interview with ─── vol.6


(管理人より)

絶対再開はなかろうと信じられた驚異のコンテンツ[interview with ───]。クリスマス・イブに復活である。
私は全然ビックではないのだが、そこはそれ。イルミネーション煌くイブの0時台にupしている私の心情をお汲み取りくださりスルーしていただきたい。
尚、私は今日も明日も仕事である。
毎度の事になるが、大阪在住の管理人と函館に居を構える兵頭先生が、一体どこでこんな事話しあったのか、絶対に詮索してはならない。
それでは皆様、メリークリスマス!

年末 ビックぅー[※大阪ふう発音]対談 

2007年を振り返って

(2007年度 X’mas特別企画)

兵=兵頭先生
管=管理人


管理人
 ことしも押し詰まってまいりました。

兵頭
 日本では正月の比重が下がってクリスマスの比重が上がっていますね。がんらい日本の正月は、大人が楽をする「休養日」でしたが、それだとバラバラの家族がますますバラバラになって行くだけ……。かたや、クリスマスは、大人が積極的に参加して盛り上げるイベントなので、バラバラ家族を結束させる高揚感があるんでしょうなあ。

管理人
 景気はどうですか。

兵頭
 1年中、貯金残高が百数十万円を切らぬようにするのが、来年の目標です。

管理人
 おおっ、なんという進歩、すばらしい! 相変わらず、新聞購読はナシですか。

兵頭
 ないです。しかも、わたしだけ、ひきこもりに近い生活です。

管:テレビはあるのでしょうか。

兵:ありますが、子供向け番組か、子供用ビデオを見るのに使うので、わたしはまず視る時間はないですね。ウチは食事中はテレビは消していますし。

管:インターネットは一日に、どのくらいご覧になるのでしょうか。

兵:朝起きて40分、寝る前に30分。これだけの時間が、メール対応と、ニュースを把握するのと、定期巡回ブログをながめるだけで、だいたい消費されてしまいますね。あとは調べ物がある都度、使います。

管:定期巡回ブログを教えていただけないでしょうか?

兵:列挙は差し障りがあるのでやめときましょう。「支持していないが読む」というのもあり、「いまが旬のようだからいまだけ読んでいる」というのもあり、「打率1割の信憑性だが目覚ましになる」というのもありです。メニューも逐次に変わっております。

管:「2ちゃんねる」は見ないんですか。

兵:いや、見ます。「ニュース速報+」の順番の上位に来ているスレッドのタイトルは、必ず毎朝チェックしています。というのは、この上位の話題を見れば、公務員たちが目下、何の世論工作に熱心なのか、なんとなく見当がつきますからね。もちろん、いま庶民がいちばん影響を受けてしまっているテレビのワイドショーのテーマもおのずから知れますでしょう。

管:「2ちゃんねる」の「工作員」の多くは公務員だとお思いですか?

兵:間違いないでしょう。やっている公務以上に所得や福利厚生を得ている「うしろぐらい」公務員が大半ではないかという印象を時に受けます。もちろん組合の指図ですよ。

管:劇画はいつ出るんでしょうか?

兵:それは版元であるSUN出版にお尋ねください。ひとつは2005年末にシナリオを渡して、ようやく今年の夏に絵が上がって来たものの、その後は、どう進行しているのかわたしは承知していない『2007年 日中開戦!』です。いくらなんでもこの年末には本になっているだろうと思っていたのですがね。いったい、何をやっているのか……。

管:2007年はもう終わっちゃいますよね。

兵:そうです。わたしは最初に原作執筆を打診されたときに申し上げたんです。「あの『嫌韓流』の第一巻のように、ヘタでも良いから速く描ける作画家さんをお願いしますよ」と。ところが編集部の人は、どうやって見つけてくるのか、よりによっていちばん仕事の遅い人を選んでしまったようです。近未来フィクションを2年も放置されたら、原作者はたまりませんよ。2006年中なら「おっ、この予測はすごいな」とハイブラウな読者に驚いてもらえたディテールも、2008年に世に出されたら、お笑い草でしょ? わたしはこの原作に関しては原稿料を貰ってませんので、言いたいことを言わせてもらいます。

管:タイムリーな出版で某隣国に打撃を与えられなかったのは残念でしたね。

兵:このようなビジネスしか成り立たない、わたしの不徳のいたすところだと考えております。

管:もう一冊は何ですか?

兵:数ヶ月前に大阪のデザイン事務所に脚本をお渡ししているはずだが、まだ作画は仕上がっていないらしい『From Shanghai to Nanking』です。これはヨコ組みにして、冊子はSUN出版から売り出し予定ですが、まあこれもどうなるか知れたもんじゃありませんが、とにかく、フキダシの中を英文に直したものをインターネットで特別無料公開することは決めています。この「資料庫」に入れてもらおうかとも思っていますので、来年までお待ち下さい。

管:そちらの作画作業は速いんですか?

