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『私の鷲』

 今年の拙宅の空き巣被害体験を契機といたしまして、これからの社会防衛、とくにホーム・ディフェンスにつきまして学んだこと、および、さまざまな提言などは、次著の『予言 日支宗教戦争』のなかで1章を割いて、縷々、語るつもりでおりました。

 が、どうも即効的な対策については、早く提言を公開した方が世の為・公共の為になるのではないかとも思われて参りましたので、はなはだ雑駁でございますが、ごく簡単に勘所だけお話しを申し上げようと思います。

 結論は、「人感センサー連動式の簡易自動録画機能付きのテレビドアホンを、地域の全戸が、玄関に取り付けろ」ということなんであります。
 それで、警察官の人数が数倍に増えたのと同じくらいの犯罪抑止効果があるはずですから、自治体も、こういうところにこそ、補助金を出すべきなんであります。

 いま、録画機能付きのテレビドアホンのいちばん安価なクラスは4万円弱というところでしょうか。たぶんこれは、量産効果で、2万円ポッキリまで値下げ可能だと勝手に見込んでいます。1世帯にタッタ2万円で、地域の住居侵入犯罪は、ほとんど抑止されるのです。公的資金は、こういうところにこそ使われるべきじゃないでしょうか?

 これが普及すれば、地域で何か住居侵入犯罪や当て逃げなどの交通犯罪が起こった場合には、その被害者宅のテレビドアホンだけでなく、ご近所の玄関のテレビドアホンによっても、犯人の犯行前後の姿が、きっと録画されていることになるでしょう。
 したがいまして、警察は、そのデータを提供してもらうことによって、すぐに容易に容疑者を絞り込むことができるようになるでしょう。

 つまり、局限的・分散的な私有の監視システムが、犯罪捜査が必要なときだけ資料源となるわけです。グーグルストリートビュー時代には、このくらいやるのは当然であります。(さらに大胆に予測します。将来は、ストリートビューとこの戸別私有監視カメラの興味深いデータがリンクされるでしょう。いわば、「アクティヴ防犯」の威嚇警告機能としてです。)

 住居侵入犯は、必ず「下見」をします。センサー連動の自動録画式のテレビドアホンなら、その下見から抑止します。

 もっか、全国で、防犯カメラなど、自宅に防盗対策の電子的な自己投資をしている戸主の率は、わずか7%くらいしかない、という統計を、ネットのどこかで見た覚えがあります。

 しかし今日では、テレビドアホンは、アパートの鉄扉の覘き孔にも取り付けられるタイプも開発されております。拙宅なども古い借家ですが、自分で旧式チャイムの配線を利用してテレビドアホンに交換することが簡単にできました。テレビドアホンの普及率を70%に増やすことは、可能です。

 1人12000円の生活支援定額給付金などは、いまからでも遅くないから止めてしまって、その代りに、1世帯につき2万円の、「防犯用録画装置等普及補助金」を実現いたしましょう。

◎読書余論 2008-11-25配信 の前宣伝です。

▼新井白石著『折たく柴の木』村松明・校注、岩波文庫1999
 「大君」というのはシナでは王子の嫡子に授けられる称なのに、官学の腐儒一家が徳川将軍を大君と号させてしまったのだ。
 己が欲せざることを施す朝鮮人のやることは悉く無礼である(p.203)。
 幕府内の官僚どもが「それでは日朝の戦争が近い」などと騒ぎ出すが、白石はつっぱり、ついに、朝鮮側の文書の「光」の文字を変更させた。この騒ぎを大きくしたのはけっきょく朝鮮人ではなくて、白石を妬む日本人どもであった(p.204)。

 貞享・元禄の頃から、長崎の外国人を大事にしろという政府方針ができた。奉行所の下級役人が唐人から陵轢されんとし、刀を抜いて少し傷つけたことがあった。その役人はただちに追却(解雇)になった。こうして長崎では外国人はほしきままになり、オランダ船が密貿易や沿岸略奪を平気で働くようになった(pp.396-7)。

