没シナリオ大全集 part 3.5


自分で解説:安珍清姫の話は文楽によって有名ですが、清姫の激情を納得させる設定ではないと思っていました。そこで狂言の台詞で一つ作ってみたら、劇画はテレビと違って台詞に文語に近いものを使ってもサマになるじゃないかということを発見したのです。これを書いたのは“ACQUITAL”の前後、つまり91年ではないかと思いますが、これ単独で売り込んだことはなく、何かの劇画に添えて「オレサマはこんな遊びもできるんだぜい」と無言で誇ってみるオマケに使ったのでしょう。ああ、若い、若い……。

変成[へんじょう]寺


○田舎道・午後

土地の者1「あれ見よや。さてもたぐい少ない美僧ではないか」

土地の者2「(頷き)いみじううつくしうござる。所の者にも見えず、さだめし都の新発心[しんぼち]なるらめ」

 街道を都に上る旅姿の若僧(20)を、道端の土地の者どもが指さし、噂し合っている。
 ここは室町時代の中部地方のド田舎。
 僧は遠目にも目立つ美形だが、本人もそれを承知していて、このように人から噂されるのもいまや慣れっこという様子で通り過ぎる。

新発心『フン、どこへ参っても、このとのほか人が見ることじゃ。…さて、日暮れぬうちに、一歩も都近くへ参ろう』

○数里先
 道の脇で男が四ツ這いになって田の草取りをしている。
 新発心、通りすがる。

新発心「(田夫に呼びかけ)申し、あれなる御百姓」

田夫「…(振り向き)呼ばわれしは?」

新発心「それがしは京兆寺(*)の新発心(=なりたての僧)。勢州鈴鹿にさるお遣いの御用あり、ただいまが都への下向道でござるが」
[※註:創作。ただし同名寺が無いと確言できず。]

田夫「それは近頃、御苦労に存じまする」

新発心「ついては早日も暮れん程に、ここ許に寺ばしあれば投宿致いとう存ずるが、こなたは御存じあるまいか?」

田夫「さても困ったことでござる。都遠き鄙[ひな]のことなれば、谷向こう二里半ばかりに変成寺[へんじょうじ]なる尼公庵[にこあん]のあるばかりにて…(と首を捻る)」

新発心「いや聊爾[りょうじ]なことを尋ねた、さらば…(と行き掛ける)」

田夫「暫く」

新発心「(立ち止まり)…?」

田夫「この辻の先に、所の長者と申して有徳人[うとくじん]のござる。御人態ならば、一僧一宿よも断るまじ。是非、尋ねさせたまえ」

新発心「かたじけのうござる。やがて参ろうずるにて候」

 新発心が歩き去っていくのを、田夫、じっと見送る。

○所の長者の屋敷の柴門前・日没直後
 日没直後で、山影が黒々としている。
 カラスも山に帰る。
 新発心が、柴の垣根の門前で、屋敷の端女(はしため)(19)に一夜の宿を乞うている。

