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試験書き込みです

 ウインドウズセブンのラップトップを頂戴いたしましたので、果たして書き込みがそこからうまくいくのか、テストを重ねているところであります。
 こっちはログインができたので、まず、うまくいっているでありましょう。
 あとでまた確かめます。

■求む!

 このコーナーをみてくださっている人のうち、「近々、韓国旅行する」という方(そう、あなたです!)に、勝手なお願いがあります。

 在韓米軍基地の門前がピンク街になっており、そこにフィリピンから人身売買されてきた少女たちが街頭で春をひさぐ現代のあいまい茶屋「juicy bar」については、一部米国人たちが公憤にかられて弾劾的報道をときたましておりますので、わたしどもがわざわざ何も付け加えることはない(MIL短報では何年も前から抄訳してきましたね)。

 しかしこの「ジューシー・バー」、韓国軍駐屯地の門前町では、どんな営業をしているのか? 米軍基地前以上なのか、以下なのか?
 その街頭の写真を撮って、適切な英文キャプションとともに、インターネットにアップロードして欲しいのです。
 それこそが、現代の「従軍慰安婦」に他ならないのですから。

 もうひとつのお願い。
 さいきん新しいラップトップ(ウィンドウズ7)を貰って、それでMIL短報に書き込もうとしたら、どうも「ユーザー名」からして文字化けするらしく(Macで製作されている関係?)、ログインができねえ。
 この問題の解決法をご存知の方はお知恵をお貸しください。
 徐々に、いまのポンコツXPから、そっちの高速マシンへ、通信用の機械をチェンジしようと思っています。しかし、肝腎のブログへの書き込みができないのでは、やっぱり、今の古い機械で通信を継続するしかないか?

廃憲に関するよくある疑問 FAQ

Q 「改正」ではなぜいけない?
A 外国軍が日本の国体を法文上で強制変更した1946憲法が成立している、と、事後的に、平時に、意志的に、日本国民が認めたことになってしまうから。「だったら、もういちど同じことをしてやれ」と、シナ人、韓国人が思うだろう。それは日本人の安全を長期的に損ねる。

Q 廃憲の手続きは?
A 拙著『「日本国憲法」廃棄論』では論じていない。すでに「無効論」の先達たちがさんざん論じているので。あくまで一案として。内閣総理大臣が閣議を経た上で発議し、国会の定員の過半数による「成立無効決議」。もっと簡便な、あるいは法律テクノロジー上すぐれたし方もあるかもしれぬ。

Q 廃憲したら、現憲法下での施策も無効?
A 勅令で「当座そのまま」にすればいいだけ。小山常実氏(『「日本国憲法」無効論』2002)など、先行する「無効論」者の人々の著書には、いろいろと具体的な方法が書いてあります。兵頭独自のアイディアは特になし。というのは拙著の目的は「いちばん大事なこと」を語ることにあり、内閣法制局の有能な法律テクノクラートの方々の仕事を奪うことではないからです。大事なことと大事でないことの区別をつけないのが日本人のいつまでも治らない病気だ。大事なことさえ定まれば、あとはどうにでもなるもんだ。

Q 1946憲法で、国体は変わったのか?
A SCAPは「変わった」とソ連その他の諸外国に説明できた。日本の指導層は心の中で「変わっていない」と思い得る。日本の反日左翼は「変わった」と主張し得る。ひとつ確かなのは、法文上のどこにも日本が立憲君主制であるという明示は無い。法文の上では、対外的に、日本の国体は変えられてしまっている。あとは、日本国民自身がどう考えるか。拙著は、その問いを喚起した。

Q 明治憲法は、よいものだった?
A 制定当初は瑕疵がすくなかった。しかし「天下は活物、法は死物」。死物を硬性(改正しにくい)としたために、昭和前期において国家を死物にしかけた。

Q 新憲法はどのようなものであるべきか?
A あくまで明治憲法の条文をひとつひとつ手直しし、またはそれに加除するというスタイルで作業をすすめないといけない。1946憲法の条文をひとつひとつ手直しし、加除するというスタイルではダメだ。それは1946憲法の成立を承認したに等しい。それでは、日本国民の、現在および将来の自由は、担保され得ない。

Q 石原慎太郎氏をどう見る?
A ご本人におたずねしたことがないので石原さんの国体観を承知しない。1946憲法が国体変更憲法であるがゆえに石原さんは反対なのか。それとも、反米だから反憲法というだけなのか。そこにわたしは関心がある。あるいは石原版の独自憲法草案を教示してくださればそこはおのずからあきらかになるはず。

