没シナリオ大全集 part 2.5
自分で解説:あるとき、かの有名な、現在は浜松あたりでくすぶっているが、私にとっては偉大な先輩である、ながい・みちのり氏と電話で馬鹿噺をしていて、俺が「ダイハードの日本版は書けないのだろうか」と言ったところ、ながい氏応えていわく「デパートを舞台にしたら面白そうだ」。というわけで、そのアイディアをそっくり頂いて、書いてしまったもの。どこかに売り込んでハナにもかけられなかったので、修正を期してその後何年かHDに眠らせていたら、その間にすっかり世の中に「携帯電話」が普及してしまい、この話の主人公のようなシチュエーションはあり得なくなってしまった。古いタイプの「電話」が使えなくなったということで、プロの脚本家の方々は、一様に苦労なさったようだ。「みなさん、これは80年代末のバブル当時の話ですよ」とさいしょにフラないと、通じない作品。まあ永久に没だが、いまでも、「少なくとも城の天守閣を舞台にする発想よりマシじゃ」と慰めている。
デパートガール
(初作時期・不明)
○九階建の都内の某デパート・火曜日午前
地上から見上げたデパートビル全景。
現在が1992年、つまりバブルの真っ最中であることがよく分るような、セールの垂れ幕広告。[※この時期まだ携帯電話が普及していない。重要な枷です。]
店内BGMとさまざまな店内放送が聞こえる。
○建物六階内部
六階を示すエレベーター前に『明日の水曜日はお休みさせていただきます ××デパート』との貼紙。
その前を、ダンボールを載せて横切る台車。
声「後ろ失礼いたします」
『加藤敦子』という名札のアップ。
本篇主人公、DIY売場の中堅OLで副主任の加藤敦子(26)が、台車に段ボール入の商品を積んでゴロゴロと押してくる。
DIY売場の正面に新人の男子店員の山下(22)が突っ立っている。
敦子「(通りしなに小声で)山下くん、門番みたいに正面に立ったらだめでしょう」
山下「(きまりわるく)あ、すいません、副主任。お手伝いいたしますか」
敦子「いいわよ(と通りすぎる)」
山下「(怪訝そうに小声で独白)…今日はやさしいな」
敦子の押す台車が隣りのスポーツ用品売場の前に来たところで、急に敦子の目の前にホッケースティックが突き出される。
ギョッとして足をとめる敦子。
ニヤニヤしているのは親しい後輩の藤井幸子(23)。
幸子「(段ボールをあごで指し)配送間違えられたんでしょう。どうしようもない業者に変えられちゃってどの売場も迷惑ですよね〜、ホントに」
敦子「(手にとり)これなに? アイスホッケーまで売るって?」
幸子「(手でNoサインを出し)休み明けのディスプレイ用! でも加藤先輩、昔やってたんですって?」
敦子「ヤダ、小学生の頃だけよ。苫小牧だからね〜(と再び台車を押し、売場の後ろにある事務所へ)」
幸子「(後ろから)いいな〜。私この売場なのに何のスポーツもダメ…」
○売場の事務所
殺風景な事務机が数個並び、三方の壁に在庫が積まれている。
壁には印だらけのカレンダーと汚いスケジュールボード。
机の上は伝票だらけ。
ただ、その机の上に、非常に品がよく、しかも高価そうな、アンティークのスタンドがポツンとあって、それがひどく不釣り合いな感じである。
電話が鳴り、電話機の『外線』のランプが点滅している。
敦子「…?(受話器をとる)はい、DIY売場でございます」
声「敦子かい? 私。」
敦子「(驚き)お母さん……(すぐに落ちつき払い)何? 急用?」
敦子の母の声「急用じゃないよう。いつ留守番電話に吹き込んだって、ちっとも返事をよこしゃしない」
敦子「それは…わたしも悪かったけど、デパートひけてマンションに帰るともうクタクタなのよ」
○苫小牧の敦子の実家
居間の窓からはローカルな風景。
敦子の母「(敦子の話を途中で遮るように)お前もいつまでも金物屋のマネじゃあるまいに。お父さんが死んじゃってから、広い家に一人でいるのが怖くてねえ。真っ暗な夜になにか物音がするたびにゾッとして眠れないんだよう」
○事務室
敦子「…で、病気だとか、大事な用はないのね?」
敦子の母の声「今度のお盆には、今度こそはお見合をしてもらうよ。これはお父さんの遺言だから、絶対にしてもらうよ、敦子。いい?」
敦子「わかった。…わかったから。約束する。うん。じゃ(切る)」
敦子、思わず溜息をつくと、
館内放送「お客様のお呼び出しを申し上げます。浅草のノダキザエモン様、浅草のノダキザエモン様、恐れ入りますが七階までお越しください」
これはよくある符牒による業務連絡で、この場合は六階のスタッフ一名が七階の第一部・部長室に呼ばれたのである。
山下「(事務室ドアから顔だけのぞかせて)副主任、いまの業務連絡…」
敦子「ああ聞いたわよ。私が行くから…(とドアの方へ)」
○七階
七階にある事務区画に向かう途中の敦子、ウェディングショップの脇を通りすぎる。
そこには、かねがね「自分こそ、あれを」と目をつけている一着のドレスもある。
敦子、それを横目で眺めながら、浮かれた顔で、殺風景な事務区画へ。
『第一部・部長 鈴木』のそっけない名札が貼ってある、ホコリっぽい鉄製ドアの前に立つ敦子。
