞は、そうはいきません。
――西ローマの消滅期と重なる、中世はじめの欧州の麦作は、緑肥についての知見が足らなかったため、同一耕地での連作は事実上、不可能でした。人々は、牧畜に半分頼りつつ、不断に森林を切り啓き、常に新しい土地へ移ろいました。定住民というものが稀少では、「国境」の概念もできません。
――18世紀後半から、西欧では、公衆衛生がみるみる改善されます。「水は煮沸すれば安全になる」と理解されたのが19世紀でした。そこから以後は急速に「防疫学」が進歩し、人々の死亡率を押し下げます。
――プロイセンの兵役適齢人口がフランスのそれに並ぶようになるのが、普仏戦争当時です。鉄道の普及もありましたが、人口の上でも、包囲攻撃(外線作戦)を企画するのに抵抗がなくなったと言えます。
ナポレオンが強くなかったわけではありませんが、そもそもドイツの何倍もの人口を実現できていた、近世初期フランスの政治・経済の強さを偲ばぬわけにはいきますまい。――フランス方面やポーランド方面には、ドイツからは陸水(河川や運河)が連絡していませんので、大砲の弾丸、小銃の弾丸を筆頭とする軍需品の補給は、道路上を延々と荷馬車で運ぶ以外にありません。その馬たちのためには、大量の秣や濃厚飼料が必要です。その御者たちもまた兵糧を消費します。
当時は未だ、空気入りチューブを内蔵したゴム・タイヤが発明されていません。砲車や輜重車は、鉄板を外側に捲きつけた木製の車輪を使っていました。
これは接地圧が高いので、敷石や煉瓦舗装をしてない泥濘化した道路では、ニッチもサッチも行かなくなりました。
パリからブリュッセルにかけての経済的先進地方では、主要街道は比較的良好に路面が維持されていたと思われますが、東欧のポーランドなどは湿地で有名で、雨が降れば一面が沼地となって道路は事実上、消滅したのです。
このような悪路を、当時の荷車と馬だけでモスクワまで遠征して戻ってきたというフランス軍は、それだけで「超人」の名に値するでしょう。ナポレオンは、旧日本軍のインパール作戦(1944年)の4倍以上の往復距離を克服し、日本軍のインパールでの戦死者(4万人)の10倍以上の死者をロシアに残してきたのでした(その死者とは別に捕虜も10万人という)。――さらに化学肥料というものが発明されたために、ドイツはその後も楽々と人口爆発を維持し続けて、第一次大戦直前の1911年には、人口比でフランスを1・5倍、上回っていたそうです。
第一次大戦の前年(1913年)、日本の人口は朝鮮半島も含めて6000万人。これに対してドイツは、本国だけで6200万人。植民地が無く、溢れかえっていた人口が、翌年にフランスに雪崩れ込んだというわけです。
その世界大戦であれほど人が死んでもドイツの人口増は止まらず、1927年にはフランスの2倍に。そして第二次大戦中の1940年では、兵役適格者数で、ドイツはフランスの3倍の1500万人を擁していました。
■ ◎「読書余論」 2011年12月25日配信号 の 内容予告
▼Marten Ten Hoor著、中屋健一tr.『自由と不自由』S32-2、原“Freedom Limited”1954
民主主義を破壊しようとする動きに対しては、人は、寛容であってはならない。自己修正力を信ずる民主主義システムは、言論統制とは絶対に相容れない。▼セルバンテス著、牛島信明tr.『ドン・キホーテ』前編1~3、イワブン2001、原1605
秩序の行き届いた国家にあっては、働かない人、働く必要のない人、働くことのできない人たちの娯楽として、チェス、テニス、玉突きなどが許されている。▼小川寛大『「海行かば」を歌ったことがありますか』2006-1
タイトルからは想像もつかないほどの日本軍歌研究の大著である。これを若い世代が書いているのだから凄い。▼スタンダール著、生島遼一tr.『パルムの僧院』イワブン上下、1952
著者のまえがきでは、書いたのは1830年の冬、というのだが大嘘で、1838に書かれた。クラウゼヴィッツの死は1831なので、時代の雰囲気を知るのにとても参考になる。国ごとに旅行査証の扱いの寛厳がぜんぜん異なることも。
駄洒落屋に人殺しはいない、という法則。▼奥野信太郎『北京襍記』S19-4
▼下位晴吉『ファツショ運動とムツソリーニ』S2-10
WWIの青年総動員があったおかげで、ムソリーニ革命ができた。青年の質が、戦前と戦後とでガラリと変わったため。▼佐藤観次郎『陣中の読書』S18-4
▼中村孝也『元禄及び享保時代に於ける経済思想の研究』上中下巻、S17-9~10
▼大場俊雄『潜水器漁業百年』H4
▼『日本鋳造50年史』S45
89式戦車のキャタピラを鋳造していた会社。▼吉國宏ed.『石川島航空工業エンジン史』H7
▼舩坂弘『玉砕』S43読売pub.
