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【新訳】戦争論 初版の字句の修正について

 83ページに「運命はそこで極まってしまうぞ。」とありますが、これは、「運命はそこで窮まってしまうぞ。」に直した方が良いと思いましたので、二刷で訂正することになるだろうと思います。
 宜しくどうぞ。

■PHPの新書新刊『[新訳]戦争論』初版の誤植について

 160ページ2行目に「追求推進」とありますが、これは正しくは「追及推進」です。
 197ページにも「優良な道路を選んで追求」とありますが、これも正しくは「優良な道路を選んで追及」です。

 どちらも原稿では「追及」と書いたのですが、なぜかいつのまにか「追求」に変えられていた。孔明の罠に裏を掻かれてしまいました。軍事用語の「追及」が、出版社備え付けの辞典に載っていなかったんでしょうかね。

 さて、都内有名書店での発売は12月9日前後だと思いますが、宣伝は早めにスタートさせましょう。

 以下は、今回の新書で、ぜんたいのページ数が足らぬため、下書きから削除した文章の一部を、加工して掲載するものであります。本書を入手されて、一気呵成に一読された後で、以下の情報を「脳内増補」してみてください。有益と思います。

 ――1831年にクラウゼヴィッツが病気にならず、天がなお数十年の余命を与えたとして、『戦争論』は完成されなかった蓋然性がありましょう。と申しますのは、その後、鉄道と蒸気船が普及し、ドイツの人口は著増し、〈隣国心臓部への分進合撃は不可〉と強調していたクラウゼヴィッツの渾身の立論は、崩れて行ったからです。それを修正するための体力や時間が、クラウゼヴィッツには、あったでしょうか?
 新たに所与となった鉄道網を前提に、在郷の予備役男子を召集する速さのアドバンテージによって隣国を「動員奇襲」して楽勝する――という、普墺戦争(1866年)から第二次大戦初盤の東方電撃戦までのドイツ参謀本部の開戦パターンは、クラウゼヴィッツの『戦争論』が生み出したものではありません。フリードリヒ大王時代いらい地道に育成されてきたドイツの地方町村役人の兵事事務が、その分業により、国軍の第一回会戦までの「摩擦」を極小化したお蔭でした。

 ――産業革命後の列強の工業力が、陸戦兵器と弾薬の圧倒的な増産補給、すなわち現代的国家総力戦を可能にしますのは、1861年勃発のアメリカ南北戦争以降の話になります。1831年に死んでいるクラウゼヴィッツの生前の誰も、第一次大戦型の大量浪費戦争など、想像すらできませんでした。

 ――ヨーロッパには晴天の日中に見通しが良くきく平野が多く、大砲や小銃の性能にも、騎兵の機動力にも、諸国軍ごとにほとんど差異がありませんでしたので、防禦の有利さが際立っていました。ただしクラウゼヴィッツ没後の19世紀後半に、西欧には鉄道が四通八達し、20世紀に入るや内燃機関によって歩兵をトラックで機動させられるようにもなりますと、欧州大陸の内陸部において、攻撃側が防禦側の虚を衝けるオプションが、いささか増えました。

 ――クラウゼヴィッツの「政治」の明晰な定義が知りたいところですけれども、それは、ありません。フランスの知識人のように、短くて気の利いた表現で真相を言い切ってしまう作文の流儀も、クラウゼヴィッツは愛好しませんでした。

 ――フランスにとってはスウェーデンは伝統的に、対ドイツ有事の際の潜在的な同盟者のひとつなので、プロイセン人としてはカール12世をむやみに褒める気持になどなりません。

 ――〈こちらが不戦を欲しても、隣国が放っておいてはくれないぞ〉と、クラウゼヴィッツは同胞ドイツ人たちに向かって警告しております。
 〈こちらがてきとうなところで戦争を切り上げたいと思ったって、相手が途中で停止してくれるとは限らないぞ。特に相手が革命後の共和国軍だったり、ナポレオンのような頭領に指揮されていた場合はね〉とも。
 それほどに、プロイセンやドイツ諸邦の上下には、近代の戦争に関して、いまもって、無気力もしくは不徹底な把握が蔓延している――と、クラウゼヴィッツは憂えざるを得なかったのです。

 ――もし野球の試合で、守備の回では、「ピッチャーよ、打者が対応できないくらいの剛速球で三球三振にうちとりなさい」というサインばかり出し、攻撃の回では、「打者よ、ストライクをとりにきた球をすべてフルスイングして必ずホームランにするかせめて長打を放て」という指導しかしない、そんな監督がいたら、すぐ辞めてくれた方がたすかりますよね。
 クラウゼヴィッツの『戦争論』以前には、そうした非現実的な野球監督さんに類した〈戦争指南書〉が、あまりに多かったわけです。
 クラウゼヴィッツは、なんとかしてドイツ国民の対仏敢闘精神を鼓舞しようとしましたが、それだけで、現実のプロイセンやドイツ全体が救われるだろうと信じられるほど、ドイツの置かれた状況は甘くはありませんでした。

 ――「変則的な銃器決闘」でたとえてみましょう。象でも当たれば倒せる大口径弾が1発だけ飛び出す、しかし何らかの理由でもし外してしまったならもう次弾は無いという単発猟用ライフル銃と、ポケット・サイズで1発の威力はかなり非力ながら2連発が可能なデリンジャー型護身拳銃とが、立会人によって1梃ずつ用意されており、後者は再装填してつごう4発まで発射してもかまいませんよと、いわれたら、あなたはどちらを選びますか?