○狭い部長室
このデパートの役員・鈴木武(39)が、仕事の手を休め、事務用椅子の向きを変えて、窓の外の遠くの景色を眺めている。
ノックの音。
鈴木「(椅子の向きを戻し)入りたまえ」
敦子「(礼儀正しく入ってきて)失礼します」
敦子が後ろ向きになってドアを閉めるといきなり鈴木が来て抱き締め、キス。
敦子、驚くかと思いきや、すぐにそれに応じる。
実は鈴木と敦子とは相当深い関係になっていることが分る。
ややあって…。
鈴木「これ渡しておくよ(と、背広の内ポケットからチケットの封筒を出して渡す)」
敦子、ニコニコと封筒を明けてみるとディズニーランドのパスポートが二枚。
敦子「ううん、こんなの明日あなたが持ってきてくれればいいのに〜」
鈴木「それがね、僕は都合が悪くなった……××[都下地名]のユー・タワーで催事の打ち合せに同席しなくちゃならなくなって」
敦子「ええっ!? だって、明日の水曜の…その次っていったら……(とカレンダーを見て)、…再来月まで休みがないじゃない!」
鈴木「…だからあやまる」
敦子「(ガッカリしてふてくされて、入場券をもてあそび)…一人でディズニーランド行ったって、面白くないわよ」
鈴木「それで、ぶしつけなお願いなんだけど、息子のマサオを連れていってくれたら有難いんだが」
敦子「(驚きあきれ)ちょっと待ってよ、私に一日お守りを頼もうっていうの? 私はあなたのお手伝いさんになったワケ?」
鈴木「いや、申しわけなかった、撤回するよ」
敦子「ああ、またこんなことで喧嘩…」
敦子「すまない。私が早くはっきりさせればいいんだが、マサオのやつがどうしても前の女房が忘れられないみたいなん…」
敦子「どうして子供のせいなんかにするの。そんなこと私に関係ないでしょう。一年もふんぎりがつかないのは、あなた自身に前の奥さんへの未練があるんでしょう」
と、敦子、手を伸ばしてキャビネットの上に伏せられている写真立てを取る。
鈴木、あわてる。
写真は十年以上前のもので、どこかの観光地をバックに、鈴木と前の妻、生まれたばかりの息子マサオの三人が写っている。
敦子、冷笑を浮べてその写真立てをもとの位置へ。
鈴木「違う、それはない。離婚して二年半、会ってもいない」
敦子「じゃあもう結婚しましょうよ」
鈴木「(考え込んでいる)……」
敦子「(甘えて)ねえ、堂々と結婚すれば、たまたま休みが一致した日にコソコソとデートなんかする必要はないのよ。ねえ、もう決めましょうよ! ねえ!」
鈴木「(苦悩をにじませ)もう少し、息子のマサオの様子を見させてくれ。あと少しだと思うんだ」
敦子、急に泣きそうになる。
鈴木「じゃあこうしよう、今夜遅くなら時間がつくれる。だから、息子を寝かせた後で、車で××町までくるから、そこで……(と抱き寄せようとする)」
敦子「触らないでよ!(と突き飛ばす)」
鈴木「敦子……」
敦子「(とり乱した心を鎮め)わたくし、来月、会社を辞めて、北海道に帰ります」
鈴木「……!」
敦子、二度と後ろを見ず、早足で支店長室を出ていく。
○六階DIY売場に戻る途中
敦子、ふたたびウェディングショップの前を通る。
いまや見たくもないドレスがそこにある。
背後から抑えた声(鈴木)「加藤くん…!」
敦子、振り向くと鈴木が追ってくるのが見える。
敦子、小走りになって半泣き顔で去る。
鈴木、ちょうどウェディングショップの前までで追うのをやめ、なすすべなく見送る。
○正面入口・午後八時四〇分
夕暮れ
シャッターが閉まっていく。
アナウンス「…またのご来店をお待ちいたしております…」
○九階・社員休憩所・午後九時
壁時計が時刻を表示している。
ここは売場とは完全に遮断され、客の目にまったく触れるおそれのない別区画なので、ワイシャツのバリバリ・ルーキーも妙齢のOLも、みんな椅子に思いきりふんぞりかえって天井を眺めながらパンや菓子をかじったり、手鏡で髪をブラッシングしたり、食堂用テーブルに上体を投地した体勢のままくわえタバコで仮眠していて、いかにデパートの勤務が激しい肉体労働かが伝わってくる。
室内はもうもうたる煙で、ムキダシの蛍光灯の列もくすんで見えるほど。
その煙が廊下までたなびいてくる休憩所入口の前を、隣りのロッカールームで帰り支度をととのえた社員たちが三々五々、出口に向かって通りすぎる。
○同じ場所・午後九時五〇分
壁時計が時刻を表示している。
すでに人気は数人しかなく、さしもの煙も薄らいでいる。
隣りのロッカールームで帰り支度をして沈欝な表情で出ていく敦子。
○一階・裏側通用口
退社カードをパンチするところに、顔なじみになっている守衛の井上(66)が立っている。
井上「ごくろうさまでした!」
敦子「御疲れ様…(と、カードを元気無く元の位置に戻す)」
井上「(敦子の様子をみて)なんだか元気ないですねえ、加藤さん」
敦子「(足を止めずに、力なく)井上さんはいつも元気でいいわねえ(と通りすぎる)」
井上「有難うございます。お気をつけて!」
敦子、振り向かずに片手を上げて応えるだけ。
○地下鉄までの道筋
夜の街の舗道を、だんだん早足で歩く敦子。