 営利誘拐されるような成人は、もちろん「下愚」なのである。犯人側は口達者である。だから頭の良い「お上」が捜査究明して救ってやらなかったなら、被害者は自力では何もできず、法廷でも埒が開かないのである。

▼防研史料 第二水雷戦隊司令部『特型駆逐艦長必携』S10末
 原速より急停止 後進一杯 は、1分40秒かかる。その間に360m進む。

▼防研史料 『伊号第25潜水艦 北米西岸焼夷攻撃 並に 艦船攻撃に関する調査報告』(1947-3の調べ)
 こちらから発射した魚雷が距離300mで誘爆し、そのため艦の鋲が200本も緩んだ。

▼『仏軍航空戦史』大14、陸軍航空本部ed. 恵藤第四郎・要訳
 トランプのエースを仏語でAS[アス]という。新聞がこれを、5機以上おとした者に用いはじめた。
 対空布板は、砲煙で見えなくなるので、ベンガル火(信号煙火)が多用された。
 5500mでは肉眼偵察は無理で、写真偵察が必要である。

▼神田伯竜『五郎正宗』M32、大川屋書店
 ※講談速記本。

▼『宝蔵院覚禅(片鎌槍の達人)』立川文明堂、M44

▼防研史料 『機関関係雑綴』S14年度、イ-52
 水中では、3ノットで70浬(23h)、最大8ノットで8浬(1h)。

▼防研史料 『潜水艦一般講義案』S19-12 by海軍水雷学校
 電池年令というものがある。4年半で容量は半減する。

▼『工兵』第152号/陸軍工兵学校 S19-10
 「100式火焔発射機」を89式戦車に対して実験したら、エンジンが酸欠で止まった。
▼中村彰彦『保科正之』中公新書#1227、1995刊
 江戸に大風が吹き、屋敷がつぶれるかと思われるようなときには、長持ちを2棹ならべて、その間に幼君を置く。
 なぜ保科正之は『名将言行録』に載っていないのか。またその続編『徳川名君名臣言行録』に田中三郎兵衛正玄がないのはなぜか。

▼マイケル・ハワード著、奥村房夫・他tr.『戦争と知識人』1982、原1978
 カントの見解は短い文章では公平に扱えない。彼は、自然状態は戦争状態であり、平和状態は意識的に樹立されなければならない、とした。他方、戦争それ自体が長期的には平和状態の確立という目的に役立つとも信じていた。なぜなら、人々が諸国家による連盟を支持するようになるから。

 コブデンは死ぬまで、ポーランドでの不正は英国が傍観していても神の摂理で正されると信じていた。しかし、自由放任主義は、経済においてだけでなく、政治外交でも支持を失う。ミルは1874に、人民が専制と戦っているとき、その弾圧主体の政府が外国の武力で援助されているのならば、英国は人民の側に立って武力介入してもいいと述べた。
 野党指導者となっていたグラッドストンははっきりと、イギリス国民は東欧の従属民族に対して人類兄弟愛から生じる道徳的責任を有すると述べた。1877、彼はブルガリアに対するトルコの暴虐を公然と非難した。そして武力も用いたブルガリア救済を訴えた。彼は1854にはオスマン帝国防衛のためにロシアと戦争した内閣の閣僚だったのだが。

 英艦隊がアレキサンドリアを砲撃し、エジプトを占領した。1882、グラドストンは説明した。いわく。エジプトの平和と秩序のため、文明ヨーロッパ諸国の協力を求めるべきだが、それが得られないときは、その任務は英国一国だけによって行なわれよう、と。ジョン・ブライトが抗議すると、グラドストンは答えた。アラブの暴力に対して武力が用いられる場合、それが文明世界を代表するヨーロッパ諸国によって認可される武力であるように、最大の努力をした、と。ブライトは満足せず、内閣を辞任した。

