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はるまげ半魚どん ふたたび

 『やっぱり有り得なかった南京大虐殺』の英文ハメコミ作業を小崎さんにしてもらっていた。その仕事がもうじき完了しそうだ。
 このあと、データを、管理人さんにお渡しする。管理人さんも忙しい人だから、アップロード作業がどのくらいかかるのかはちょっと読めないけれども、北京五輪の開会式(8月8日)より前には、なんとか間に合って欲しい。

 日本には、作家・評論家はたくさんいる。マンガ家もたくさんいる。特亜叩きが大好きな暇人もたくさんいる。英語でメシを食っている職人もたくさんいる。しかし、英文で戦前の日支関係史を説明するマンガを作って北京との国際宣伝戦の第一線に立とうという者は1人もいなかった。1億2600万人も人口があったって、これじゃダメだろ? 日本国が今落ち目になってきているのは、国民が高齢化しているからではありません。各人にヤル気がなさすぎるからである。

 小生は、神奈川大学外国語学部英語英文学科卒という、吹けば飛ぶようなケチな英文学士様である。23歳の元自衛隊上等兵の新入生として、最初の1年は、これ以上はやれないというくらいに語学漬けの日々を送ったが、1年次の成績表は惨憺たるもので、自信があったのに落とした単位がいくつもあってガックリ来た。そのレベルの不適格者、自他共にゆるす劣等生である小生が信じ続けたモットーが、「一生、何の役にも立たないのが、真の教養だ」という、どなたかの格言であった。
 今、わたしはこのマンガの英文をでっちあげることで、錆び付きまくりのこの「教養」を実用に役立てようというわけだ。四半世紀近くも昔の学生時代に書籍や雑誌から「将来使えるかもしれない語句」として抜き書きして保存しておいたメモ帳を、今回、ダンボール箱から取り出し、埃を掃って活用し、とうとう使い切り、廃品回収に出してやった。スッキリしたぜ。

 それにしても参ったのは、単純な単語のスペリングや過去形や単複の処理も全部忘れてしまっていることで、一語一語、辞書で確認せねばならなかった。疲れた。わがPCにはスペルチェッカーは入っていない。

 なお、書籍にある自己解題や写真などは、当然ながら、英文版には附録されない。
 日本語版のマンガにご興味のある方は、書籍(ISBN 978-4-89644-673-9、(株)マガジン・マガジン発行、税込定価一千円)をご購入くだされ度い。
 最寄の図書館に「購入希望リクエスト」をしてくださるのも大歓迎。

 オリジナルの日本語脚本(ト書き指定から全部入ったもの)にご興味のある方は、「読書余論」の2008年6月25日配信分(有料:¥200-)で、全文を確認できるようにしてある。このメルマガは、バックナンバーも単発で購読可能だ。詳しくは、メルマガ配信元の「武道通信」のウェブサイト
http://www.budotusin.net
でどうぞ。

 さて、泥棒リポートの続きだ。犯人像がとても興味深いために、この事件に関連するいろいろな想像を止めることができない。
 いろいろと地域情報を整理してみると、わが家から半径100m以内でも、毎年1軒は、かならず空き巣狙いの被害があることが分かった。道理で、町じゅう、どこでも、犬を飼っている家の密度が高いわけである。(ちなみに、室外に番犬をつないでいた家も、空き巣にやられていた。防犯のために犬を飼うならば、室内で飼わないと、役には立たないのだろう。室内飼いならば、小型の犬でも十分に役に立つそうだ。)

 確認したわけではないが、北海道では積雪期には、空き巣狙いも活動を停止しているのではないか? なにしろ、道路でも宅地でも、足跡がつきまくりだからね。やっぱり、稼ぎ時は、窓の施錠も緩くなりがちな、初夏から始まるのであろう。逆に言うなら、初夏に防犯警戒ボルテージをピークにもってこなければ、北海道でのホーム・ディフェンスは不可能である。