兵:わたしに聞かれても困ります。面識がない相手ですから。まあ、『2007年 日中開戦!』がダメになった分、SUN出版さんにはせめてこちらに注力して欲しいものですね。また3年先に没決定、なんてことにならないように……。

管:並木書房からは『逆説 北朝鮮に学ぶ』が出るそうですが。

兵:来年早々の出版を期待しています。原稿はもう送ってあります。やはり地の文だけ、そして単著、というのは良いですね。狭雑要素が介在しないので、進行が速いし確実ですよ。ストレスがかかりません。わたしは基本的にはもう共著とかイラストの多い本は減らす方針です。新人発掘の場合のみ、共著に取り組みたい。あと、単著では、PHP新書で『孫子』のコンパクトな口語訳を出す予定です。

管:それが出るのは、春ごろでしょうか。

兵:そうでしょうね。1月末までに書いてくれと頼まれております。ご承知と思いますが、日本の軍学者は一生に一度か二度、『孫子』のまるごと解説を書き上げねばなりません。山鹿素行のように、デビュー直後に若書きを一度、そして晩年になって、さんざん弟子に教えてきたことを集大成してもう一度、というパターンが多いのですが、わたしの場合は、純粋に『孫子』だけの解説の仕事は、これが最初で最後になるかもしれません。とすると、他の仕事は全部断ってでも、今はこの仕事一本に集中すべき時なのですが、生活がありますから、そうは言ってられないところが辛いですね。

管:12月に光人社から出た『日本の戦争 Q&A』は野心的な内容でしたね。

兵:ありがとうございます。

管:本土決戦が起こる前に日本政府が屈服してしまう、というのは、敵よりも内乱が怖いからなのですね。

兵:そうです。1945年にアメリカに降伏したのも、嘉永6年にペリー艦隊が江戸湾への生活必需物資の搬入を途絶させただけで幕府が屈した、そのパターンの再現に他なりません。本土決戦しようか……という前に、政府がもたないわけです。もし日本列島を外国海軍が海上封鎖すると、7千万人の住民が飢餓に瀕するだろう。すると、ブリテン島とは様子が違い、外敵よりも内乱が恐かったので、日本政府は継戦を諦める。嘉永6年のときは、倒幕運動の恐怖でしたが、1945年のときは、共産革命=天皇制廃止の恐怖です。

管:日露戦争では日本海海戦が決戦になりましたね。それでロシアが日本列島を封鎖できなくなったから、日本は助かったのですか。

兵:ええ。ロシアは明治38年の日本海海戦で、海軍の人材のほとんどを失った。産油国でしたから、やろうと思えばすぐ主力艦を外注して3年後には「四・四」艦隊くらいは復活できたかもしれません。ところが、熟練した水兵はカネじゃ買えない。3年とか5年では、乗組員は復活しませんので。これが、2〜3年で飛行士を育成してしまえる、航空戦力との違いなのですよ。

管:日米の空母の数は1944年以降はおそろしく差がついてしまいましたね。

兵:アメリカは大きな船渠(ドライドック)の数で戦前から日本を圧倒していたので、日本が2隻しか造れなかった非条約型の『翔鶴』級空母よりさらに高性能な『エセックス』級空母を1943年から1ダース以上も就航させてきました。開戦前からわかっていたことです。だから1942年までに洋上での艦隊決戦が起きて大勝利し、敵の空母乗組員とパイロットが全員溺死でもしない限り、日本海軍には対米戦争の勝機はなかったんです。それでも、そんな最初から勝てるはずがなさそうな戦争を、3年以上も粘ることができた。それはなぜかというと、人は誰でも死ぬのは厭だからでしょうね。相手に死ぬ気で抵抗されれば、どんな強いやつだって、じぶんの損得を考えなくちゃならないんで。

管:特攻はムダだったでしょうか。

兵:量が少なすぎました。大西瀧次郎だけが、そこのところが分かっていました。大西は、2000機の特攻じゃまだ足りないんだ、と8月15日まで叫んでいた。これ、正しいんですよ。米英軍の飛行機乗りは対ドイツ空襲で14万人戦死しています。そのくらい飛行機と乗員とを惜しげもなく投入しないと、当時の大国相手の航空消耗戦にはとても勝てなかったのです。日本軍は、アメリカ相手に飛行機と人命の出し惜しみをし過ぎていたと言えるでしょう。米英軍の方が、空では勇敢でした。