新発心「…このたびお遣いの用あり、鈴鹿まで参っての下向道でござるが、在所の仏刹もなく行き暮れて御座る。なにとぞ一夜の宿を御貸し候え」

 端女、しばらく新発心に見取れた後、ハッと我に帰って、

端女「…暫く御待ち候え。主[あるじ]に其の由申し候べし(と言って中に入る)」

○庭先

端女「(庭先縁側から奥の長者に呼びかける)いかに申し候。旅の御若僧が、一夜のお宿と仰せ候」

 と、返事に耳を澄ますが長者の返答は無い。

○さいぜんの柴門
 新発心が中の様子を気にしていると、門の内から若い女の声がする。

亀姫(声)「のう御僧、お宿参らしょうのう」

新発心「日の暮れて心許のう候間、これは誠に有難う存じまする」

亀姫「御気遣い召さるるな。こなたにて一夜を明かさせ給び候え(と、新発心の前に姿を現わす)」

 夕日の光線の加減のせいで、新発心には亀姫(17)が実際以上の器量に見える。

新発心「これはいかな事。…あら美しの女房や」

亀姫「ホホ…僧体をしてそのようなざれ事を申しては、いかがなものでござろうぞ(といいつつじっと新発心を見ている目線)」

新発心「いや、べんちゃらでは御座いませぬ。…この山里にも似合わぬ御方、どなたにてましますか。都にもこなたほどの御器量は御座候わじ」

亀姫「(顔を赤らめ)これは所の長者が女[むすめ]、亀姫にて候」

○さいぜんの庭先
 端女が主の長者(45)に叱られているのがロングで見える。

長者「…何とは御宿適うまじと、御断り申さぬぞや…」

亀姫「…さりながら…あまりに御痛わしく渡り候えば…」

長者「…ええ、聞こえぬ者じゃ…しさりおれい!」

 この庭先でのやりとりを横目で遠くに眺めながら、新発心、ニコニコ顔の亀姫に案内されて、客間への廊下を渡り過ぎる。
 ニヤリと不敵な笑いを浮かべる新発心のアップ。

○時間経過・三日月に黒雲
○客間
 夜更けて後、客間にはまだ灯火がついている。
 その灯火が消える。
 机帳の向こう、月光の下に、消えたばかりで煙のたなびく灯明と、人影あり。
 それは縁側に向かって端座する新発心である。
 新発心は、庭の月を眺めているのだ。

新発心「…?(急に身構える)」

 廊下を、衣擦れの音が近付く。
 新発心、ニヤリとして、元の自然な姿勢に戻る。

亀姫「(廊下から姿を現わし)申し、新発心殿にはまだ御就寝にはなられませぬか?」

新発心「(大仰に)あら思いよらずや。夜更けてのお渡りあるは、何事にて御座候ぞ」

亀姫「さても、何やら胸のだくめきを覚えて寝つかれず、御教訓なと承らずばやと存じ、御寝所まではあくがれ来たるものなり」

新発心「これはいかに。それがしも明日の旅路を思いつつ、何とのう寝つかれず居り候間、一向苦しゅう候わず」

亀姫「かくするも何かの縁、よもすがら、わらわに御法口説きたまえや新発心殿」

新発心「されば夜もすがら身・口・意、秘密の三業を口伝[くでん]奉らん。来たり候えかし(と亀姫を抱き寄せる)」

亀姫「(一旦は拒絶して)暫く」

新発心「暫くとは」

亀姫「まことわらわを思いなば、あだに契ることなかれ。蓄髪還俗の上、定まった妻にもなしてたび給えや」

新発心「そなたは何事をいうぞ」

亀姫「俗体に還ってわらわ妻帯せんと御約定無きか。さればよも契るまじ」

新発心「…(やや気勢を削がれて幻滅、思案の態)」

亀姫「御返事や何と、新発心殿」

新発心「…ならば、そこもとの御意次第に候よ」

亀姫「すれば、妻にも定めんと仰せられるか」

新発心「左様に心得て候」

亀姫「一定[いちじょう]か」

新発心「なかなか、一定でござる」

亀姫「その声を聞くぞ嬉しや、のう、こちへおりゃれ」

新発心「いかでか参らざるべき」

 二人、記帳の裏に隠れ消える。

亀姫(声)「のういとうしの人、絵本の君のごと、わらわを愛てたび給も」

新発心(声)「やすきあいだの御所望なり」

○長者の家・全景・月夜

亀姫(声)「あらもの凄や、…あらもの凄や…」

○客間・時間経過・未明
 二人、枕を並べ寝入っている。

○長者の家の庭
 一番鶏が鳴く。

○客間
 新発心、目をさます。
 亀姫は隣りで熟睡中。

新発心「抜群[ばつくん]に時の過ぎた。早、しらじらと明けてござるような…」

 新発心、上体を起こす。
 薄明のため、亀姫の上半身がよくみえる。
 新発心、亀姫の顔をしっかと見る。
 どうしたことか、この朝の光の下でみると、まるで器量が良くない。

新発心「(驚き呆れた態で)あら無惨やな。朝未だ来の薄明りにてつらつら眺むれば、これはいかにも器量のあしい、ひなの女中じゃ。(あたりを見回し)…それにつけても昨夜の約定、どう致いたものでござろうぞ…」

