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続報(詳報)。

▼以下、5月のツアーのご案内の概要です。奮ってご応募ください。

近代から現代の歴史を丸ごと満喫する北の大地ツアー
歴史パノラマ探訪in北海道

 幕末、横浜・長崎と共に日本最初の国際貿易港となり、欧米文化を吸収し貿易で栄えた歴史を持つ函館には明治維新(戊辰戦争・1868年~1869年)の最後の戦い『箱館戦争』の史跡『五稜郭』や、新選組副長・土方歳三の終焉地、明治時代の建物、日清・日露戦争以後函館港を守った函館要塞跡が点在しています。 
 函館市から江差に向う途中の台場山には箱館戦争当時そのままの野戦塹壕跡、江差港には復元された『開陽丸』、上磯町には松前藩戸切陣屋跡、函館空港近くには迷彩塗装で残る戸井要塞跡、函館空港にはミグ25事件現場等があります。

解説:軍事評論家 兵頭二十八先生
日時:5月19 (土)~5月20日(日)
費用:¥80,000―

1日め 5/19(土)
羽田 発07:35
函館 着08:55
日本航空JL-1161便

着後、専用バスにて
立待岬、函館要塞跡、五稜郭タワーと五稜郭博物館、四稜郭、旧函館区公会堂、摩周丸クラッシックカー博物館。

函館・湯の川温泉(泊)

2日め 5/20(日)
専用バスにて
台場山・塹壕跡に立ち寄り江差へ。開陽丸(復元)博物館、トラピスト修道院と男爵資料館、上磯町・松前藩戸切陣屋跡、戸井要塞跡、函館空港ミグ25事件解説

日本航空JL-1170便にて羽田空港へ。
函館 発19:35
羽田 着21:00

着後ご自由解散。


お申込先は:日本エアービジョン株式会社 (国土交通大臣登録旅行業第482号)
担当:浅田 均
 電話:03-3538-2071
FAX:03-3538-2095
メール:hito-yoshi5@coffee.ocn.ne.jp


▼歴史パノラマ探訪in北海道  お申込方法

<FAX>
下記の要領で申込書をつくり、03-3538-2095 までFAXして下さい。


(フリガナ)
氏   名


男・女

年(西暦と元号併記で)   月   日生  才


現住所(住民票と同じ住所)


FAX番号:
Eメール・アドレス:


<はがき>
お申し込みいただく方のお名前、ご住所、電話番号、生年月日をご記入後、下記まで郵送して下さい。

@日本エアービジョン株式会社 担当:浅田 均
 〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目3番先 北有楽ビル1階


費用の振り込みについて
 <FAX>又は<はがき>でお申し込みいただいた方に、日本エアービジョン株式会社から、ご集合案内と共に、振込先記載の請求書を、ご自宅まで郵送します。

ご不明の点は下記までお問い合わせ下さい。
日本エアービジョン株式会社 担当:浅田 均
 〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目3番先 北有楽ビル1階
              電話:03-3538-2071

速報 ~ 春の南端北海道ツアー 募集開始!

 むかし陸軍のエリート幕僚たちはグループで「参謀旅行」を催しては、古戦場の地形を実際に確かめながら往時の戦術について検証したり、未来の想定戦場を調査して回ったものでした。
 このノリの軍事観光ツアーを、国内外を問わず、現代市民向きに催行しておられるのが、元陸自幹部だった浅田均さんの「歴史パノラマ探訪」です。

 来る5月19日(sat)~20日(sun)、いよいよ不肖兵頭がツアコンに任じまして、函館山要塞と江差の「開陽丸」を中心に近郷の軍事史跡をバスでたずね廻るという企画が決定いたしました。

 これは浅田さんの旅行会社「日本エアービジョン株式会社」による正規の商業イベントですから有料です。

 なお、申し込まれた方の中に、幕末函館戦争のマニアの割合が多かった場合、そちらの史跡の巡回場所を増やすようにしたいとも思っております。

 とり急ぎ、「第一報」迄……。

3月の前半の某日に……

「新風」の魚谷党首が来道されるそうなので、某所で面会する予定です。「廃憲」の方針について直接確認したいことがあるだけですが……。

 ところで、神浦さんのサイトを見ていたら、例のヤマハなんとかの無人ヘリ輸出事件についてマニアックな解説がされていました。
 新聞を一紙も購読せず、田舎に暮らし、テレビも見ない小生は、神浦さんのサイトを新聞ダイジェストとして定期的に見るようにしていますけれども、神浦さんは自衛隊内に「ディープ・スロート」のボランティアをたくさん持っていて羨ましいなという印象を受けたことがたびたびあります。これまで、あっと驚く納得の言及に、何度感心させられてきたかわかりません。(たとえば、潜水艦の舵がタンカーの底に接触してしまう理由は何か、について。)

