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18日、前泊する人は、浅田氏経由で兵頭までご連絡ください。

 ツアーの現地集合オプションはまだ予約が間に合います。空前絶後のこの機会をお見逃しなく! 宣言しますが、たった5万円の報酬でここまで至れり尽くせりの旅行ガイドをわたしが買って出ることは、もう二度とありません!

 さて、公務員の天下りイビリ問題などがなぜこの時期に出てきているか、低LEVELバカ右翼をはじめとする徹底不勉強主義ネット浮浪民は、その梅干並の脳ミソに活を入れてよく考えることだ。
 公務員の天下り問題に政治家が首を突っ込んでも得をすることはほとんどない。政府がそんな面倒な事業をわざわざ掲げているのは、それに別な効能があるからだ。

 真の狙いは、その問題の次に報道されるようになる「ロードマップ」を庶民に受け入れさせること。それに対する庶民の反感を、事前に懐柔する緩衝材の機能が、公務員イビリには期待されているのだ。

 それが何のロードマップなのかは、わたしも皆目分からなかった。折柄、「消費税率UP」のアドバルーン報道が出てきた。すると、これであったのか……?

 一般に、税率UPを歓迎する納税者はどこの国にもいないから、その報道に接して悪感情を抱く有権者の気分を、予め中和しておく必要がある。日本政府もさいきんは、そのへんの呼吸を学んで来ている。
 そしてこのたび用意された中和薬が、公務員イビリなのかもしれない。
 役人の再就職規制などは実質、失敗することは予見されている。だが政府にとっては、それでいい。ポーズと宣伝効果がすべてだ。

 〈民間とは段違いのさまざまな“生涯福利厚生”を享受している公務員をこのようにキッチリと苦しめましたから、納税者の皆さん、消費税率UPをヨロシク〉――という宣伝が続くのかもしれない。
 財務省が、2008年以前にプライマリーバランス修復に実効的に着手せねばならぬと焦る事情、その解法として日本を「大インフレ」にしてしまう手もあったこと等については、他のヒマ人がどこかで解説しているだろう。

 ところで「みせがね」ではない真の公務員人事制度改革とはどんなものか?
 有料の「読書余論」に入塾している「おりこう右翼」の諸士はすでに気付いてくれたことと信ずる。1930年代のソ連の絶好調は、石油輸出収入の他に、公務員人事制度の活力に理由があった。

 民間会社の場合、「上司から見て役には立たないが組織に忠誠な社員」を飼っておくことにもそれなりのメリットがあるのだ。本来的に不安定な民間企業の空気を安定させ、その空気が、有能社員の活動を効率化させたり、各社員をして、会社の長期の繁栄のための工夫を自発的にさせるようチアアップする効果もあるからだ。
 無能社員は、自分のかけがえのない自由を会社に売り、会社は自由社会ではそれ自体が貴重な「忠誠」をサラリーで買っているという関係だ。(だからこれは余談になるけれども、永久就職の無能正社員の福利厚生が、有能バイト君よりも数十倍良好なのは、自由売り渡し黙契の代償として、当然なのだ。有能バイト君は「転業機会の自由」「臨時欠勤の自由」などを享受できている。)

 その民間とは逆に、役所は、本来的に安定な職場であるから、「上司から見て役には立たないが組織に忠実な公務員」を1日でも飼っていたら、国家と全国民は累積的にふくらむ損失を蒙らざるを得なくなる。
 1930年代のソ連の人事制度は、役立たずの部下公務員を有能な上司の一存で即刻に職務停止や左遷にできた。もちろん、不当に下降的配置転換をさせられそうになった当の部下公務員は、直上上司をとびこえて自分の有能さと上司の無能さを党幹部にアピール/上訴すれば、その直上上司を逆に左遷させることもできた。
 この結果、1930年代のソ連では、有能な公務員だけが、同じポジションに長く留まり続け、無能な公務員は、下降的配転を続けることになったのである(ときには銃殺粛清された)。
 もし、この人事制度なかりせば、ソ連は決してドイツと戦って生き残ることなどはできなかったし、アメリカにすぐに続いて原爆を造って生き残ることも不可能だったろう。
 しかしフルシチョフ以降、しだいに「上司から見て役には立たないが組織に忠実な公務員」をシベリアの強制労働キャンプに送り込むことができにくくなって、ソ連は衰退している。

 日本の国家公務員制度では、あるポストに最適の人材が発見されたとしても、彼は決してそのポストに長く留まることができない。また無能な公務員も、組織に忠実であれば、上昇的配置転換を続けて行く。さらに、重大な法律違反を犯したり、国家叛逆行為を為したことが発覚した高級公務員(高級軍人が大宗)を、銃殺はおろか、懲戒免職にもできなかった。これが戦前の日本帝国の敗因であったし、今日の諸々の苦境の原因だろう。

 すくなくとも、現役の衆議院議員たる閣僚/大臣(すなわち有権者に直接に責任を負うている公務員のボス)は、何の理由も示す要なく、直接の口頭示達のみによって、ただちに部下公務員を随意に配転させられるようにすること。今日では、これが、日本を救う改革だろう。この改革を回避した「制度いじり」は、所詮「みせがね」で終わる宿命だ。

 消費税率を上げようとするときに必ずひっかかるのが、食料品課税をどうするのかという話。瀬戸氏のブログでも正面からとりあげていたのは、見上げたものだ。
 この解決案も提示しておこう。

 消費税率0%の食料品のみを扱う「免税食料品店」の営業を、届出制で、公許することだ。
 離島や交通不便の僻地村では、1店舗内に仕切りを設けてレジを分離するだけでも認める。もちろん、帳簿は分けなくてはいけない。こちらは、許可制にする。

 いやしくも「市」または「区」となっているエリア内では、この「免税食料品店」以外の商店では、食料品にも無差別に定率の消費税をかける。
 この結果、大都市では店舗の数が著増し、雇用が増えて、景気も良くなることが期待できる。

 一方では食料品の消費税率を減税するのだから、この税率改正は、有権者に受け入れられるはずだ。

 もちろん、真正の公務員制度改革がなされれば、これまで土建や男女共同参画など経済活動の最下流に、ほとんど無駄に(利権構造に食い込んでいる公務員と公務員OBにとってのみ大いに有益に)たれ流されてきた兆単位の予算費目を、ハイテク軍事という経済活動の最上流に一点集中してかけ流すことができるようになる。
 経済活動の最上流に投じられた公的資金は、最下流に達するまでに、「投資の乗数効果」を発揮するので、日本の景気をよくし、日本の頭脳需要を増して、国際競争力を底上げしてくれる。(投資の乗数効果と「シナジー効果」とを混同させて道路土建投資を弁護せんとる誤導宣伝がよくあるから読者は注意せよ! 高速道路も海底トンネルも超高層ビルも、いまやルーチンで竣工できるローテクにすぎず、研究開発などの新規の頭脳需要は発生しない。)

 日本ぜんたいの景気が少しよくなるだけでも、国庫に収められる法人税その他が著増する。消費税率UPなどまるで必要なくなるほどに、景気浮揚の効果は大なのだ。その王道的解決を阻んでいるのが、天下り利権構造(公的資金ドブ流し捨て構造)なのだけれども、天下りだけを規制しようとしても、大臣に部下公務員を思うように働かす人事権力がないのでは、日本の事態は今日と何ひとつ変わるまい。歴史が教える常識である。

そろそろ隔月刊『ランティエ』(角川春樹事務所)も発売なわけだが……。

 今月の「読書余論」は、じぶんで読み返すのも面倒なほどのボリュームになった。低LEVELバカ右翼で終わらぬための実りある勉強を是非したいと思っているのにまだ当塾に申し込んでいないキミは、この新学期から、心機一転しよう!