 最大の謎。
 いったい犯人は、どうして、たまたまその日だけ留守にしている家を、みつけることができるのだろうか?
 たまたまその日だけ留守にしていて、なおかつ用心が悪い家は、夏季の宵の19時以降なら、歩行者は、通りすがりに容易に識別することができるのである。家庭の電燈が、玄関灯も室内灯も、真っ暗だからだ。(ウチもそうでした。トホホ……間抜け過ぎ……)
 ところが問題は、空き巣狙いのプロがそういう家に運良くヒットする確率は、1人で夕方6時台から市内を自転車で行脚するとしても、そうそう高くはないんじゃないかということなのだ。深夜12時過ぎまで行脚を続ければ、なにしろ地方都市は、繁華街を除くと夜の街路などさびしい限りだから、誰かに見咎められてしまう確率が高まるであろう。
 犬連れの散歩にかこつける偵察も、あり得そうにない。逆にそこらじゅうの飼い犬から吠えつかれるだけだろう。袋小路にも入って行けないはずだ。

 わたしを納得させる第一の仮説を以下に述べる。(「第二」以降の仮説は、後日に。)
 犯人は、本番の深夜の侵入実行と、昼頃から宵にかけての「市内偵察係」とが、協働しているのであろう。
 つまり、純然たる単独犯ではない。最低2人で、チームを組んでいるのだろう。
 たまたま留守であることを悟られることがない家とは、常に周囲の家と「様子」が際立って異なるようなことのない家であろう。それとほとんど同様に、「空き巣狙いのための市内偵察係」であることを一般住民に悟られぬ方法としては、「日常的に徘徊していて怪しまれない者」となりおおせていることが、肝要ではないのか?

 だから、もしもわたしがこのような「空き巣狙いビジネス」のアントレプレナーになるとすれば、「市内偵察係」には、老人を雇うだろう。田舎では、老人が昼ひなか、あるいは夕暮れに、自転車で至極ゆっくりと、行く先も定めずにフラフラと街中を横行していても、誰も怪しんでそれを眺める者は居るまい。理想的には、婆さんだとベターかもしれない。世間の一般常識では、「老婆」と「空き巣」は、けっしてイメージ上で結びつくことがないであろうから、人々の「猜疑心」「警戒心」はそれだけ低下させられるに違いない。ときおり、安物の自転車を駐めて、徒歩で「うっかり」と他人の家の庭先に迷い込んでしまう、そんな行動を日常的に繰り返していれば、袋小路の中にあって、泥棒に対する警戒意識の低い家を、重点的に見回ることが可能になるだろう。外見がボケていて、しかしながら、住民から声をかけられたときの会話はちゃんと普通にいなせるばあちゃんならば、あなたは犯罪者だと疑いますか?
 こうした老人もしくは特殊な疑われないキャラクターの「相棒」である偵察係氏が帰宅後に、侵入実行犯に対し、彼が得てきた情報を伝える。その情報には、「留守らしい」というものの他に、「最近引っ越してきたばかりの世帯ハケーン!」というものもあるだろう。そのような家庭は、現地の犯罪情報に疎いから、泥棒に対してノーガードである場合があり得よう。
 こうした情報を、外出せずに得ることのできる相棒の実行犯氏は、どれほど効率的に、且つ、安全に、仕事ができることになるだろうか?
 ゴミ出しケージを体重で歪めてしまうくらいの体格をもった男子である彼は、昼間や夕暮れに町内の袋小路を徘徊して、住民から疑われたりするリスクを、まったくゼロにできるのだ。しかも、最も人通りのない深夜の最適な時間帯に、ターゲット・ハウスに直行して、素早く仕事を終わらせ、薄明の前にアジトに戻ることができる。このような協働体制ができていると仮りに考えれば、何年も逮捕をまぬがれて棲息できている事実にもわたしなどは納得ができるのである。単独犯ならば、とっくに「偶然」の「骰の目」の悪い方が出て、掴まってしまっているだろう。彼は、決して偶然に身を任せてはいないのだ。