 これらの解説はもちろんスパイ行為にはあたらず、ジャーナリストの甲斐性であり道義的義務でもあります。というのは恐らく防衛庁詰めの記者は皆知らされているのですけれども、誰もそれを新聞やテレビで大衆に向けて説明しようという気はない。そういう、埋もれたインフォメーションが、無数にあるのでしょう。
 そこで神浦さんのような背景解説を、インサイダーではない読者は望みます。公益を損なう秘密の暴露とは違う。いやしくもジャーナリストならばそうしたオフレコ・チャンネルを持ち、それに基づいて官庁の意図的誘導的な公式発表を補足し補正してやろうと心がけるのは当然です。その努力が軍事外交に限らずすべての報道の分野で集積され続けることで、初めて健全な民主制政治もあり得るのです。が、日本の他の新聞記者やテレビ報道班員ときたら、まず読者/視聴者に背景の説明をしてやろうとなどいう熱意はゼロなわけです。現状では神浦氏だけが例外的にその熱意をもっているように見える。だからわたしは氏の書き込みの中から、他では得られない背景事情の理解の資料を推知できるとうれしいのです。

 ただし無人ヘリの解説は的を外しているように見えます。この報道の背景は、防衛機密に関するスパイ防止法の国会提出のための雰囲気作りを政府が一丸となってしようとしていることでしょう。そこを解説しないと、背景解説にはならぬような気がします。
 たとえばプルトニウム発電の問題を考えるとわかりやすい。日本がエネルギーを自給しようと思ったら、その方法はプルトニウム発電しかありません。しかしそれを政府が大いに推進しようとしても、反日マスコミにたきつけられた社会的な反対が起き、予算もつかなければ必要な法律も整わない。政府が言葉でちゃんと説明すればよいのですが、日本のエリート官僚と政治家と原子力関係の特殊法人役員には、民主制政治に必要な「自己説明力」がさっぱり無いのです。政府はこう思っているでしょう。「とつぜん、石油が暴騰してくれればいい。そうすれば、政府が説明をしなくったって、国民は理解してくれるだろう」と。
 このような日本政府の自己説明力の欠落をカバーしてくれるのが、「とつぜんの石油危機」に匹敵するような「都合のよいタイミングで報じられ、国民を覚醒させてくれる事件」なのです。

 スパイ防止法なんか、つくっておくのがあたりまえなんですが、これままた政府にはそれを国民に平時に理解させる自己説明力はゼロです。
 だから、読売事件とかヤマハ事件のようなささいな古い事件を「タマ」として温存しておいて、チェイニー氏が来日してGSOMIAをつくれと求めてきたような折に、検察からマスコミに「新事件」「捜査の新展開」として一斉に報道をさせるのです。報道させられるメジャー・メディアの側としては、これが政府の対世論の空気づくり工作への加担であって、事件そのものは、象徴性や一罰百戒効果はともかくとして、そんな大げさな意味のあったものでもないことなどは百も二百も承知です。が、記者クラブ経由でしか記事種をもらえないかなしさ、諾々とそれを報じていこうという達観に支配されているわけなのです。

 ネパールへの自衛官派遣だって、もっと背景説明が必要でしょう。これはシナに対抗するためにこれからインドと軍事的に結んでいこうとする、その特務機関づくりでしょう。誰も説明する人がいないようですので、北海道の片隅から、差し出がましく言及をいたしました。


『ニーチェは見抜いていた』を自由に読める日本の有難さ

 畏友・適菜収氏によるニーチェ紹介の第二弾:『ユダヤ・キリスト教「世界支配」のカラクリ』は、ハードカバーだが価格も当世風に妥当であり、なにより読み易いので、読者のカネと時間を無駄にさせない。

 適菜氏は半端でないニーチェの理解者で、その深さに、この兵頭などはシャッポを脱ぐ以外にないのである。出版界では無名の存在であった。ところが前著『キリスト教は邪教です!』がいきなり講談社から出版され、いきなり1万部を越えたという(現在までの部数は聞いていない)。新人が書いた最初の哲学の本がたちまち1、2万部だなんて、あり得るだろうか。マーケットは、適菜氏がホンモノだと認めたのだ。あとは、優秀な伯楽、すなわち編集者が、どのようにして適菜氏の第二、第三の企画をプロデュースしていくのか、秘蔵状態の適菜氏の変わった引き出しの中身を商品化して呈示してくれるのかが、ひたすらに待たれていたのである。