敦子「(虚空を睨みながら)…捨ててやる。帰ったら、あれも、あれも、それから、あれも…! みんな不燃物に出してやるわ」
○地下鉄の地上入口
敦子「…そうだ、全部捨てることないか。あれと、あれは、セコハンショップに売っちゃおうか。北海道までの切符代くらいにはなるかも……」
○地下鉄駅
自動改札機に定期を差し込もうとする敦子、ふと動作を止める。
敦子「(急に横手を打ち)あっ、それならあのアンティークスタンドも、明日いっしょに売っちゃおう! あれがいちばんお金になるかも…」
敦子、腕時計を見ながら地下鉄地上出口へ。
○さっき通った舗道
いっそう早足で逆方向に歩いていく敦子。
○デパート前
すっかり窓の照明は消えている。
夜空に不気味にそびえ立つ九階建のデパート。
○通用口
敦子、キョロキョロする。
通用門の警備員室に詰めているはずのいつもの守衛・井上がいないからだ。
敦子「(警備員室に顔を突っ込んで)井上さ〜ん…!? あの、ちょっと忘れ物で、中に戻りますけどぉ……」
廊下脇の警備室を覗く。
監視モニターも、なぜか全部消えていて薄暗い。
敦子「どこで油売ってるのかしら。仕方ない…。勝手に入るわよ、すぐですから」
敦子、閉店後の無人のデパートビルにヅカヅカと入って行く。
○四階の階段
敦子、階段をえんえんと昇ってくる。
敦子「(急に立ち止まり)……?」
敦子、何かに気づき、耳を澄ます。
男たちの声「…まだみつからないか」「こりゃたくさんありすぎる」「子供のマネキンじゃねえよな」「あたりめえだろ、女にまちがいねえ」
敦子、おそるおそる高級婦人服売場を覗く。
すると、十数人の男たちによって、婦人服売場のすべてのマネキンがひき倒され、ズタズタにされている。
男たちの手には同じ型の恐ろしげなコンバットナイフが握られ、ペンライトの光芒が暗い売場に錯綜している。
どうやら男たちは、商品が目当てではなく、ひたすらマネキンの胴体をナイフで引き裂き、他にもマネキンがないかと、駆け回っている様子。
男#1「どうします? 全部改めましたが、この階にはありません……」
リーダーらしい男がいる様子だが、敦子の位置からは足元しか見えない。
声(リーダー)「そうか、高級婦人服売場じゃないとすると、あとは一つ所にかたまっても効率は上がらん。手はずどおりエリアを分けて、各階しらみつぶしに探すんだ」
大勢の押し殺した声「オスッ!」
男たちが一斉に散っていく、その動きに慌てる敦子、足音を殺してできるだけ急いで下の階へ急ごうとする。
敦子「(だんまりのような手つきで階段を降りながら、聞こえるはずもないささやき声で)…い・の・う・え・さ〜ん!」
敦子、ハッとする。
さきほど通りすぎたばかりの階段脇の男子トイレの入口に折り畳み椅子があり、そこで守衛の井上が舟をこいでいる様子である。
敦子「(駆け寄り、声を殺して)探したわよ! こんなところで居眠りしている場合じゃないでしょ、大変よ!(と肩をたたく)」
井上、ドサリと床に転がる。
既に一味に刺されて死んでいたのだ。
敦子「(傷口と、非常灯の光が緑色に反映する床の血糊を見て)……!」
○二階階段
敦子、すっかり青ざめて、物も言わずに駆け降りてくる。
が、そこへ下の階から上がってきた犯人一味の一人、男#2とバッタリ鉢合せしてしまう。
敦子「ハアッ…!(と立ちすくむ)」
男#2「(同じく驚くが、すぐその場をとりつくろい、ニコニコして)地下の食品売場の冷凍庫の修理をしててね。ちょっと配線を確かめに上がってきた。…君も残業? 一人だけ?」
男#2、ナイフを後ろ手に隠し、ニコニコしながら敦子に近付いていく。
敦子「(とっさに)いいえ、もう一人…」
男#2「(急に警戒して)え、もう一人? どこ?」
敦子「あの、エンポー[※一部デパートではトイレを表す符牒]……」
男#2「遠方? 遠方って…どこだい?」
敦子、怪訝な顔。
男#2、ナイフの間合いにまで近寄ってくる。
敦子、この男が店員でないことを確信し、後ろ手でなにかをまさぐる。
男#2の後ろ手のアップ、ナイフを強く握り締め、今にも降り上げようとする。
敦子、一瞬早く、背後にあったアルミ製の円筒状の灰皿を取り上げて男#2の横面を思いきり張る。
男#2、震盪を起こして前かがみになる。
敦子「“エンポー”はトイレのことでしょ。そんなこと知らないで店員のフリってかぁ?」
男#2、ナイフをひらめかし、体勢を立て直して獣のようにうなり、とびかかろうとするが、敦子、今度は容赦無く灰皿を降り下ろす。
男#2、踊り場まで階段を転落、その場に気絶する。
敦子はそのまま下へ降りていこうととするが、既に下の階には他の悪党ども数人がいる気配なので、やむなく脱出路がないかとあれこれ見渡しながら階段を上に昇っていく。
○非常灯だけで薄暗いDIY売場
敦子、後ろを気にしながら、売場のすぐ裏の職員用の事務室を目指す。
○事務室内
敦子、早足でやってくる。
敦子「電話、電話…警察…!」
敦子、電話機にとりつき、外線ボタンを押すが、押しても光らない。
怪訝に思い、受話器を耳に当ててみれば、ツーという音がしない。
『1-1-0』とプッシュしてみるが、無論ダメ。
敦子「どうしてつながらないの!?」