 わたしは幸運な被害者かもしれない。現地に居住し、同じ市内での空き巣狙いを長年ビジネスにしているこのようなプロ・チームにやられたおかげで、現金「数万円」以外の損害は微少であったからだ。
 山本有氏によれば、もしシナ人など外国人が犯人だったならば、現金どころか手当たり次第の根こそぎに持ち去られたであろうということだ。
 幸い、この侵入実行犯氏は、わたしのもっかのプロファイリングによれば、余計なリスクは冒そうとはせぬ慎重居士である。だから、この犯人チームに関しては、「装置」やステッカーによる防犯は可能だとわたしは思う。つまり、「装置」の存在誇示によって、屋内に侵入しようという企図そのものを自主的に撤回させるに至らしめることも可能であると思っている。
 ちなみに後藤よしのり氏によると、空き巣狙いを「防犯装置」だけで防ぐことなどできず、「町内のそのブロック全体が、余所者に対してガードが固い」と犯人に思わせるのが理想的な防犯になるのだという。江戸時代の長屋は、だから安全だったわけだ。後藤氏いわく、具体的には、常に隣近所が声を掛け合っている関係を築いていなければならない、と。
 ところが、これは実行しにくい。現代の地方都市では、どのブロックにも安アパートや高級アパートがあり、わが家のような貸家も少なくない。つまり「ご近所」の半数くらいは、面子が頻繁に入れ替わり続けるためだ。
 それに、わが家のケースに限って言えば、ひとめで「この一軒は留守だ」と判ってしまうような、夜間の「真っ暗」状態を、袋小路のどんづまりであることに油断して、間抜けにも放置したのが、毎日町内を巡回している敵の偵察係に眼を着けられた端緒だということは自明なのだ。「留守ではないと思わせるような光学的な演出ができる家庭照明システム」さえ準備ができていたら、今回の賊に目をつけられることはなかったであろう。

 そこで以下、いくつかの「装置」について語りたい。今回の経験により、「装置」をいろいろと検討した結果、わたしはまず、日本の家電メーカーに対し、いくつかの不満を持った。

 まず、コンセントなしのつくりつけ(直結配線)で、直管の蛍光管を光らせる玄関灯(戸外)を、電気工事を一切しないで、即座に、タイマー付き、または「薄暮~暗闇センサー付き」に変更することができるような、気の利いた蛍光管商品が無い。これを誰か、すぐにも発明して売り出すべきだと思う。

 本当は、玄関灯の点灯と消灯を屋内から操作する「ON/OFF」スイッチを、タイマー付きに取り替えるのがベストなのである。ところが、それにはタイマースイッチ盤の部品代(1万円台だと思う)だけでなく、電気工事士を呼んで交換作業をしてもらう必要がある。人一人を呼びつけて労働させるのだから、5000円前後は最低でもかかってしまうだろう。しかも借家の場合、引っ越すときに、それらの投資は「置き土産」とするしかないわけだ。
 まあ、家族の安全のためだから、掛け捨て保険だと思って、この工事はいずれしてもらうつもりだが、慾を言えば、蛍光管をとりかえるだけで、タイマーをつけたのと同じことになる、そんな便利グッズがあれば嬉しい。
 つまり蛍光管それ自体の中に、「12時間タイマー」を内臓したものだ。
 このような商品の設計は面倒だろうが、不可能ではないだろう。需要は、かなりあるだろうと思いますよ。

 留守である屋内に、夕方から深夜にかけ、あたかも人が暮らして居るかのようにみせかける装置としては、白熱灯スタンドに普通のタイマーを接続したり、あるいはフカダック(株)の「光センサーコンセント」(受光部に130~170ルクスの、昼間の窓明かりレベルの光が入らなくなれば通電する、中間スイッチ)をつなげば良いであろう。

 リモコン・タイマーでON/OFF予約ができる天井灯は、どれもサイズ(直径)がでかすぎる。かつまた、消費電力が60ワット以上とか、不必要に大きなものばかりだ。メーカーは、もっと小型で省エネの商品を揃えるべきだろう。また「引掛シーリング」でない、旧いバルブ電球用ソケットしかない天井にもとりつけられるような、アタッチメントがあると、ますます可。これも、絶対に需要がある筈だ。