 テレビの見過ぎで、自分はいつしかタイトルのキーワードだけを見て見境いなく吠えかかる狂犬神経症の同属に一致しつつあるのではないか、たまには時の試練を経た古典的名著のおさらいもしなければ正常な判断力を維持できないのではないか――との健常な懐疑の衝動をまだ抱懐している男子諸君には、本書の購読を推奨する。

 ただし、この本の活字量の半分を占める、B・フルフォード氏の力説するところは「デムパ」に近い上に面白くもなんともなく、ナナメ読みによってさらに時間を節約することが可能だろう。この本の真価は、まったく適菜氏のニーチェ解説の部分にしかない。哀れにも、ニーチェを読んで理解しなかったことがほぼ確実だと本書のなかでバレるフルフォード氏は、ニーチェが反発したはずのアプリオリな西洋式発想、すなわち、世の中の万象のおおもとに唯一の原因がなにか隠されて在るはずだと詮索したがるパターンを、ネガ/ポジ反転させて、悪のプロットの根源探しに取り憑かれている御仁なのだ。日本の出版言論がテレビや新聞の何百倍も自由であるために、著者のキャラクターをその著作から読み取ることができるのは幸せである。

 なお、『東京あけぼの』の定期購読者の方々は、兵頭が適菜氏とは異なる西洋古典の読み方をしていることが容易に承知されるだろう。

福井晴敏氏、高田純教授との鼎談は極めて有益だった

 ホテルニューオータニの窓から、赤坂御用地方角の夜景を眺めていて、ふと理解した。東京都民は誰も「ぬばたま」と隣りあっては暮らしてはいないのだと。
 夜空のバックグラウンド散乱光が、広い公園にすら、あり過ぎる。これでは市街地内の家屋の庭に、弱い光の照明があろうがなかろうが、大差もない。都会では、薄明かりの有り難味を、ちっとも感じられないのだ。

 それゆえ大都市内居住者には、庭用のソーラーライトの性能上の良し悪しの情報は、ほとんど価値がない。価格と見てくれだけが要り用である。
 かくして、情報不完全マーケットが、この商品の分野に関しては成り立ってしまっているのだろう。

 翌日、わたしは豊洲駅に向かった。なぜよりによって豊洲か? ホームセンターの「Super VIVA HOME」と、東急ハンズを、半日で歩き回れるのはここしかない。

 豊洲はしばらく行かないうちに、えらく発展していた。わたしが都民だった頃には、予約なしの個人見学が不可能だった「ガスの科学館」が、いつのまにか、近隣ファミリーの無料ヒマ潰し施設(がすてなーに)と化しているし……。

 ビバホームでは、安くて低性能なソーラーライトの在庫しか確認できなかった。冬期の高緯度積雪地方で役立ちそうな、高価格帯の高性能製品は、置かれてなかった。ハンズには、ガーデン用ソーラーライトそのものが見当たらない。
 ソーラーライトの商品フルラインナップを手にとれるショップは日本にはないのだろうと、これで確信。

 ところで珍妙な商品をビバホームでみかけた。それは、ソーラーライトには違いないのだが、発光部がLEDではなく、なんと蛍光灯なのだ。これって、ひょっとすると、ものすごく昔のモデルなのではなかろうか。そして、おそらく現品限りで「絶版」になるのではないか。
 価額は投げ売り水準だったが、荷物としてかさばるので、買わなかった。

 また電球コーナーでは、かの絶好調の「オーム電機」が、通常の白熱灯のソケットサイズで、消費電力1ワットのLEDスポット電球を売り出しているのをみかけたゆえ、割高とは感じたが、こちらはつい買ってしまった。
 この「暗さ」は気に入った。が、わたしは敢えてリクエストする。リング蛍光灯の「豆電球(豆球)」のソケットに挿し込めるサイズで、これよりも暗いLED球をつくっていただけないものかと。
 というのも小さい子供のいる家庭では夜中は豆電球をつけっ放しにしているのものだが、その光がけっこうまぶしいと感ずることもあるからだ。きっと需要は大きいはずだ。
 これは余談。

 都市住民にはソーラーライトの性能はどうでも良いことなのだとよく把握できたので、わたしは今後は全国の地方居住者に広く呼びかけ、各メーカーのソーラーライトの実設実用感想を聴取したいと思う。デジタルフォトとともに、新設コーナーに寄稿してくだされば、幸甚である(業者禁止)。