 コブデンの平和的国際主義は、尚武の倫理の復活の前にも影が薄くなった。すなわち、英国ではパブリック・スクールが設立されて、中流階級の子弟に規律と愛国の美徳を教え込んだのだ。
 フィリップ・ノエル・ベイカーらに対する1937時点でのキングズリー・マーティン(急進主義者)の疑問。平和主義者は侵略に対して戦う意思があるかどうかという問題をなぜ注意深く回避するのか。

▼色川大吉『明治精神史』上・下 講談社学術文庫1976、原S43
 小楠ら実学党の命題:「明尭舜孔子之道。尽西洋器械之術。何止富国、何止強兵、布大義於四海而已。」
 蘇峰の「将来之日本」は、小楠の世界平和思想と、スペンサーの進化説、ミルの功利説、コブデン&ブライトのマンチェスター派の非干渉主義ならびに自由放任主義を混ぜている。
 M18頃、川口村には天然理心流の免許皆伝をうけた、近藤勇と同門の楠重次郎正重の道場があった。
 秋山国三郎は選挙運動用に大量の仕込み杖を造らせていた。

 M20の『三酔人経綸問答』で豪傑君は反論する。英仏独露がアジアにたくさんの軍隊と艦隊を送り込んでくるのに、自由平等だとか四海兄弟だとか言うのは学士にありがちな愚の至り。「愚に非ざれば狂」だと。そして豪傑君いわく、今ならまだ間に合うから、アジアのある大国を侵伐して、その三分の一を割きとり、わが国を大国(強兵富国)とする以外に、欧米帝国主義に対抗する道はない、と。

 明治10年前後に米価が高騰した。これが地方の豪農層に自信を持たせた。
 M17~19に全国で抵当流れとなった土地は全耕地の八分の一にのぼり、没落した農民は数十万人。
 M19~22が、企業熱勃興の時代。これを背景に蘇峰は、カントリー・ジェントルメンが日本に現れると早合点した。
 だがM25-11に蘇峰は、日本の中等階級は堕落していると結論した。
 福沢はM24年に、中等種族は、いまの殖産社会に身を立て家を起こすのは極めて難しいと判断。

▼久保尚之『満州の誕生 ――日米摩擦のはじまり』平成8年刊
 ハリマンは1906と1908にも日本政府に満鉄買収を打診している。あきらめていなかったのだ。ところが1906秋から米国に恐慌のきざし。1907-3にNY株市場で大暴落。
 手元流動性選好のためハリマンは満州中央銀行への出資を見送った。つまり資本参加しようと思えばできたのだ。

 ウラジオに日本人娼婦があらわれたのは明治16年。明治30年までに、バイカル以東の全域に進出した。
 M24、サンフランシスコでは日本の女といえばほとんど売女のこと。M23-6時点で80人いた。

▼和田秀穂『海軍航空史話』S19
 ファルマン大型で青島を空襲に行ったとき、海軍機が日本機として初めて日の丸を描いた。

▼アントニー・フォッカー『わが征空記』白木茂&山本実tr.、文林堂双魚房pub.

▼秋山紋次郎『陸軍航空概史』航空自衛隊S39pub.
 陸軍は、満ソ国境の近距離目標を設想していたので、爆弾搭載量を多くするより、むしろ出撃回数を増やしたほうが、衆敵に対処できると考えていた。
 4式戦は空戦中、プロペラピッチを変えねばならないのが不都合だった。計器の操作は面倒すぎた。

▼佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』2008-9

▼『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』太田出版2002

▼佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』2008-5

    ◆ ◆ ◆
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘録によって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)

 普通の人にとって、あまりに多い過去の情報ストックの中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。

 東京都内の大きな図書館や、軍事系の充実した専門図書館に、毎日通えない人にも、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ふだんはミリタリーの専門の本しか読まぬという方に、他ジャンルの一般書籍等の中に埋もれていた軍事情報をピックアップしてご案内します。

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縁日商人炎熱ひより

 ときたま、「新しい歴史教科書をつくる会」発行の『【ふみ】』という隔月誌を頂戴します。最新の「11月号」(通巻71号)をいただいたので拝見したところ、なんと元谷外志雄氏が「リレー随想」という連載の第50回を寄稿しているのを確認しました。