 「人感センサー」とバルブ電球ソケットが一体になった商品がある。これをもう少し改良すれば、トイレや風呂場や玄関内部などにつける「防犯電球」になると思う。
 すなわち、ソケット側の切り替えスイッチで「留守番モード」にできるようにするのだ。このモードの時に、もし、下を動く人の赤外線を感知したときは、通常の電球と、赤色LEDや青色LEDの強烈な点滅が、交互に、いつまでも続くようにするのだ。戸外からは、どうみてもそのトイレや風呂場や廊下で、何か異常事態が起きているように、眺められるであろう。
 その光のハラスメントによって、トイレの窓などから侵入しようとした犯人を、無音裡に、退散させることができるであろう。(当然、バルブは2球、必要だ。が、同時に2灯を点けるわけではない。警報用バルブの中に人感センサーを埋め込んでしまっても良いだろう。)
 なお、後藤よしのり氏によれば、警報装置などものともしない、ヤル気満々な泥棒は、早めに配電盤のブレーカーを落としてしまうという。そこで、もし、このバルブへの通電が断たれた場合には、内臓のボタン電池により、警報音が鳴り響くようになっていれば、一層宜しかろう。犯人は、電球を破壊しても、ソケットをとりはずしても、この音を消すことはできない。廊下や他の室内にもこの「防犯電球」がついていると思えば、もうそれ以上の侵入には嫌気がさすであろう。

 もうひとつ、これは「100均」商品のメーカーさんに対してご提案をしたい。それは、玄関の、いちばん安いドア・チャイム(ピンポン・ブザー)の上から、フタを被せるように接着するだけで、あたかも、「カメラ付きドア・ホーン」であるかのようにみせかけることができる、ダミー・カメラ商品の一種だ。通りすがりに遠くから見て、「あの家の玄関には監視カメラがついているらしい」と気が付けば、おそらく慎重な犯人は、その家の回りをうろつきはしないだろう。

 なおわたしは今回の一件で、ソーラーライトの評価を変更した。これもご報告しなければならぬ。
 暖色のなごみ系のソーラー・ライトは、街灯が無くて薄暗い壁面についている窓から侵入しようと図る盗犯に対しては、威嚇&抑止効果がほとんど無い。これを抑止するには、むしろ、OHMの電池式(単2×4本)センサー・ライト「MS-15S」や、同じように電池で光らせるセンサー・ライトを配置した方がずっといい。このような結論を得た。
 注意点は、常夜灯にしている玄関外部の蛍光灯が、センサー・ライトの昼夜センサーに当たると、「今は昼間である」と認識してしまって、人の動きを感知しても発光してくれないことだ。「MS-15S」は、センサーの向きと、照射する方向を、それぞれ独立に変更できるので、この点、便利(センサーに玄関の蛍光灯がじかに当たらないように向きを調節すればよい)。ただし、人感センサーが斜め下を向いているために、低いところに設置しにくいような気がする。他のセンサー・ライトと混合する必要があると思った。追々、実験をします。

 ソーラー・ライトで防犯しようと思ったら、工事現場用の、多色のLEDが点滅するものがベターかもしれない。(これから試す予定はありません。これからは、センサー・ライトその他に投資するつもりです。)
 つまり、ご近所や通行人の視線と注意を、おのずからその暗がりにひきつけるような「警報色」のソーラー・ライトでなかったら、防犯の意味は、あまり無いだろう。
 要は、夕方から夜にかけて巡回してきた「偵察係」をひるませるようなものでなければダメなのだ。そのために必要なまぶしさを、小面積のソーラー発電パネルでは、とうてい得ることはできない。

ギャラ4万円なら東京に「出張」仕事ができます!

 またしても「チャンネル桜」への出演(7/30収録)を見送らねばならならず、残念です。
 こんどはギックリ腰が原因ではありません。単純に、旅費だけでギャラをオーバーしてしまうのです。
 何ヶ月も前から分かっている場合は、格安旅行企画に便乗して途中脱落するなどのいろいろな方法が講じられると思うのですが、10日前、それも観光ハイシーズンでは、万事休す!

 たとえば青森駅と東京駅を結ぶ夜行バス(どちらも出発時刻は夜20時台、到着時刻が朝7時前後)の切符が、絶対にとれません。若い旅行者のひとたちがとっくに全部、おさえてしまっているからです。

 この切符は片道10000円前後で、貧乏出張者の命綱です。いかなる鉄道よりも安い。特に帰り道でこれを利用することによって、東京で一泊せずに済ませることができるのです。
 また往路で利用すれば、収録が今回のように朝10時からと早いときも、余裕で青山の「子供の国」の近くのスタジオまで辿り着けます(羽田からですとそこまで移動するのにも1時間前後かかりますので、函館発の朝一番の航空便で出かけても10時には遅刻してしまいそうです。つまり飛行機を使うなら前泊するしかなくなるのです)。
 往復ともに夜行バスというのは、かなりくたびれる旅ですが、地方在住の頭脳日雇い人夫の分際として、そんな文句は言っていられない。だが、今回は、その頼みのバス切符が、はじめから空席無し。ソールドアウトなのであります。