 札幌医科大の高田教授(もともと核物理の人)から序でにうかがったところによると、「核融合発電」は、殺人的な中性子を閉じ込める方法が見つからぬ以上、将来の目は無く、それよりも国は、電気エネルギーを百%自給でき、自動車用の水素燃料も生産できる、プルトニウム原発の実用化に、もっと注力すべきである――とのことだった。フランスがフェニックスをやめてしまっているから、これが完成すれば、日本の独走技術となるはずだと。
 それと、地下鉄の照明に蛍光灯ばかり使っているのは、地上通路から入ってくる核攻撃の爆圧でガラス管がすべて割れてしまうので、よくないというお話だった。ならば、地下鉄会社は、照明の半数をLEDと交換すべきだろう。
 夏場のプラットホーム冷房のための電力も、それでいささかの節約になろう。
 非常灯の光源もLEDとすれば、何日間も電池だけでもたせることができるはずである(現用の非常灯は1時間でバッテリーがあがってしまうので、核戦争時には甚だ頼りにならない)。

 話は変わるが、「極右評論」の瀬戸氏が、例の弁護士議員の以前の対首相テロ発言を擁護しているらしいのは、わたしには容認できない。同弁護士議員は、2005年4月に高木書房から刊行した自著の中でも、橋本派の某幹事長に対して「まさに殺意を催すほどのものであった」(p.120)と書き、また、時の外相が、拉致がテロだとは言わなかったことから、家族の心の中に、絶望と殺意が渦巻いた(p.143)、とも書いている。本人が厳重に校正でき、しかも一般書店に流通した活字出版物に、このような記述が残されていることについて、公人たる著者西村氏は社会的責任を負うのだ。有名現役弁護士議員によるこの記述は〈殺人のそそのかし〉だと受け取られても仕方ない。
 むろん、少なからぬ野党と、一部与党議員からなる反日勢力は、この日本国全体を近隣の専制主義的な外国に売り渡すことを可とし、天皇家を処刑することを望み、あるいはアナーキズムを歓迎する、公然たるテロ勢力である。
 しからばその多数のキチガイどもに、少数の正気の公人はどう対するべきなのか。決まっている。スパイ処罰法を議会に上程すべく運動し、その運動の中で、個々の反日人士を名指しで弾劾するべきなのだ。
 〈だれ某は国家反逆者であり、国会よりも刑務所にいるのがふさわしい。さもなくば日本国籍を捨てて××国に去れ〉と演説するのと、〈だれ某は暗殺されるべきだ〉と口走るのとは、天地の違いがあることを、近代国家の法律家ならば、弁えていなければならない。西洋の知識人は、紀元前になされたキケローの演説を、古代語と自国語の双方で共有知にしているから、こんなことは常識なのだが、日本では、明治中期~昭和前期に、英語ではなくドイツ語の解説文献ばかりを鵜呑みにして、古代語にさかのぼらずしてギリシャ・ローマの古典を一通り吸収した気になるという大錯誤に誰も気付けず、その祟りがいまだに尾を曳いて、国会議員が至って幼稚なままなのだ。(古代の固有名詞を英語風に勝手に変更してしまう「英語帝国主義」が反発されたのは尤もである。)

 小選挙区制のメリットは、あまりにも社会常識を欠いた幼稚な候補者を、ふるい落としてしまうところにある。国政選挙が全国区一本になれば、日本を支配することになるのは、カルト団体である。

 選挙にカネがかかることよりも、投票率が低いことの方が、比較を絶して深刻な日本国の危機である。この解決策として、わたしは、「不在者投票の即日開票」をするように、選挙管理委員会に提案したい。

 つまり、不在者投票の開票結果が、本投票日の何日も前から、数週間にわたって、毎日、公式に速報され、累積され、そして最後に、本投票日を迎えるようにするのだ。

 これによって、有権者が感ずる「自分の一票の価値」は、著増しよう。どの候補に勝ち目があり、どの候補が「列外」なのか、本投票日前に把握できることは、死票をなくす。これは良いことづくめだ。

 早く投票した人は、「流れ」を作り出すことができる。たとえば無名の新人をいきなり注目される「本命」にできるだろう。
 後から投票する人は、「決戦」に参加し、関ヶ原の決勝を左右することになる。
 かくして、すべての投票者が、最初から最後まで「レースに参加した」という実感を抱くことができる。これこそ「国政参加」である。

 従来の制度では、投票に手応えがなさすぎた。特に、応援した候補の得票数が、桁違いに少なかったりすれば、もう次の選挙の投票はどうせ無駄であるから棄権しようと思う。自由な個人の心理として、当然ではないか。
 この結果、反自由主義的なカルト政党だけが、断然に有利になってしまうのだ。カルト政党は、傘下組織構成員の投票行動を組織として厳重に見張らせているから、彼らに「棄権」という行動はあり得ない。