近日発売の『別冊正論』にも注目して欲しい

 人間は非合理的なこともする存在なので、カントのように他の人間ぜんぶを「目的」にしてしまえば、倫理や社会を数学のように確からしく構築することは、まず不可能であろう。
 非合理なこともやる場合のあるオレおよびアンタの自由を併存させる方法は、兵頭のおもうところ、一つしかない。それは、互いに公的な嘘だけはつかぬことだ。その空間でのみ、人々が互いに自分ひとりだけの勝手な趣味を楽しみながら共棲することが可能になる。

 この「契約」履行の倫理化は、いまから8000年以上前にメソポタミアの人類最初の「都市」で芽生えたもので、そこから東にも西にも拡散していったのだが、高度に発達させたのは、西ヨーロッパの都市においてであり、本家の中東ではいまでは「約束」があてにできない。
 19世紀以後の東洋では日本人が最もよくこの倫理の外形を吸収した。それは、この日本群島のありがたい「水土」(=地政学的な所与条件)のおかげであって、日本人がシナ人よりも優秀だからではない。現に、日本の選良たる政治家や、試験エリートたる高級官僚が、戦前も戦後も、しばしば公的な約束を破ることを恥じていない。

 さて、ロー・エンフォーサー(law enforcer)でもない者が、自宅戸外の公共の場所へ、有力な連発火器を服の下に隠して携行することを許している米国諸州の法律は、公的な約束が守られる空間の維持・強化に役立つだろうか? たぶん西ヨーロッパ人は、そうは考えはすまい。
 これは、今日のバクダッド市内の会議場に、誰かが手榴弾を服の内ポケットに入れたまま入場し、傍聴することが許されるかどうかを考えたら、アメリカ人にも分かるはずの理屈だ。

 旧日本軍の手榴弾は、突撃のきっかけをつくるためだけの、いわば花火のようなもので、せいぜい1発で1人しか殺せぬ低威力のものとして設計されていた。だから、自軍の手榴弾で確実に自決するためには、兵士はその上に腹ばいとなる必要があった。(つまり日本軍の1発の手榴弾では、「集団自決」などとうてい不可能だった。)

 ところが現代のオートマチック拳銃は、貫通力の大きな9mm軍用弾を弾倉内に十数発も収納するものが売られている。ワイアット・アープの証言によれば、ゆっくり狙って撃たない拳銃は、室内といえども1発も当たるものではないそうだが、とうとう今月、1人が拳銃だけを用いて32人だか33人を一挙に殺すという、新記録がつくられてしまったようだ。

 合衆国連邦憲法がつくられた当時、米国有権者が手にしていた武器は、ほとんど全部が「先ごめ単発式の小銃」で、その全長は2m前後もあった。(先ごめ単発のピストルも決闘用として存在したが、サイズが大きく、しかも小銃とは勝負にならぬ短射程であった。)

 偶然にも、まだこの単発小銃しかない時代に、有権者がそれで皆武装していたという状態が、米国の民主主義を確立したのだ。
 つまり、1人の小銃射手は、2人の小銃射手と撃ち合って勝つチャンスはほとんどない。1人が1票の政治的意思表示をキッチリできた。その担保が、単発小銃だった。

 米国の独立を望む有権者の数(=小銃の数)が、それを支持しない有権者および英国兵の小銃の数を上回ったので、米国は独立した。それは近代啓蒙主義政治哲学の上でも正当なことであると、英国インテリも承認をしたのだ。

 連邦憲法が米国市民の武装権を明記しているのは、この全長2m前後の単発小銃を前提にした話だった。それは服の下に隠し持って戸外に持ち出すことはできず、しかも、1人で一挙に1人の市民しか殺傷することはできない。
 不意打ち的に、少数者の意見を多数者に強制することは、不可能なのである。だから、公的な約束が守られると期待ができる。

 さらに大事なことが、アメリカにおける陸軍の禁止だった。1人の独裁者の命令で動く常設軍隊は、その装備として単発小銃しかなくとも、バラバラの市民を各個に殲滅できるのだ。だから当初の米国憲法は、「大統領が随意に運用できる常設連邦陸軍」という発想を絶対に否定した。その代わりとして、ミリシャ(民兵)だけを認めた。
 つまり、「常備軍の禁止」と「国民皆武装の推奨」がワンセットであった。

 この憲法の大前提を崩してしまう高性能の実包式連発拳銃が米国人によって発明され、人口希薄な米国西部に普及したのは、南北戦争の直後だった。すなわち、ダッヂ・シティにローエンフォーサーのワイアット・アープなどが必要とされたときにあたる。(日本の時代劇は徳川200年間が舞台。米国の西部劇は、年表的には幕末のほんの一瞬のひとコマだ。)

 遵法精神など無いカウボーイ(アープのインタビュー評伝を読めば、これは山賊に近い無法者集団のイメージであったことが知られる)の集団が連発式火器を携行しているのに、農場主が単発銃しか持たないのでは、農場財産を略奪から守る自衛は不可能だった。

 その後、米国の市/郡警察と州兵と連邦軍(合衆国騎兵隊)が、西部の法的無秩序を徐々に平定したから、初期米国憲法の前提は大きく崩れたのだ。大都市においては、市民の連発拳銃の隠然携行は、公共の秩序にはどう考えても有害になってきた。
 しかし、かたや田舎では、まだ連発銃による農民の自衛は必要だったのである。警察や軍隊が電話一本ですぐにやってきてくれる環境では、そこは必ずしもないのだ。とにかくアメリカは広いのである。
 この、都市と地方の治安担保のギャップがどうしても実定法では調整し切れないので、都市部における小型連発火器の自宅外持ち出しと隠然携行も、いまだに野放しにしておくしかないのだろう。

 さて今回の銃乱射事件の第一報で、犯人はシナ人らしいと報じられて、全米がそれを信じた。わたしがもう何度も強調しているように、米国人はとっくのとんまにシナは将来の敵になると認識しているのだ。