 青森と函館の間を、人だけなら運賃5000円也の連絡船「なっちゃんRera/World」で移動するか、5500円以上のJR特急で移動するかは、悩むところです。というのは函館駅から自宅までは、昼間であれば、路面電車と徒歩でなんとかなるが、フェリー埠頭から自宅までは、そうはいかない。千数百円か二千数百円のタクシー代がかかると考えると、やはりJRを利用することになるでしょう。
 また、帰宅が深夜になる場合には、二千円台のタクシー代も計上せねばなりません。

 というわけで、まったく飲まず食わずのゼロ泊でとんぼ帰りするだけの東京出張にも、交通費だけで¥3万3,500円くらいは、かかります。今回の「チャンネル桜」のオファーは三万円ですから、それを請けると「勤労奉仕」となる。(ハイシーズンの片道航空券だけで3万円くらい? それに前泊ホテル代。帰路は新幹線で八戸まで行って、特急で青森まで行って、青森港フェリー埠頭まで駅から深夜3km以上の道を歩いて、夜10時発のなっちゃんか、深夜2時台発の旧型連絡線に乗って、函館埠頭からはタクシー利用しかないとすれば、やはり軽く3万円overでしょう。もう、とても無理ですわ。)

 勤労奉仕も事と場合によっては請けなければなりませんけれども、今は予定外の奉仕をしていられる余裕が遺憾乍ら無いので、お断りすることにしました。申し訳ないです。
 空いた2日間は、「読書余論」の入力作業に充てようと思っております。

追記訂正

 さきほどの「泥棒続報」は取り消し。犯人の指跡であるかどうか断定ができぬ。

 やっぱり「社会防衛」の本を1冊書かねば……と思うようになりました。後藤さんや山本さん(息子さん)などと、おもしろい共著はできないものだろうか? この人たちのディープな「防犯の知恵」を汲み尽くしたくてたまらないです。

◎「読書余論」 2008年7月25日配信 の内容予告

 はじめに、ドロボウ続報です。トイレの窓枠の埃の上に犯人が手をかけた跡があり、その繊維状模様から、犯人は軍手のようなものをはめていたと想像できました。また犯人の身長は170センチ以下かもしれません。

 さて、
 今号から、「読書余論」の各号にとりあげている書目の予告を、兵頭じしんが書くことにしました。(いままでは杉山さんが開頭の1~2行をコピーして添えくれていましたが、これだと摘録の眼目はかえって分かりづらいでしょう。)
 以下、タイトルだけのものは、摘録が非常にすくないか、特に驚くようなことが書いてあるわけではないものです。

▼野砲兵学校・重砲兵学校・高射砲兵学校・著『陸軍少年砲兵』S19-10
 重砲兵学校では、少年に沿岸ソナーの操作を教えていた。少年の耳の方が良いから。

▼防研史料『支那軍ノ戦力及戦法ノ史的観察竝ニ対策』by 大本営陸軍部 S15-6
 シナ軍の毒ガス装備について言及あり。ホスゲンを発射してきたことなど。

▼金子空軒『陸軍史談』S18-9
 西南戦争当時の徴兵の識字率は異常に低かった。軍人が平時に事故死しても靖国には入れてもらえぬ。演習で死んだのでもダメ。

▼牧島貞一『鬪ふ航空母艦』S18-4
 大鳳の居住区が狭いことなど。同乗リポート。

▼西原勝『陸の若鷲』S14-5
▼山岡荘八『小説太平洋戦争・5』S42
▼三国一朗『昭和史探訪』S49

▼防研史料『昭和十四年三月十九日 侍従武官御差遣時 張鼓峯事件に於ける工兵第十九聯隊 小林・武井両小隊の戦車肉迫攻撃説明要旨』〔満洲/支那事変/18〕
 本文では「肉薄」と表記。ノモンハンとは植生が違ったから有利だった。

