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おそれいった千葉工大の政治権力

 Quince とかいう千葉工大のロボットが福島第一原発に持ち込まれるぞというニュースが例によって6-23に大々的に広報された。APによると、これは24日にもののみごとに失敗し、2号基建屋の階段踊り場で動けなくなり、アームから放射線計つきのケーブルを汚水溜に垂らすことにも失敗した。そしてなんと、千葉工大の者ではなく、テプコの作業員が、そのロボットを回収してきたという。

 無生物のロボットを回収させるために、生身の人間を放射能地帯に入らせたのだ。それも手前の研究所の職員ではなく? 千葉工大は、なんとコメントしているのか、聞こえてこない。

 そもそもこの失敗ニュースを日本のメディアはほとんど流していないように見える。いったい千葉工大は、テプコとマスコミに対してどれほどの権力を持っているのか?

 おそろしい、おそろしい……。

御礼

 田中さまどうも情報ありがとうございました。

 どなたか『石原完爾全集第六巻』(フリードリヒ大王著「わが時代の歴史」所収)をめぐんでくれませんか。函館市立中央図書館には所蔵してないのです。

 それから、フレデリック大王著「マキヤブヱルリと君主経国策」その他を収めた興亡史論刊行会1919年刊の『興亡史論 2-8』なども改めて再読しないといけません。これらは函館中央図書館にあるのですが、館外へ借り出しができない。もはや1日ウチをあけられない身分……しかも自家用車は愚妻専用ですので、難行苦行がまちかまえとります。

並木書房さんの新刊『写真で見るトモダチ作戦』のご紹介

 昨日見本を頂戴したのでご紹介します。著者は北村淳さんといい、海兵隊がご専門の方のようです。

 米軍ウェブサイトの公開写真420点以上が使われており、その多くがカラーで印刷されているので感心しました。

 わたしが出版社社員だった頃、カラー写真を輪転機ではなく平刷り印刷する場合のコストはものすごいものであり、このようなカラー写真ページだらけの本を作りますと、店頭売価は確実に数千円となってしまうのがあたりまえでした(初版で何万部も刷れるものは輪転機なので別です。だから超大手の出版物はカラーなのに安く売れます)。
 しかし今ではデジカメ写真をコンピュータでデータ化して印刷用のフィルムにできてしまうのでこのような企画も可能になったのでしょうね。

 ただ、HPからダウンロードできる写真は、粒子の関係で大伸ばしには向かないかもしれません。それでこの写真集は大版にはできなかったものと推測をいたします。

 配列だけでも、たいへん手間のかかったものと思います。地図がないのが残念ですが、地図などをつくっていると発行日がさらに何週間も遅くなってしまうので、承知で除外したのでしょう。読者はこのへんの「大人の事情」を推測しながらミリタリー出版物を愛好しなくてはいけません。超大手出版社とは、編集に投入できる労力がハナから違う。実質、担当者1人で作っているようなものですから。

 まえがきを拝見しますと著者は5月中旬まで執筆したと書いておられますが、まあ進行の都合上、本文は4月中旬で締め切り、あとは出版社側での特急の編集作業でしょう。それでも著者の脱稿から数えて1ヶ月強、かかっちまうんですよ。これが普通なのです。地震発生から1ヶ月前後でカラー満載の駄本をリリースできる、超大手の進行表が、異常なんです。

 米海兵隊がトモダチ作戦から手を引いたのは4月12日でした。だから本書の写真も記事も4-12で終わっております。
 しかしトモダチ作戦はその後も続いているはずです。
 人数的には海兵隊とは比較になりませんけど、4-28時点で在日米陸軍は、東北に100名弱を派遣して最後の作業をさせていました。その次の週でも20人くらいは従事させると公表していました。いつ終わったのかは、わたしは米陸軍のウェブサイトを見ていないので、承知しておりません。

 ですから本書はヨリ正確には「在沖縄海兵隊によるトモダチ作戦」に焦点を当てて経時的にとりあげた写真集であります。

 こういう災害時には、汎用揚陸艇のLCU(まあ、旧軍の大発です)は、便利な船だな~とよく分かる写真集です。沿岸の自治体は平時から消防局用にLCUを所有すべきですね。何にでも使えるでしょう。