▼大橋栄三『英和 いくさの花』大4-2
▼金谷治・訳注『荀子』(下)イワブン1962
荻生徂徠はけっこう荀子を受け売りしてた。▼吉田秀夫『イタリア人口論』S16-3
時間のある人はゆっくり読む価値のある名著。▼クルガノフ著、高木秀人tr.『日本にいるアメリカ人』1952-3
ソ連人による占領下日本の観察。とても貴重。▼那須皓『人口食糧問題』S2-12
マルクスは何と言ったか。マシンによる生産効率はどこまでも向上するから、労働者は必ず余る、と。
埴原大使は罠にかけられただけだ。▼山田準『現代指導・陽明学講和』S9-9
西郷隆盛は軍事の専門家でもなかったのに、陽明学の骨子を身につけていたおかげで、戦争指導を誤ることがなかった、という話。
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■ そらだま最新ほうこく
そろそろ誕生日が近づいているが、やはりいつも貰って嬉しいのはソラダマである。
ある人が参考用にくれた工事現場の安全点滅灯の中古品。この完成度が素晴らしかった。まず分解点検掃除ができるようになっている。(ただし4個のネジ穴はプラスチックなので、ねじりすぎるとバカになるし、強い力では破壊される。)
中味の充電式電池はどんなすごいものなのかと思ったら、単4が1個だけ。これにはブッとんだ。だって、夕方から朝まで、赤→緑→赤→緑→……と、ひっきりなしに点滅していて、少しも光が弱まらないんですぜ。
カタログで調べるとこの種の工事用点滅灯は昔から1個が4000円以上もの価格で売られていたのだな(実売は大量取引だろうからその半値以下か)。それでも工事現場で減価償却されるまでには数年は使い回せないとだめだろう。だからじつに設計は念入りに工夫され、洗練されている。行き届いていて、しかもムダがないのだ。
透明プラスチックのカバーは紫外線に強いもののようだ。もう一面にカスリ傷がついていたけれども、紫外線による黄変等は認められない。
形状は一体型で、上からすっぽりと覆いかぶさるので、雨水の浸入はあり得ない。しかしスカート下縁部からは泥水が逆流しようとした痕跡がある。それは途中で阻止されていた。たぶん露天の地面に長く転がされて放置されていた時期があったのだろう。これは分解して、清掃できた。
内部には虫が侵入した痕跡はゼロであった。これは廉価版のすべてのガーデン・ライトが設計コンセプトの上で見習うべきだろう。こいつは当初、機能を半分喪失した廃品寸前のサンプルと誤認した。だがそうではなかった。何年も使われているうちに、底部にあるメインスイッチの接触部分が錆びて導通が悪くなっていただけなのだ。スイッチを何十回もON/OFFすると、これは直る。
つまり、何割かの不良品が出るとことを最初から予期しているような安物ではないのだ。それはそうだろう。買い手は一般消費者ではなく、プロの業者なのだから。メーカーはクレームをおそれなければならぬはずだ。
よく工事現場で、点滅している安全表示灯に混じり、消えてしまっている表示灯が何割かあるものだが、あれも、メインスイッチの接触が不良なだけであろう。しかし工事現場の人々は、メインスイッチをガチャガチャやってみれば直るとは思ってもいないに違いない。そもそもメインスイッチがどこにあるかも興味がないのかもしれぬ。税金で公共土木をやっている現場の意識は、そんなものか。納税者に対して申し訳が無いとは気が付かない。太陽光発電パネルは面積は意外に小さかった。表面には透明のゴムかシリコンのようなものが塗布してあって、防湿されている。これは安物のガーデンライトにはない気配りだ。こういう細部クオリティのために、量産品でありながら、驚くほど単価は高止まりなのだろう。
工事用安全表示灯は、ガーデンライトではないから、個人で買った人は、固定具を、じぶんでなんとか調達しなければならない。
食卓の上に数人分の箸を立てて入れておく、プラスチックの「二重底コップ」のようなものが500円くらいで売られている。サンプルの場合、この内側のカップの寸法が、ちょうどよくおあつらえ向きであった。カップの底には水抜きのたくさんの小孔が開いている。それをネジ穴として木柵上などにしっかりと固定できる。カップと表示灯本体は、ビニールテープでぐるぐる巻きに固定すれば、隙間なくピタリと整形できる。防犯用のガーデン・ライトとしては、これに優る製品はない。これがあらためて得られた知見である。遠くから人目をひきつけてくれるので、近くの窓から家屋に侵入してやろうかという泥棒の魂胆は最初から挫かれるだろう。