敦子、ふと、壁の火災報知用の非常ベルに目がいく。
意を決して、こわごわ押してみるが、それも無反応。
よく見ると、赤いランプも消えているのだ。
ゾッとする敦子の背後で、誰かの人影が動く。
そいつはジェイソンのようなアイスホッケーのフェイスマスクをつけている。
死ぬほどびっくりする敦子。
しかし机の下から這い出てきたのは、一人の小学校低学年の男の子だった。
敦子、アンティークスタンドを点灯する。
敦子「(なかば怒って)こんなところで何してるの!? ひょっとして、迷子?」
マサオ「(小声だが、ゆっくり、はっきりと)鈴木マサオです」
敦子「えっ、それじゃ、鈴木部長の…!?」
マサオ「明日、ボクの誕生日なんだけど、お父さんお仕事でいないから、今日、隠れておどかしてやろうと思った」
敦子「ええっ!?(こなしあって)あの…(すぐに我に返り)でもマサオくん、ここは部長室…パパの仕事場じゃないでしょ?」
マサオ「だってここにママがイタリアからうちに送ってきたスタンドがあるんだもん」
敦子「ゲッ! するとこれ……!?」
マサオ「でも、パパはもう帰っちゃったの? じゃあ、ボクも帰る」
敦子「(一瞬いまいましく思うが、つとめて冷静になり)マサオくん、いまこのデパートにどろぼうが入ってきているのよ」
マサオ「(すっとんきょうな声を上げ)えっ、どろぼう!?」
敦子「(あわててマサオの口を封じ)シッ…! 下の方の階にいるのよ。だけど電話線が切られてるから、警察も呼べないの。だからこれからすぐ、悪い人たちに見つからないように、そーっとこのビルから出るわよ」
マサオ、うなづく。
敦子「さあ大急ぎ(と、手をとって事務室を出ようとするが)…何持ってるの?」
敦子、マサオが手にしているものをながめる。
透明プラスチックの精巧にできた拳銃である。
敦子「これは君のオモチャ? まさか七階のオモチャ売場から…」
マサオ「違うよ。マネキンのなかに一杯つまっていたんだ!」
敦子「マネキンの中…?(ふと思い当たる節があって)…ちょっと、よく見せて!」
敦子、その拳銃を手にとってよく見る。
するとそれは、税関のX線にひっかからないように某国で特別に製作された、強化樹脂製のホンモノの拳銃であった。ただし、弾薬はないようだ。
敦子『これ…テレビでやってた、X線にひっかからない強化樹脂製の拳銃じゃないかしら。まさかあの男たち…これをマネキンにつめこんで密輸したのはいいけど、配送が間違ってこのデパートに届けられちゃって…それで夜中に忍び込んで、片端からマネキンを切り開いてるの? じゃあ、きっと、あいつらもどのマネキンなのか知らないんだわ』
敦子「ねえ、そのマネキンはどこにあったの?」
マサオ、なぜか無言。
敦子「マサオくん、これはプラスチック製だけど、本物のピストルなのよ。法律違反なの。きっと悪者たちがマネキンにいれて密輸入しようとしたのが、まちがってこのデパートに送り届けられたんだわ。だから、ね、みつけた場所を教えて」
マサオ、やはり無言。
敦子「なんで黙ってるの」
マサオ「…教えたくない」
敦子「(こみあげてきた怒りを抑えるべく、長い溜息をついて)そう。言いたくないならいいわ」
敦子、乱暴にマサオの手を掴み、グイグイと引っ張って行く。
○オモチャ売場
マサオの手を引いた敦子、フロアの反対側の階段を目指してオモチャ売場を横切る。
いかにも子供心をそそるようなおもちゃが山積みされており、マサオ、それを横目でみている。
敦子「マサオくん、手を触れちゃダメよ。大事な売り物ですからね」
言わぬ先から、マサオ、動物の楽隊のオモチャに触れる。
たちまち猿や馬、犬、鶏の鳴き声まじりのけたたましいマーチングバンド演奏が暗闇のフロアいっぱいに響きわたる。
敦子、床にスライディングしてすぐその演奏を止めようとするがどうにも止まらない。
敦子、手近なオモチャの日本刀を鞘ごと掴んで狂気のごとくに打ちのめすがそれでも止まらない。
敦子、オモチャを抱えて壁際に走る。
猿のドラムのバチで顔をしたたかに打たれながら敦子、ダストシュートに叩き込む。
音楽、次第に遠ざかって、かすかなシンバルの音を最後に、シーンとする。
敦子、片手で曲がってしまった抜き身の日本刀を提げ、荒い息づかいでマサオを睨み据える。
やっとフロアの反対側にたどりつくが、なんとシャッターは閉まっている。
敦子「(シャッターをこじあけようとして)あ〜、この階段はダメかぁ…! 地下駐車場へ最短路なのになぁ」
と、いきなりシャッターが向こう側からガラガラと開けられ、コンバットナイフを手にした男#3が現れる。
男は廊下に置かれていたマネキンを切り裂いていたらしく、ズタズタにされたマネキンが数体、無残な格好で男の背後に散乱している。
男#3、敦子の手にした日本刀に一瞬躊躇する様子。
おなじく肝を潰した、敦子とマサオ、すぐ叫びながら逃走。
そのさい敦子、日本刀を男#3に向かって投げつける。
男#3は一瞬たじろぐが、すぐにオモチャと気づき、やがて追いかけていく。
○古美術品売場
敦子とマサオ、インテリアの樽の物陰で震えながら息をひそめている。