Q 憲法96条改正の動きをどう見る?
A 一言で言えば「けがらわしい」。帝国憲法第73條改正でなくてはいけない。

Q 現憲法にも評価すべき点はあるのか?
A 天皇制を実質、守ってくれました。

Q なぜ「主権在民」ではまずいのか?
A 「オレが法律だ」といって勝手気儘をして誰からも刑務所に放り込まれないことが「主権」。人民にそんな主権があるなどと思い上がってはいけない。しかし人民本位に考えないのは近代じゃない。末端の一兵卒が同心しなかったら君主は存続できない。だから吉野のように民本主義とでも言っておくべし。近代の「憲政」を言い表す、適切な用語だろう。そして主権配分(君主、人民、国家)よりいぜんの重大事として、防禦すべきものがあり、それは国民の安全と自由(法の下の平等を前提とす)である。

Q 米国憲法には国民主権についての規定がない。外国の憲法と日本の憲法を比較すると、いろいろおかしな点がないか?
A どの国の憲法も、外国人からみたら「おかしい」ものだ。

Q 五箇条の御誓文をどう評価する?
A 大事でない細かなことを書き込みすぎてない。それによって、ほんらい「死物」であるはずの法文が「活物」となった。その好例。現代日本人のよくない癖は、本当に大事な大切なものと、どうでもいい瑣末なことの区別がすぐつかなくなること。幕末の日本のインテリには、その区別はついていた。

Q 産経案をどう見る?
A ずっとまえの読売案のときもそうだったが、とにかく日本語が役人の作文そのものでみっともなくて読み苦しい。また、前文は、「いままで外国の圧力で奪われていたものを取り戻す。1946からいままでがずーっと間違っていた。だからそれを正してこれを制定する」という主旨の海内への宣言でなければならぬところ、そうではなくて、終始、余計な説教ばかりが書かれてある。この冴えない説教節を数世代後の日本人にも暗誦させるんかい? 据傲というか阿呆というか……。このレベルの説教は、首相談話として同時公表するにとどめておけばいいだろ? 一般にどうして日本人は憲法にいろいろと「書き込みすぎ」たり「硬性」にしとこうとするかというと、それは日本人民の国体観が「意識的」でなく、外国や反日勢力の宣伝にまどわされるのではないかと恐れるから。二等兵=人民の国体観がいちばん重要。そこさえしっかりしてれば何も恐れなくていい。三行憲法でもいい。

Q 憲法に国防の義務を盛り込むべきか?
A 明文で盛り込まずとも近代憲政ではその義務はあるのがあたりまえ。だが、1946憲法はそれがないかのように誘導したものであったから、その害悪を廓清するためには、あらためて明文で盛り込む必要がある。近代憲法は、「いままでおかしかったところを正す」「ついせんだって克服した危機をふたたび招かないように強調し確認しとく」という機能を持つべきだろう。

●「読書余論」 2013年5月25日配信号 の 内容予告

▼フランシス・マカラー『コサック従軍記』新時代社1973pub.
 1906の原書をM41に参本が訳した「胡朔隊二従軍記」。それを現代語化してある。

▼防研史料『明治44年 陸軍兵器本廠歴史 附録』
▼防研史料『陸軍兵器本廠歴史 附録 明治44年次以降 昭和6年迄』
▼防研史料『陸軍兵器廠歴史 第10編』S7~
 さ号車とせ号車の記録が登場する。

▼『昭和16年度陸軍兵器廠歴史』
 対米開戦後に工廠が「モーゼル拳銃実包」を大量に戦地補給していることがわかる。
 「手投火焔瓶」も制式化されている。南で一段落つけたら、すぐに対ソ戦をやる気満々だった。

▼『偕行社記事 No.296号附録 兵器検査講評類纂』
▼『偕行社記事 No.299』M35-10
▼『偕行社記事 No.714』S9-3
▼『偕行社記事 No.715』S9-4
▼『偕行社記事 No.716』S9-5
▼『偕行社記事 No.717』S9-6
▼『偕行社記事 No.718』S9-7
 弥助砲の解説。