じつは、北海道では、こうした工事用安全点滅灯を防犯用のガーデン・ライト代わりに応用している家が以前からあり、少しづつだが、その数は増えているように印象される。
げんざいのこの大不況だ。本格的な積雪シーズンの前に、また侵入盗のピークが来るだろう。この場を借り、住民のみなさんに警報したい。雑誌にも書いたが、ソーラーパネルの品質は、ここ6年以上も、廉価版ガーデンライト用に関しては向上していない。これはすべてシナ人のせいである。シナ政府が莫大な補助金を自国企業に与えて世界中のソーラーパネル市場を荒廃させているからなのだ。
そのために、電池の世界では起きている、「前と同じ値段なのに、性能は向上する」という現象が、ソーラーパネルの世界では起きない。逆に、前より一段劣った性能のシナ製ソーラーパネルを、前より低い値段で組み込む以外に、日本のメーカーも生き残れなくなってしまっている。悪製品が、良製品を駆逐してしまうのだ。(その犠牲者の代表が「商品X」。)
高性能の充電式電池の製造ノウハウを、日本のメーカーは絶対にシナ人には教えないという。だから電池の世界では、まだ健全な進歩が見られるのだろう。
■ ◎「読書余論」 2011年11月25日配信号 の 内容予告
▼ダニエル・ラング著、並河亮tr.『鉛の服を着た男』S31-5
フォン・ブラウンなどドイツから米国へ連行したドイツ人科学者たちの、いずれも貴重で珍しい体験の聞き書き集。ゴールドシュミットはいかにしてウェルナー・ハイゼンベルクと再開したか。▼秋保安治、高橋立吉『発明及発明家 日本之部』M44
山田猪三郎の気球。白峰駿馬の鉄舟。有坂成章。下瀬雅允。など。▼『「ヱンフィルドスニデール」銃使用法 附 分解及結合』M31-9、非売品
▼『村田連発銃使用法』M28-12
▼陸地測量部『特別陸軍大演習写真版帖』M32-3
明治31年に大阪~神戸にて。▼小川一真『明治三四年秋季陸軍特別大演習写真帖』M35-3
陸羽街道。▼『熊本地方特別大演習写真帖』共益商社M36-1pub.
6Dと12D。▼『特別大演習写真帖』共益商社書店、M36-12pub.
姫路地方。▼大内地山『武田耕雲斎詳伝』上・下、S11-9
▼佐伯好郎『支那基督教の研究(一)(二)』S18-7
▼桜井匡『明治宗教運動史』S7-11
寺の鐘を大砲に改鋳した話。▼宝蔵館ed.『明治大帝と仏教』大1-8
「バンザイ」の唱和はいつから始まったか。▼阪本是丸『国家神道形成過程の研究』1994
もともと神祇官は、伏見戦の旧暦1-3こそ「御一新の基」であり勅使を立てる大祭日にふさわしいとしていた。▼吉田久一『八重山戦機』S28-7
八重山ですでにマラリアが流行していたこと。▼石井柏亭『美術の戦』S18-6
画家が戦場の死体を写実することは日本では支那事変中に禁忌にされてしまったようだ。官僚による統制経済は、限りなく下らない思想統制を伴わずには済まない。▼杉山平助『文藝従軍記』S9-6
徳川時代の歌曲統制。▼『西郷南州先生手抄誌録』大14-12
佐藤一斉を書き写していた。▼内藤尭『各国 国旗の由来と国祭日』S6-10
▼佐藤俊一ed.『市政週報 第八十七号』S15-12
東京市の配給切符制度特輯号。▼井関純『隣組配給の知識』S18-2
大震災で、町会経由でいくつかの物が手渡されたのが今のような「配給」の初めだったのかもしれない。▼近藤止文『衣料切符制の話』S17-2
▼井黒弥太郎『黒田清隆――埋れたる明治の礎石』S40-4
刀剣商が売り込もうとした刀を庭の古株に斬りつけたら3つばかりに折れて飛散し肩から出血したといった細かなエピソードまで網羅。▼ジョン・ラスキン著、杉山真紀子tr.『建築の七燈』1997、原1849
徳富蘇峰のアイドルであったラスキン節の炸裂。国家の偉大さが腐蝕しつつあるとき、住宅もまた尊敬を受けられぬ精神そのままの外見が現われてしまう。▼三上義夫「日本望遠鏡史」S11-5
▼岩村寅之助「我が国数学の進むべき道に就いての一考察」『数学叢書 第4輯』数学局S14-2pub.