 ――あぶないスポーツや喧嘩をしたがるのは、スポーツや格闘を知り尽くした年寄りよりも、そうした経験の十二分ではない青年ではないでしょうか。ミドルティーンの青年の肉体は、もしスポーツや喧嘩によって負傷しても、盛んな成長過程にありますために、老人よりもすばやく治癒し恢復します。彼らは頭の中でそんな計算をしているわけじゃありませんけれども、身体が本能でそれを知っているため、怪我の危険に対して大胆なのです。
 相撲の世界でしたら、『ここで上手投げを打てば、強敵に土をつけて名誉の勝ち越しだが、代償として、オレの肩関節は外れるかもしれぬ』と一瞬思ったときに、それでもためらわず打ってしまうのが若武者で、やめておくのがオジサン力士でしょう。
 老兵は、自己の身体の故障の恢復が、若いときよりも長期間を要することを知っています。また、勝利の暁に得られる心地好さを希求する欲も、全般的な好奇心とともに、少壮のみぎりよりも減じていましょう。
 じぶんが果たさねばならない義務をどのくらい重んずるかは、老若とは関係なく、それまでに「廉恥」について自得するところがあったか否かによるでしょう。

 ――クセノポーンは、兵術とは「行動の自由を確保するの術」だと言っています。クラウゼヴィッツは、国民や司令官が勇気や自信を、より多く持つようになれば、その国軍に可能な作戦が無限に広がり、強敵にも対抗しやすくなるだろう、と考えていました。

 ――クラウゼヴィッツはヒョロっとした体格で、膂力や頑健さを誇るタイプではなかったでしょう。しかし不潔で不便な野営生活を中年過ぎまでも厭わなかったことは、自他ともに認める彼の軍人適性でした。

 ――クラウゼヴィッツには、「フランス革命啓蒙史観」によってそれ以前の時代を見るところがあったかもしれません。王様全般が嫌いだったのだとすれば、ますます古代の戦争など、敬遠するのみでしょう。

 ――フランスにおけるクラウゼヴィッツ研究のクスリが効き過ぎるほどに効いてしまい、攻撃精神第一主義を「塹壕+機関銃」を相手に発揮するという第一次大戦の悲惨を結果したと見たがる人もいます。

 ――ルソー・ファンのクラウゼヴィッツは、時のプロイセン宮廷からは、反君主的思想の持ち主として警戒の目で見られています。現王室のご先祖をおとしめるような示唆は、プロイセンの公務員として粟[ぞく]を食む身の彼には不可能でした。

 ――ケダモノは捕食者から追いすがられると、敵し得ぬまでも、最後の最後まで反噬[はんぜい]のポーズを示します(兎のような情けない例外は忘れましょう)。軍隊も見倣うべきです。熊や狼も、人間が一散に逃げ出せば、元気づいて追いかけてきますけれども、こちらが背中を見せずにじりじりと後退すれば、攻撃をためらうでしょう。
 退却軍と追撃軍の機動力に差がありすぎる場合は、攻者の浸透や包囲のスケールが大きくなり、その結果として、絵に描いたような「追撃」は見られなくなります。1991年の湾岸戦争では、これが起きました。

 ――島や海岸寄りの要塞は、船で攻城砲や弾薬を輸送できるので、攻略が楽にできる場合もあるでしょう。しかし独仏国境にあるような、内陸部の要塞は、そうはいきません。

 ――西ローマの消滅期と重なる、中世はじめの欧州の麦作は、緑肥についての知見が足らなかったため、同一耕地での連作は事実上、不可能でした。人々は、牧畜に半分頼りつつ、不断に森林を切り啓き、常に新しい土地へ移ろいました。定住民というものが稀少では、「国境」の概念もできません。

 ――18世紀後半から、西欧では、公衆衛生がみるみる改善されます。「水は煮沸すれば安全になる」と理解されたのが19世紀でした。そこから以後は急速に「防疫学」が進歩し、人々の死亡率を押し下げます。

 ――プロイセンの兵役適齢人口がフランスのそれに並ぶようになるのが、普仏戦争当時です。鉄道の普及もありましたが、人口の上でも、包囲攻撃(外線作戦)を企画するのに抵抗がなくなったと言えます。
 ナポレオンが強くなかったわけではありませんが、そもそもドイツの何倍もの人口を実現できていた、近世初期フランスの政治・経済の強さを偲ばぬわけにはいきますまい。