 しかし、不在者投票の即日開票制度が導入されれば、カルト政党の威力は、分相応に低下する。流れを作り出そうとすれば、決戦には参加できない。決戦に備えて構成員に不在者投票を控えさせれば、それはライバル陣営に必ず察知され、却って本投票日に、大量の反対票(阻止票)を呼び招いてしまうからである。

 選挙管理委員会は、現況を座視している場合ではない。それは日本の自殺になるだろう。投票率の少ない国政選挙は、議会を通じた外国からの間接侵略を許してしまう、最短コースなのだから。

辞の疆くして進駆する者は退くなり。

 敵がなんだか盛んに強いことを言って勇ましい攻勢をデモンストレートしているようなときは、じつは敵は裏で退却の準備にかかっているのをカモフラージュしようとしているのさ――と孫子は昔に書いていた。

 しかし先だってのASAT実験が、六カ国協議もしくは水面下の米支交渉で、思い切った屈従的な条件をシナが呑むための下ごしらえ、すなわち「弱腰の印象」を中性化させる、国内およびアジア向けの宣伝、であった可能性は、無い。北鮮の核武装を戦争なしに解除できるわけはなく、それが米国にとって可能になるのは、保護者のシナが亡びた場合に限られているからだ。

 それよりも、T・G・カーペンター氏著のif戦記『2013年、米中戦争勃発す!』(きょう届いた『朝雲』の新刊紹介で知ったばかりで、未読w)の英語版のあらすじに強い影響を受けちまった可能性の方が、百倍あるように思われる。

 たぶん、小説通りの偵察衛星の破壊能力を実証すれば、小説通りに、アメリカ人が〈シナとの戦争は失うものが多く、回避すべきで、台湾の独立を守ることも、それほど価値はない〉などと考えてくれるようにもなるはず……と思い込んだのだ。

 もともとシナ語の世界では、宣伝と本心の区別は限りなくあいまいになるが、最近のかれらは、「辞の疆」い時は、じっさいにかなり増長をしている。なんだか大戦前夜の帝国海軍みたいになってきつつある。

 そうなると歴史を学んでいるアメリカ政府も近いうちになにか一発、印象的なデモンストレーションをし返して、現実の圧倒的なハイテク戦力の隔絶というものを、中共中枢に示さないではおかぬだろう。
 日本人は、政治大国同士の平時の喧嘩の流儀を、これからよく観察して学習することだ。

 ところで小耳に挟んだところによると、3年以上前は、ソーラーライトは通販でしか売っていなかったという。しかもその値段も、かなり高かったそうだ。

 その後、その高価で、高性能なソーラーライトが、そのままホームセンターの店頭にも並べられたが、すぐに、廉価版が現われ、良品を駆逐したのであるらしい。

 この話によって、「商品X」が消えた理由を、また少し理解した。
 高緯度・積雪地域でのユーザーが比較的に少数で、インターネットPC普及率もそれに見合っていたため、ここ数年間、「不完全情報市場」の状態で放置されたことが、良品にとっては、致命的だったのだろう。

 大手活字メディアの「新刊書評」コーナーが良いサンプルだと思うが、真の良著が発刊とほぼ同時に書評家に認知されてたまるものではない。たいていは、発刊から何十年もして、ようやくに、その著述の正しさや不当さが、あきらかになるのだ。
 間違った世上評価の修正、真価の再発見には、時間がかかるものなのだ。
 しかし、いつかは、正当な評価がなされるだろう。それをかつてなく強く保障してくれるようになったのが、永久に滅却されない、とてもありがたい情報ストア機構である、インターネットである。
 時間制限なしとすれば、インターネットは、ディスインフォメーションよりも、真実の保存に、より大きく貢献するはずだ。

期待たかまる

 火鉢の研究に乗り出す準備として森鴎外の小説を読み返してみたら、いままで皆目把握ができないでいた鴎外氏のキャラクターが、初めて呑みこめた。長生きはするものだ。

 世の中には、衆智を結集すれば、ただそれだけで解決のつく問題と、衆智が図書館に揃えられた上で、さらに一人の人間が長年ヒキコモリ研究を続けたその果てに、かろうじて歯が立つような問題とがあるだろう。