 「リレー随想」は、毎回違う人が寄稿するページなのでしょうか?
 それとも、元谷氏が第1回からずっと連載しているのでしょうか?
 隔月刊行ですから、50回をさかのぼりますと、ざっと8年ちょっとくらいも前だ。

 いまから8年前といえば西暦2000年ですか。
 ネット検索してみると、元谷氏が「小松基地金沢友の会」の発会式を行なったのが平成11年10月7日。これは西暦1999年ですよね。
 (「航空自衛隊小松基地が誕生して以来30年」に、「発足する運びとなりました」……という発足時の元谷会長のあいさつがアパグループのHP上で読めたのですけれども、兵頭の手元にあります豪華写真集『JASDF TODAY 航空自衛隊●半世紀』の289頁によりますと、小松基地は、1957年2月に「小松派遣隊」が設置され、1959年6月に「小松分屯基地」が設置され、1961年に「小松基地」が発足し、同年5月に千歳および浜松から一部部隊が引っ越してきて、同年7月に第6航空団が編成された、とあります。1961に30を足すと1991になるような気がするのですが、……あるいは兵頭の筆算が間違っているのかもしれません。)

 おそらくわたしがかつて頂戴したことのある『【ふみ】』には、常にか稀にか、元谷氏の寄稿が載っていたのかもしれません。されども失礼乍ら、これまで元谷さんというライターがいたことは小生の意識にはまったく刻まれなかった。(わたしがマンションを買うような男であったなら、歴史教科書問題とは別な件で注目する機会もこれまでにあったかもしれないのですが……。)

 しかし、今回の騒ぎは、すくなくとも兵頭の脳内に関しては、元谷氏を一挙に有名人にしました。

 今回、元谷氏寄稿の「リレー随想 50」のタイトルは「先の大戦を総括し、戦争の歴史を再構築せよ」となっています。わたしは一見、〈田母神論文の1ページ要約〉なのかと錯覚をしてしまいました。

 元谷氏と田母神氏が西暦2000年以降、「二人三脚」状態なことは、もうあきらかじゃないでしょうか。おそらく「ポン友」だったんでしょう。それは、このお二人に限っては、多幸な奇遇だったと思いますよ。

 基地司令として、ここまでサポートをやってくれる地元の大金持ちのパトロン、それも、世代も価値観も近似した人がつくなんてことは、滅多にないでしょう。
 元谷氏も、田母神氏はプッシュし甲斐のある制服軍人だと惚れ込んだんでしょう。
 天の引き合わせだと、互いに思ったでしょう。

 とするなら、元谷氏の次の責務は、いかにして田母神さんを政治家として育てるか、ではないでしょうか。国会は無理でも地方議会に送り込むのは楽勝ではないですか。来週の参議院軍事外交委員会が、議会デビューの下馴らしですよ。

 拝察しますに、元谷氏も国政の場で「なんでもコミンテルン悪玉史観」もしくは「ナベショー史観」を喋りたくてたまらないのではないでしょうか? このさい一緒にお呼びして、マンションの話などもイレギュラーに織り交ぜていただきながら、思う存分開陳してもらった上で、国会議員諸氏が、なにが正であり、何が邪であるのか、指摘できるだけの素養を持っているのかどうかを、満天下に示してもらうというのはどうでしょうか。この二人が「同志」であることはもう確かなのだから、そうすべきなのは自然ですよね?

つか・みどり

 指先で押すとスムースに半回転する、旧式のクレセント錠がサッシ窓についている皆様へ。
 近年のドロボーは、このような旧式錠前を、窓を破壊せずに外部から簡単に開錠する技法を有しているだ――という結論に兵頭は達しました。(ストッパー・ボタンも、スムースに上下するものは、敵にとってほとんど無意味であろうと思われます。)
 緊急対策として、クレセントの受け金具をペンチで締め付け、嵌合状態での圧着摩擦抵抗を実用限度のギリギリに最大化すること、ストッパー・ボタンを強靭なテープで固縛すること……、などが考えられるでしょう。
 また、貼り付け式等の補助錠(予備錠)が有意義でしょう。特に、一回侵入されている窓では、上下2個の装着が必要でしょう。敵は必ず前回の成功を念頭していますから、その窓に関しては、「やりすぎ」な位の対策をとるべきです。
 アラームも、二段構え、三段構えで配備しましょう。(今回は、これが侵入を防いだと思われます。)
 網戸などは、接着剤で動かないようにすると良いかもしれません。
 長期的には、(特に借家ではなく自宅の方の場合、)窓そのものを最新型に取り替えるのが良いのでしょう。

