update 2010/9/28


2010−9−23 男爵資料館/2010−9−24 大湊基地

兵頭二十八先生より
写真 キャプション
じんつうと釜臥山
 護衛艦『じんつう』(DE230)の後藤艦長にご案内いただいた。『じんつう』は、ガスタービンとディーゼルの切り替え式で、両方同時に駆動させることはない。またSSMはハープーンである。新しい艦は国産SSMだけを使用し、ちょっと古い艦は国産SSMとハープーンを混用するという。

護衛艦じんつう
 網状の対空レーダーが時代を感じさせますね。主砲塔と艦橋の間のすきまは、RAMという米独合同開発の「対ミサイル・ミサイル」の調達を予期していたのに、その予算をとりそこなった結果らしい。後部甲板にはCIWSがあって、ヘリは着艦できないが、ワイヤーを緊張しつつホバリングさせて給油してやることはできる。


76mm砲のマズル
 オットーメララの76mm自動砲(無人)は、射撃開始前から海水を砲身外套筒中へ圧送し、このスリットからじゃあじゃあと滝が流れ落ちるようになっている。もちろんクーリングのため。マズルには、発射ガスを後ろへ反射させて反動衝撃を2割ほど緩和する機構があり、またエバキュエータで排煙もする。砲塔内は無人なので、薬室のブロアは不要なのだそうです。金属薬莢が砲身下から激しく蹴り出されると、甲板上のペンキがガリッと削られる。それをあとからリタッチするから、砲塔周りの床の塗装には微妙な色ムラがある。

すおう
 多用途支援艦の『すおう』。大湊基地にはFTGといって、ローテーションでドック入り中の軍艦の、艦長から水兵までに対して、プロ中のプロたる叩き上げ将校〜下士官たちが、マンツーマンで基本動作を再教育するという部隊のひとつが所在する。陸奥湾内で、たいていの訓練ができてしまうそうで、冬はたいへんだけれども、めぐまれた環境だと思った。

除籍ミサイル艇
 ちょっと遠いんですが、余市にあった『ミサイル艇3号』が見えるでしょうか? すでに除籍されていて、これから解体されるんだそうです。ちなみに余市のフネは、冬になると全艦、この大湊へ「避泊」すると聞いたことがあります。あと、海幕は、どうしてすべての軍艦にバウスラスターをつけないのか、納税者に説明して欲しい。はるかに教育も人事も合理化されるはずじゃないか。


管制塔から
 大湊のヘリ滑走路は、海自でも最大の広さ。ところがその管制塔にはエレベーターがない。111段をいちいち昇り降りする職場なんて想像できやすかい? いちおう外壁には避難梯子あり。滑走路は、3センチ雪がつもったらただちに除雪。さもないと除雪車がスタックする。釜臥山の山頂では、現用レーダーの隣に、新しいガメラ・レーダーが据付け工事のまっさいちゅう。

チャフとフレア
 これはSH-60の対潜バージョンの機体左側についている、チャフ・ディスペンサーとフレア・ディスペンサーである。丸いのはボイスレコーダー。フレアは30連発で機体右側にもある。チャフ装置は機体右側にはない。

HFアンテナと折畳み尾部
 海自では短波(HF)の使用頻度がかなり多いようで、この棒も短波用とのこと。最新のSHのエンジンは前方エアインテイクに金網はない。吸い込んだ空気をまず激しく旋転させ、遠心力でゴミなどをはじき飛ばしてから、空気のみをタービン・エンジンのコンプレッサへ送り込むようになっている。最近流行りの掃除機って、この仕組みを家電品に転用しただけ? そして排気は、有害なタービュランスを殺して整流してから後方に吐き出す。



富士通製の赤外線探知装置
 たとえばこれで擬装漁船をみつけて、そこへヘルファイアを撃ち込む……のかどうかは分かりません。救難用のUH-60が7時間滞空できるのに比して、SH-60の滞空時間は3時間数十分。その代わり、ホバリング状態で護衛艦から給油ホースをホイストで吊り上げ、機内の給油口に結合し、艦側から航空燃料を圧送してもらうことができる。この方法によれば、滞空時間は無制限。ディッピングソナーは500mまで5分で下ろせるそうです。