 じつはこんどの東北大震災では東京都内の出版会社も間接的に大被害を蒙っておりまして、たとえば店仕舞を決めた零細出版社さんなどすらあり、そのおかげで、わたしの箱館戦争の本も、出なくなってしまいました。ゲラまでは出たんですけどね~。惜しいです。戊辰戦争は典型的な「アンフィビアス」戦争ですよ。これからの戦争を先取りしているんですけどね。
 それで、この調子だと、わたしもまたぞろアルバイトを再開しなければならないかもしれません。どこかに週3日くらいの、早朝出勤の仕事はないでしょうか。わたしは朝は3時くらいからでもOKなんですが。

 愚妻にせっつかれて、土地付きの安い中古住宅も見て廻りましたが、修繕代を加味すると、けっきょく新築と同じ費用がかかりそうですわ。つまり新品同様で600万円くらい以下におさまってないと、金利2.8%として15年弱のローンで月々払って行けるわけがないのです。それで4LDK車庫付き日当たり良とか条件が高望み過ぎなんだよ。無理、無理。人は分相応に清貧に生きるべきでしょう。

 というわけでルソーが『新エロイーズ』の最後の方でコジキを擁護している下りが妙に心に滲みるわけですよ。ルソー自身が「俺は乞食である」と自覚していたんじゃないか?

古本の寄贈募集!

 クラウゼヴィッツの戦争論の英訳完訳版(グラハム訳でもパレット訳でも)を読み古しでお持ちの方、御寄贈いただけると有り難いです。
 小生、学生時代に2冊とも所持致しておりましたが、10年以上前、『この俺がクラウゼヴィッツの本などテーマに書くことはよもやあるまい』と思って手放してしまっているのであります。

 この募集は2011年11月まで有効です。

 あと、まさかとは思いますが、参本訳版の『大戦學理』の鴎外訳部分以外も全部揃いで持ってらっしゃるという方、フルコピーを頂戴できますと有り難いです。

頼山陽はヴォルテールの『カール12世伝』を聞いてたんじゃね?

 現在クラウゼヴィッツの『戦争論』を「超訳」中ですが、次々と余計な関心が沸いて参ります。

 クラウゼヴィッツはスウェーデン王のカール12世(1682~1718)を、ナポレオンやフリードリヒ2世のような「軍事の天才」ではない、と貶めているのですが、そう判定した根拠の伝記があるはずだ。

 それは、ヴォルテール(1694~1778)が1731に書いた『Histoire de CharlesXII,roi de Suede』しかないでしょう。ク氏は外国語では仏語だけは読めました。

 このVoltaireの伝記、今では英訳が出ていて、それは『History of Charles XII, King of Sweden』といい、出版社はBarnes & Nobleで、ペーパーバックの価格が $25.11 だとインターネットで分かるのですが、函館市には洋書店がないのとワシには万年カネがないので手がでない。

 そのインターネットの宣伝文句にいわく。…… the figure of Charles XII lit up the European sky like a meteor and seemed to disappear just as quickly. ですと。

 メテオは「流星」ですぜ! 仏語だと meteore〔アクセント記号略〕。

 これってひょっとしてボルテールの表現のなかにあったわけ?
 だとすると、1915に箕作元八が『北方の流星王』を書いたとき、どうせ参考文献はヴォルテールなんだろうから、その原文の meteore という表現をみて、「こりゃ西洋版の上杉謙信じゃなあ」と思って名付けたのか?

 明治育ちの教養人なら、誰でも、頼山陽(1780~1832)の川中島合戦の漢詩中にある名文句、「流星光底長蛇を逸す」ぐらいは知っていました。流星は謙信の刀もしくは馬のこと、長蛇は武田信玄その人のことです。
 でも、オーソドクスな漢詩としては、斬新な表現でしょう。白馬や、勢いのある筆を「流星」に譬えた漢詩はシナにはあったようですが、宝剣を流星と表現した有名な漢詩はなかった。漢文では、むしろ「終焉」のイメジでしょ。「巨星墜つ」とか。それを頼山陽は、謙信の刀ではなく、謙信その人の生涯やキャラクターと重ねるように、技巧的に誘導をしています。

 そこでハタと膝を打ったわけっす。
 頼山陽こそ、ボルテールの伝記中の「流星」という表現を、誰かから教えられていたのではないか?(いや、原文にそれがあると仮定をしてですが…)
 シャルル12世について使われている表現を、そっくり頂戴して、本朝の上杉謙信の表現に適用したのではないか? さすがに人間を流星に喩えるのは漢詩の伝統では無理だったので、それを刀としたんでしょう。

 こうなるとどうしても Voltaire 著の英訳バージョンを読まねばと思う。だれか読み古しを譲ってくれる人はいませんか?
 丸山熊男が1942にヴォルテールから和訳した『英雄交響曲 チャールス十二世』ってのもあるらしいんですけど、戦前の訳は、陸軍省の検閲を気にして、細部の表現が素直でないおそれがあります。まあその配慮を読むのも面白いんだけど、いま、そんなヒマはねえんだよ! 物事にはなんでも締め切りがあらぁ。てっとり早く確かめるには英訳版が一番。なければ仏語版でもいいので、ひとつ皆さん、お願いします。

林董はWolsely子爵のどの本を訳したのか?