 ――フランス方面やポーランド方面には、ドイツからは陸水(河川や運河)が連絡していませんので、大砲の弾丸、小銃の弾丸を筆頭とする軍需品の補給は、道路上を延々と荷馬車で運ぶ以外にありません。その馬たちのためには、大量の秣や濃厚飼料が必要です。その御者たちもまた兵糧を消費します。
 当時は未だ、空気入りチューブを内蔵したゴム・タイヤが発明されていません。砲車や輜重車は、鉄板を外側に捲きつけた木製の車輪を使っていました。
 これは接地圧が高いので、敷石や煉瓦舗装をしてない泥濘化した道路では、ニッチもサッチも行かなくなりました。
 パリからブリュッセルにかけての経済的先進地方では、主要街道は比較的良好に路面が維持されていたと思われますが、東欧のポーランドなどは湿地で有名で、雨が降れば一面が沼地となって道路は事実上、消滅したのです。
 このような悪路を、当時の荷車と馬だけでモスクワまで遠征して戻ってきたというフランス軍は、それだけで「超人」の名に値するでしょう。ナポレオンは、旧日本軍のインパール作戦(1944年)の4倍以上の往復距離を克服し、日本軍のインパールでの戦死者(4万人)の10倍以上の死者をロシアに残してきたのでした(その死者とは別に捕虜も10万人という)。

 ――さらに化学肥料というものが発明されたために、ドイツはその後も楽々と人口爆発を維持し続けて、第一次大戦直前の1911年には、人口比でフランスを1・5倍、上回っていたそうです。
 第一次大戦の前年(1913年)、日本の人口は朝鮮半島も含めて6000万人。これに対してドイツは、本国だけで6200万人。植民地が無く、溢れかえっていた人口が、翌年にフランスに雪崩れ込んだというわけです。
 その世界大戦であれほど人が死んでもドイツの人口増は止まらず、1927年にはフランスの2倍に。そして第二次大戦中の1940年では、兵役適格者数で、ドイツはフランスの3倍の1500万人を擁していました。

◎「読書余論」 2011年12月25日配信号 の 内容予告

▼Marten Ten Hoor著、中屋健一tr.『自由と不自由』S32-2、原“Freedom Limited”1954
 民主主義を破壊しようとする動きに対しては、人は、寛容であってはならない。自己修正力を信ずる民主主義システムは、言論統制とは絶対に相容れない。

▼セルバンテス著、牛島信明tr.『ドン・キホーテ』前編1~3、イワブン2001、原1605
 秩序の行き届いた国家にあっては、働かない人、働く必要のない人、働くことのできない人たちの娯楽として、チェス、テニス、玉突きなどが許されている。

▼小川寛大『「海行かば」を歌ったことがありますか』2006-1
 タイトルからは想像もつかないほどの日本軍歌研究の大著である。これを若い世代が書いているのだから凄い。

▼スタンダール著、生島遼一tr.『パルムの僧院』イワブン上下、1952
 著者のまえがきでは、書いたのは1830年の冬、というのだが大嘘で、1838に書かれた。クラウゼヴィッツの死は1831なので、時代の雰囲気を知るのにとても参考になる。国ごとに旅行査証の扱いの寛厳がぜんぜん異なることも。
 駄洒落屋に人殺しはいない、という法則。

▼奥野信太郎『北京襍記』S19-4

▼下位晴吉『ファツショ運動とムツソリーニ』S2-10
 WWIの青年総動員があったおかげで、ムソリーニ革命ができた。青年の質が、戦前と戦後とでガラリと変わったため。

▼佐藤観次郎『陣中の読書』S18-4

▼中村孝也『元禄及び享保時代に於ける経済思想の研究』上中下巻、S17-9~10

▼大場俊雄『潜水器漁業百年』H4

▼『日本鋳造50年史』S45
 89式戦車のキャタピラを鋳造していた会社。

▼吉國宏ed.『石川島航空工業エンジン史』H7

▼舩坂弘『玉砕』S43読売pub.

▼大橋栄三『英和 いくさの花』大4-2

▼金谷治・訳注『荀子』(下)イワブン1962
 荻生徂徠はけっこう荀子を受け売りしてた。

▼吉田秀夫『イタリア人口論』S16-3
 時間のある人はゆっくり読む価値のある名著。

▼クルガノフ著、高木秀人tr.『日本にいるアメリカ人』1952-3
 ソ連人による占領下日本の観察。とても貴重。

▼那須皓『人口食糧問題』S2-12
 マルクスは何と言ったか。マシンによる生産効率はどこまでも向上するから、労働者は必ず余る、と。
 埴原大使は罠にかけられただけだ。

▼山田準『現代指導・陽明学講和』S9-9
 西郷隆盛は軍事の専門家でもなかったのに、陽明学の骨子を身につけていたおかげで、戦争指導を誤ることがなかった、という話。
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 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)

 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。

 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。

 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は500円です。
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http://www.budotusin.net/yoron.html
 で、タイトルが確認できます。

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