interview with ─── vol.2
E先生の手紙
兵=兵頭先生
管=管理人
(4時間目)
兵:情けないのですがね。次の官製はがきを見てください。消印は、藤沢/7/95.4.17,12−18とあり、慶應の藤沢キャンパスから投函されたのかもしれませんな。そして宛先は、小石川の木造アパートだ。ここはなんと石川啄木が死んだ場所のすぐ近くですよ。いま私は函館にいますから、何か因縁を感じますよ。で、本文。
拝復、此度はお便りを添えて「日本の陸軍歩兵兵器」お贈りいただき洵に有難うございました。“兵頭二十八”というペン・ネームもなかなか風格があり学兄にピッタリだと感心しています。お元気で御精進の趣きなによりと存じます。修論の線に沿った三冊目を特に期待しています。くれぐれも御自愛下さい。
四月十六日敬具
管:こ、こんな葉書があるのですか。これではもう、ペンネームは変えられないですわね。
兵:一生変えられません。ちょっと幇間みたいなんですけどね。もう仕方ない。「修論の線に沿った三冊目」が何のことかは、分りますね?
管:分ります!(「武道通信」で御買いなさい。ファンならば!)
兵:それで次の封書。なんと内張りが金箔ですよ。消印は、鎌倉/7/11.20/12−18とある。裏側にペンで「十一月十九日」。小石川のアパート宛です。本文。
拝復、お便りと御新著「日本の防衛力再考」洵に有難うございました。早速拾い読みしたところ大変鋭い御論考で、御勉強の実が上っていることが感得され、嬉しく思いました。年内は無理かと思いますが、明年になったら私が主宰している研究会で御発表いただけないだろうかと考えています。その節は事務局から御連絡させますのでよろしく願上げます。
時節柄くれ/\゛も御自愛の上御研鑽下さい。 草々頓首
十一月十九日
兵頭二十八様 ○ 藤○
管:久々に暖かいお手紙ですね。
兵:劇画とはぜんぜん反応が違ってますでしょう。
管:「研究会」って何ですか?
兵:半蔵門に近いPHPビルの某階で月に1回開かれていた、クローズドな、秘密の会合なのですよ。晩メシ付きで、しかも帰りがタク券使い放題だったので、貧窮のドン底にいた私は感激しました。誰がメンバーだったかは言わない方が善いのでしょう。ただ、私が初めて福田和也さんに面謁したのは、この会です。E先生が、引き合わせて下すったのです。
管:あれっ、それなのに、この賀状になると、はまた寂しい……。
兵:平成8年元旦のものですね。小石川のアパート宛。裏側にペンで本文。
御健硯を祈ります
管:ご多用なのですね。きっと。
兵:この葉書は冷たくはありません。平成8年から私がまず『SAPIO』、ついで『諸君!』にも書かせてもらえるようになったのは、もちろん、E先生の裏からのさしがねですよ。これらの編集者がまったく自主的に『日本の防衛力再考』を購読したはずがないですからね。きっとこれ以降の私については、管理人さんがむしろ詳しいのではないですか?
そしてこの賀状は、私がE先生から貰った、最後から2通目の書簡ということになるのです。
管:すると、これが、最後の手紙ですか。
兵:封書であります。消印は、鎌倉/10/5.5/8−12とある。裏側にペンで「五月四日」。受け取りが6日であったと、兵頭が備忘記入しております。本文。
拝啓、鎌倉はつつじの季節になりました。御健勝の趣きは昨五月三日付「東京新聞」の紙面で確認し、益々御健硯の御様子にて大変心強く思っております。
「新潮」六月号本日落掌、早速拙著「南洲残影」の御書評を拝読、少からず嬉しう存じました。褒めていただいたのも勿論嬉しいのですが、さすがに細部まで一々お調べになった跡が歴然としており、テニソンと外山正一のくだりでは比較文学的手法まで援用されていて、さてこそ東工大のわが研究室の学風を継ぐ書き手と舌を巻いた次第です。
桐野については御指摘の通りで、最後になって漸くその正体がわかりかけて来ました。学兄が他日桐野と篠原をお描きになるのを愉しみにしています。
右、とり急ぎ御礼迄に認めました。時節柄くれ/\゛も御自愛下さい。貴文は必ずや文芸評論家諸君にも衝撃を与えたに違いありません。
草々頓首
平成十年五月初旬
江藤 淳
兵頭二十八様
硯北
管:本当にありがとうございました。
おしまい