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著者による新刊紹介

 『兵頭二十八の農業安保論』は、予約可能な状態になっているようです。
 この書名は草思社のラインナップとしては破格だ。そうなったのは、内容が「規格外」だから。あまりにも論争喚起的なのです。しかも論点がてんこもり。

 次のような疑問や興味のある人は、本書を読んでみてください。ヒントがたくさん提出されています。

○昭和天皇は仏印進駐をなぜ裁可したのか。また「インパール作戦」を快諾したのはなぜか。

○戦時中、日本の内地では一人も餓死しておらず、むしろ戦後になって内地で餓死者が出たのはなぜか。

○計画好きの官僚国家ドイツが第一次大戦中に銃後に大量の餓死者を出したのは、連合国のせいなのか、それともおのれらの参謀本部の未必の故意だったのか。

○英国がナポレオン戦争いらいのすべての大戦争で国内にまるで餓死者を出していないのはなぜか。にもかかわらず二度の大戦で「ヴィクトリー・ガーデン」を市民に開墾させているのはいったい何の意図か。

○「飢餓戦略」は西洋ではいつ頃から認識されていたか。

○英国には「総合安全保障」などという間の抜けた官僚造語は無い。なぜか。

○マルサスvs.リカード論争の「劣位農地」とはスコットランド北部の不毛地のことだったのか、それとも、海上封鎖された場合に1年以内に馬鈴薯畑や燕麦畑に容易に転換し得た、英本土総面積の半分を占めた平坦な採草放牧地のことであったのか。

○日本市場にとっての「食糧遮断」は、それ単独で来そうな事態か、それとも「エネルギー遮断」と必ずセットで到来する蓋然性が大なのか。

○日本の水稲作にもし、石油燃料や化学肥料をいっさい利用・投入できないとした場合、反収はどのくらいまで減ると計算すべきか。

○現代日本の救荒用余裕農地と考えておくべきは、「水田」なのか「畑」なのか「山地」なのか。

○救荒農地が何ヘクタールあれば、あらゆる輸入が一切途絶えた場合でも、日本国内に餓死者を一人も出さずに済むか。

○これから官民ならびに有閑ニート老人の総力をあげてクラウド開発すべき「放任繁殖型」「地下栄養貯蔵型」の救荒作物とは、既存植物のどこに着眼してかけあわせを進めなければならないか。

○日本の気候と土地に有利で品種開発がいちはやくできるはずの救荒作物の特許を先にアメリカにおさえられた場合、どのようなことになるか。

○一人の老人が機械力の助けを借りずに、耕作放棄地を「いつでも人力だけで現役畑に戻せる草地」として維持し得る面積は、いかほどか。

○日本の「耕作放棄地」は、そもそも「優位農地」なのか「劣位農地」なのか。

○劣位農地を集約して大規模化して合理化したとして、それは「優位農地」になるのか。

○休耕地を他人に貸したがらない地主は、何をいちばん怖れているのか。

○地主にとって安心できる「制度イノベーション」は、どこに目を着けなければならないか。

○老人の単身居住の平屋と限定し、一戸建てのプレハブ住宅を正味「壱百万円」で市場供給する方法はあるか。

【北海道の方にお願い】
 雑草の「コウリンタンポポ」(赤花に限る)の道南の荒地におけるグラウンド・カバー能力を来春、この目で観察したいので、どなたか、株を分けてください。

ジェームズ・ローブ氏について

 来たる12月中旬の『フロンティヌス戦術書』の本邦初訳の公刊を記念して、「ローブ文庫」にその名が冠されている James Loeb 氏の略伝をご紹介しておこうと思います。
 英文ウィキペディアによれば、1867年8月6日、ハンブルク市で、ソロモン・ローブの二男として生まれました。(ローブ文庫事業を主宰し刊行するハーバード大学出版部の公式サイトでは、ニューヨーク市生まれであったとする。これは正式国籍に関わり、政治的キャリアを左右する重大問題のはずだが、当時の上流社会ではその辺は鷹揚だったのだろう。)

 母は、ベティ(Gallenberg) ・ローブ。
 父のソロモンは、米国とドイツをまたにかけている投資金融団「クーン・ローブ社」の創立メンバーでした。同社は、日露戦争の際に日本国の戦費を、海外公債の売り捌きによって幇助してくれたユダヤ系の「銀行」としても、有名です。