ESMとミサイル警戒装置
 ESMは電波輻射をパッシヴに受信して怪しい船の存在を探知しようとするものです。大小のアンテナがあるのは、波長の長短と対応するらしい。小さいガラス窓は、艦対空ミサイルの赤外線に反応して、パイロットに回避動作を促すセンサーでしょう。白い円筒状のものは、データリンク用のアンテナです。

留式機銃残骸
 昔の水交社の建物が「北洋館」になっており、その中に、戦後に出土した留式機銃が2艇、展示してあった。外側のジャケットが錆びて失なわれているために、内部のアルミ製の空冷フィンがよく分かる。

ルイスMG復元
 ルイスの7.7ミリを日本海軍が無断でコピーしたのが92式だ。芦崎の周辺は常に浚渫していないと軍港への出入り口に泥が堆積してしまうそうで、そうした作業中にでも掘り出されたのかもしれない。ちなみに水深の関係で、大湊には空母は接岸できない。沖に碇を打つしかない。

空挺用スキー
 手前は、旧海軍の落下傘部隊が、寒冷地作戦用の装備として開発した、折畳みスキーだそうです。しかも軽合金のようだ。

海軍煉炭
 枕ぐらいサイズのある巨大煉炭です。そこで思ったのだが、コメ袋と同じサイズで煉炭をつくれば、精米輸送トラックで家庭まで配給できるんじゃないか? つまり流通インフラを別設計としなくても、米穀用の小改良で済むんじゃないか?


朝陽の散弾
 明治2年の箱館湾海戦で唯一、「轟沈」という目に逢ってしまった官軍の『朝陽』をサルベージしたら、こんな散弾が外板にめりこんでいたそうです。大阪湾でも宮古湾でも、とにかく艦砲の対艦決着率は悪かった。そんななか、『回天』は真後ろからの一弾で水線下の偏芯輪(エクセントリク)を壊された。『朝陽』も、あるいは真後ろからの『蟠龍』の砲弾が後部甲板ハッチ内に飛び込み、中央煙路で跳ね返って、船体後部の集積弾薬に点火させたのであったかもしれません。ちなみに当時の大湊は一漁村にすぎず、官軍艦隊の基地としては三厩と青森が多用されています。

ベルト駆動力の取り出し装置付き
 こちらは大湊の前日に立ち寄った、渡島当別の男爵資料館にあるクレトラック装軌式トラクターです。やっとシリアルを解明できました。Cletrac は Cleveland Tractor Company の略です。同社特許のディファレンシャルのおかげで、誰でも重いトラクターを自在に取り回すことができるようになりました。
エンジンシリアル30141
 WEIDELY MOTORS COMPANY 製で、SERIAL 30141 と読めます。MODEL M というのは多分エンジンの形式であって、車両の形式ではないですね。英文ネット検索情報によれば、ENGINE SERIALが30001〜43068のものは、1917年から1919年の間に製造されたクレトラック「H」型だそうです。こりゃ間違いなく現存する日本最古の装軌車ですよ。


当時の履帯技術
 これってルノーFT戦車と同じ頃の履帯なのですよ。眼福、眼福……。

クレトラックの下部
 実物保存というのは貴重ですなぁ。

車体シリアル1015?
 中央部のエンボス刻印は近寄っても判読ができないんですが、左側のは「1015」(上下逆)です。英文ネットによると TRACTOR SERIAL NO. が1001〜13755のものは、「H」型です。

ザ・クリーブランド
 The Cleveland とエンジンカバー上にエンボスされています。直列4気筒。始動だけがガソリンで、そのあとは灯油だったでしょうか。

車体後部から
なお、男爵資料館は、冬季は閉館ですので、ご注意ください。JR渡島当別駅からすぐです。まったく余談ですが、函館と東室蘭の間の国鉄は電化されなかったために、今でも札幌〜函館の特急はディーゼルなんだぜ! 早く新幹線をつなげてくれ。


(管理人 より)
巷ではコントのような対中外交が展開されています。
それはそれで、男爵資料館───そして、大湊基地。
[兵頭二十八の放送形式]は、なぜか兵頭先生から投稿がうまくいかず無期限停止状態ですが、
コンテンツのupはありますよ。時々。有難い。

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