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平成19年度・防衛省オピニオン・リーダー視察
  《三沢(空自基地)2007-10-18&八戸(陸自駐屯地・海自基地)2007-10-19》
三沢基地-八戸基地 編

三沢旧海軍レール
廃線間際の三沢の鉄道
【三沢基地内】
 電鉄の三沢駅の改札に空自の広報班長の准尉が待っていてくださり、JR三沢駅の裏口から空自のマイクロバスで基地へ入った。ここで附言しておく。地方の駐屯地/基地におられる「広報班の准尉」には三自衛隊共通したキャラクターが歴然としてある。それは、若い時の職種とはまったく無関係だ。わたしなどは二士入隊した経験があるので、准尉といえば徒弟の親方で、どうみたって三佐以上の「神様級」ということがよく分かっているから、その人たちが愛想よく広報の接待をしておられることに、心から恐縮するのみである。滑走路に来たら、なぜかF-18が四機いて、それは昼前後に離陸して行った。入間からのC-1は、追い風だったのか、予定より早く駐機していた。
 ここに掲げる2葉は、廃線マニアのために記念撮影(10月18日)した。三沢基地は昭和13年から旧海軍が建設し昭和17年にオープンした基地で、戦前から省線の引きこみ線が敷設されており、これまでずっと利用されてきた。それが、とうとう全部、跡形も無く撤去されることになったと聞いては、どうしても撮影しておかぬわけにはいかないだろう。燃料輸送は、今後はタンクローリーだけでするらしい。自衛隊の敷地には、八戸港から地下パイプラインが通じている。
三沢のF-2スクランブル
【F-2スクランブル】
 三沢は沖縄や岩国と違って、狂犬(海兵隊)が住まないから、住民の基地感情は良い。数ヶ月前に退役空軍人による顔見知りの女殺しが一件あったものの、問題にされていない。しかし内部を一巡すると、小川原湖畔に米軍家族専用のプライベートビーチ(日本人漁民は接近禁止)が設定されておるは、米軍人専用の広々としたゴルフ場はあるは、で、あきれるばかり。ふた昔前の在日米軍人は貧乏人のオーラが出ていたが、今はメタボ家族の満足感に変わっていた。「間借り」の空自はなんとも肩身が狭そうだった。
 象のオリは現役であったが接近はできず。地下壕構造のSOC/DCは見学を許された(当然、撮影禁止)。セクターとは航空方面隊のこと(三沢は北海道上空を統轄)。ディレクションとは「あああせよ、こうせよ」である。北海道の西海上で実機を使って空戦訓練中の「味方」機に対し、地上から口頭の英語でリアルタイムに敵情および指示を送るという訓練をしていた。しかし東洋人の英語発音にうるさいオレに言わせると、こんな不明瞭な発音の英語を使うなら、断然、日本語で指示を飛ばすべきである。すでに隣室には業者が入って、バッヂ→ジャッジの更新設備中であった。
 F-2は、先般のボロ露探機のリレー追尾のため、やはりスクランブルしたそうである(アラートの役はF-4と週替わりになっている)。アラート待機要員のGスーツの裾には黒いフェルト(?)のパッチが当てられている。これは、大急ぎで狭い後傾コクピットに滑り込むため、擦り切れ対策としてパイロットが特注しているらしい。写真は、スクランブルの真似事(離陸せず)。これでも大サービスだろう。
 この前の三沢航空祭では、車輛にモデルガンを積んで入ろうとしたバカな日本人がいて、米軍MPに追い返されたそうである。また、過去に火薬を運んだことのあるトラックで入ろうとした日本人が、やはりゲートで追い返されたという。米軍の飼っている火薬探知犬が、その車両の前から動かなかったという。犬、えらい。
 犬といえば、三沢基地では米軍の歩哨は実弾警備だが、自衛隊は警棒だけ。それを補うため、ある箇所では警備犬を放しているようだ。
ホーク模型
【ホークのカッタウェイ模型】
 陸自の八戸駐屯地にはホーク部隊がある。最新バージョンはフェイズドアレイ・レーダーではないものの、その代わりに強力なビームなので、このパワーに勝てるECMは難しかろうとの話だった。敵機は百数十kmで発見し、40km以内で交戦する。もしSSMに転用すれば、射程のポテンシャルは60kmになるらしい。六ヶ所対空射場ではL-90の実射もやっている。
 そう、なんと、まだL-90が現役で岩手に1個ユニットだけ残っているのだ。全国の廃止部隊から、最も砲身の散乱度が少ないモノをカニバリズムで掻き集めて装備しているので、命中率は驚異的に良いらしい。敵の小型RPVへの対処にホークなんか発射できないので、近接信管をつけたL-90はまだ役に立つはずだというお話であった。(お恥ずかしい話であるが、小生は、日本のL-90は近接信管のついたタマは装備していなかったとばかり思っていた。この話は、かつてL-90部隊の指揮をしていたこともある現役将校から直かに承ったので、嘘ではあるまい。)その岩手のL-90部隊も、来年(平成20年)には、とうとう消える予定である。廃品のL-90は溶断してスクラップにされる。