 第二次大戦前の欧米の「投資銀行」は、わたしたちに身近な貯蓄銀行とはぜんぜん異なった、日本の庶民にはなかなか想像すらし難い、国際的な商業組織です。
 お金をたくさん余らせているがそれを自分で運用するのは面倒だという世界中の資本家から広く巨額の元手を集めて、それを「のびしろ」が大きな事業――典型的なのが、政情不安定で資本も集められない後進地域での鉄道敷設と沿線開発――に、「公債を引き受ける」といった形で大きくかためて投資して、諸国の政府をしてその案件の安全を確保せしめる政治力もフルに発揮しつつ、やがて受け取れる利子等の利益を分配するのです。
 会社の中核メンバーは、億万長者の一族で固めているのが普通でした。よそ者の血は、一族の娘の婿、という形で導入されることが多かったものです。

 音楽家の娘であった母ベティは、ジェームズに幅広い音楽教育を施しました。夜、家族で室内楽をすることもあったそうです。
 1884年にハーバード大に進んだジェームズは、ギリシャ語とラテン語に没頭しました。
 また、ハーバード大学のオーケストラである「Pierian Sodality」の副幹事にも就任しました。寮の同室生の証言によると、ジェームズのチェロは、プロはだしであったそうです。

 卒業するとき、恩師にして友人だった Charles Eliot Norton は、ジェームズに、パリとロンドンでエジプト考古学を究めてはどうかと勧めました。

 しかしジェームズは、父の意向に従い、ニューヨーク市内のクーン・ローブ社(Kuhn Loeb & Company)に1888年に入社します。1894年1月には、同社の「パートナー」(中枢経営幹部)に昇格しました。地域の上流名士の義務であった政治向きの雑務も、こなしました。

 しかし、インヴェストメント・バンクの激務は、古典音楽や古典文学を愛するジェームズの気質には合わず、1891年、彼は鬱病に罹ってしまいます。このときはスカンジナビアへ夏期旅行をすることで凌いだのでしたが、業務にもどるとまた精神のストレスが蓄積し、鬱病が再発しました。ついにジェームズは1902年1月1日付をもって、三十代にしてビジネス界を引退しました。

 ひとまずニュージャージー州 Shrewsbury の農園に隠棲し、それから1905年にドイツへ転居します。以後、彼は、第一次大戦中をのぞいて、死ぬまで、ドイツに住み続けました。

 ジェームズは、現役の投資銀行家であったときから、古典と芸術の方面に対する文化支援事業に着手しており、それを生涯、続けています。
 古典をもっと人々の身近なものにしたいんだ、との彼の理想は、LCL(Loeb Classical Library、ローブ古典文庫シリーズ)のスタイルに、端的にあらわされました。

 1925-3-3に、英国ケンブリッヂ大がジェームズに対して名誉法学博士号を授与しました。ローブ古典文庫の出版事業が、その授与理由でした。
 授与式の演説で、ケンブリッヂ側は、次のようにローブ文庫を絶賛しています。
 ――ローブ氏は、パラダイスをわれわれの手に戻してくれた。ギリシャ・ラテン語を学んでいる者も学んでいない者も等しく、である。入念に編集された原典、品のある英文による対訳、そして現今最上級といえるプロの美技によって読みやすく組版されたこの書冊集によって――。

 古典の対訳というのは、見開きの左のページと右のページの箇所がピッタリ対応していなくてはならないので、それにそれぞれ脚注までもが加わるとなったら、植字工を動員した活版製版しかなかった当時のその編集~校正作業の各工程の辛苦は、想像しただけでも「霞み目」を覚えるほどです。それを彼らは、暗い照明の下でやってのけています。
 逆に思えば、ジェームズ・ローブ氏の達成感は、いかほどであったろうか。

 ジェームズは、母校ハーバード大に「古典学科」のための基本財産を贈与しており、今日その信託基金はアテネ市の「American School of Classical Studies」になっています。
 1911年には、彼は発掘された陶器のコレクションをハーバード大の Fogg Art Museum に寄贈しています。
 ボストン美術館やアメリカ考古学協会による発掘事業も、彼は支援しました。
 ミュンヘンにある「Staatliche Antikensammlungen」に、彼の所有した古代のブロンズ製品や壺の多くが寄贈されています。

 音楽方面では、彼はニューヨークの「アメリカ音楽学院」に1911年に多額の寄付をしました。この学校は、後に「ジュリアード音楽学院(The Juilliard School)」と改名しました。
 これは米国における、寄付金で創立された最初の音楽学校であり、それゆえに、授業料が普通の学校に比べて高くもなく、金満家の子女でなくとも才能があれば入学できるのです。

 1900年代初め、ニューヨーク・フィルハーモニック・ソサエティは財政危機に陥ったのですが、ジェームズは、私財によってそれを救済しています。
 またハーバード大の音楽科には、コンサート・ホールを寄付しました。「Paine Hall」です。