管:空母はランニングコストがものすごくかかるはずですよね。

兵:小銃や大砲は特別な事故がなければ50年くらいも使えますが、飛行機はそうはいきませんね。平時にただ訓練しているだけでも、機体・乗員ともに、常に補充が必要ですし。空母となれば、なおさらでした。

管:フィリピンで1944年から終戦までに、日本軍の地上部隊は、あの戦争中最悪のキル・レシオ(味方一名の戦死に対して敵何名を殺したか)で惨敗していますね。

兵:歩兵同士の戦闘でも、庶民の教育水準が高い国の陸軍は、少ない犠牲で、敵に多数の死傷を強いますね。その逆の例はまずない。持ってた武器とはあまり関係はないようです。ちなみに当時の米軍ではすでに高卒など珍しくなかった。日本軍だと今の新制の高卒に相当する学歴の兵隊は1割いたかどうかでしょう。だから、無筆のシナ軍との間ではキル・レシオが良好だったのに、米軍との間ではキル・レシオが俄然、悪くなったのは、まあ仕方なかった。

管:南洋群島に日本軍がいくら飛行機を並べても、米空母の機動集中力には勝てなかった、というのが戦訓でしょうか。

兵:井上成美と山本五十六は、敵は空母に双発機を搭載できないが、こっちは陸上基地に双発機(中型攻撃機)を並べられるから、歩が良くなるんだ、と空想したのでしょう。空母を建造して維持するよりは、その方が安上がりだったのは確かですが、攻防のイニシアチブは、空母艦隊の方に断然にありました。つまり空母建造競争で勝てない島国は、米国との海戦を勝つことは至難だった。

管:零戦は名機だったでしょうか。

兵:操縦士との組み合わせで、名機となっていました。素人がふりまわすと、およそ斬れないが、武芸者が使うと役に立つ日本刀と、似ていましたね。ベトナム戦争直後の米軍パイロットは、スキルでは無双だったでしょう。もう、関ヶ原直後の武芸者のようなもので、ムダをやらず、ムリもせず、恐怖もなし。零戦も、そうした実戦経験を大陸で積んだ操縦士が編隊の要で居る間のみ、名機たりえた。ちなみにBf109がずばぬけた名機とされるゆえんは、操縦士を消耗品と割り切り、名人が乗らずとも即戦力たり得るように考えぬいた、世界で最も早く成功した一撃離脱専用戦闘機だったためです。しかしそのコンセプトでは、艦上戦闘機としては採用不可能なんですよ。

管:20ミリ機銃は、やっぱりダメでしたか。

兵:そもそも長距離エスコートや長時間CAPをさせる機体なのに、インターセプターのような20ミリ機銃を搭載して、何の役に立ったのか。敵の単座機には弾道が悪くて当たらないし、すぐに弾切れになって、ただ死重を増やしただけでした。

管:真珠湾攻撃を事前に知っていた海軍の幕僚はどのくらいいたんですか。

兵:作戦課長だった富岡定俊と海兵同期の平出英夫は知っていたようですね。

管:山本五十六は「反米」に凝り固まっていたのですか。

兵:たぶんそうでしょう。周知のように米軍は、天皇の命も東条の命も狙っていないけども、近い将来の日本の首相になるかもしれない山本の命は狙って仕留めた。これは軍隊レベルで勝手に決められる話じゃなく、F・D・ローズヴェルトと側近たちの国家最高意思です。きっと次官時代からの通信が盗聴されていて、山本は肚の底から反米だというリポートでも存在したんでしょう。

管:でも宮中は基本的に海軍の味方でしたね。

兵:ソ連が沿海州の飛行場を米軍のB-17用に貸与する事態を、宮中と海軍はいちばん恐れたと思いますね。そうなれば陸軍が対ソ戦をはじめちゃいますから、陸軍統制派による国内革命も同然の戦時体制に切り替わり、天皇制もどうなったかわからない。宮中と海軍は、この対ソ総動員の逆賭し難い福次作用にくらべたらば、アメリカに敗れる方が百倍マシと判断したんだろうと、わたしは思っています。