 新発心、床を出、音を立てぬように荷物をまとめ始める。
 手先を動かしながら、また亀姫の寝顔を見やる。

新発心「昨日の御姿は幻ならずや。…殊ない悪女(=器量の悪い女)なり」

 亀姫、如何にも満足気な表情で寝入っている。

新発心「むさとした酔狂をばしたるものかな(と、荷物を持って庭に飛び降りる)」

 新発心、柴垣の破れた隙間より屋敷の外へ。

○元の路上

新発心「今は何かせん。寸刻も留まる由のあるべき、疾うまかるべし」

○時間経過、但し未明・長者の屋敷全景
○客間
 亀姫、眼を覚ます。
 亀姫、辺りを見回し、新発心の荷物もないことを確かめる。

亀姫「のう新発心殿…?これは何をすべきとの思召にて候や」

 亀姫、縁側に飛び出す。

亀姫「やあ、面つれなし!こはいかなこと…!」

○長者屋敷全景

声「こはいかなこと、こはいかなこと…」

声「いかにや姫君…」

声「のう、何としたものであろうぞ…」

○庭先
 亀姫は泣きはらした顔で右往左往している。
 その裾に端女がとりすがっている。

亀姫「うたてやな(*)。賎[しず]の山家の少女[をとめ]とあなずり、徒らなる恩愛の契ってか、法体[ほったい]としてあるまじきことなり」
[※註:情けない]

端女「(外聞をはばかり制止して)ああ音高し。…そも剃髪染衣なる方の寝所を尋ね、懇ろに言い寄りたまうことこそ、沙汰の外なる御振舞いなれ」

 この騒ぎ声をききつけて、屋敷使用の雑人ら、垣の隙間から寝惚け眼をこすりつつ、様子を窺い始める。

亀姫「(いてもたってもいられず)何と雑司女、彼の人のあり所や知り候ぞや」

端女「言語道断。ゆめゆめ慕い参らるることあるべからず」

亀姫「…畢竟われを嫌うにこそあるなれと申すか…」

端女「…(返答に詰まる)」

 亀姫、縁側に庭師の忘れた鎌に目を止める。
 端女、その目線を追う。
 亀姫、その鎌を掴む。
 端女、取りすがり、奪い合いになる。
 亀姫、端女を突き放し鎌を胸に抱く。

亀姫「(取り乱し)かほどの恥辱を蒙って、このままおくことでは御座らぬ!(と、裾で顔を覆い、座敷奥に走り込む)」

端女「(その後を追いかけて)亀姫さま、何と、何と!」

亀姫(声)「今はなにかはせんっ!」

○屋敷全景

端女(声)「あれ〜っ!…ここの者やある、ここの者やあるーっ!」

 この時点で亀姫は自害してしまい、以後は怨霊となって新発心を追いかけるのであるが、そのことは後まで誰にも分らない。

○峠道・未明
 峠を過ぎた下り坂を急ぎ足の新発心、東方の空を見ると、ほのぼのと明け始める。

新発心「やれ嬉しや。日の出前に山の坂合いを過ぎた。少し休ろうて参ろう」

 道端に腰を下ろし、一人思いに沈む新発心。
と、ふと何かの気配を感じ、今来た峠を振り返る。

新発心「…あ、あれはいかに!」

 何と峠の頂に鎌をふりかざした亀姫が仁王立ちにて新発心を見下ろしている。
 その顔は一段と凄みを増している。

新発心「あ、あな、あなな…(全身震え、声も出ず)」

亀姫「…新発心殿、わらわをなぶらせられ給うか?」

新発心「ひ、人違いにて候わめ!」

 新発心、足元の荷物を拾うや、一目散に坂を駆け下る。
 それを見て、亀姫も走り始める。

亀姫「なぜ左様にあらけなく仰せらるるぞ、待ち給えや」

新発心『こは夢かや!…あのような鎌を取ってそれがしを追いかくるとは狂女にてもあるべし。疾う逃げ申さばや!』

亀姫「待ち給え」

○道中
 新発心、山道を逃げ走る。
 亀姫、風のようにそれを追いかける。
 振り返り見る新発心。

新発心「…!」

 血相を変え、いかにも鋭そうな鎌を手にした亀姫が追いかけてくるのが見える。
 以下、双方走りながらの対話。

亀姫「いかに新発心、人違いとはわらわに恥辱を与え給うや」

新発心「何と恥辱とは、思いもよらぬことにて候」

亀姫「恥も人目も思われず、これまで参りしわらわなり」

新発心「み、みどもはそなたのような女中に、近付はおりない」

亀姫「…其つれなことを言うてわらわを去ろうとてか、もはや堪忍ならぬ」

新発心「誰か助けて下されい!」

 どんどん逃げる新発心。
 ひたすらに追う亀姫。

○谷川
 新発心の目の前に河が横たわっている。
 向こう岸には細い道が続き、その両側は竹薮である。
 粗末な桟橋は見えるが、渡し舟はない。

新発心「悲しや、目の前に三途の早瀬のある!(左右を見渡すが橋も渡し舟もない)」

 後ろを振り返ると亀姫が見える。

亀姫「やるまいぞ!」

新発心「今は命には替えられぬ、徒士渡りにて渡るまで」

 急流の中にジャブジャブと入って行く新発心。
 途中、足をとられ流されたりしながら、ほうほうのていで対岸に這い上がる。
 地面の乾いたところまで来て、もうよかろうと深息ついて振り返れば、