▼Serena & Pratt著、太田米吉tr.『紐育株式金融市場』大9-12
▼管谷 要『将棋の話』S5-4
▼井上長太郎『通信地理学』S17-3
1929-11の米東部沖地震で海底ケーブルが切れた事例。▼厚生研究会『造船工場読本』S19-1
商船のヂーゼル化は一挙に進んだ。▼高崎隆治『戦争詩歌集事典』S62
軍艦では、射撃が済んでも運弾機は廻っている……などの意外な豆知識は当時の公刊物の短歌から仕入れられる。まったく検閲が杜撰だったのだ。▼ヨーゼフ・グラブラー著、川田謙&塚本弘雄tr.『ポーランド爆撃』S16-5、原1940
▼エーディト・エネン著、佐々木克也tr.『ヨーロッパの中世都市』1987、原1972
▼田口晃『西欧都市の政治史』1997放送大学テキスト
これは埋もれた良書だと思います。ピョートルいわく「都市建設は戦争と同じだ」。▼ニコル・ゴンティエ著、藤田2訳『中世都市と暴力』1999、原1992
釜茹では贋金造りに与える刑。はじめから煮立っている。▼中根甚一郎ed.『ヨーロッパの市民と自由――その歴史的諸相の解明』1999
中世から近世のイギリスに「市民」なる言葉はない。freemen がそれであった。▼ハンス・プラーニッツ著、鯖田豊之tr.『[改訳版]中世都市成立論――商人ギルドと都市宣誓共同体』1995、原1940
商人は、自由な、武装能力のある人々であった。ギルド兄弟たる彼らは、援助義務の理念にもとづいて、お互いに彼らの自由を擁護した。▼レオナルド・ベネーヴォロ著、佐野&林tr.『図説・都市の世界史』1~4巻、S58、原1975
▼佐々木信綱『短歌入門』1979、原S28
▼R・H・ヒルトン著、松村平一郎tr.『中世イギリス農奴制の衰退』1998
▼M.I.Finley編、太田秀通tr.『西洋古代の奴隷制』1970、原1960
「ヘロット」を例外として、奴隷は解放されぬ限り、戦闘行為もしなかった。◆ ◆ ◆
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■ 活字市場の「B層化」は止まらない
B層保守相手の雑誌販売の現在の勝利者は『WiLL』だそうだ。
売り上げ競争では、月刊『正論』は『WiLL』のはるか後ろにおいてきぼりにされた状態らしい。差は逐次に開いているという感触がある。ただ、わたしの自宅には残念ながら『WiLL』は送られて来ないから、本屋で立ち読みする習慣をなくして久しいわたしとしては、その内容を把握せぬ。ゆえに『WiLL』が良いとも悪いとも言えないのだ。想像できるのは、B層相手の販売の勝利者なのだろうな、ということのみ。
じゃあ月刊『正論』が売り上げを挽回するにはどうしたらいいんですか――という意見を仮に求められたとした場合、プロ・ライターは、なかなか答え難いんだよね。
だって、いちばん言いたい意見は、「このライターさんやあの記事、あのコーナーは、つまらないし、古臭いし、もう打ち切ったらどうですか?(代わりにオレが長いものや面白いものを書くから仕事くれ)」なんだから。しかしそれを口にしたとたん、編集者のその日の気分しだいでは、「そう言うお前の記事は、じぶんで面白いと思ってるのかよ?」という話に急展開してしまい、天に唾する藪蛇になっちまわんとも保し難い。「よし、それじゃクロスラインなんてなくしてしまおう」とか「新人に交替してもらうことに決めたので、来月号で最終回にしてください」なんてことになったら大弱りさ。だから、そんな意見は誰もおくびにも出せませぬわい。
ひとつ言えることは、B層相手に何か読んでもらおうと思ったら、長い話はダメさ。文字量に比例して面白さも濃いことが要求されるはずですよ。それが月刊『正論』の現状では、逆の比例法則が成り立っていませんかい? 短いものほど面白く、長いものほどつまらないという……。
そいでもって短いものほど原稿料が少なく、長いものは字数に比例して稿料が多いのだから、ライターの方としちゃあ、「つまらなくてもいいから長く書いてやれ」というモチベーションしか生じない(短い原稿を面白く書いている人は、金銭的には酬われない)。この構造を放置していては、B層から拒絶されるのは自然ではないですかい?10月下旬発売の『別冊正論 第16号』では、雑誌用としては久々に長目の話を書いてみたので、ご一読ください。幕末の館林藩の「家老」の話だから、そっち系の歴史に興味のない人には、面白いかどうか分からない。