 初期のLCLには、ジェームズ・ローブ本人による、創刊のことばが、巻頭に掲げられていました。
 いわく。――おそらく中世いらい、人間そのものへの関心が最も軽視されているのが、現代であろう。実用と物質に、かつてなく、人々の精神はとらわれてしまっている。しかし、過去より伝えられてきた人類の偉大な遺産を保護し、そこから一層のよろこびをとりだそうとする努力を、われわれ現代人がぜんぜんしようとしないことに、どんな言い訳も許されはすまい。人生にはもっとすぐれた何かがあるはずだと捜し求めるすべての人々のために、古典という過去からの至宝は、それらの人々がすぐ手のとどくところに置かれていなければならないのである――。

 1905年までに、ジェームズは、ミュンヘン市の住民になりました。
 ハーバードの男子同窓生たちの記憶によれば、ジェームズはじぶんのことを、最大の関心事たる芸術、文学、音楽にいつもかまけているために時間が無い、「愚図の大忙し(an idler who keeps busy)」だと、称していたとのことです。

 日露戦争後の1907年、死んだ恩師である Charles Eliot Norton の名をとどめるために、彼は、The Charles Eliot Norton Memorial Lectureship を設けてやっています。

 ミュンヘン時代の彼は、考古学の名著と信じた Couat 著の『Alexandrian Poetry under the First Three Ptolemies』や、Decharme 著の『Euripides and the Spirit of His Dramas』を英訳刊行させたり、彼の蒐集品である古代のブロンズ製品や陶器類のカタログも刊行しています。

 鬱病という病気がよく理解されていなかった当時、ジェームズは、精神病学研究治療施設のためには、財政支援を惜しみませんでした。
 1900年代の前半に、彼はウィーンで、ジグムント・フロイトに会っています。フロイトはジェームズを、ミュンヘンにいたエミル・クレペリンに紹介しました。
 これが縁で、ジェームズはミュンヘン市内に、精神科学の総合研究所(Deutsche Forschungsanstalt fur Psychiatrie)を建てたのです。初期建設費として100万マルクを醵出。その後も終生、寄付をし続け、死亡時にはさらに100万ドルを、同研究所のために遺贈しました。

 他には、最後に自宅のあった Murnau 市に、ベッド60床の病院を建ててやっていますし、ニューヨーク州 White Plains には、「Solomon and Betty Loeb Home for Convalescents」という、両親の名をつけたリハビリ施設も創立しました。

 アメリカは1917年に第一次大戦に参戦し、ドイツとアメリカは公式に戦争状態に入ります。ジェームズ・ローブはこの1917年に、また鬱病におちいってしまいました。回復したのは、戦間期の1921年です。
 その恢復の年、彼は、長年看護をしてくれていた寡婦 Marie Antonie Hambueschen(息子2人あり)と結婚しました。
 同年、ジェームズはドイツに永住するつもりで Oberammergau の近くの Murnau 市の Hochried という田舎所領に新居をつくりました。
 ジェームズはそこで(英文ウィキペディアによればミュンヘンで)、1933-5-27に永眠します。ちょうど4ヶ月前には、彼の妻もこの世を去っていました。

 『ニューヨークタイムズ』紙は社説で、〈ジェームズ・ローブは人文主義の再興者であり、学問の復興者であり、ルネサンスの伝統を彼流に継続した〉と追悼しました。
 彼の外貌について、ひとりの姪に言わすと、「ギリシャの神のようにハンサム」だったそうで、それは写真で確かめることができます。

 LCLは、ハーバード大学出版部から今も刊行されています。

 PHP研究所から近刊の『フロンティヌス戦術書』は、LCLの174巻目の、前半に収められているものを兵頭二十八が和訳しました。すでに予約ができる状態です。

●「読書余論」 2013年11月25日配信号 の 内容予告

▼史學会ed.『明治維新史研究』S4-11冨山房pub.
 厖大な内容なので、今回はその摘録パート1。
 建武中興の背景は、モンゴルなのだ。元寇の恐怖が、日本人を団結させた。その団結の中心は幕府などではもうダメで、皇室でなくてはならなかったのだ。
 佐藤信淵は、開国説だが、排露でもあった。文化9年の意見。ロシアがまだ日本に大害を加えないのは、単にオホーツクが極寒荒漠で食料を得がたく、大兵を集中する能はざるがためのみ。貿易なんかしたらその食料を与えてやることになり、後日の大患を招くだろう、と。