対地ロケットの子弾
【空対地ロケット弾の子弾】
 ASR、つまり直径70ミリの空対地ロケット弾は、低空のヘリコプターから斜め上に向けて発射した場合のポテンシャルとして、射程が10kmにも達する。しかもその弾種は、1本から9個の子弾がバラけて落ちる、ミニ・クラスターである。子弾はご覧のように立派な銅板張りのホロー・チャージ(対装甲穿孔用途)で、しかも、筒体側面の内壁にはタテヨコに溝が切ってあるから、対人馬用の破片効果も十分だ。エア・ブレーキは、3本足のヒトデのような形態であった。信管はもちろん弾尾にある。このASRを日本の演習場で発射するときは、単射しか許されない。そこで、実戦的なバラージ射撃は、わざわざ米国の射場で実施するのである。

地上ランタン
【ランタン】
 画面左下に、白と赤のランタンが置かれている。これはAH-1が飛行場以外の場所へ夜間に降着するときに、あらかじめ地表で左右にならべておいて、場所を指示してやる器材。
 ヘルメットはズシリと重いもので、空中で機体の行き脚を減速させると慣性で首が前のめりとなり、筋肉がよほど疲労する由。また、双眼鏡形のノクト・スコープは、ほとんど、トイレットペーパーの芯から覘く程度の視野しかない。これでヘリを操縦するのは非常なストレスが伴う由。そりゃそうだろうと同情する。
 バイザーには右目専用のモノクルがある。これを下ろすと、ヘルメットの向いた方向にチン・ターレットの20ミリ・バルカンが指向されるようになる。つまり、前席のガナーがTOWを誘導中に、後部席のパイロットが、20ミリを発砲できるわけ。
 余談だが、雑誌の『TIME』の暴露報道によると、オスプレイはどうしようもない欠陥品らしいね。低空低速でエンストしたときにオート・ローテーティングにならぬ構造のため、乗員全員死亡まちがいなしだと。また、自衛火器として3銃身のキャリバー.50をチン・ターレットに装備し、それをコー・パイのバイザーで指向できるようにし、後部ランプドアの内側には7.62ミリ機関銃を1梃、装備すると書いてあった。


カトケンOH
OH-1尾部 應蘭芳OH
AH−1
OH−1[1] OH−1[2]
【AHとOH】
 AH-1はガナーは機体左側から乗り降りする。しかしOH-1では、パイロットもガナーも機体右側から乗降。ちなみにOH-1では前席が操縦者で、後席が偵察者である(AHと逆)。もちろん、AHと同じく、どちらでも機体を操縦でき、また、操縦免許なしでは、偵察者にもなれない。
 OHはグラス・コクピット化していて、すでに製造の終わっているAHとの計器類の世代格差は歴然としていた。座席まわりの寸法の余裕はOH(偵察・観測ヘリ)の方があり、AH-1は米国人には両足の横が窮屈じゃないかと思ったが、さすがにラダー・ペダル(尾部ローターの推力を変える)までの長さは米人用にできていた。
 航続力はOH-1の方が長く、3.5時間。AHよりも先に現場に進出している必要があるからだ。
 AHの作戦は常に2機単位で、左右に展開し、互いに視認できるギリギリの間隔を保って連携運動する……はずなので、どうしてAH同士の接触事故が、演習空域で起きたりするか、さっぱり分からない。
八戸展示タマ
八戸展示弾薬 真鎗木銃
八戸青龍刀
イタリア小銃 イランのスポーツ銃
トド撃ち銃
トド猟銃 八戸不発弾
【防衛館の展示品の数々】
 八戸は史料の宝庫でもあると直感した。「防衛館」の図書類では、南北戦争(津軽と南部藩のイザコザ。ちなみにディープな津軽方言は南部人には聞いても意味が取れぬという)関係に、貴重なものがありそうだ。地元のマニアが詳細な書目リストをつくってインターネットにUPすべきだと思う。
 実物では、この「トド射ち銃」だろうか。たぶん、端艇の舷側に尾部を押し当てて発射するのだろう。函館の北方海洋博物館にも、これは置いてない。
 旧軍の長木銃の先に真鎗の穂がついているのも激しくレアである。これは在郷軍人が本土決戦用に作ったと思う。
 東北にはB-29の空襲がなかったので、こんな貴重品がたくさん残っているのだ。「防衛館」の入り口に展示してあるB-29の不発弾は、たぶん、地元から掘り出したものではあるまい。