 だから日本人の安全のためには、日本人はシナ人や朝鮮人とは違うんですよという積極的なPRが不可欠なのである。

 サンフランシスコで明治38年に日本人の移民を排斥する運動が起きたのが、よく、日米戦争の伏線のはじまりだったとされるようだ。しかし、立場をひっくり返せば、これは当然の反応だった。どんな国も、低所得移民の都市部への流入には、顔をしかめるものである。それでもNYのような大都市ならば低所得層の街区も広く、埋没もできるが、サンフランシスコやシアトルのような地方都市では、どうしても目立ってしまう。
 その頃の日本移民は、最低所得層の出身であり、アメリカ人からはほとんどシナ人や朝鮮人と同じだと見られていた。なのに、明治23年の教育勅語でシナ式世界観を肯定してしまっていた日本政府は、日本人はシナ人や朝鮮人とは違いますよという宣伝を打たなかった。

 明治38年に日本は連戦連勝のうちにロシアとの講和を結んだ。このとき在米日本人の態度が、とつぜんにデカくなった。講和の斡旋をしたのはアメリカである。ところがそれに対する感謝の表明が日本人の間からはない。むしろ逆に、賠償がとれないこともアメリカのせいにしてブーたれた。それまで日本軍を応援していたアメリカ人も、こういう幼稚な反応をみて、引いてしまった。こんな身の程しらずなガキの集団はとても仲間として受け入れられないと直感したのである。
 しかも、対露勝利後の日本が朝鮮半島を併合するのは時間の問題のように見られた(じっさいには明治43年)。となれば、日本の低所得層よりもさらに低所得であった韓国人移民が、爾後は日本人だと称してどんどん米国に流入することになろう。それゆえ明治38年のサンフランシスコの学校は、先手を打って日本人と韓国人を並べて名指しして排斥し、翌年には、チャイナタウンの学校へ行きやがれとの市命令が出されたのである。

 1970~80年代、日本の遠洋漁船の乗り組み員たちが、南米や南アフリカの港に立ち寄って上陸するさいにはまず、自分たちは日本人であって、韓国人やシナ人ではないということを強調して、地元の市民から絶対に混同されないようにした。それによって、客としての扱いがまるで違ったのだ。無学な漁民すらこれを弁えていた。

 シナ人と日本人は違うという宣伝は、信用度を維持できる「ネット上の図書館」に英語の資料をたくさんUPしておいて、随時にそれを誰でもURL付きで引用できる状態にしておくしかない。これ以外にないのだ。それをやっているのが、いまのところ民間有志の「史実を世界に発信する会」である。さらなる寄付金を募りたい。

 わたしは視ていないが、番組表によれば、NHKのクロースアップ現代は、まだ放送しているようだ。回数は千回を越えているだろう。この番組は尺数は短いが、毎回、NHKという組織を動員した人海戦術で作られている。一人のプロデューサーや少人数のディレクターが、週に3つも4つも異なった新しいテーマを掘り出してきて追いかけてまとめあげることなどできはしない。それを何年でも無限に続け得るのが、組織力の凄さだ。
 シナの反日プロパガンダも、このクロースアップ現代と同じだと思えばよい。人海動員によって、ネタは無限に繰り出されてくるのだ。それに日本の首相が反論するには、一つの問題についての詳しい知識があったとしても無力である。敵は一つのいいがかりを論破されても、別のネタを十個出してくるからだ。

 ではどうすれば対抗できるか?
 戦前の史実について、トータルでシナに反論できる、信頼度の高い巨大なデータベースが、公開的に存在している必要がある。もちろんすべて英文でなくてはならない。それがあることによって初めて、日本の内閣総理大臣や米国高官は、たった一言、「シナ/朝鮮のいいがかりは事実ではない」とTVカメラの前で言い切ることが可能になろう。ソースは、あとで内閣官房や米国政府スタッフが、そのデータベースのURLをHPで発表してフォローすれば良いのだ。
 このようなネット上の英文アーカイブが利用できぬために、米国政府高官も、日本政府に対する公開的な援護射撃のしようがないのである。
 もちろん、このようなデータベースは、日本国の政府や、役人には、まずぜったいに構築は不可能である。国会図書館のいままでの予算のつき方を見れば、わかるだろう。
 この大事業は民間ならでは、できないのだ。

 2ちゃんバカ右翼たちは、アメリカ連邦下院に対する朝鮮人の慰安婦工作の司令塔が北京であることすら察しがつかない様子であるし、今も将来もおそらく英語力はゼロに等しい(というかその前に日本語の文献を読んで咀嚼する力がない)ので、ボランティアの翻訳投稿を呼びかけても無駄だ。これが昨年と今年、わたしが学習できたことである。
 資金を出す有志と、翻訳するプロのチームを、分けるしかない。
 わたしは「史料英訳会」よりも「篤志つうじ倶楽部」のスキームに、むしろ期待をかけていたのであったが……。残念だ。「篤志つうじ倶楽部」のボランティア管理人さんには、まことにご苦労様ですと申し上げる。

 ツアー情報追加。大野町郷土資料室を確認してきました。けっこう面白いことが分かりました(大戦中に機関銃弾で貫通された半鐘の実物など)。ツアー2日目午前の、二股口の土方歳三の塹壕跡を見学する前に、ここにも30分ほど、立ち寄りたいと思います。既に申し込まれている方は、お手元の予定表に追記しておいてください。

ソラ玉(そらだま)のきょうふ

 またソラ玉を買っちまった。こんどはマルチカラー。自動的に色が変化してくれるのだ。
 クリスマスイルミネーションにハマって電気代を月に二十万も払っているという御大尽の家がTVで紹介されたりしているが、この1個千円強のソラ玉を2万円分も並べたら、かなり淫靡なムードが醸し出されるだろう。なにしろ、一晩中、365日ですからね。
 LEDの消費電力は、赤と黄が少なく、緑や青は多いと聞いていた。したがってマルチカラーだと持続力はガックリ落ちるのではないかと危惧したが、夜明けまで点灯している。大したものだ。さすがはオーム電機だ。(同社の握り発電装置付きLED懐中電灯もグッドデザインだった。)
 ところでこのマルチカラーのソーラーボール、以前買った同社のソーラーボールの「黄色」と値段が同じなのに、見ると、発電パネルが別物のようだ(面積は同じなのだが、表面のワイヤー状の筋が密である)。おそらく、消費電力が嵩む分、いくぶん高性能な発電パネルを組み込んでいるのではないかと想像する。てことはお買い得なのか。

 パッケージ中に固定台などが附属していない同社のソラ玉をいかにして長さ数十センチの垂直ポールの端縁上に固定するかのDIY実践は、後ほどリポートしたい。同社のソラ玉の輝度と持続力は、地面にころがしておいたりするのでは、「闇夜のマーカー」としてのポテンシャルが引き出せず、勿体ないからだ。

 さて、さいきんブログで地政学の話をしているところが目につくのだが、大概は1980年代の議論に漸く目覚めた体の、いいオッサンが中二病に似た周回遅れの熱中をしているもので、「日本人のアンタが、洋学の受け売りではなく、どうやってオリジナリティを提示してくれるんだよ?」と詰め寄りたくなる。