▼防研史料『風力ニ対スル射距離差及横偏差修正法』by呉海軍工廠、S13-2 〔6/研究資料/81〕
 遠距離艦砲射撃が当たるわけがない理由。

▼防研史料『対蘇海軍作戦』by二復 S22-11調製 〔3/ソ連/8〕
 なんと対ソ戦になったら水上機をぜんぶ北満の陸軍のための直協機にするつもりだった。二復とは旧海軍省のこと。

▼防研史料『第十三航空隊 戦訓所見(自13-4 至13-12)』by 航本教育部 〔2/支那事変/260〕
 96陸攻で2500m以下を飛ぶとシナ軍のAAにやられる。しかし地上目視は不完全になる。だから友軍誤爆が……。

▼古川薫『天辺の椅子』1992-11
 児玉源太郎の比較的に新しい評伝。毎日新聞夕刊に連載された。宿利が記さず、その後に分かったことはなにか。

▼宿利重一[しゅくり・しげいち]『兒玉源太郎』S17-11初版、S18-1訂正再版
 良質の伝記は、摘録しても長くなる。おそろしいくらいの手間のかかった一級文献。この古本は買うとかなり高いが、今回の配信を読めば、斜め読みした気になれます。

▼S4-10『明治文化全集 第二十二巻・雑史篇』所収、佐田自茅「樺太評論」原M8-4
 江戸幕府が無能なために樺太が雑居になってしまった次第について。

▼ギュンテル・プリイン著、浜野修tr.『独逸軍神プリイン少佐』S18-10、原「スカパフロウまでの我が経路」1940
▼M・ヴァレンティネル少佐著、安原茂夫tr.『独潜水艦長の手記』S15-12
 1911のU-3号の沈底事故とその引き上げ成功の記録。

▼福田一郎『潜水艦』S17-10
 日本海海戦のとき、津軽海峡には潜水艦がいると偽情報を流した。

▼広瀬彦太『世界潜水艦ものがたり』S19-6
 大正13年の第43号潜水艦の事故顛末。ペリと発見距離の艦種別データ。

▼大分県pub.『大分県の産業先覚者』1970
 28サンチ榴弾砲の砲床を急造した横田穣の小伝。

▼麻野尚延ed.『わが国農林業と規制緩和』平10
 自由な資本が農業に向かうことはありえない。城郭と数奇屋風書院造が日本の林業を変えた。

▼田代浄一『日本に農業はいらないか』1987
 ハイエク主義では農業は亡び、それによって国家も没落する。

▼岸康彦『食と農の戦後史』1996
 冷凍施設なしでは漁業も成り立たない。

▼オマケ。
 東大附属図書館の昭和11~20年受け入れの興味深い軍事関係珍書奇書タイトルについて。


 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が紹介し、他では読めないコメントを附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は200円です。
 バックナンバーも1号分が200円で、1号分のみでも講読ができます。
 2008年6月25日号以前のバックナンバーのコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
http://www.budotusin.net
 の「告知板」をスクロールすれば、確認ができます。

 ウェブサイトでわからない詳細なお問い合わせは、(有)杉山穎男事務所
sugiyama@budotusin.net
 へどうぞ。

たのもしき人々

 最新の武道通信かわら版で、篠田大輔さんが、良い情報を紹介してくださっている。篠田さんとは面識があるが、じつにアメリカ情報通の方だとお見受けした。カウンター・プロパカ゜ンダをはたらきかけるならばどこがいいのかも熟知されているようなのだ。こういう貴重な人材がもっと日本に増えてくれれば……。

 もっか、マンガの英文台詞は書き終り、これから、校正を予定しています。オリジナル和文の直訳ではまったくなく、別なシナリオのようにも読めるでしょう。お楽しみに。
 ハメコミ作業をしてくださっている小崎さんがご多忙なので、「ファン・サイト」にUPされる時期は、未定です。

伊藤さまに御礼

 暑中見舞い、どうもありがとうございました。
 皆様どうぞご自愛ください。

泥棒に入られたの巻

 1泊旅行から帰ってきたら空き巣狙いにやられていました。
 わたしの人生で初めてです。
 いまさっき、6人くらいもの警察官の方々をわずらわせ、指紋取りが終わったところです。
 被害総額は今わかっている分で2万5000円にすぎず、じつに恐縮しております。
 函館警察の皆さん、どうもありがとうございました。
 さて、玄関の鍵は交換だな、こりゃ。
 