 前者の典型的な解決を予感させつつあるのが、「商品X」だろう。
 ろく氏の発見は、ビンゴに近いのではないか? 「外見だけコピー」にしては、値段が良すぎる。アッセンブルが in china であるのは、当今、いぶかしむに足りない。
 あとは、誰かの実験報告を待つばかりだ。首を長くして待ちたい。比較テストは、陽が長くなってからではダメなのだ。高緯度の降雪期という条件から、かけはなれてしまう。
 まちがいなく「商品X」らしいと判明したら、殊に、そのメーカー名をはっきりと承知致したい。さすれば、そのメーカーが、げんざい「商品X」の後継/発展バージョンを製造しているかどうかも、調べがつこう。
 後継機種が作られてないのであれば、復刻リクエストを呼びかけるつもりだ。もちろん、LEDはアンバーでネ。

 それにしても皆さんのリサーチ力には恐れ入った。この力が、なぜ去年からの「篤志つうじ倶楽部」方面ではまったく活かされていないのかが、どうも甚だ謎なのだが……。

すでに生産中止なのでは?

 「商品X」の、メーカーor型番or生産販売時期アイデンティファイ情報が相次いでおり、「意味もなくソーラーライトを愛好する会」会員No.1として、この場を借りて深く御礼を申し上げる次第だ。

 さてみやさと氏からご提供の2件だが、「電池一本」なおかつフラッシュ式発光の方は、あきらかに商品コンセプトからして違うと考えるべきだろう。600ミリアンペアの電池一本で「商品X」並の優良パフォーマンスが得られるとは、これまでに得られた「相場値」から見て、とても想像できない。
 外形が似ている理由は、先行する「商品X」が非常に優秀であったがゆえに、それに倣おうとしているのではないか?
 じつは多くのメーカーが、「商品X」の好成績にあやかろうとしているのではないかと疑われるのだ。おそらく「商品X」のコスト・パフォーマンス比および商品バランスは、誰もが外見をパクりたくなったぐらいに、傑出していたのだろう。ユーザー以前に、同業者から評価を受けているのだ。

 次のメイドインチャイナ物だが、これとて同様と思料する。たとえば明暗センサー(微小な丸窓の中につづら折りの金属線が見えるはず)は、「商品X」では、発電パネルの枠外には付いていない。
 唯一、内部の小さい長方形の回路基盤のサイズが、「商品X」と似ている印象を受ける。が、決定的な違いは電池ケースである。「商品X」の電池ケースは、回路基盤と同じサイドにある(表裏に分離されていない)。しかも、電池の上から1枚のプレートをかぶせて、両端を2本のネジで締め付け、それで以って、電池の脱落を押さえている。いまどき、このようなアッセンブル工程の損な電池ケースを使っているソーラーライトは、無いのではないか? 

 つまり、「商品X」は、わたしの当初の推定以上に古い。たぶんは2年以上前に出荷された物なのであろう。そう考えると、あの基盤周辺のクモの巣や虫の卵や錆びっぷりなども、説明される気がする。
 そんな古い、使用時間の経った製品でありながら、今日まで4本セット(?)のうち3本が、完全に機能を維持しつづけているということは、改めて「驚異的」だと特筆大書する価値がある。(4本並んでいるうちの1本は、LEDがごく微弱に光を発するだけで、ホヤの外からは夜間でもまったく発光は視認できない、死亡同然の状態。)

 「商品X」そのものは、現在ではもう売られてはいないのだろう。しかし「商品X」をリリースした会社が、初代のパフォーマンスに劣らぬ後継商品を、現在の市場に投入しているかもしれない。それを、捜索したいと念じている。

 さて余談の一。ソーラーライト用として最も優秀な発電パネルをドイツが開発していることは、同国の長期エネルギー政策と無縁ではない。ドイツの有権者は、〈将来は原発には頼らない〉という大胆な道を選択してしまった。だから太陽電池の改良にも真剣である。この本気さは、好感できる。
 翻って、日本はプルトニウム発電に賭けていくしかないのに、程度の低い役人とマスコミが、その道を自分で邪魔しているのだ。

 余談の二。北鮮がまた「重油をくれ」と言っている。アメリカは、重油ではなく、ソーラーライトを送れば良い。もちろん、半分イヤガラセとしてだ。
 夜間に発電所が運転を止めてしまうあの国で、夜の明かりがなくて危険で困っている民生部門もあるだろう。シナ製の「手回し発電ライト」が大量に輸入されているという。しかしそんなものでは病院の照明にもなるまい。
 ソーラーライトならば、重油と違って、いつのまにか軍用トラックの燃料に化けてしまうこともない。光量の割りにかさばること、小田原提灯とタイだから、軍用照明にも使い難い。援助されたソーラーライトそのものの横流し密輸出が発覚したら、北鮮政府の不誠実さが物証を以って海外に再確認されるだけである。電池だけバラして横流しするという手もあろうが、ソーラーライトに組み込まれている充電式電池は、容量が600ミリアンペアしかないうえに、フルにではなく最小限の初期充電しかされていないから、使えばすぐ電圧が下がってお終いだ。それをフル充電するには、けっきょく、ソーラーライトに戻して、庭先で日光浴させるしかないのだ。このなごみの光は、北鮮人の性根をも改善するだろう。