 いま売っているはずの『表現者』の寄稿記事の補足をしておこう。
 ふつう、陸上で国境を接する隣国を強くしてやるという選択を、国家は採用しない。ソ連は1950年代に中共の核開発を支援し、途中でこいつはヤバイぞと悟って手を引いたが、1960年代に大いに後悔しているのだ。
 ソ連が、インドやベトナムを梃入れして、シナを挟み撃ちしようとする戦略ならば、合理的である。シナの立場からは、シナからみてソ連の背後に位置するヨーロッパ諸国に強くなってもらえば、好都合だろう。ふつうはそう考える。

 そこでアメリカ政府も、まさかシナ人が、対インドの布石としてであるとはいっても、短いながら接壌する隣国の、それもイスラム大国であるパキスタンに、原爆を持たせるなどというオプションを1980年代に実行するとは、想像しにくかった。
 パキスタンの原爆保有の意味は、〈アメリカ人はシナ人の行動を古い西欧流の地政学によってはほとんど予見できない〉ということだった。が、それを指摘する外国人が誰もいなかったので、こんどは北鮮も核実験してしまった。

 〈シナ人はフツーではない〉という説明をアメリカ人に対してする義務は、日本人が負うていた。ところが日本人はそれをしなかった。否、できなかった。保守派が教育勅語などを賞揚しているあいだは、日本もまたフツーの国ではなく、フツーの考え方ができないのである。フツーの考え方とは、公的な嘘をつくことを恥じることである。公的な約束を破ることを恥じることである。そこからしか「法の下の平等」「法の支配」という近代の考え方は生まれはしない。
 マッカーサー偽憲法は、公的な嘘の塊である。そして教育勅語は、個人や国家の対等を認めないシナ思想である。

 シナ人の古言に「浸潤の譖(そしり)、膚受の愬(うったえ)」を黙過するな、それを明察し、予防し、艾除し、反撃していけ、という教訓がある。
 すこしづつ宣伝され、すこしづつ蓄積されるような悪イメージが、おまえを破滅させるんだよ、というのだ。
 政治とは宣伝であり、宣伝戦には休憩などないんだよと、「聖人」様が教えてくれているのだ。宣伝を休んだ方が負けなのだ。とうぜん、安倍政権には無為無策の責任がある。

 日本はこの逆をやってきた。日本人はシナ人や朝鮮人とはまったく違うのであり、シナ人こそが最も嘘つきでクレイジーなのだという積極的な宣伝をアメリカでいささかも展開せず、逆に、シナ人と日本人は似たようなものではないかと誤解されてもしかたのないような言動を保守派とバカ右翼が反復継続している。瀬戸氏はまたもや〈ユダヤ陰謀論〉を書き込んでいる。つける薬はない。
 するとアメリカ人は日本をどう思うか。ギリシャ的価値観がないという点ではシナ人と差がなく、ユーラシア大陸経営のための戦争能力ではシナにはるかに劣り、将来の市場規模でもシナに劣ると考えるだけだ。

 北京はもちろん、日本人のイメージをシナ人以上に劣悪に見せる宣伝を、世界単位で展開し続ける。そうすることがシナの安全とステイタスの向上につながるからだ。
 「横田めぐみに同情してくれ」という宣伝は、アメリカの大衆にはまったく訴求しない。シナは厚顔無恥な韓国人を手下として「慰安婦」ネタを無尽蔵に繰り出すことで、容易に安倍氏から「拉致カード」の神通力を奪えたのである。「浸潤の譖、膚受の愬」を黙過した迂闊さの責任はまったく安倍内閣じしんにある。

 米国政府高官の間では、北京発の嘘宣伝の真相はほぼ掴まれている。しかし日本政府は、米国の有権者全般をみずから直接にわかりやすく説得し感化しておかないならば、宣伝にも人海戦術を採用するシナとの宣伝戦には別な戦線で必ず負けてしまい、日本の国益は長期的に汚損されるという単純な機序を理解すべきである。

 伊藤貫氏は、アメリカは日本の単独行動を歓迎しないと『表現者』でも断言しているが、この断言は説得的ではない。日清戦争の前も、米英は日本の単独行動を歓迎しなかった(see→『蹇々録』)。しかし、対支戦という行動が起こされてからは、米国大衆は無責任なスポーツ観戦者となったのである。
 「横田めぐみ」が拉致され、まだ生きているという情報をもっているのならば、日本政府は一刻も躊躇せず、単独で北鮮に軍隊を送り、奪回すべきである。米国大衆はそもそも他国間のトラブルに関心は無いが、もし関心を持ったとしたら、とうぜんにそのように考える。そして日本軍に声援を送るであろう。
 この逆に、自国民を拉致されたと騒ぎながら、ほとんど有効な単独行動を起こしていない日本政府と日本の有権者は、アメリカの大衆の目からは、シナ人と同じくらい謎なのである。気概がないのか、人権に価値を見ていないか、どちらかだと疑う。およそ大衆が外国同士の戦争を見る目は、スポーツ観戦と同じであって、ヘタレを応援することは決してない。

 1960年代の前半、もしシナが核武装するなら、日本も安全保障上核武装するのが当然であった。ニクソンはそう考えた。しかし佐藤はヘタレだった。こうなると、シナの対米宣伝が圧倒的に魅力的になる。シナは自国の独立維持のために単独行動できる国だった。気概があった。それは米国大衆の愛する気概でもあった。キッシンジャーはシナと組むことに自己の利益を見出した。「ユダヤの陰謀」とは何の関係もないことだ。

ツアー締め切り迫る!!

 道南の新撰組遺跡と旧軍要塞遺構等を巡るツアーの申し込みの締め切りが迫って参りました。

 北海道も函館市も、軍事観光資産を活かす着眼が乏しく、地図や標識が十分に整備されているとはいえません。ですので、現地ガイドを伴わずに効率的にこれらの史跡・資料館を視察することはできないと思われます。

 今回のツアーは地元居住者である兵頭が特別に例外的に軍事史的なガイドを担任するもので、ふつうなら2日では観られない内容となっております。

 羽田発着コースのお申し込みは、もうじき締め切られます。この機会をお見逃しなく。
 (函館現地集合組のお申し込みは、5月中旬ギリギリまで可能です。)


 さて世間話です。昨日とどいた月刊『文藝春秋』にウッドワードのインタビューがあり、やはりというか、キッシンジャー老人が、現政権にも頻繁に接触して、米軍がイラクから撤退せずにあくまで勝利を追求するよう発破をかけていると。最凶のシナ工作員が誰なのか、いずれ明らかになるでしょう。

書評だけ読んで再書評

 本日とどいた『SAPIO』誌に、柳澤健氏著の新刊、『1976年のアントニオ猪木』の紹介記事が載っていた。

 1976年6月当時、わたしは満15歳で、プロレスに興味はなく、格闘技ファンでもなかった。しかし、鳴り物入りの前宣伝でTV中継されると聞いた「猪木 vs.アリ」戦では、猪木氏はあぶなくなったならリングに仰向けに寝そべる戦法をとるのだろう――という見当だけは、事前につけていた。
 (さすがに、形勢不利となる前からいきなりそれをやると迄は予測せず。)