ばたあん死の後進

 N先生がえらい本を出した。ISBN 978-4-87031-851-9『妻と僕』。奥付が2008年7月26日になっているが、拙宅には7-18に届いたから、そろそろ書店には出ているのかもしれない。飛鳥新社の小山さま、なにはともあれご恵送どうもありがとう存じます。

 本書210~211頁の引用主旨から忖度するに、たぶんN先生は読者の感想が、タイムリミット以前に到来することを望んでいるだろう。

 よってぶしつけにUPロードする。

 わたしは、たまさかにすぎぬけれども、死んだ親父やE先生その他の夢を見る。『おや? おかしい、この人はもう死んでいるはずだが……』と、夢の中で考えたことは、ごく初期の1回しかない。あとは、何の不思議感も持たない。おそらく彼らはわたしが死ぬまでは生きているのだ。
 もちろん、ただの一回も夢にも出てきた覚えがない、「泉下の見知り人」は人数にして数十倍もいるであろう。その人たちは、もう、わたしの脳にとって、本当に「故人」なのだ。E先生の奥様も含め、ずいぶん恩人も含まれているので申し訳ないという気がするのだが、そういうものだから、しょうがないのだ。

 わたしはN先生について悪い記憶は一つもない上、かつてN先生が夢の中に登場したことがかすかにある。よっておそらくわたしの寿命の限り、N先生はライブな存在であり続けるのじゃないかと予期する。

 本書は、書きにくいことを果敢に書くN先生について、わたしのような凡下が理解しそこなっていたことを、いくつかクリアーに分からせてくれた。〈男が隠喩の生き物であり、女は換喩の生き物である〉というN先生の大創見は、ひょっとして前にもわたしはどこかで読んだことがあったのかもしれないのだが、今回、初めて「なるほど」と胸に落ちた。要するにわたしはN先生の良い読者ではこれっぽっちもなかったと確認した。

 しかし生意気を言うと、本書はN先生の Code のすべてを Break してはいない。「セルフ・ガサ入れ」は、どんな著述業者にも不可能な技だ。

 夫婦間ですら知行合一を実践していた、ただただ驚嘆するばかりのN先生は、それと同時に、PCやネットなるものとは概ね無縁に、その人生を終えることのできる、たぶん最後の数人の超幸運な日本人に属するのに違いない。

 さて、しからばなぜN先生は、隔月刊のマイナー・オピニオン誌などという、入稿から書店陳列までの間にも半月とか1ヶ月とかがかかってしまうその上に搭載テキスト総量にも厳しい限界の課せられたメディア(だけ)ではなくて、インターネットのHPもしくはブログ上で「知行合一の生き方に認識発達論を持ち込」(p.234)むことが、できなかったのか? ――という疑問を、きっと若い人は持つだろう。

 それがどうして特定の人にとっては仕方のないことなのかを説くために、わたしは『発言者』の頃から「脳の一回性」と言ってきたのだ。

 わたしも、PCが、〈アナログテレビやファクシミリのような「家電」でないこと〉、つまりOSもアプリケーションソフトもハードもシステムもスタンダード・スペックもどんどん変わり続けて、将来もその進化に際限がないと予測ができるがゆえに、それに必死でついていくしかない使用者として永遠にやすらぐ暇の無いことに、心底、嫌悪と疲労を覚える中年だ。1994年以前の「PC-98」シリーズで、「MS-DOS」のVer.3.1くらいで、ピタッと進化が止まって欲しかったと今でも思う。
 だが若者はそんなことを苦にしない。一回性の脳の記憶に、まだ、過去の楽園イメージが設定されてはいないからだ。しかしその若者もいつか中年となり、いまのわたしと同じような愚痴をかこつ。

 《 天国(or楽園)は、ただ追憶(or記憶)の中にだけある 》と言った人が、かつてどこかの国にいたはずだ――と思い、今回ネットで検索してみたのだけれども、探し方が足りないのか、根気がなくなりつつあるのか、どっちにしても同じことだが、みつからなかった。