八戸ジオラマ1
八戸ジオラマ2
【防衛館のジオラマ】
 個人的に最高に笑わせて貰ったのが、この大ジオラマだ。なんと米軍と自衛隊が入り乱れ、着上してきたソ連軍を相手に「共闘」している。しかも老眼のせいか、米軍の戦車が、「ガン・ランチャー」(シェリダンやM60A2のアレ)装備の、ターレットにリアクティヴ装甲張りまくりの、摩訶不思議なものに見えた。とにかく、この駐屯地に模型マニアの隊員がいることは分かった。さらに頑張って欲しい。いや、このジオラマの規模を10倍くらいにしたら、きっと名物(呼び物)になるよ。
八戸隊員食堂
【隊員食堂】
 隊員のメシは業務隊がつくる。各駐屯地で伝統があり、美味いところはレシピが受け継がれ、定評が立つ。たとえば八戸の隊員食堂の場合、ラーメン(太緬・縮れ・鰹ダシ)をつくるとなったら、数日前から仕込みを開始するのだという。うらやましいね。試食の機会を得なかったのが残念だ。
150kg対潜爆弾
対潜150キロ爆弾
【海自八戸基地のP-3C関係】
 平成11年3月24日に、能登沖で北鮮の工作船に150キロの対潜爆弾を投下したことがあったが、あれをやったのは、この八戸の海自基地から飛び立ったP-3Cだった。安全を解除する風車がよく分かる。
 爆弾倉は、P-2Jとは違い、機内からアクセスはできない。これは、機内が与圧されている関係である。
 なにしろ高度60mで飛ぶ場合も多い哨戒機だから、双発だと、1発停止のときにリカバーができない。4発なら、エンジン2基が停止しても、海に突っ込まずに済む。PX(次期対潜哨戒機)への期待は大きいようであった。


P-3C洗濯中

【P-3Cの洗濯】
 八戸の滑走路は、東端が海に向かっている。画面の右側の煙は、鋼鈑工場の煙突。左側の煙は、チップから紙パルプを造る工場の煙突。そして駐機場の奥では、帰投したP-3Cが真水で塩分を洗い落としている水煙が見える。これは、機体が洗浄場に進入すれば、自動的に噴水がかかる仕組みである。
 画面のフレーム外、ずっと右手にある八戸港が水深12mあるかどうかは知らないが、過去にイージス艦が寄港したことのある港湾ならば、12mあると思って間違いない。というのは、今の軍艦で水深12mを必要とするのは、バルバスバウがソナーで肥大しているイージス艦ぐらいだからだ。
 P-3Cは、八戸からハワイまで、他のトラフィックを気にすることなく、どこまでもまっすぐにオートパイロットで飛行(燃料が軽くなるに応じて高度はステップアップさせる)し、10時間で到着する。さらにハワイから西海岸までは7時間だ。しかし、ハワイからの帰りはグァムに立ち寄る。偏西風のため、燃費が悪くなるのだ。
 八戸は、冬でもほとんど雪が積もらない。すべて八甲田山で降ってしまうためだ。しかし5月から9月にかけ、八戸には霧が出ることがある。その場合には三沢か厚木にP-3Cを着陸させることになる。比べて、三沢は晴天が多いことでは全国一かもしれない。米軍が手放さないわけである。
管制塔の光の信号機
【管制塔の信号機】
 管制塔内には、無線の送受に不具合があるときに、光学的に万国共通のサインを送る器材が備え付けられている。青または赤の光を、手持ちのライトから発することができる。
P-3Cボムベイ

投下傘
【P-3Cから落とすコンテナ】
 これはP-3Cから救難目的で海面に投下する、大小の物料コンテナだ。減速傘がついていて、中に真水の容器などを入れる。中間の赤白の布切れは、メモを入れて投げ落とす「連絡球」のエアブレーキ兼目印となるもの。


正しいホイスト
【正しいホイスト】
 救難ヘリに吊り上げてもらうには、この「輪っか」に正しく掴まる方法を知らねばならぬ。これは、腰掛けるものではない。
 遭難の現場が基地から370km以内なら、UH-60J(救難ヘリ)がこの方法でピックアップしてくれる。それ以遠だと、US-1などが必要になる。
 回転翼機は、速度等に関係なく、飛行中は、メインローターを毎分258回転に保つ。また回転翼機の最高速度はどうしても350km/hくらいなもので、UH-60Jはそれに近い314km/時を出す。ヘリは燃費が悪く、巡航1時間で、ドラム缶3本のジェット燃料を消費する。航空装備にとり、過去も、これからも、燃費と国際石油市況は、深甚な影響を及ぼすはずだ。原油と違って、精製後の石油製品は、何年分も買いだめして貯蔵しておくわけにもいかない(2年で変質する)。
 救難捜索機のU-125Aが、これからは中途半端な装備となる。というのは、同機の任務はいまや無人機で代行できるからだ。八戸のP-3Cは、函館気象台のために流氷状況を目視でリポートしてきたのだけれども、この任務も、燃料費の高騰のため、だんだん回数が減らされている。やはり、人工衛星と無人機で「代行できない」とは言いがたいミッションだろう。

集合写真

おしまい

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(管理人 より)
防衛庁というお役所も、何もしていないか或いはとんでもなくカタいようでいて、意外と楽しそうな事もしてるんじゃないかと、つくづく思うのである。多分、殆どの人がこんな懇談会があってるなんて知らないんだろうけども。
そんな事はともかく、本当に有難う御座いました。