すぐに、男#3が二人を捜索する足が見え、近付いてくる。
と、男#3は二人に後ろを向けて、陳列してある青竜刀などを珍しげにながめている。
マサオが敦子をつつき、真剣な表情で、敦子に小さい斧を手渡す。
敦子、意外な面持でその斧を受け取るが、軽いのでびっくりする。
よくみるとゴムでできたオモチャなのだ。
敦子、『ふざけてるばあいじゃないでしょ』といいたい顔で、そのゴムの斧でマサオの額をコツンとやる。
すると、それはパーティ用ジョークグッズだったので、内臓ICが「ギャーッ」という声を再生してしまう。
慌てふためく敦子とマサオ。
二人の存在に気づいた男#3、青竜刀をガッシと掴み、太刀風するどく斬りかかる。
しかし慌てて立ち上がった二人が樽を転がしていため、男#3つまづき、刀の平でしたたかにおのれの頭を打って昏倒。
二人、後をも見ずに逃走。
○DIY売場
もとのDIY売場で、ハアハアと息をついて休む二人。
マサオ「けっきょくここに戻ってきちゃったじゃないか」
敦子「なんですって、あなたが足手まといなんじゃないの!」
マサオ「(にくていに)どっちがだよ」
敦子、マサオの胸ぐらを掴みかけるが、そこに物音。
ナイフを手にした男#4のシルエットが浮び上がる。
男、同じフロアの大人の女のマネキンだけ、グサリ、グサリと確かめている。
マサオ「(敦子にしがみついて)どうすんの! 逃げられないよ!」
敦子「黙ってなさい」
敦子、電気チェーンソーのコードをときほぐし、コンセントにつなぐ。
敦子「(チェーンソーを正しく抱えて)これには詳しいのよ」
マサオ「おお怖〜っ……」
二人、商品棚の陰にはりつくように動きを止める。
そのまま十秒ほど経つ。
まったく物音がしない。
二人、まず顔を見合わせ、つぎにそーっと棚の端から顔を出す。
誰もいない。
二人、ホーッと溜息をつく。
敦子、気を緩め、電気チェーンソーをだらりとさせる。
不意に背後から野太い声(男#3)「おいっ、きさま誰だ!」
二人「ひえ〜っ!」
敦子、あわてて振り回したチェーンソーのスイッチが入り、周り中の商品が切り刻まれて粉状に飛散する。
マサオは危ないので這って物陰へとびこむ。
男#3、敦子がうなるチェーンソーで向かってくるので、タジタジと壁際に後退。
物陰でマサオ、息を呑んでなりゆきをみつめている。
と、伸び切ったコードがコンセントから外れてしまう。
チェーンソーのモーターの回転が止まって、あまりに静かな沈黙が訪れる。
マサオ「(瞑目仰天して)ああっ……ドジ!」
男#3と敦子「…?」
男#3、すぐに元気を取戻し、ナイフで逆襲してくる。
敦子が危ないところで、マサオが大きなスケボーを男#3の足元に思いきり押し出す。
男#3、それに尻餅をつき、階段まで運ばれ、転落する。
マサオ「(呆然としている敦子に)足手まといなんじゃないの?」
敦子「なに〜っ」
と、階段から男#3、逆上して駆け上がってくる。
敦子「あっちの階段よ!」
二人、別の階段へ逃げる。
○リカーショップ
ドタドタとマサオが走ってくる。
敦子の姿は見えない。
マサオ「助けて〜っ!」
男#3、とうとうマサオの襟首を掴んでニヤリとする。
と、背後でマッチに点火する音。
男#3、振り向く。
敦子、左手に『カントリーハイパーウォッカ90』というラベルの酒ビン、右手には火のついたマッチをかざして立っている。
男#3がナイフを振り上げようとした刹那、敦子、口いっぱいに含んだ九〇度のウォッカを霧状に吹き出し、マッチの炎で点火させる。
男#3、頭髪が燃え上がり、頭を抱えてころげまわるうちに消火器に頭をぶつけて意識を失い、その上から消火液がふりそそぐ。
敦子「やっぱり燃えるのね」
マサオ「それやらせて」
とマサオ、ビンを握って中身を口に含む。
敦子が止めようとする暇もなく、マサオ、まだ敦子が手に持っているマッチに吹きかける。
敦子「何すんの、このバカっ!」
火焔放射器状の炎が、敦子の服に燃え移る。
敦子「アチチチ……消しなさい!」
二人、大騒ぎとなる。
○ウェディングショップ
薄暗いフロアを、抜き足さし足でやってきた、顔中まっ黒になった敦子。
二つの目だけ白く光り、キョロキョロと周囲を警戒している。
さっきの火焔放射のため、着ている服も焦げ穴だらけで、下着がのぞいている。
敦子の右手は、マサオの片方の耳を情け容赦なくひっぱっている。
マサオ、顔をしかめつつ敦子にひきずられている。
マサオ「(軽口とも本心ともつかぬ調子で)“バカ”なんて、ママは言わなかった…」
敦子「(平然と)私はキミのママかしら?」
敦子、ふと横にある例のウェディングドレスに目をとめる。
そのドレスには、昼間には無かった『売約済』の札が。
敦子「(目が札に釘付けになり)…そんな…昼間はまだこんな札は…」
敦子、やや考えていて、自分のボロボロになった服に目を落とす。
敦子の目、急に涙ぐむ。
マサオ、怪訝そうに見ている。
敦子、『売約済』の札を、何かに腹を立てたように引きはがす。
○同じコーナー・やや時間経過
男#4が現れ、ナイフをピカらせながら歩いてくる。
敦子とマサオの姿はもうみあたらない。
男#4、ウェディングドレスを着て立つ数体のマネキンを、端からひとつひとつ突き刺してくる。