 というのは、それ以前に、どこかで読んだプロレス漫画(または格闘マンガ)に、まさにそんなシーンがあって、もっともらしい解説も付いていたのだ。
 レスラー(柔道家?)がいきなり仰向けに寝て強敵を誘うや、打撃系の選手である強敵は、ためらってしまい、まったく攻めることができなくなる、という、少年漫画にしてはヤケに意外な展開……。
 だからこそ、格闘技マニアでないわたしの記憶にもちゃんと残ったのだ。

 わたしですら、それを覚えているのだから、わたしと同じ1960年生まれの柳澤氏は、その漫画について知っていて欲しかった。『Number』の元記者として、当然に調査をいきとどかせていて欲しかった。残念ながら、『SAPIO』の紹介文を見る限りでは、この予言的な漫画についての言及は、無さそうである。

 この漫画の原作者をとにかく確認したいものだ。それは故・梶原一騎であった可能性があるのではないか。梶原氏は試合の流れも全部、考えてやったのではないか。

繰り返し

 日本時間の1945年8月9日午前零時は、モスクワ時間の8月8日午後5時にあたる。モロトフ外務人民委員は、佐藤駐ソ大使に、午後5時から面会。そこで、ソ連の対日参戦を通告した。
 満洲時間(=日本内地時間)の8月9日午前零時すぎ、ソ連軍爆撃機が新京とハルビンを爆撃し、地上部隊が満ソ国境を越えた。
 東京の鈴木総理大臣は、ソ連の参戦を、10日の朝に承知する。ニュースソースは短波ラジオであった。
 ハーグ陸戦条規の宣戦規定の外形的な遵守は、こんなものでよかったのだ。外務省の幹部や、退役大将を外相として送り込んだこともある海軍の幹部は、それが分かっていた。しかし1941年12月8日の東京の日本外務省は、敢えてこの方法は採らなかった。

 もう1934年から、AT&T社は、米国の太平洋岸と東京を、無線でリンクして、音声電話の国際通話サービスを始めていた。高い料金さえ払えば、日米間で、電話会話すら可能だったのだ。海底ケーブル網による電信は、もっと早くから全世界の都市を結んでいた。もちろん東京の各国大使館には、自前の短波無線装置、長波無線装置、自国の商船や友好国の軍艦を借りての無線送受など、百般の通信連絡手段があった。
 つまり、東郷外相が、東京でグルー大使に、12月8日未明に、今から開戦すると口頭で伝え、さらにその事実を短波ラジオで東京から国際放送すれば、ハーグ陸戦条規の外形的な遵守は、達成されたのだ。しかし外務省はそれをしなかった。海軍との間に事前の共同謀議があったからである。

 野村大使も、東郷外相も、日本海軍が1929年のパリ不戦条約批准の後も「寝首掻き」方式での開戦しか考えていないことを、重々、承知していた。統帥権独立は、海軍軍令部が堂々と国際法を破り、国家として五箇条の御誓文に背くことを許していたのだ。
 奇襲を絶対に失敗させないために海軍は、退役海軍大将の野村をわざわざ開戦時の大使として指名し送り込んでいたのである。ハルはすべてを知っていたから、野村には冷たく対した。

 日本がソ連方式でパールハーバー攻撃30分前に対米宣戦したとしよう(特殊潜航艇の港内突入が最初の急降下爆撃より早かったことは捨象する)。それで「スニーク・アタック」の汚名は生じなかったのだろうか? まったく、以後の日本の不名誉に変わりはなかった。ここが低脳保守には半世紀たってもまだ分からないのだ。
 ソ連は、ドイツがたたきのめされるやすぐに、日本非難を開始していた。日本を侵略者と呼ばわり、その侵略者への反撃をすると、予告しているのである。つまり世界に対する自衛宣言である。これをすることによって、ソ連は「パリ不戦条約」を遵守しようとする意志を、いちおう、示したのだ。

 日本は「パリ不戦条約」を遵守しようとする意思が、ひとかけらもなかった。大本営は、「交戦状態に入れり」とラジオ発表した。〈米英軍が先に攻撃してきたので自衛した〉ではない。宣戦詔書は「自存」といっているが〈自衛反撃〉とはしていない。アジアに新秩序をつくるという余計なニュアンスの本音まで混ぜてしまっている。教育勅語が近代精神を狂わせた最良の見本である。そもそもアメリカの禁輸は南部仏印進駐へのリアクションであり、英蘭の禁輸はドイツの同盟国への当然の態度である。侵略者には世界は禁輸で応えるというのは国際連盟の掲げた精神だった。日本はかつて国際連盟常任理事国であったとき、この禁輸指針に何の反対もしていないのだ。
 ナチスやスターリンですら「自衛」を装うことを心がけ、大いに尊重する構えを見せているパリ不戦条約を、日本政府だけは、公然と、堂々と無視していた。これに、不戦条約の幹事国であった米国の国務省人脈が憤ったのはあたりまえである。マッカーサーが、〈ドイツ人は、12歳の日本人と違って、45歳の近代人だった。つまり日本人は全員条約にすら無知な少年犯罪者であったが、ドイツ人は国際法もよく承知した上での確信犯だった〉と表現したのも、このパリ不戦条約を如何に回避したかの態度の相違を指している。日本政府は回避をせず、ただ、無視したのだ。あたかも不戦条約などこの世に存在しないかのようにふるまった。
 (マッカーサー自身は、戦時国際法ではない条約や法律が将官を罰する根拠になるという哲学を本能的に歓迎しなかった。マッカーサーの父親はフィリピンの虐殺者である。秩序をつくるために破壊殺傷を担任するのが軍人である。軍人が平時法で罰せられてはたまらない。だから、マックが東京裁判のスキームを得心するまでに数年かかった。)

 東京裁判で東條元総理は、「宣戦布告をしての侵略戦争、または、宣戦布告なしの侵略戦争」の計画や実施を咎められている。ハーグ陸戦条規違反は小さなことで、パリ不戦条約が重大なことなのだ。それを一言に縮めたのが「平和に対する罪」だった。

 現役大将であり陸相であり総理大臣であった東条英機は、パリ不戦条約を巧妙に回避する方策をなにひとつ考えられなかったので、近代世界の憎まれ者になった。そしてこの東條と、海軍大臣は同罪である。ハーグ陸戦条規違反に関しては、海軍と外務省が共同で謀議をめぐらした。しかし米国内でのきわめて高度な政治決定により、海軍は免罪された。それによって日本外務省も免罪された。

 戦前にNHKがラジオ放送を開始するとき、東京市内の電話加入者は3万人しかいなかった。
 この電話というシステムはグラハム・ベルが創った。大正4年にはアメリカの都市内の電話は普及がほぼ終わっていて、こんどは西海岸と東海岸との間で、長距離電話をつなげようという段階だった。1945年にはもう全米家庭の5割が電話を引いていた。
 戦前の日本国内の電話交換機も、ベル・システム社が開発したものに準拠していた。とうぜんながら、電話の盗聴技術は、アメリカが日本に数十年も先行していた。
 連合艦隊の旗艦『長門』の呉軍港での繋留ブイと、霞ヶ関の海軍省との間は、延々と、有線電話で結ばれていた。途中には、無数に、盗聴ポイントがあった。おそらく、広島市内に、盗聴センターの一つがあっただろう。その証拠設備は、さいごに原爆で消滅させられた。スチムソンはかつて国務省の通信傍受を指揮監督する立場にもあった。

