TOP PAGE


« 2007年08月 | メイン | 2007年10月 »

マシラの惑星

 イスラエルのイラン爆撃とアメリカの北鮮爆撃は同時にやるつもりだったのか。
 それを察した北鮮がシリアに技術者を拡散させたのか。
 北京は手駒のキッシンジャーを経由して元中曽根番記者の元レフト学生の新聞屋に工作を手伝わせ、福田政権を実現させたのか。

 まあ北鮮核実験の時点で安倍を見限って新風を支持した俺は勝ち組なわけだが……。

『荒野の呼びりん』――遅まきながらタングステンの心臓の持ち主ハケーン

 『東京裁判の謎を解く』の児玉誉士夫の項目の中で、彼の獄中日記の「昭和21年3月10日」で指弾されているところの、元海軍報道班員でありながら、戦後に戦争中の日本を糞味噌にたたいた本を出した小説家の「H・N」とは、「丹羽文雄」であると分かりました。

 板垣直子著『現代日本の戦争文学』(S18-5pub.)をどこかの図書館で閲読したときのメモを見ていて、さとりました。
 板垣によれば、丹羽は、日本で初めて海戦を実見して小説にした、プロ作家の第一号であるそうです。1942年9月1日に、「ツラギ海峡、壮烈な夜襲戦」という新聞記事を寄稿。
 さらに、単行本の『海戦』まで出していたのです。船から魚雷を撃つと、「シユッ・パチャン」と聞こえる……などという、生々しいリポートを、してくれていたらしい。

街道でイク!

 ウォルト・ディズニーの1950年以前のビジネスは、アニメの一作ごとが、賭けだった。というのは彼はほとんど裸一貫でハリウッドにやってきたので、資金繰りは常にショートしていたのだ。短編であっても2回連続でコケれば、銀行からの借り入れは返せず、スタジオは解散するしかない。

 準備と制作に3年以上もかけて1942-4にリリースした長編の『Bambi』が、得られて当然の高収益を上げられなかったのは、まったく日本軍の真珠湾攻撃のせいである。彼が日本人嫌いになったのは、当たり前だろう。

 そのディズニーが1953にリリースした『Peter Pan』の中のキャプテン・フックの台詞に、「ひとさらい」の意味で“shanghai”という動詞が出てくる。
 既刊の「読書余論」でも紹介した『郭沫若自伝4』を見よ。1926~27頃の上海の娼婦、街娼、妾は、蘇州の小作農家の女房や娘が売られたものだ、と郭はちゃんと書いているだろう。

 直木賞作家の榛葉英治の『夕日に立つ』(S50、日本経済新聞社)には、こんな記述があった。
 「〔1945後半の長春市の〕日本人会の仕事は、ほかにもあった。日本人のためのただひとつの興安病院の経営、何千という穴を掘りつづける墓地、いっぽうでは、キャバレーまで委託経営をした。さらにソ連兵を接待するための特殊婦人を使っての慰安所の開設……。」「特殊婦人はもとからの水商売の女、難民の女なぞが千人ぐらいいて、この女たちがソ連兵から金をとれないときには、日本人会が立替えて支払った。この慰安所は、ソ連兵の日本婦人への暴行を、いくらか防いだかもしれないのである。」「奉天と鞍山の中間にある遼陽という町では、日本人会は、ソ連軍の高級将校には一人ずつの慰安婦をつけてサービスにつとめた。」(pp.83-4)。

 さて朗報だ。ポシャッていたと思っていた某劇画が、じつは進行していた! あきれた遅筆の作画家氏が、1年半遅れで完成させたらしいのだ。なんのことを言っているのかさっぱりわからねーだろうが、投下した労働時間が無駄にはならなかったという、リアルどんでん返しの片鱗を、味わったぜ。(シナリオを公開してある奴、および大阪のデザイン事務所に現在発注中の奴とは別件なので、念のため。)