▼『偕行社記事 No.719』S9-8
▼『偕行社記事 No.317』M36-7

▼住田正一ed.『日本海防史料叢書 第一巻』所収・藤森弘庵著「海防備論」
 初版はS7-7であるが、それをH1にクレス出版で復刻している。
 むかし、孟子が恵王に説いた。先づ義理の弁を詳らかにする(義は天下の公道である。利は一人の私である)。国是を定める。その次に、手の下し様(民と楽を同じうす)、という順番だった。
 この順番にしたがう。
 開戦し、一敗したら、通商しますなどと気を変えてしまうのは、さいしょから通商するより、十倍も禍である。
 ロシアと通商して、ロシアを頼んで外国(米国)を防げばよいと論ずる阿呆もいる。強盗に助けを求めるようなもの。外国を頼みて敵を制せんとして、国の立ちしこと、古しえより其のためし無し。
 高級官僚どもは、禄だけが大事。妻子を思い、今貰っている高禄をとにかく失わないようにする。天下の安危など少しも思っていない。だから失敗を恐れる。まずい結果になり責任を問われ、左遷されて収入(ポストに付随する足し高と、ポストゆえの莫大な付け届け)をなくしてしまうことをおそれる。ゆえに緊急時にも誰もイニシアチブを取ろうとしない。
 「いかなる良法も時勢かはれば随って移しかへねばならぬ也。天下は活物。しからざれば死法になりて、活物を制する事難し。」
 「防備の術は攻むるに生ず」。
 西洋の「兵士」というのは、皆、わがくにの「中間[ちゅうげん]」のようなものなのだ。無頼・無恥の者をあつめて、軍令をきびしくして、とにかく進退を一にして、隊伍で戦わせている。というのは、兵士はすべて遁げるものだという前提なのだ。遁走させぬように兵を統制して遣うのが、西洋の軍法なのである。
 理想的には武士を戍営に土着させるのがいちばんなのだが、わがくには百姓稠密で、とてもそんな余地がない。だから、「無拠常詰」のプロフェッショナルアーミーとし、平日、水戦(=海上戦闘)を操練させる。「武士皆水と馴るゝ様にすべし」。
 松前は「満州」とロシアに接している。千島も追々蚕食されている。しかるに武備もいきとどかない一小藩だ。手薄である。
 ロシアはますます北方に入植して蚕食する勢いである。
 対して松前藩は「蝦夷〔アイヌ〕を虐使して」追々(ますます)人別(人口)が減少する勢い。どうしようもない。
 もし蝦夷地を失うと、日本という家に垣根の無いも同然の状態となる。そうなっては、ロシアという盗人をふせぐことはぜったいにできない。
 まとまった兵力を配すべきだが、松前藩にはそれに給養するだけの財力がない。となると、文武に長じた諸侯をえらび、その大名に、南部や津軽の領地もあわせてくれてやって、合計で30万石くらいにしてやって移封し、鎮戍させるしかあるまい。加増付きならば、大名家は移封を拒まない。その大名に、「仁恵を加へて蝦夷〔アイヌ〕を存養」させて、人を殖やし、こちらから開拓する勢いに逆転することが、北方防衛の基本方針だ。
 そうじて、「固滞」を除き、「実用活機」を主とすることだ。
 すべての武家において、中間以下の郎党は、足軽以上の働きをするようにして、「戦士」を増やすことだ。
 諸大名に大艦を建造させる。そして、参勤交代をできるだけ大艦でさせる。その大艦には大砲を積ませる。下層デッキにはコメを積んでついでに運べ。商人の商品も載せてやれ。
 参勤交代のないときは、これに海浜戍営の将兵を上乗りさせて海戦訓練をさせる。
 この準備があれば、もし遠方で凶荒があったときは、自在の海運によって、食料を届けられる。
 大艦・大銃は、天下の利器であり、外国人の長所なのであるから、それは採用して、わが長所を増さねばならぬ。鉄砲伝来のときも、そのようにしてきた。
 大艦・大銃も、はじめは外国製を学び、やがては、外国もかなわないほどのものを国産すべきだ。
 この利器がないとなれば、人胆はおのずから、おくれを生じてしまう。
 しかし、彼がまだ知らない火箭、火矢、そのほか焼き打ちの道具をいろいろと工夫し、幾通りもそろえて、敵の不意に出ることだ。
 敵の真似をしているだけでは絶対にダメだ。なぜなら大砲の先進国は、大砲防禦の先進国でもあるだろうから。その不意に出ることはできない。
 陸上の防禦は、まず「清野」の術(=焦土戦術)で、敵軍をすっかり内陸へひきあげてしまい、敵の艦砲が到達しないところで、疾風の勢いでわが軍が肉薄戦法で急襲することだ。
 しかし、百里の内を守ろうとするなら、百里の外にのる(=のりだして攻める)勢いがなければ、守られるものではない。追い討ちだって必要であろう。だから、日本にも、軍艦は必要であるし、その数も、多いにこしたことはない。
 特に江戸湾へ闖入するための虎口である浦賀は、そこに陸上砲台だけを置いても、敵艦を江戸から遠ざける役にたたない。大艦を出して欄遮をしなければ。
 アメリカに対して交易を断ると、イヤガラセにわが沿岸の海運を妨害されるという日本人がいるけれども、こちらに大艦と火輪船があれば、その心配もない。
 台場増築とか、鉄鎖を海面に張れとか、すべて小児の見である。
 海堡は、こちらにまず大艦がなければ、孤立無援となる。そこに大砲を置いても、応援の火力が届かなければ、けっきょくは、敵兵に占領され、なけなしの大砲を奪われるだけである。
 大艦があれば、日本人は攻撃的な気持になる。「決戦」して敵を防ごうという志が定まる。それに対し、台場とか鎖とか杭とか、そんなものは方針からして逃げ腰であり、われわれの志が臆病になる。その精神状態では、決して外敵を制することなどできない。
 そもそも徳川幕府が諸大名に大艦の建造を禁じたのは、地方大名が外国に「通路」して、内証で交易することの弊害ならびに邪宗門の伝染の害が心配されたからであった。
 しかし、大艦の運用権を幕府が一手に握るならば、そんな心配はない。だから、「祖法」をないがしろにすることにはならない。
 建造費も、平時にこの軍艦に商品を積んでもいいということにすれば、商人が出すだろう。
 陣地防禦の類は、たのみにしないこと。それに努力を傾注すると、人々がそれを期待する心を生じさせ、皆が臆病になってしまうから。
 是非なく開戦となったら、もう、これまでの準備の悪さを愚痴ってもしょうがないのであるから、とにかく、衆力を一にして必死をきわめて手詰めの戦さをするより外はない。
 大船は、堅牢でないならば、敵の大砲1発で沈められる。それでいちどに多数が溺れるだけなので、有利とは限らない。むしろ小型船多数で対抗することを考えるのが当座は現実的だ。
 主たる戦法は、大砲で勝とうとせず、乗り移って焼き打ちすること。それを、筏に乗せた大砲で後方から支援させる。
 水兵は、腰に「浮き袋瓢」の類を付けて、溺死を予防すること。
 ……といったことをを嘉永六年七月に書いている藤森恭助、只者ではない。幕末インテリのレベルは今の「軍事評論家」以上なのだ。