 たとえば青系の上下のサッパリした作業服、無帽、無眼鏡、黒髪、中肉中背の東洋人男性がモニターに不審人物の一人として映じていた---という夢を見た。

美原地区の皆様へ

 7月にウチに入った泥棒が、また近くを物色して歩いている気配あり。(前に侵入された窓がいつの間にか開いていた。ウチの面倒臭がりの馬鹿女房が予備錠と警報装置を解除していた。)
 敵は旧タイプのクレセント錠を外から簡単にはずす熟練の技倆を持っているらしい。そしておそらく、冬季の厳重戸締りシーズン入りを前に、本年最後の稼ぎを狙っている可能性があるでしょう。くれぐれもお気を付け下さい。

 以下、あんまり興味のない余談。

 アパグループの元谷外志雄氏は、ネットで検索すると小松市の出身で、「小松基地金沢友の会」の会長でもあるらしい。
 そして同氏が実質主宰する雑誌『アップルタウン』の平成11年4月号では、当時小松基地司令であった田母神俊雄・空将補との対談を載せているようだ。
 要するに両者は古くから懇意の関係だ。

 元谷氏の発言のいくつかがネットでヒットしたが、田母神氏のトホホな論説の数倍、人の耳を傾けさせる内容だと思った。この人がサンケイ系人士から支持されてきたのには理由があるだろう。この点では疑問はなくなった。なお、兵頭は過去一回も接触をうけたこと無し。

 田母神氏が第6航空団司令として小松に赴任していたのは、「おき軍事」さんのメルマガによれば平成10年7月からで、平成11年12月に航空幕僚監部装備部長に栄転した。

 田母神氏は、元谷氏の意気や好意に感応したのだろう。
 余計な心配かもしれないが、田母神氏は、再就職先は決まっていたのだろうか? 今回のメディア露出で、国会議員等の目も出てきたかもしれない。閣下ご本人もそれを意識なさっているのではないか。

 ところで、〈同じ会社が同一人物にダブルで懸賞品を進呈することはできない〉とかいう公正取引法(?)の規則があったような気がするのだが、今回の「公募」はそうした「公正」の道徳には抵触しないのであろうか。また、『公募ガイド』には掲載していなかったようだと聞いたが、だとしたら、その理由は何だろうか。これだけが疑問として残った。

 元谷氏は、あの耐震偽装スキャンダルとさえ関わっていなければ、これから5年の不況を利用して、和製「コンラッド・ヒルトン」になれるチャンスがあるように思う。
 ニューメキシコ出身でテキサスで売り出したコンラッドが、サンフランシスコ、シカゴ、そしてニューヨークで有名ホテルを次々と買収・改装して全米ホテル・ネットを構築したのも、1929年のクラッシュから復活する5~6年間に於いてであった。

 コンラッドにも学は無かった。しかし人を感動させる演説を、たくさん残している。彼には母親譲りの篤い信仰心があった。ほとんど毎日、祈っていた。

 欧州の王族が渡米のさいの定宿にしていたニューヨークのWaldorf-Astoriaホテルをコンラッドがついに買収したとき、南西部出身の移民の息子がこの格式の高いホテル文化を継承できるわけがないとバッシングされもしたが、コンラッドはその資格があることを証明した。

 というわけで日本に足りないのはまともな「宗教」だと思うので今、そっち方面の著述に没頭しているところであります。井上哲次郎の日露戦争前の指向は正しかったのではないだろうか。