電気メーカーは、ソーラーライトで墓地の「1年灯明」を作って売り出せ

 三条市のパール金属は、相当強気の値段設定でソーラーライトのラインナップをネット上に広告している。直感だが、新潟県という立地の冬の天候、そして、この価格で競争しているということは、冬期の発電性能にも相当の自信があると見た。
 しかし、残念なことに、遂に固く女房から無駄遣いを禁じられてしまった甲斐性なしのわたしは、この商品を取り寄せて比較テストをすることができかねる身の上となった。あまりにも形状の異なるライトを柵上に幾つも並べたものだから、庭の美観が損なわれるとかいう小言も頂戴してしまった。いーじゃねーか別に隣に他人様の家があるわけじゃなし、暗闇を照らすものなんだから…。じつに女子と小人に安全保障を説くことは至難の業。バイオニアは家族からも理解されることはない。というわけで、パール金属のソーラーライトの性能について、誰か知っているユーザーがいたら、是非、こっそりとわたしに教えて欲しい。

 しかし「高性能ソーラーライトなど無駄遣い」という庶民感覚を、あなどってはなるまい。いくら「電気代ゼロ」といったって、冬の明け方まで毎晩確実に点灯が持続してくれる商品を買おうとしたら、1個5000円ですよ。しかも設置したら無限に作動しまくるわけでもない。充電約500回(つまり1年4ヶ月半)で、高価な充電式電池を交換しなければならん。わたしが2回目に買ったア○リ○オ○ヤ○の一製品なんて、買って三月もしないのにもう電池の寿命が末期に近い症状を呈してきておる(晴天で半日充電して2時間も発光しない)。しかも小容量の交換用充電池は地方の電気店ではまず売っておらず、通販で○イ○ス○ー○マ製(これがなぜか900ミリアンペア。製品に最初から付属しているのは600ミリアンペアのニッカド)を求めねばならぬ。
 1年半以上もったとしても、こういう面倒まであわせて、「お買い得だ」と考えてくれるユーザーは絶対に稀だ。メーカー側にもそれが読めているから、オーム電機のような例外をのぞいては、良い商品の開発にイマイチ乗り気になれず、非良心的なラインナップを市場投入するのだろう。

 では、安くて高性能なソーラーライトは将来も不可能なのか? 「商品X」という例外現象の調査が行き詰っているために、過早に断言もできないが、パネル単体で検索してみると、高性能な太陽光発電パネルが、やたらに高額だとは知られる。
 おそらく、コストを度外視すべき理由(たとえば、僻地の無人灯台の電源にする、等)がなくては、これは合理的な買い物にならぬと察せられる。
 じつは、わたしが大学生時代すでに、「太陽電池を製造するために必要なエネルギー・コストを、その太陽電池が使用不能になるまでに発電してくれるエネルギーが、上回るようなことはない」といわれていた。「エネルギー」を「電力」に限定したとしても、この命題は妥当する。それに対する有効な反論は、聞かれなかった。今でもこの見通しは真なのだろう。

 だが、活路はある。「意味もなくソーラーライトを愛好する会」会員No.1 として提案する。それは墓地用である。日本の墓地をもっと明るくしようではないか。
 彼岸や命日に墓参するマメで敬虔な日本人がいまどのくらいいるか知らないが、盂蘭盆は格別だろう。そこでは誰もが灯明をあげるだろう。これをソーラーライトにしてしまうのだ。火災予防になって良いだろう。
 年に一度のこの用途であれば、「数千円は高い」という日常感覚は適用されない。コストの合理性よりも、「1年間、消えない灯火を置きたい」という気持ちが勝るからだ。
 神社の参道に寄進する石燈籠に仕込めるタイプも、早く研究して欲しい。

武藤章の南京攻略構想の謎

 「当時中支那派遣軍は前述の如く自ら兵站機関を持たず、南京までの距離は図上直距離でも上海から四百キロメートルはあるし、松井大将の持っているものは単に鉄道一聯隊と通信隊若干及び偵察飛行二中隊に過ぎなかった。我々参謀はもし南京まで追撃するとせば如何にしてこの困難を克服するかに就て、苦心惨憺たる状況であった。」
 ――これは『軍務局長 武藤章回想録』のp.80に見える、巣鴨で武藤自身が書いた手記の一部である。