▼蜂谷吉之助ed.『藩學史談』S18-6
 平沼騏一郎の国本社の機関誌『國本』にS6から6年間連載されたものを1冊にまとめた。この時点で国本社は解散している。解説寄稿者はいずれも、維新前にその藩で教育された人たち。
 日本の義務教育は、寛政の改革によってほぼ全国的に「制度化」したのだということがよく分かる。
 しかも熱心な藩では、士族は40歳まで藩校に通学する義務があった。
 長州には「小者」はなくて「中間」があったが、彼らには剣術も鎗術も炮術もゆるされず、「棒、捕手、柔、拳」などの武技だけが推奨された。中間階級の山縣有朋の悔しさが分かる。
 毛利敬親は、田舎の村住まいの諸士は、地方の学校の2里以内(1日往復可能)に在宅しなければならぬとした。ここから、家塾がたくさんできることになり、それがそのまま明治の小学校になった。
 「長門の國は、朝鮮女真と相対する海国」という意識があって、『海國兵談』も天保年間に藩校のテキストとして使用している。
 諸役には、不学無芸の者は採用しない。人材ならば二男三男でも登傭する。
 文武は諸士の本職である。しかし、不才無能のものを厳密な発令で就学させても本人に寸益もないから、席簿を汚すだけのようなことはしない。
 宇和島から書生が大坂に遊学すると、どうきりつめても、1ヶ年に10両は必要だった。寛政6年の話。
 烈公は幕府に、文武異職はダメだと認めさせた。それで儒者には僧体させないことになった。
 弘道館記に「文武不岐」と言ってある。
 落第はなく、そのかわり卒業式もない。文武の道に卒業などないのである。 水戸藩では、役人を採用するのに入札をした。今の投票である。
 嘉永5年に横井小楠は諮問にこたえて『学校問答』を慶永に上呈した。そこでは、「学政一致」が必要だとされた。従来、学校からは未だ一人の人才が出たことなし。たとえば、簿書に習熟し、貨財に通じ、巧者にて文筆達者な役人はできるが、その役人には修身の思想がない。儒者はその逆。これではダメだ。
 修己と治人とは一致しなければならない。こういうことは、橋本左内も『明道館記』に記している。
 橋本左内は、キリストの死後、それから「偽帝」(ナポレオン)の前と後とでは西洋世界は一変している、と手紙に書いている。時勢と人情に適合しないと人々の指導などできない、と。左内はまだ23歳だった。
 ◆  ◆  ◆
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)

 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。

 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。

 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は500円です。
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