男#4、敦子がさきほど見ていたドレスの前に来てしげしげと眺める。
男#4、それにも同じようにナイフを突き立てようとする。
と、マネキンの左手が動き、フライパンでナイフを見事に受け止める。
ギョッとして、マネキンの顔を見上げる男#4。
マネキンの代りにウェディングドレスを着ていた敦子、ニヤッと笑う。
驚く男#4の頭頂に、敦子が右手にしていたウォッカのビンがすかさず振り下ろされる。
男#4、沈むように動かなくなる。
敦子、ウェディングドレスの格好のままマネキン台を飛び降り、物陰に隠れていたマサオを手招きする。
敦子「ちょっと似合うでしょ」
マサオ「(出てきて)そのお酒、なんでずっと持ってるのさ」
敦子「あ、これ? …少し飲まなきゃ、やってられないでしょ(と、一口飲んで、激しく咳き込む)」
マサオ、その背中をさする。
○四階・高級婦人服売場
さっきから一人でこの階に待機している様子の悪党のリーダー、手分けをした配下からの報告がまったく入らないので、なんとなく胸騒ぎを覚えてきた様子。
怪しむ目付きで上を見るリーダー。
○楽器売場
小走りに楽器売場を通過しようとする二人。
と、フロアの片隅から男#5が立ち上がって二人を見とがめる。
男#5「おい、待てっ!」
駆け出す二人。
切り裂いていたマネキンを放り出して追いかける男#5。
ジミ・ヘンドリックスの等身大写真パネルに、電源ワイヤーのつながったエレクトリックギターが吊されている。
敦子、とっさにそのギターに残りのウォッカを全部ぶっかけ、追い付いてきた犯人に向けてパネルを押し倒す。
犯人、パネルに押し倒されるようになり、ギターで感電。
IC内蔵で勝手にフレーズを演奏してくれるエレクトリックギターが、「パープルヘイズ」を奏でる。
男におしかぶさったパネル、紫色の炎を上げる。
男の絶叫を背に二人、売場を離脱。
そこに悪党のリーダーかけつけ、無言で立ちすくみ、やっとこのデパート内に別な“侵入者”がいるという事情を呑み込む。
後から、男#6以下数人がやってきてリーダーの周りに。
リーダー、その男たちに、無言で『あちらへ追いかけろ』という指示を出す。
男たち、うなずいて、すぐ、手に手にナイフをひらめかせて走り去る。
なおもきつい目付きで佇立するリーダー、井上の血がこびりついたナイフをポイと捨て、おもむろに懐からトカレフを出し、一発装填する。
薄暗がりに、遊底の機械音が短く響く。
○本屋
男たちの声「おまえはあっちだ」「おう」
複数の男たちの足音が遠くへ。
すぐにナイフを持って走り込んできた男#6。
なぜか、平積み台にヘアヌード写真集が、ビニールを破って見開きになって置いてある。
男#6、つい、そのヘアヌード写真集を手にとってしげしげ見入ってしまう。
敦子「(近くの物陰から急に立上り)このドスケベ!(と、ストッキングに何か固いものをつめた武器で殴り倒す)」
犯人、床に伏せるように昏倒。
敦子、ストッキングを床に放り出すと、中からネコ缶が半ダースほど転がり出る。
敦子「(倒れた犯人に)ったく男ってやつは…」
ふと気づくとマサオが同じ本をしげしげとながめている。
敦子、ムスッとした顔で本をとりあげる。
男たちの声「お〜い、いたか?(足音も近付く)」
○階段
駆け降りてきた二人。
と、下の方から悪党たちが駆け上がってくる。
あわてて方向転換して上に逃げる二人。
二人が消えた後で、男#7現れ、ニヤリと笑う。
○アウトドア売場
止まっているエスカレーターを駆け降りてきて、這うように売場の床に伏せる敦子。
敦子「(ゼイゼイ息をついて)やっと巻いたわね。ちょっと休んだら、三階くらいまで降りて、そこで窓から非常用縄梯子を垂らして逃げましょう。ねえマサオくん、もうそろそろ拳銃が詰まったマネキン……あれ?」
ふと見ると、マサオがいない。
と、マサオのうめき声が聞こえる。
敦子「マサオくん!?」
敦子が立ち上がると、エスカレーターの降り口付近で、マサオが男#7にヘッドロックされて手足をバタつかせている。
男#7「(悪党のなれなれしさで)なんだ、ネエちゃんが知ってたのか。これでしらみつぶしに探す手間が省けるな。どこにあるんだ?」
敦子「……!」
敦子、マサオの目を見る。
マサオ、敦子の目を見返すが、何も言わない。
男#7、いらいらしたように、空いている片手で、吊るし売りの防水スプレーを掴み、蓋を口で破る。
男#7「(スプレーの噴霧口をマサオの顔面に擬し)おい、防水スプレーをこいつにたっぷり吸わせてやろうか。大の男も窒息死するってこたぁ知ってるな!」
敦子「わかったわ…その子に危害は加えないで!」
男#7「マネキンはどこだ!」
敦子「それは…」
男#7「どこなんだ!」
敦子『(困ってマサオをみつめ)マサオくん…どうして…?』
この間にマサオ、首をしめられた体勢でいつのまにか瞬間接着剤をエスカレーターの手摺に塗り付けていた。
マサオ、体をゆすって、男#7の腕を手摺にペッタリとくっつける。
男#7「(肘から先が貼り付いたので慌てて)こ、こいつ、なにをしやがった!」
敦子、とっさに壁の配電盤にとりつき、エスカレーターの始動スイッチを入れる。