 由井正臣・校注『後は昔の記 他――林董回顧録』(S45、東洋文庫173)所収の「林董伯自叙伝 回顧録」(執稿はM34)には、林がM4-9に「軍略の書」1部を翻訳して陸奥宗光に提出し、それは今(M34)は山縣有朋のところにある、と書いてある。

 この書名のヒントは無いが、林は英語のスペシャリストである。仏語は分からないと自分で語っている。

 また、林が西園寺内閣の外相を辞めた後、つまりM42=1909前後に『時事新報』に速記させた「後[のち]は昔の記[き]」(おなじ東洋文庫に収録)の中には、年月が不詳ながら、林が、英国の「ウォルセレー子爵の軍書」を読んだことがあること、そして、そこには、アジア式の変則戦法は、西洋の正規軍相手には通用しないので注意しろ、と書いてあったことが語られている。

 この話は、その前段に、黒田清隆が箱館山の後ろをよじのぼってきた奇襲戦法について語り、それは黒田の常套手段だった、と批評したあとに飛び出す。このコンテクストは重要で、かんぐれば、山縣有朋に対してヨイショのメッセージを送っているのだ。

 さて、この英国の子爵とは、Garnet Wolseley, 1st Viscount Wolseley(1833~1913) 以外にはいないだろう。

 ウーズリーは最後は元帥となり子爵にまでなったが、生まれはショップ・キーパーの息子であったという。これは英文ウィキペディアには書いてなく、手元の『Who's Who In Military History』による。英文ウィキは、アイルランドに駐屯するスコットランド聯隊の少佐の長男であったとする。

 元帥になったのは1894で、それと同時に子爵になったのかもしれない。とすると林は1894以降のウーズリーの正式タイトルを知っていたのだ。まあ、それは職掌柄、当然。

 以下、ウィキの摘要。
 ウーズリーが英陸軍に勤務したのは 1852 ~ 1900である。

 Ashanti campaign (1873~1874) ではアフリカを縦横に暴れた。
 ナイル遠征とは、Mahdist Sudan を征伐するもので、1884~85である。

 なにしろ効率的な働きぶりだったので、「すべてがサー・ガーネット」である、といえば、すべてが整っている、のジャーゴンとなったほど。

 ビルマでは太腿に受傷。その後、中尉に。
 ダブリンで静養してから、クリミアのバラクラヴァに上陸。
 セバストポル要塞包囲では工兵に配属。3年せずに大尉に昇任。
 彼はクリミアで二度も負傷し、片目を失った。
 補給廠長として、最後までクリミアに残留した。
 レジョンドヌールの5級も貰っている。

 ついでシナへ。
 バンカ海峡で輸送船が座礁し、将兵は小火器だけで上陸した。
 部隊はシンガポールからインドへ転用された。

 補給の高級参謀としてシナに対する英仏合同遠征軍に加わる。
 ※第二次阿片戦争か。ちなみに、「ロジスティクス」という言葉こそ米語だが、英軍には「クォーターマスター」がいたわけである。

 太沽要塞と天津を占領し、北京に入城。そのとき紫禁城の破壊が。
 帰国後の1960年、ウーズレイは1冊の本を書いて出版した。『Narrative of the War with China』である。

 ※1860とは安政6年~万延元年だから、函館で捕虜だった林がM3-4に釈放された後ならばこの洋書は自由に手に入ったろう。「東洋人の奇襲など西洋軍には通じん」と書いてあったのは、この本かもしれない。もし山縣が早々とその訳文を入手し、読んでいたら、気に入っただろう。なぜなら新潟戦争いらい、山縣と黒田は作戦が対極的すぎ、互いに反発していたからだ。