 ハワイ攻撃部隊の択捉島集結は、千島方面での民間の無線使用までが制限されたことで、札幌の逓信省の文民の役人すら、容易に察知することができていた(see→『寺島健伝』)。電気通信後進国は、一方面での急な電波封止はかえって外国の注意をひきつけることになる、という通信欺瞞の初歩すら、分からなかったのである。
 これに、日本周辺に展開した米英の諜報網が気付かないでいた――と推断する方が、不合理なのだ。
 11月26日の南雲艦隊の単冠湾出撃は、米国要路にリアルタイムで把握されていた。直ちに「ハル・ノート」が書かれた。これをうけた東郷外相は、昭和天皇に、これはアメリカからの最後通牒ですと説明した。だが野村がハルに手渡した交渉打ち切り通告が、最後通牒の体をなしていなかったように、ハル・ノートも、最後通牒などではない。東郷は巣鴨の獄中で、ハルノートを読んで目がくらんだなどと書いているが、もちろん嘘である。

 アメリカは日本海軍と日本外務省の意図的な国際法破りを、すべてお見通しだった。が、高度な政治判断で、日本外務省は東京裁判での断罪から免れた。
 これが、日本外務省が靖国神社や東京裁判イシューに関連してシナからの対米バックパッシング(buck-passing)宣伝工作攻勢をうけると、それに対してまったく反撃の態勢をとりようのない、深い理由なのである。外務省こそ日米戦史の歪曲者であり、過去を掘り返すことは日本外務省の自殺になると考えている。

 したがって戦後の対米宣伝を、脛に傷もち、弱みも握られている外務省などに任せておいて良いわけはないのである。他の機関が推進しなければシナの宣伝攻勢には対抗ができない。さりとて、これが文科省のような二流官庁ではなお役には立たぬ。
 かつてGHQが「大東亜戦争」の呼称を禁じたとき、それに代えてこう呼びなさいという命令はなかったのである。しかるに二流官庁の文部省は自発的に「これからは太平洋戦争と呼ぶように」との旗振りを買って出たのだ。彼らに日本史を任せておくことは危険である。

 戦前の東大生で高等文官試験に上位合格した者は、文部省のような二流官庁を志望しない。高成績に加え、覇気もある者は、内務省に入った。内務省の中核が警察である。GHQは内務省をバラバラに解体することで日本の統治を容易にした。日本の警察は、覇気を維持しつつ、米国とも協力した。
 背後の皇軍を失った日本外務省が、1970年以降にシナの工作と田中派の台頭でますますガタガタになっていったのに、警察は内心で反発し、いろいろな対抗をしてきた。
 たとえば近々、中共の大物が来日する。すると警察は、弾薬庫に保存していた予備弾薬を出してくる。たとえば、(被害者にも自業自得の面があるという点で)解決優先度が高くない、未発表の拉致事件である。総理大臣がバリバリの旧田中派だったら、こんなタイミングでこんな事件の公表をすると首相の警察に対する覚えが悪くなるだけで損だが、今は、逆に総理大臣にも恩を着せることができる。警察のマスコミ利用術は、官庁の中では最も高等である。そして、アンチ中共であり、アンチ半島である点で、頼りにもなる。

 だが歴史問題で警察が対米宣伝をしてくれることはない。それは無理である。お門違いである。
 歴史問題で対米宣伝をしなければならない責任者、それは現役の内閣総理大臣なのだ。現役の内閣総理大臣には、他の官庁のすべてを超えた対外宣伝力が必要である。日本外務省が、1941年の東郷外相の侵略謀議加担・パリ不戦条約違反推進という深い傷を脛にもつために、そうする以外に、日本が国際宣伝戦(バックパッシング合戦)で生き残る道はなくなっているのである。
 シナはアメリカとの長期的衝突コースが確定しているがゆえに、必死でアメリカの悪感情を日本に向けさせようと、工作にドライブをかけている。バカ右翼が、マンマと釣られて反応し出した。首相には、一人で反撃する責任がある。駐日大使がシナ朝鮮の工作にやられたなら、その駐日大使に対する不快感をすぐに首相は公然と口にしなければならぬ。国際宣伝戦では「受け太刀」すら必敗の道。まして「無刀」では死あるのみ。一人で宣伝反撃のできない首相は、日本国の国益を損なってしまう。

 諫言する者がいない。東京裁判で免罪された外務省と旧海軍が連携しての戦後の「偽史」づくりに、日本の民間の保守言論人は、ころりと騙されたまま、いまだに目が醒めない。事前にアメリカ政府を「侵略者」として東條首相が公然に批難し、いついつまでにかくかくの措置を米国政府がとらない場合は日本国は自衛するしかないと予告してから軍事行動に移るのではなければ、宣戦布告を1時間前にしたところで、それは「スニーク・アタック」であり「パリ不戦条約違反」なのである。日本政府は、パールハーバーを海軍が襲撃する前に、アメリカに対する自衛戦争をほのめかしもしなかった。それ以前の海軍省のマスメディアを通じた威勢の良い宣伝は、侵略の予告にはなっても自衛の予告にはなっていなかった。そして外務省に、パリ不戦条約を守る意志があったならば、軍事行動前の宣戦文書の交付などは考えてはならなかった。それは逆に日本軍の行動が「自衛反撃」ではない計画的侵略である傍証となってしまうだけなのである。じゅうぶんすぎるほど「スニーク」である。日本人は12歳のガキだった。いまでもガキに見えるだろう。

下情のわからぬ '90年以降の党人

 ネットゲリラ潜水艦のブログに、――〈騙されて連れられてきた〉なんていうのは、むかしの朝鮮人Pが日本人のウブな兵隊から同情を買い、なおかつ逢瀬をドラマチックに盛り上げるための、お約束の〈営業用・身の上話〉だった――という、さる掲示板の投稿の引用があり、点頭させられました。

 それならば、戦時中の大陸にいた日本人Pには、〈営業用・身の上話〉は無かったか? もちろんありました。「わたしは元は女教師でした」というもの。とうぜん大嘘なんですが、私服も、なんだか、それらしく決めていた。もうそれだけで無知な客は興奮したわけです。

 20代の若い兵隊はそのくらい無知でもいいんですけど、政権党で権勢ある中年過ぎたオッサンがそんな商売トークにひっかかっていたら、国じゅうが迷惑する……という見本が、河野議長。おそらくですが、1965年に没している河野一郎氏には、あの世界にそういった商売トークがあることなど、ほとんど常識だったでしょう。昔の党人は、遠山金四郎みたいに「下情」によく通じていて、他人を騙すことはあっても、他人から容易に騙されることはありませんでした。
 ところが、社会主義的教育に洗脳された戦後デビューのお坊ちゃん党人になると、この下情がわからなくなった。
 ついに、日本じゅう、「昔の下情」のわからん奴らばかりになった時が、まさにソ連崩壊と重なった。偶然のタイミングで、仕事がなくなった反日サヨクの絶好のつけ入る隙が用意されていたという次第です。
 ひょっとして、河野一郎が鳩山一郎らとともにGHQによって公職追放されたことが、息子たちにいびつな社会勉強を強いることになって、まわりまわって、今の日本を苦しめているのかもしれません。