マサオ、男#7の腕を脱する。
男#7、「助けてくれ〜」と叫びながら上の方へと上がって行く。
マサオ「(敦子に)息が合ってきたね」
敦子、一瞬、なにをマセたことを、という表情。
声(リーダー)「いたぞ!」
二人、すぐに別なエスカレーターに向かって走る。
リーダーを先頭に、男たち数人あらわれる。
リーダー、はじめて敦子とマサオを視認する。
敦子とマサオも、はじめてリーダーの顔を見る。
二人、あわてて、敦子は下行き、マサオは上行きのエスカレーターにかけこんでしまう。
敦子「マサオくん!」
二人、気づいて戻ろうとするが男たちが走ってきたのでやむなくそのままエスカレーターを走る。
○特別展示コーナー
こちらはマサオが逃げてきたフロア。
何かの賞品として展示されている高級スポーティカーがある。
すぐ後ろから男#8が追いかけてきている。
マサオ、開いている窓からその運転席に飛び込む。
が、すぐ後ろまで迫ってきていた男#8、窓から上体を突っ込み、手を伸ばしてマサオの首をしめる。
男#8「マネキンはどこだ! 知ってるんだろ、言え!」
マサオ、もがきながらパワーウインドのボタンを探す。
男#8「強情張ると、お前もあの女も殺すぞ! リーダーは血も涙もないんだ! すごくおっかない人なんだぞ!」
マサオ、パワーウインドのボタンに触れる。
男#8、急に首が締まって、もがきながら気絶する。
マサオ、反対側の窓から飛び出し、同じフロアのスポーツ用品コーナーに駆け込む。
○スポーツ用品コーナー
マサル、まっすぐに柱の陰に。
そこに、インラインスケートを履き、ホッケースティックを手にした、ストリートファッションで身をかためた、ディスプレイ用の一体の若い女のマネキンが腰をかけて、微笑んでいる。
その顔は、鈴木の部屋にあった写真の、マサルの母と瓜二つ。
マサル、その背中に手をつっこむ。
床に、ゴロゴロと樹脂製の拳銃が数丁こぼれ落ちる。
○コスメコーナー
リーダー、トカレフを持って忍び寄る。
物陰に隠れている敦子の後頭部が見える。
リーダー、トカレフの照準を決めて、なんの躊躇もなく発砲。
弾丸命中し、頭髪が派手に吹っ飛ぶ。
リーダー、近付いて確かめる。
リーダー「チッ…(と、拳銃を収めて立ち去る)」
リーダーが立ち去った後には、敦子の髪型とそっくりのヘアーウィッグがくすぶっている。
台坐の人形首は、眼球に大孔が開き、ヒビだらけ。
○熱帯魚売場・時間やや前に戻る
こちらは敦子が本当に逃げた先。
男#9のために、水槽の前で、敦子、追い詰められる。
男#9、じりじりと間合いをつめて、飛びかかる。
敦子、身をかわす。
男#9、急に前にのめって水槽に両手を突っ込んでしまい、感電、気絶。
水槽には『デンキウナギ』と書いてある。
敦子「(かがんで床のバナナの皮をつまみ)こんなものでひっかかるとはね〜」
そこに先程の銃声。
敦子「(ハッとして)…マサオくん…!」
○階段
マサオ、ローラースケートを履いたマネキンを必死で押して、階段を降りてくる。
○吹き抜け三階のテラス
マサオ、三階フロアの吹き抜けに面した踊り場に出る。
中央の吹き抜け空間には、『謝恩セール』と金ラメで綾どられた長さ数メートルの細長い垂れ幕に結び付けた数百個の色とりどりの水素風船が、その浮力で、天井にへばりつくようにして漂っている。
はるか下の一階ホールは、屋内のミニ噴水プールになっている。
と、そこに敦子が駆けてくる。
敦子「マサオくん!」
マサオ、驚いてマネキンを倒してしまう。
マネキンの背中に丸い蓋のようなものがあり、その蓋が開いていて、中から樹脂製の拳銃がこぼれ出る。
敦子、あっけにとられる。
敦子「マサオくん…じゃあ、このマネキンだったのね?」
マサオ「……」
と、どこかから、リーダーの足音が近付いてくる。
敦子「どうしましょう、このバルコニーじゃ袋のネズミだわ。マサオくん、この手摺から、あの垂れ幕に飛びつける? 二人分の体重なら、下までゆっくり降りられると思うの。一階には外に出られる避難用のドアがあるから」
マサオ「(下を見て)とてもできないよ、やだ!」
敦子「マネキンが手にはいったら、私たちは殺されちゃうわよ!」
リーダーの足音、さらに近付く。
敦子「さあ早くしないと! 私が先に飛び移るから、マサオくんを抱き止めてあげるから、ね! 行くわよ!」
敦子、距離を見計らって中空の垂れ幕に飛び移り、しっかりとしがみつく。
数百個の風船、わずかに天井から離れるが、すぐまたくっついてしまう。まだ浮力の方が上回っているのだ。
敦子「(振り返って)さあ、マサオくん! 来て!」
ところが何を思ったかマサオ、マネキンを押していってどこかに隠れてしまう。
敦子「ちょっとマサオくん、どこへ行くの! この階に他の出口はないのよ! 待ってよ!」
マサオが隠れるのとタッチの差で、トカレフを持った悪党のリーダーが現れる。
敦子「……!」
リーダー「(手摺まで歩み寄り)いい格好だな。(敦子にピタッと銃を向けて)マネキンはどこだ?」
敦子『マサオくん……』
リーダー、天井に一発威嚇発射する。
敦子「ヒィィーッ!」