1万字を「長い」と思わせない文章に書き上げられぬとしたら、オレもプロ・ライターを廃業して近くのセイコマートのバイトでも探さねばならん。旧幕時代の「家老」は、現代の政策官僚です。
代々の家老の家に所属していないと、藩士は藩の政策形成に口出しもできなかった。それが、薩・長など一部の藩以外の、二百余の諸藩を、時代遅れにさせたわけです。12月の『【新訳】戦争論』も待っていてくれ。日本におけるクラウゼヴィッツ理解の歴史は、これをもって画期とされるようになるだろう。限度ページ数を派手にオーバーしちまったんで、印税率を下げてもらうことで、増ページを確保した。前の『【新訳】名将言行録』は、テキストを刈り込みすぎてつまらなくなり、売れなかったと思う。だから今回はその逆をやる。とにかく新書1冊で、『戦争論』はぜんぶ頭に入る。それどころか、毛唐の理解度よりも高く深く『戦争論』を把握できるよ。長い文章を面白く書いているから、集中力が中断せず、読み切るのには一晩しかかからない。B層の松下政経塾あたりが読めば、一晩で「オレは只今からナポレオンになった!」と錯覚するだろう。これなら1万部以上は売れる。われながら、面白すぎるわ。
■ 中西氏はもう引退した方がいんじゃね? テスト販売は書泉とジュンク堂でやってるよ
『Voice』11月号に中西輝政センセが「エアシー・バトル」について書いておられるのだが、ひでーもんだよ。
センセは、かつての「エアランド・バトル」構想を「詳しく研究したことのある人間」なんだそうだが、その把握が間違っているんだから参った。トシを取ると、昔いっぺん理解したつもりのことでも記憶が変形してしまうことがあるというサンプルかもしれんな。人間の思い込みは、記憶よりも強し。自戒、自戒……。以下、オレの理解を述べる。
エアランド・バトルの眼目は、西ドイツを焦土化させることではなくて、逆に、「西ドイツの焦土化をどう防ぐか」にあった。
それにはWP軍(実態はソ連軍)の第一梯団ではなくて、その後続の第二、第三梯団をこそ、先に空から叩いてやることが、スーパー・ソリューションになるだろう、と米陸軍は数学的アプローチによって気が付いたんだ。
第一梯団の撃破だけに集中していると、いつまでも味方の最前線にかかる敵の圧力が減じない。それどころか、逆に、増して来ちまう。そこで、後続梯団を叩く効果を計算してみて、この戦術上の大発見に至った。だから、「エアシー・バトル」の採用と日本の焦土化とは、話はつながらない。専制第一撃のイニシアチブがシナにあり、シナが核武装国である以上、米軍が何ドクトリンを採用したとしても、日本は常に焦土化の危機にある。それを抑止しているのは、東京都に常時9万人も暮らしている米国籍人だろう。米空軍や海軍が日本から後退してもこの9万人はすぐには退避できない。水爆炸裂で9万人を殺したら、長崎以上の話になる。
エアシー・バトルについての適当な日本語解説がなくてお困りの人は、来週発売の兵頭二十八著『極東日本のサバイバル武略』を読んでほしい(都内なら書泉とジュンク堂で現在テスト販売中)。そもそも「エアシー・バトル」の想定戦場は南支那海であって、東支那海ではなく、台湾有事でもない。そしていったん開戦となればシナ軍には万に一の勝ち目もないのだ。
米海軍は「海軍だけでシナには勝てる。空軍にも少しは協力させてやるが」という、予算削減の嵐を乗り切るための巧妙なコンセプトとしてエアシーバトルを提案した。受け太刀の空軍はとっさにこれに対する反論ができずに、1本とられた格好なのだが、もちろん「空軍だけでシナには勝てる」と主張したくてうずうずしている。ただ、主張の仕方をまちがえば、空軍予算を削減すべき根拠として逆手に使われてしまうから、金縛り状態なのだ。
シナ人はどう見ているか。荀子いわく。「吾れの短なる所を用[も]って人の長ぜる所に偶[あた]ること無かれ。」
■ 新刊についての超極秘情報!