 遠山金四郎は幕府のエリート官僚ですけれども、若い頃は吉原(公許高級遊郭)にも出入りした。日清戦争以前の吉原遊郭では「女教師」という職業にリアリティがありませんから、お女郎の格式を武家以上に高めることで、それなりにカネモチなお大尽どもの劣情をそそっていました。男は、自分より位が上とされる女に、より興奮する。経営者も従業員も、プロだから、客たちのその心理の機微を利用するのみ。「太夫」も「ありんす」も「もと女教師」も、風俗営業用の擬似格式です。
 戦中の外地でも、日本の兵隊は、とうぜんに、朝鮮人Pよりも日本人Pに興奮したわけです。そのくらい朝鮮人は通念上、格下と見られていました。それでは客は「萌え」なかった。そこで工夫された擬似格式が「かどわかされて苦界に身を沈めた一般家庭の子女」です。この物語があることによって、商品価値が変えられ、リピーターの客を増やす助けになった。

 江戸時代の岡場所(江戸では吉原以外は公許営業でなく、“ほかの場所”なのである)では、「武家の娘」と名乗れば、無学低収入の町人の男たちは単純に興奮してくれますから、やはりお女郎として価値が上がったに違いないのです。が、それを擬似格式とすることには、相当の無理が伴った。というのも、岡場所にもランクがあって、あまりに低いランクの妓楼に「武家の娘」が働いているのは、不自然でありすぎたわけです。お約束の身の上語りにだって、限度というものがありました。
 昭和前期の大陸の日本人Pも、だれもかれもが「もと女教師」という、pseudo identity を名乗ったら、その嘘の流通価値が下がりますよね。だから、めいめいが、「もと女教師」以外のストーリーも、いろいろと考えて使っていました。
 ところが朝鮮人Pの場合、〈騙されて連れてこられた〉の一パターンの商売トークで、多くが押し通したらしい。
 そんな大勢の強制連行が事実ならば、日本の法律違反ですから、経営者がただで済んだわけがないのですが、そこが日本国内とは違う「朝鮮ノリ」。客も、そんな幼稚な嘘に突っ込みを入れず、聴いてやっていたのでしょう。芸人に、お前の芸名は本名じゃないだろう、と問うのに似て、野暮だからです。

 あと、当時の大陸の女衒は、軍服もどきの服を着用していました。これは武藤章の巣鴨での回想記にも証言されています。その箇所を『東京裁判の謎を解く』(光人社。4月に増刷されています)の武藤の項で引用してありますから、知らなかった人や買ってない人はすぐ読みなさい。

 そんな下情や実情に通じていたはずの、いまや急速に死に絶えつつある世代が、もしも1980年代から、インターネットをイージーに利用して書き込みをし得ていたならば、ソ連崩壊直後の反日サヨクは、ここまで幼稚な嘘で撹乱工作はできず、河野議長のような異常な政治家も、とっくに中央の表舞台から放逐させられていたでしょうね。
 しかしインターネットの庶民への普及は1990年代の後半になってしまい、70歳過ぎの地方居住のご老人はPC端末の導入など忌避するのが当然です(40歳代で30万人都市の市街区に居住するわたしでも、故障→買い替えの都度、とてつもないストレスに曝される)。
 このわずかなタイミングのギャップがいまさらに惜しまれるとともに、もしインターネットが登場し普及し低コスト化してくれなかったら、今ごろ日本はどうなっていたか――と戦慄もいたします。

雑誌雑話

 月刊『正論』5月号に、国会図書館で雑誌『正論』の昔の記事を検索できない、というユル~イ記事が載っている。ユルすぎて腹が立った。まさに右翼の弱点はこういうところにあるだろう。必要な情報を公共ストックの中から手繰り寄せる基本的なノウハウすら持ち合わせないのでは、外国に対してはおろか、国内の反日左翼に対してすら、とても勝ち目などない。

 いまはOPACに統合されたと思うが、館外からオンラインでアクセスできる環境ではなかった10年くらい前、国会図書館内の雑誌記事検索PCと書籍雑誌タイトル検索PCは、別建てで、分けられていた。
 そして、学術雑誌ではない商業雑誌の記事データは、どうやら、その商業雑誌が社の自費で打ち込んだ目次データの記録媒体(磁気または光)を国会図書館の雑誌セクションに寄贈することで、補綴充実がなされているように思われた。というのは、雑誌によっては、まったく記事検索不能なものが多かったからだ(たとえば『発言者』に寄稿するようになったとき、礼儀として過去の注目すべき記事をひととおり読んでおこうと思ったが、そもそも創刊号いらいどんな記事があるのか、国会図書館では調べようがなかった)。

 もちろんミリタリー雑誌の過去記事などは、大概、検索できなかった。しかし、中に稀に、検索できるマニア系雑誌もあった。その雑誌社では、わざわざ一人の社員に過去記事データを整理させ、しかも、国会図書館へFDを寄贈していたのだろう。、
 そこでわたしはこれではいかんと考え、勤務先の『戦○マ○ジ○』のバックナンバーを、勤務開始以前の号からさかのぼって創刊号まで、すべての記事タイトルと記事および写真の簡単な説明をワープロ入力し、キーワード検索容易な一本のテキストファイルとして、複数の「パソコン通信」にアップロードした。そもそもの動機は、社員記者としての自分が過去記事の探索を容易にする目的であったが、これを公共にも提示したことによって、日本の戦車学習者は、わたしが勤務開始する前の同誌の記事については、労することなく漏れなく検索できるようになった筈である。

 このような簡易で原始的なデジタルデータベースを、すくなくともすべての雑誌編集部は自前でつくるべきだとわたしは信じていたが、月刊『正論』がそれをしていなかったと判明したのはショックだ。
 昔から、有名どころの商業雑誌(週刊誌を含む)の記事検索がひととおり可能なのは、民営図書館である「大宅壮一文庫」のPCだった。(正論5月号の記者はあきらかに都内にあるこの民営図書館を利用したことが一回もないのだろう。ある意味、感心した。)

 その大宅壮一文庫の充実した先進的なデータベースへは、10年くらい前のある時期から、都立中央図書館のリファレンスコーナー端末からもアクセス可能となったので、愚生などはたいへん重宝したのである。

