update 2005/4/29
写真
(写真をクリックして下さい)キャプション 観測所 観-1
無人の観測施設は88年頃、旧建設省が直径1.45m、長さ27mの杭24本を打って完成したものという。しかし写真で数えてみると杭の数が足りない。嵐で崩壊したのだろうか。
観-2
各杭の頭にジャッキ装置がある。これで構造物全体を持ち上げたわけだ。高床になっているのは、台風時の最大波高以上とする措置で、一説に13m、もしくは17mのクリアランスがあるという。ただし天然の防波堤であるこのリーフ内に5m以上の波が立つことがあるとは兵頭にはとても信じられなかった。ベテラン船員さんいわく、3mの波が立つこともまず無いと。
観-3
左側の施設はまだ堅牢だが、右側の施設は倒壊寸前とも聞いた。どちらも危険ということで、昇ることができなかった。新しめな通信装置は、気象データを衛星経由で送っているもの。
観-4
飯場の寝泊り小屋のような施設だが、どちらの棟も、過去に人の居住に供したことは一度もないそうである(つまり船中泊のみ)。こちらの棟は、直射日光が窓に当たらぬように、庇が張り出している。窓のどれかが過去の強風で割れたという話も聞いたのだが、確認できなかった。
観-5
床裏。錆び汁が四方に伸びているのは、優勢な風向きを示すのだろう。
観-6
白い側板に注目。風に叩かれ、裏の縦横の骨材が浮き出ている。
観-7
こちらの側板は凹んでいない。
観-8
杭に近寄る。
観-9
これらの捨て杭が何だったのかは不明。切断面から、コンクリート充填円管柱であったことだけは分かった。
観-10
このあたりの水深はごく浅い。2mくらいか。
観-11
梯子はしっかりとしていた。
リーフ-1
リーフの南西には旧海軍が端艇の入り口として設けた切り欠きが一箇所だけある。観測施設の対角線の延長にそれはある。写真はその手前の礁内海面だが、兵頭にはどうもここが過去に露岩のあった場所ではないかと思えてならない。自然の猛威で横倒しとなり、その上に珊瑚が密生しているのではないか。なお、満潮時に白波の立っていないリーフの上なら、ボートで乗り越すことは可能であるという。
リーフ-2
礁湖の中央よりやや西寄りの海面から観測施設を望む。この付近がいちばん水深が大で、満潮時で5.5mくらいある。US-1A(改)用の水上飛行場を設定するならば、ここだと思った。ちなみに建設省の役人は過去に少なくとも二度、US-1Aで沖の鳥島を訪れている。着水場所はリーフ北西の外縁で、そこから『航洋丸』の端艇でリーフ内に入ったという。
リーフ-3
同じ海面から西側を見ると、2km弱先にあるはずのリーフは目視できぬくらいの広さがあった。このあたりが最も珊瑚相が豊かであるというのだが、わたしには沖ノ鳥島の珊瑚は貧弱に見え、自然保護の特別な価値は低いとの心象を受けた。向こうの小舟は某民放のクルー。
こんなん釣れましたけど
本船および端艇から船員さんたちがトローリングや投げ釣りをした戦果がコレ。ただし礁湖内ではなく、すべてリーフの外側である。なお前夜に刺し身パーティがあり、めぼしい獲物はそこで消費されてしまっている。釣りは少なくとも「入れ食い」でないことだけはよく分かった。それが傍証として、沖ノ鳥島には海鳥の姿は極く稀である。
サンゴの破片
北小島のサンゴの破片にKYとボールペンで書いたのは私です。
提供:雑誌記者様
管理人 より:先生は遂に日本最南端の島へ上陸された。この兵頭記事は『新潮45』へ掲載される。無論、必見である。
余談だが私にも、先生と北九州で拝謁を賜る好機があったのだが、何せ「”月月火水木金金 ”とかいう歌のタイトルは、意外とノンフィクションだったんだなぁ」と最近思う事も時折ある───まぁ、結構楽しかったりするんだが───普通の会社員なもので、全く時間的に不可能だった。涙で前が見えない。無念である。
しかし兵頭先生の記事は楽しみであるし、何より、有難う御座いました!
このページを(えらく他力本願だが)皆様にも楽しんで頂けたら、私は嬉しい。