管:1942年のミッドウェー作戦の情報漏れは問題じゃなかったというお話は、たしか『表現者』の連載の中でも書いておられましたね。

兵:奥宮正武さんが終戦後ずっと言ってきたことなんでね。なんで人々は、そういう証言を素直に読むことができないのか……。日本の空母艦隊は、あのときは、津軽海峡の大湊港から、それも真っ昼間に出撃しているんですよ。わざと米軍のスパイに、こっちは空母4隻だけでミッドウェーへ向かいますよ、他の2隻はアリューシャンで暴れさせてますよ、と念を入れて教えていたんです。なぜかというと、真珠湾のように空母6隻を一海面に集めれば、上空掩護に隙がなくなる。米海軍の正規空母3隻では勝ち目がなくなりますから、敵はそもそも洋上決戦に応じてくれなくなる。だからね、わたしは、ミッドウェーに敵の空母の可働全力3隻がちゃんと出てきてくれたという事実を以て、山本はたしかに名作戦家であったと言いますよ。日本の空母艦隊は、雷撃機で港湾を奇襲するシステム構成に特化していましたから、それを開戦後の不期遭遇戦に投じたら、急降下爆撃機中心の米空母より不利なのは当然でした。だから、あのシステム構成では負けるべくして負けたんですけども、そのハンデがあってもなお、日本側は粘りに粘った。熟練した日本人の集団は、どれほどの難事を克服するかという好見本を残してくれた。日本人の長所が戦史に記録されたのです。そこを指摘する人がいない。

管:しかし、戦時中に日本国内で共産主義革命なんてあり得たんでしょうか。そこがどうもよくわからないんですけども。

兵:武藤章は敗戦後の巣鴨拘置所の獄中回想録で、大正8年前後に「労働中尉」になりかかったと告白していますよ。労働中尉というのは「マルクス中尉」という意味です。戦間期の日本のお金持ちには失業者に対する同情が薄かった。「なんだよ、自由主義の政党政治ってのは、デフレ政策で金利所得階層の生活水準だけを守ることなのかよ」と、若いインテリは反発したんです。陸軍統制派が昭和13年までに法制上で実現した「統制経済」っていいますのは、当時の非ソ連の大国・強国の中で、いちばんソ連経済に近いものだった。私企業の経営者から、借金や設備投資や配当の決裁権を奪ってしまったのですからね。別宮氏のサイトに詳しいと思うけど、ヒトラーだってそんなことはしちゃいない。日本では、天下り役人が、統制組織をつくって、その中の合議で、何もかも決めた。この仕組みはもう資本主義ではいささかもなかったんです。昭和13年までに一種の革命が進んでいたのです。当人たちは、まさにソ連をモデルにして、口では言わないが、共産主義のつもりでいたんです。天皇なんか、どうでもよかった。だが、やっていることが少しもソ連式になってなかったのが滑稽ですよ。天下り役人だけを天国にする、日本式の社会主義経済でした。いずれにしても、もうすでに戦前から、天皇制廃止まであと一歩だった。陸軍エリートの気分は、ロシアの革命家とどこも違わなかった。宮中の危機感が、分かりますか? ロシア革命通の米内光政を宮中が頼った理由が、分かりますか?

管:ソ連とはどの辺が大きく違っていたんでしょうか。

兵:ノルマの数字が天下り役人の方から出ていたことです。ソ連は政府中央からの示達ですよね。だから日本では、誰もサボタージュ罪で銃殺はされない。つまり天下り役人だけがお手盛りの満足を得て、経営者はヤル気がなくなり、国家の戦争ポテンシャルは低くなる一方の「総動員」経済だったわけです。既存の生産ラインをフル稼働させても、生産は十倍には増やせません。そういう急激な戦時増産には、迂遠なようでも設備投資が必要で、急激な設備投資には何よりも経営者のモチベーションが必要なのにもかかわらず、日本の統制経済は、経営者から前向きなモチベーションを一切、剥ぎ取ってしまうのです。凡庸な役人よりも頭を使って機敏にうまくやる経営者の存在を、許そうとはしなかった。レッドテープ(規則)とお役所稟議とで縛ってね。ソ連の国営工場では、量でも質でも、上からの命令を守れぬマネジャーは前線送りか銃殺でしょ。日本ではそんな処刑は一例もありせん。増産量だけでなく、戦時増産兵器の質の劣化も、ひどすぎた。天下り役人同士の談合で回転する経済では、経営者が製品の質についての責任を、事実上、問われなくなるせいでしょう。

管:自衛隊の武器もあまり改良されませんね。

兵:64式小銃の可倒式照門が鉄帽の庇に当たって半分傾いてしまうのは、どう考えても不都合だろうと、わたしが週刊誌に書いてもらったのはもう25年以上前です。これはついになんの対策もされずに終わったというのは事実ですね。いつの世でも、国防を邪魔する敵は常に国内にあると思って、間違いありません。昭和10年代、海軍部内でも誰もが航空戦の時代になったと認めていたのに、なぜ低速戦艦『大和』と『武蔵』をあらたに造らせ、稀少な船渠をそのために何年も塞がせたか。これは大艦巨砲思想が信じられていたからではなくて、官民を縦断した既存の「戦艦利権」を切れなかっただけでしょうね。

管:お忙しいところ、ありがとうございました。

兵:よいお歳をお迎えください。


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