『極東日本のサバイバル武略――中共が仕掛ける石油戦争』は、東京都内のごく一部のミリタリーに強い書店さんで、すでに昨日からパイロット販売されているという噂です。お近くの方は、お確かめください。
■ ◎「読書余論」2011-10-25配信予定号の内容予告
▼大糸年夫『幕末兵制改革史』S14
これは資料価値の高い一冊。▼前田清志「幕末期における大砲の穿孔について」1993
▼藤田嗣雄『明治軍制』1992
▼『最後の鉄砲鍛治』
大正10年から戦後までの、散弾銃屋の話。▼『上杉鉄炮物語』
▼大隈三好『切腹の歴史』H7-9
磔刑の前には首縄で絞め殺しておいたこと。大量の武士を牢内斬首させた安政大獄は、前例の無い非常識な行政テロであったこと。▼岡谷繁実『館林藩史話 館林叢談』歴史図書社、S51
岡谷繁実の基礎資料。しかし工藤三壽男氏の研究とつきあわせると日付は違いまくりだ。「家老」とはどういう人たちだったかを知るに好適。また「領地替え」「屋敷替え」は、幕府が気軽に実施した刑罰だったのだと知られる。▼田山花袋『時は過ぎゆく』新潮社、大5-9
田山兄弟がさんざん世話になった岡谷繁実の描写が貴重。作中では「岡田繁行」。▼田山花袋『東京の三十年』イワブン1981、初版は大6-6
天保銭は、1銭には2厘足りず、うつけの暗喩だった。
荷物用の川舟が「ニタリ」である。
日清戦争の舎営地ではシナ人スパイが読めぬカタカナで表札を出した。▼田山花袋『田舎教師』イワブンS6
▼『子母澤寛全集 12 行きゆきて峠あり 狼と鷹』S48
子母沢が新撰組を調べるまでは、近藤勇はただの人殺しと思われていた。近藤が自分の刀の目釘を普段どうしていたか、という貴重な情報もあり。▼金子功『反射炉』I、II
高島は青銅砲のつくり方しか知らず、鋳鉄砲は江川が工夫しなければならなかった。▼石川迪夫『原子炉の暴走 SL-1からチェルノブイリまで』1996
▼東 幸治『薩英戦争』若松書店、大正元年
これは古老にインタビューできた最後の資料ということになろうか。▼高橋一美『会津藩鉄砲隊』S63
▼北方謙三『草莽枯れ行く』1999
相楽総三の話。子母澤の文体に一度慣れると、この類は苦痛だ。▼伊藤芳松『統帥心理学』M42-9
言説よりも、言説者の威信が、庶民を納得させる。▼津田元一ed.『訪暹経済使節報告書』S11-11
タイはイタリアからも軍艦を買っていた。▼吉原吉彌・秋山 秀『明治三十七八年戦役 騎兵第二旅団戦史』S10
▼高橋義夫『怪商スネル』S58
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「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は500円です。
バックナンバーも1号分が500円で、1号分のみでも講読ができます。
過去のコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
http://www.budotusin.net/yoron.html
で、タイトルが確認できます。ウェブサイトでわからない詳細なお問い合わせは、(有)杉山穎男事務所
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