▼『偕行社記事 No.137』M27-7
▼『偕行社記事 No.130』M27-4
▼『偕行社記事 No.196』M31-6
 馬に対する新小銃の実射試験。なかなか当たらない。

▼小俣虎雄『ヤマユリ――球根の増殖と花の楽しみ方、自生地復元』2007-6 農文協pub.
 ユリ根を食べる国民はシナ、韓国、日本だけ。成分のほとんどはデンプン。
 動物では、イノシシと野鼠が好む。サルは球根に目もくれず。
 富士山だと標高1600mまで山ゆりの自生あり。
 ねずみは、モグラ穴から侵入してくる。しかしモグラを殺すとヨトウムシが増える。だからイタチやヘビでネズミを調整する。

▼井上まゆ美『小さな球根で楽しむ ナチュラルガーデニング』2011-10 家の光協会pub. 南アフリカ原産のものは、霜に当たるともうダメ。半耐寒性。

▼原田 親ed.『NHK趣味の園芸 ガーデニング21 簡単・毎年咲く! 小さな球根を植えよう』2003-11
 ちいさな球根とは「スモール・バルブ」の直訳。
 カマッシア・クアマッシュの球根は有毒なのだが、アメリカ先住民は、球根を水に晒して、煮ることによって、食べていた。

▼大山澄太『杉本五郎中佐の尊王と禅』S15-2
▼吉村貞司『近代文学と知性の歴史』S15-2
▼野依秀一『米本土空襲』S18-9
▼福島政雄『四聖の教育的感化』S15-8
 ソクラテス、プラトンの話。

▼雑誌『帝国在郷軍人』大13-7月号
 この雑誌の大13-1月号に、ユダヤの世界陰謀説が載っている。

▼大森金五郎『武家時代の研究 第一巻』S2-1改訂
▼内藤初穂ed.『平賀譲遺稿集』S60
▼ゼークト『モルトケ』S17
 モルトケは外国をよく知っていた。鉄道にも精通していた。しかし、隊附の経験は無い。それでもうまくいった。

▼リデル・ハート著、小城正tr.『ロンメル戦記』1971読売新聞社
▼A.J.Ryder著、高橋道敏tr.『ドイツ政治・外交史 Ⅰ』S55
 ブレスト・リトヴスク補足条約でバクー石油の25%はドイツに売るという約束だったのに、ソ連政府はぜんぜん守らなかった。

▼佐藤堅司『ナポレオンの政戦両戦略研究』S19
 著者のいう政略とは、外交のことらしい。昭和2年の伊藤政之助のナポレオン本よりも中身は薄い。

▼豊田郷『天才戦略家 クラウゼヴィッツの生涯』S57
▼信夫淳平『外政監督と外交機関』日本評論社、大15
 「即ち官僚外交とは、(一)官府即ち国家、吏員即ち国民と妄想する旧陋思想の輩に依りて行はれ、(二)外交を外務省なる一官府の独占事業と為し、外務省以外の者をば外交門外漢として蔑視し、之と外交を語るを避け、(三)吏閥を作り吏職を壟断し、外に向って事実的に門戸を閉鎖し、(四)極度に且不必要に秘密を株守し、(五)国民の自覚、時代思潮、時代の要求などには頓着なく、外務官庁の一室内にて世界を想像し、十三行罫紙にて其日暮しの事務を机上に取扱ふを以て能事とし、(六)国民の後援が有れば可なり無くも不可なしで、国論の背景を必須的条件とせず、といふ六大悪要素を不幸にして悉く具備して居るものが其れである。」

▼宮武外骨『明治表裏叢書(二) 明治密偵史』大15、文武堂
▼ジェームズ・カルバート(Calvert)著、加納一郎tr.『極点浮上』S36、時事通信社
▼藤田精一『楠氏研究』S8
▼武内義雄『孫子の研究』(全集の7)
▼Friedrich Minecke『(近代史における)国家理性の理念』
▼リッドル・ハート著、神吉[かんき]三郎tr.『近代軍の再建』S19、軍事文化叢書
 Jean Gottlieb de Bloch ブロッホの『戦争の将来』は、塹壕戦を予測していた。

▼下津清太郎『君主制』S43
▼W.M.ジョンストン『ウィーン精神・1』
 1911らグンター・ブルスティンが発明した戦車を、墺参謀部は却下した。

▼防研史料 『大正15年度~昭和元年度 陸軍造兵廠歴史』
 大阪造兵廠で試作された「廻転爆弾」という歩兵用の近接戦闘用爆弾。ロケット式で地面を転がって行く。

 ◆  ◆  ◆
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)

 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。

 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。

 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は500円です。
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