 ちなみにもし、都立中央図書館にあると分かっている雑誌のバックナンバーを調べるならば、わざわざ国会図書館に出掛ける馬鹿はいない。書庫からの出納に時間のかかる国会図書館と違い、都立中央の方は回転がはるかに迅速で、一日に何十冊でも閲覧することが(閲覧者に体力が伴う限り)可能だからだ。つまり、正論5月号の記者は、都立中央図書館にいりびたったこともないのだ。
 かつて、山手線の内側に居住していた当時、広尾の都立中央図書館で、わたしと同業のほぼ無名ライターたちが、スポーツ誌やファッション誌の古いバックナンバーを次々に出庫してもらって、机上に山積にして過去記事をチェックしている必死な姿を、わたしはいつも見かけた。「こいつらに負けてはいられん」と思うと、眠気も吹っ飛び、連続5時間以上もメモをとるのが苦痛ではなかった(わたしが思うに、フォトコピーは情報整理をすこしも楽にしない。要約力も身に付かない。日本の庶民に読解力がないのは、要約力がないのと、イコールであろう)。

 雑誌『正論』は、大学院生のアルバイトを雇って、過去記事の目次ぜんぶをデータ入力させ、逐次にインターネット公開するべきだろう。その際、記事タイトルから記事内容がぜんぜん推測不可能なものも少なくないので(とくにコラム系)、記事内容のキーワードも併せて入力してもらうことだ。

 ところで、図書館に日参する往復交通費は、積もり積もれば、バカにならない。
 また、社会人になると、時間が貴重になる。
 何年も前に佐藤優氏が、〈活字の書籍くらい情報がテンコモリで取材と整理の手間がかかっていてそれでいてハンディで吸収しやすく廉価なものはない〉(i.e. →これを取得する金を惜しむ者は、情報が人に得をさせるものだと理解できない人間である)――といった見解を述べていたが、まったくその通りと思えるようになる。

 ライターになってみると、ほとんどすべての雑誌は、その中の、一つか二つの記事しか、味わう価値は無いと知る。だが、その一つの記事を載せていてくれることに重い敬意を表して、1冊ぶんの対価を支払う気にもなるのだ。
 もしも、某著者の一つの記事しか載っていないのでその雑誌を買わなかった、と公言する人が某著者の「ファン・サイト」などを運営していたら、某著者は悲しむだろう。もちろん、そのようなことはあり得ないしまたあってはならないことだが、多くの雑誌消費者は、雑誌一冊まるごとが情報娯楽であることを期待している。
 ここから、怖い話になる。

 十年以上前、「二十八」という珍しい名前を、発行人のクレジット(中綴じ雑誌の場合、「表4」の背の近くに縦組みで提示してある)として拝見したことのある「英知出版」が、昔のような雑誌をとっくに出さなくなっていたことを知らされた。
 エロ雑誌などは「その中のたったひとつの写真」だけが雑誌の価値であった。しかし、それに対して数百円を支払うのは惜しい、また、そのたった一枚が含まれているかいないかをコンビニ店頭でブラウジングしてチェックするのが面倒くさい、と感ずる不熱心なネットユーザーの消費者が増えてしまって、斯くはなったのであろう。

 してみるとオピニオン誌や総合雑誌がまだ生き残っているのは、雑誌ぜんたいがトータルで「娯楽」と買い手に受け止められているからだと考えるしかない。
 これは考えてみればおそろしいことだ。保守系の雑誌がサヨク系の雑誌よりも売れているのは、非常にたくさんの「バカ右翼」が一つ一つの記事の内容もよくわからずに一冊全体の雰囲気を買って楽しんでいるからだ、と想像できるからである。
 国際宣伝戦は、このバカ右翼オナニー空間からは隔離された場所で、独立に展開しなければ危うい。「史実を世界に発信する会」は、比較的にこの理想に近いのである。

 余談ついでに説明しておく。わたしが劇画の原作者としてデビューしたとき、既製の脚本家で、わたしの本名とよみ方が全くおなじ人が既にいらした。その字は少し異なったのだが、いずれにせよ営業にはならぬ。劇画と映像とではいちおう棲家は別とはいえ、大先輩もやはり迷惑だろう。そこで、後進のわたしが、敢えて、この業界に二人と有り得ないペンネームを考案せねばならなかった。
 そのときわたしが思い巡らしたのは、将来、じぶんの単行本を出すときのマーケティングだった。本は書店に搬入されてしばらくすれば、平積みではなく、棚に入れられる。そうなると、来店客にアピールするのは「背文字」だけだ。
 背文字だけで目立たせる著者名とする必要があると考えた。
 日本男子の下の名前で、三文字のものは、珍しい。それだけでも、棚のなかで識別され易いだろう。
 そのうえさらに目を惹く工夫はないか? わたしは、「直木 三十五」の名前が目立って感じられることに注目した。理由を考えてみると、漢数字は画数がすくないのと、やはり、小切手や領収書などに記入される「金額」の字面を連想させるので、思わず成人男子の注意がそこに惹き付けられるのではないかと想像した。
 あとは、漢数字三文字で可能な組み合わせのうち、既製にみあたらず、将来も誰もつけそうにないものを、選ぶだけであった。
 というわけで、十年以上前に、英知出版の雑誌の背に「二十八」という実名を拝見したときは、真に驚いたことを思い出す。これを先に承知していたら、わたしのペンネームは、違ったものにしていたであろう。

 国際宣伝戦について生々しく直感したい人は、ブログの「ヴォータンの告白」の2007-3-30の記事に目を通されることを推奨する。
 米国での宣伝戦は、攻勢をとり続けない側が負け犬になる。歴史の真実は、長期的には明らかになるが、短期的には宣伝攻勢をとっている側が、歴史の真実とは無関係に、政治的な勝ち犬になれるのだ。「ユダヤの陰謀」はまったく関係がない。「東部のインテリ都会住人で経済的に不満がある米国人」に、独特の発想パターンがあるだけだ。これについて、アン・コールターの名著の邦訳をまだ読んでいない人は、すぐに読むべきだ。そうした安価な学習すら惜しんで2chなどに日本語で書き込んで満足しているオナニー野郎にも、反近代の大アジア主義バカ右翼にももはや用はないから、わたしたちは「史実を世界に発信する会」をつくったのだ。
 宣伝戦で受け太刀に回ってはいけないことを、何年も前から、わたしたちは日本政府と有志に警告してきた。
 外務省や中央省庁の役人には国際宣伝戦は絶対に担任できない理由も、何年も前から、わたしは指摘してきた。
 そして「図書館データベース問題」は、本の虫だけの問題ではなく、まさに国防問題であることも、わたしは昔から指摘してきた。
 公共図書館が対外ホワイトプロパガンダのためのデータベースをつくらないのならば、個人が、ネットに資料の要約紹介をアップロードすることで、事態を改善すべきだとも訴えてきた。

 しかるに事ついにここに至る。敵は人海を動員して英語で世界のメディアに全線攻勢をかけ続けている。日本のバカ右翼は国内のネット空間に日本語でオナニー文章を書き込むのみ。くわえて、いよいよ反近代の「大アジア主義」のお里があらわれてきた。外務省は、1941年12月のパリ不戦条約違反に東郷外相が積極加担したことを認めることができないので、1946~1948年の東京裁判に関する反論も、P屋への新たな言い掛かりに対する反論も、自粛する外にないのである。
 行動する者は、バカ右翼空間から去り、「史実を世界に発信する会」の手法を学べ。まだ遅くはない。