 この昭和56年刊の文献、なぜか武藤本人の手記の部分までもが、旧かなでなく、旧漢字でもなく、また、当時の中将が「情況」ではなく「状況」と書いたか? ……等、不審な点も、ある。
 が、「四百キロメートル」は原文のままだろうと信じて、以下を書こう。

 たまたまわたしはこの部分を、2月25日配信分の「読書余論」のための抜書き作業をするなかで、見直したわけだが、ある人に対し、この箇所の記憶を受け売りして、「上海と南京の距離は400kmあったのですよ」と説明し、そのあとから、「待てよ」と思った次第だ。

 400kmといえば、「東京→大阪」間の直線距離に10km足りぬだけだろう。荷物いっぱいの歩兵たちにとっては、ものすごい距離ではないか。まして馬で曳いた野砲はどうやって南京城壁までたどりつけたのか?

 そこで地図で確認してみると、果たして、上海と南京の間は、どう測っても直線で270kmくらいでしかなかった。これは「東京→名古屋」の直線距離よりも数キロほど長いだけだ。
 この「上海→南京」を、直線でなく、右往左往を重ねたところで、どうしても400kmにはなるものでない。

 しからば全体、400kmという数値はどこから出てきたか? ひょっとして、それは「青島から南京まで」の直線距離ではないだろうか?

 蒋介石はさいしょ、上海ではなく、青島に総攻撃をかけそうな動きを示した。それで武藤は、敵は青島の日本人を鏖殺するための総攻撃をかけるだろうと判断し、逆にその青島から南京まで攻め返す策の案出に、よほど没頭していた時期があったのではないか。
 さもなくば270キロを400キロと間違って記憶していた理由は説明されにくかろう。

 なお当時、「青島→済南→徐州→南京」と、迂回的ながら、一本の鉄道が通じていた。またこの鉄道に並行して、有名な「大運河」も機能していた。輸送動脈が十分にあったから、蒋介石も、青島と上海ならば数十万もの大兵を集中させやすかったのである。日本軍側から見れば、その輸送路を逆用して、敵に反撃できる。

 蒋介石顧問のドイツ人は、まず青島を攻撃するという気配を示して東京の注意を青島にひきつけ、急に裏を掻いて上海の日本人を屠ろうと考えたのかもしれぬ。陽動策としてこれは合理的だったろう。

 さて今年は南京陥落70周年紀年だそうだが、そんなことはアメリカ政府も去年から分かっていた。日本人は当年の当月にもならないとまったく危機感を抱かぬ太平楽民族だが、異国人はそうではない。前々年から対策の世話焼きを始めているのだ。
 そのひとつが「靖国では黙れ」というワシントンから日本国総理大臣への指令だろう。
 これは、ブッシュ政権が北京中共の味方をする気になったものでは全然なくて、その逆である。アメリカ政府は、シナ政府の南京プロパガンダに、今年は日本政府に代わってカウンター工作をしてやろうと思っているのだ。だから宣伝下手の日本人がノイズを上げると、足手纏いの邪魔にしかならぬから、とにかく靖国では黙っていろというのだ。「日本政府の大衆宣伝は、無策もしくは下手すぎてもう見ていられない」というところだろう。

 もちろんクリント・イーストウッドの硫黄島映画は、この南京大屠殺のrevise運動、カウンタープロパガンダ工作の一環にすぎない。
 〈イーストウッドが南京映画を撮るぞ〉――というガセは、ブッシュ政権の企図に早々と気付いた北京の工作係が、イーストウッド氏を貶めるための苦し紛れの中傷の試みだったのだろう。
 アメリカが先手をとっている。この大きな、しかしシンプルすぎる構図が見えていないのは、日本の阿呆評論家たちだけだ。

 北京指導部は平均的日本人よりはるかに利口なので、アメリカ政府の決意に気付いている。たちまち、彼らは弱気になった。彼らは「30万人」説はアメリカ国内でアメリカ政府の誘導により疑問が呈されると予感している。しかし「20万人~10万人」説も譲ってしまうと、東京裁判はデラタメな裁判であって後世を納得させ得ないものであることが、世界に認知されてしまう。

 北京は、南京プロパガンダがアメリカ政府の妨害で今年の秋に不発に終わった場合、東京裁判そのものの神話的権威がなくならないように、どうすればよいか、そのフォローを、もう考え始めている。