リーダー「こんなところで女子どもを殺したって仕方ないんだ。さあ最後のチャンスをやろう。マネキンはどこだ?」
敦子「知らないわ! あなた、こんなことして絶対に逃げられないわよ!」
リーダー、こんどは敦子の爪先をかすめるように一発威嚇射撃。
リーダー「時間がない。今度は足を撃つ(構える)」
敦子「やめて!」
敦子、ジタバタするので風船が揺れて、リーダー、照準に時間がかかっている。
○マサオの視点
マサオの目の前で、リーダーが敦子に銃を向けている。
マサオは、母親そっくりのマネキンを抱き締めている。
が、マサオは意を決し、そのマネキンの胸を押しながら物陰を飛びだし、マネキンの背中を思いきりリーダーの体にぶつける。
リーダー、まろびながら一発発砲するも、狙いは敦子を逸れる。
○敦子の視点
マサオ、手摺のところまで走ってきて、一瞬躊躇するが、敦子が左手を差し伸ばすと、その腕の中にとびこんでくる。
敦子「いてて……膝蹴りしやがって…この…くく…苦しい…」
○リーダーの視点
リーダー、床に転がっているものを見れば、探していたマネキンだ。
リーダー、ただちに起き上がって、あとは顔を知られた敦子とマサオを射殺するばかりと、笑みを浮かべながら手摺に駆け寄る。
が、すでに数百個の風船は二人分の重さでゆっくりと一階に向け降下を始めている。
風船が邪魔をして直接二人を照準できないため、リーダー、やみくもに風船を撃つ。
○敦子とマサオの視点
風船がどんどん割られて、降下速度がついてくる。
マサオ「こわいよ!」
敦子、マサオの頭を抱きすくめる。
○リーダーの視点
リーダー、最後の一発を、よく見当をつけて撃つ。
○敦子とマサオの視点
今度は一個の風船が割れた拍子に発火し、全部の風船が一斉に燃えてしまう。
客をアッとさせたところで、実はすでに床から2mくらいまで下がっており、噴水プールに二人は無事着水する。
○バルコニーの上
リーダー、弾の切れたトカレフを捨て、急いでマネキンを抱え上げて階段に向かおうとする。
と、転がっていたアイスホッケーのスティックの一端を踏みつけてしまう。
そのため跳ね上がってきたスティック、リーダーの股間を強く打ちつけ、リーダー、うめき声とともにその場に失神してしまう。
○一階噴水プール
垂幕が噴水塔にからまっている。
敦子とマサオが浅い水の中に尻餅をついて並んでいる。
敦子「ねえマサオくん、なんであのマネキンのこと、教えてくれなかったの?」
マサオ「(恥ずかしそうに)…言えないね」
敦子「もう〜、この子ったら!(手で水をすくってぶっかける)」
そこにようやく多数のパトカーがかけつけてくる。
一階入口のまわりの大きなガラス越しに、パトカーを降りた警官と鈴木の姿が近付いてくるのが見える。
○暗転
館内放送の声「…お客様のお呼び出しを申し上げます。浅草のノダキザエモン様、浅草のノダキザエモン様、恐れ入りますが7階までお越しください…」
○一日おいた木曜日の午前・地上から見上げるデパートビル全景(ただし一瞬)
○七階の事務区画
いつも通りの店員の服装の敦子、浮かない顔で鈴木のところに向かっている。
部長室のドア前で一瞬ためらうが、ノック。
声(鈴木)「入りたまえ」
○部長室内
敦子「失礼します」
敦子が部長室に入る。
二人しかいないのだが、二人とも他人行儀で、気まずい。
鈴木「(椅子に腰掛け、机に両肘をついたまま、抑揚を殺した声で)君の退職は正式に受理した」
敦子「(深々と一礼して)どうもお世話になりました」
鈴木「それで申し訳ないのだが、退職金のなかから、一昨日に君が損傷した商品の原価を引かせてもらうことになった」
敦子、黙って一礼。
鈴木「確認すると、……電気チェーンソー、熱帯魚のエサのバナナ、香港製フェンダーストラトキャスター、○○○限定版ヘアヌード写真集、カントリーハイパーウォッカ90、ネコカン、ストッキング、瞬間接着剤ハナレーヌ……」
鈴木はあくまで同じ姿勢、同じ声で、敦子が破壊した商品名をひとつづつあげつらう。
敦子も床の一点を見つめたまま無表情で聞いている。
鈴木「…これらの商品はそれほど大した額じゃなかったが、この最後のやつが大きいぞ。売約済のウェディングドレスだ。デパート店員としてお客様のものをひどく汚したのだからな」
敦子「……(奥歯をかみしめる)」
鈴木「これは、ウェディングドレスをお買い求めのお客様の領収書だ。いちおう、額等を確認してくれないか(と領収書を机上に滑らせる)」
黙って領収書を手に取って見る敦子。
名前をみると、それを買ったのは鈴木自身なのであった。
敦子「鈴木…さん…(初めて顔を上げる)」
鈴木「君はそれを再来月、私との結婚式で着るのだ。サイズやデザインが気に入らなければ、まだどのようにも変更できるけどね」
敦子「それじゃ……!」
鈴木「すまなかったね。一昨日、きみがここから飛び出していったあとひどく後悔して、すぐ決心したんだ。息子ももう×歳で、たとえ前の女房が忘れられず、君との相性が悪くても、それは一時的……」
言い終わらないうちに、物陰からマサオがジェイソンの格好でゴムの斧を持って飛び出してきて、二人をびっくりさせる。
ハッピーエンド。