 ウズリーはトレント事件に関係してカナダへ。
 さらに1862、アンティータムの戦いの直後、中佐であったが、臨時に英軍を辞任して南北戦争の修羅場にでかけた。
 これは英国が南軍を応援するための、北部における秘密工作任務であった。北部州の中にも「南部=英国」贔屓の人士がいたので、彼らをバックアップしようとした。
 メンフィスのフォート・ピロウで1864-4に黒人兵捕虜が虐殺された事件に関与したフォレスト中将について、ウォルズリーは遺憾の意をあらわしている。
 ウーズレーは1869=明治2年に、有名なテキストを書いた。それは『Soldiers' Pocket Book for Field Service』というもので、以後、相当に版を重ねた出版物である。
 ※じつは林がM4-9に翻訳して陸奥に渡したという「軍略の書」1部とは、これではないのか? というのも、紀州藩は陸奥の肝煎りでプロシア軍制を導入しようとしていた。最新の定評のある基本軍事図書ならば、英軍のものであれ、参考需要があったはずだ。刊行と翻訳のタイムラグがピッタリしている。そしてこの本も最終的に山縣に納められたかもしれない。もしかして、林が2つの本を混同している可能性もあるだろう。

 ウズレーはマニトヴァをカナダから独立させようとした騒ぎを鎮定。
 このとき、人跡稀なカナダのすごい湖沼地帯を長駆機動する作戦をもののみごとにやりとげた。
 ※もし海軍将校スコットの代わりにウーズリーのような陸軍の逸材が南極探検をプランニングしていたらノルウェー隊に勝てかたもしれない。まさに得難い人材。

 少将のとき、手柄により、男爵になった。
 大将になってから、ハルツームのゴードンを救出に向かう。間に合わず。

 1894に元帥に。
 1897に大病。
 英仏海峡トンネル案には、頑強な反対派であった。

 ウスレーはその後、1894(明治27)にマルボロ公チャーチルの本、1895にナポレオンの本、そして1903には自伝も書いた。

 キャラ立ちしていたので英国の芝居にもそれらしい人が登場した。ギルバート&サリバンの脚本『ペンザンスの海賊たち』に出てくるスタンレイ少将は、彼のイメージだといわれる。

 ※林は晩年、自分の人生をふりかえると、信じていたことが後で間違っていたと知る、その連続であったなぁ、と、漢詩(本人が書けたとは思えないんだが)の中で愧じている。陸奥宗光=紀州藩=米国と組んで、もういちど政府=英国に対抗した内戦を起こすつもりが、廃藩置県でパー。これは寝耳に水だったらしい。日英同盟だって、林は最初は「できっこねえ」と思っていて、青木や加藤の方が熱心だったのだ。人生は分からんもんだ。

◎「読書余論」2011年6月25日配信予定号の内容予告

▼大町桂月『桂月全集 第七巻』大12-1
 所収の「伯爵後藤象二郎」と「ハンニバル」が面白いので……。

▼鈴木明『追跡 一枚の幕末写真』1984
 よくぞ調べてくれましたという凄い労作だ。箱館戦争に興味のある人で、もし本書を未読の人がいたなら、今から買って読んでも損は無い。

▼ロビン・ハーマン著、見角鋭二tr.『核融合の政治史』1996-4
 核融合用の粒子加速器を使って中性子を照射したら、あるいは高レベル放射性廃棄物を低レベル化もできるんじゃないかと、ふと思ったが、さすがにそれは無理のようだ。

▼山本拓『地下原発』H3-10
 どんな災害になろうと沃素131の大気放出などゼロにしてしまえる地下原発が可能であることは本書でよくわかる。が、なぜそれが普及しなかったかは本書には書いてない。コストの問題ではない。真の理由は、米国の偵察衛星から、燃料棒の交換を監視できなくなるからである。つまり日本の国防が米国の監理下にある限りは、原発は、天災や空爆に弱い、厄介施設であり続けねばならないということなのだろう。

▼長岡祥三tr.『アーネスト・サトウ公使日記コンパクト版I』2008
 日清戦争と日露戦争の間の国内事情をヴィヴィッドに教えてくれる一級資料。ただしそういう話に興味をもったばかりの人が読んでも、ワケがわからないだろう。

▼長岡祥三tr.『アーネスト・サトウ公使日記コンパクト版 II』2008

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 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)

 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。

 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。

 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は500円です。
 バックナンバーも1号分が500円で、1号分のみでも講読ができます。
 過去のコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
http://www.budotusin.net/yoron.html
 で、タイトルが確認できます。

 ウェブサイトでわからない詳細なお問い合わせは、(有)杉山穎男事務所
sugiyama@budotusin.net
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