 ミュッセ(Alfred Louis Charles de Musset)は、1836年の『世紀児の告白』の中で、「我々のさいごのよろこびと慰めは、苦しんだ過去の記憶(追憶)に他ならぬ」と書いているそうだ。これはゲーテ(1749~1832)の「苦しみが残したものを味わえ。苦難も過ぎた後では甘い」にインスパイアされての格言なのか? だとしたら、これらは「脳の一回性」に関してわたしが捜索しているそのものズバリな格言とは違う。

 〈かつて幸せであった場所に、二度と戻ろうとしてはいけない〉(たいていガッカリするだけだから)……と言った人がどこかにいなかっただろうか? その人は「脳の一回性」が解っているかもしれない。

 サミュエル・ハンチントンが1993~96にたどりついている結論(=経済の同一性からではなく、宗教の違いによってこの世界を把握しないと、諸国民は痛い目に遭う)に、これから日本人は十数年遅れでたどりつくことになるだろうと、わたしは期している。
 N先生が「保守」や「右翼」という熟語のイメージを2003年より前においてすっかり柔軟にしてくれなかったなら、この「十数年」はもっと長引くことになったか、あるいは、ついに日本そのものが失われたか、どっちかだったであろう。

 敗戦直後に「反米」になったすべてのご老人たちの「記憶の中の天国」萬歳!

やっぱり「東風」に対抗するには「馬耳」しかないだろ

 久々に目が醒めるような雑誌記事だった。
 『文藝春秋』8月号の「検証・NHK特集番組 零戦の敗因」――。
 以前の座談会にも御出席を辱うした清水政彦氏の、彫心鏤骨のご研究の一端がサラリとあらわれています。
 戦後63年かかって、よーやく、旧軍機評論はここまで到達してきたのだなぁ~……と慨嘆すること請け合いですわ。NHKのディレクターその他にまでいちいち面談して確認をとってるんだから、そんじょそこいらのミリヲタとは気合いが違うよ。曾根さんのメモはとうとう行方知れずらしいですけどね。

 肝心の番組の放映(平成17年8月)からは、けっこうな時間が経ってるんだが、これは、こういう記事を扱ってくれる、NHKと信用度・影響力の面でタイ張れるような雑誌を見つけるのに手間取ってしまったのだ。いきなり文春本誌で載せてくれるとは、まー誰も思いませんからな。それに日米戦争ネタは8月企画か12月企画しか通りにくいと相場が決まっておりやす。

 ところで戦時中の新聞やNHKは、日本本土の都市へ来襲する米空母機のことを「艦載機」と呼んでいた。オレも当時の根拠となる文書をつきとめたことはないんだが、これは陸軍省で定めた呼称だったんだろうか? 本土防空は、第一義的に帝国陸軍の管轄だったからね。
 どうも帝国海軍では、空母搭載機のことは「艦上機」と読んで、敢えて区別を立てていた。海軍用語で「艦載機」と言えば、それは巡洋艦や戦艦が積んでいたゲタ履き水上機のことを指したようだ。
 そうだとするなら、海軍の中の人たちは、戦中の新聞報道やラジオで米空母機を「艦載機」と呼称しているのに接し、どう思っていたのだろう? 遺憾ながら、まったくその感想を読んだ覚えがない。

 さて皆さん、『やっぱり有り得なかった 南京大虐殺』は見てくれましたか?
 「ト書き」が「ナレーション」みたいに載っていたりするお粗末をうっかり見逃したりして汗をかいているのだが、『これならオレにも描けるぜ』と思ったキミ、そうキミだ。キミはビジネスの機会を逃したのだ!

 今後もこの「放送形式」を通じ、いろいろなビジネスの提案をするだろう。
 「芸ある貧乏人」諸君よ!
 み・の・が・す・な・よ――――。損だからね。いろいろと。

本日発売! 『やっぱり有り得なかった南京大虐殺』

 マンガです! しかし一般書籍のコーナーに置かれるはずです。
 都内で夕方くらいに書店に出るのでは?

 (明日までに献本が行かなかった方、今回は献本数が少ないと思ってください。あしからず。)

 ところで講談社さん、『東大オタク学講座』の文庫本が出たらしいじゃないですか。なぜ、わたしのところには1冊も送られて来ないのですか? いや、いまさら読み返す必要はないので、ただ、日本一辺鄙な自治体の図書館に寄贈したいと思っていただけです。つきましては、わたしのかわりに御社から直接送ってくだされば有り難いですな。