亀姫「(いつの間にかこちら岸の芦原に居て) この胸の無念の至極、おのれ斬り裂いて晴らすまで!(と水の滴る鎌を振り上げる)」

新発心「ああ、許されい、許されい!」

亀姫「のがす事ではないぞ!」

 新発心、こけつまろびつ竹薮の中へ。

○変成寺・山門・日の出前
 門前の竹薮から飛び出した新発心、寺の門と“変成寺”の額文字を見る。
[※註:変成とは仏説に云う、竜女が男子に変身して後来世成仏を可能にするという話に出るもので、おそらく古今に無い山名と思い創作した。なお、読み方は呉音にて“へんじょうじ”。]

新発心「有り難や、地獄に仏の尼公庵[にこあん]の御座る」

 後方を気にしつつ、門に取付いて、ドンドン叩く。

新発心「御免候え、御免候え」

 通用口が少し開き、箒を手に掃除中の比丘尼(27)が顔を出す。

尼「(新発心を見て驚き)あら痛わしの御姿かな。いずちの旅僧にて渡らせ給うぞ」

新発心「(ゼーハー息を継ぎながら)申し、住持の尼殿にてましますや」

比丘尼「庵主[あんじゅ]は只今お斎飯[とき]を使い候。これはお仕え致す尼にて御座るが…」

新発心「(後方を気にしながら)洛中の新発心にて候が、都下向の路次[ろし]、狂女に命を狙われてこれまで逃れ来たり。なにとぞ御匿いくだされい!」

比丘尼「暫くそこにお待ちゃれ、いま庵主殿に伺いて参ろうほどに」

新発心「否、否、それではよも間に合わじ。狂女はすぐとそこまで押し寄せてござる」

比丘尼「はて…この山里に狂女の在る事、絶えて噂だに承り候わず」

新発心「今は雑談[ぞうだん]の時に非ず。かくもうてくれさしめ」

 と、無理やり門内に入ってしまう。

比丘尼「さてこなたは聞こえぬ御方でござる」

 新発心、外を気にしながら通用口を内側から施錠する。

新発心「ゆめ、御門な開け給いそ(と、境内に走る)」

比丘尼「これ、どちへとまかり候ぞ」

 新発心、本堂の裏手に行こうとする。
 そこへ庵主(34)が出てきて新発心と鉢合せする。

庵主「かしましや。何事ぞ」

新発心「嬉しや、わごりょこそは庵主殿なるべし」

庵主「いかにも当庵の住持にて候が、さいぜんより何をわっぱと申されるぞ」

新発心「さて面目ないことで御座る。この坂合いの向こうなる里にて一屋の宿を借りけるが、所の長者の女[むすめ]とやら、夜半なれなれしく言い寄り来たりて甚だ迷惑に存ずる間、早発ちして峠にまでは着き候」

庵主「それは近頃奇特[きどく]な事」

新発心「されど何事ならん、彼の女、狂態を顕して、薙ぎ鎌振りかざして走り追いに追い来たりたり」

比丘尼「何と」

新発心「何がさて足の早い女でござるぞ、そのまま谷を飛び早瀬を渡り、すぐそこまで参りたり。堅く御門を閉じ、御見張りを候えや比丘尼方」

庵主「はなはだ不審なれども、人態ならば、さだめし子細あらん。狂女詮議の間、本堂裏、鐘楼脇に一仏塔の御座れば、その内に入らるべし」

新発心「誠にもってかたじけなく存じ候(と駆け去る)」

 本堂の裏に鐘楼あり、その脇の小仏塔へと駆けて行く新発心。

庵主「恐ろしの気色や。…若市[にゃくいち](=比丘尼の名)や、外の辻をば見て給れ」

比丘尼「畏まりて候」

 比丘尼、門外を覗くも、夜明け前とて人っ子ひとりなく、朝靄の中、道の真ん中で雀群が餌をついばみ、野良犬2匹がじゃれあっているばかり。

比丘尼「…」

○仏塔・全景・未明
 仏塔はそれ自体円形で、鐘の形をかたどっているようでもある。

○仏塔・内部
 戸を立て、中からつっかい棒をし終った新発心。
 暗い堂内に、羽目板の隙間から薄明がさしこんでいるのみ。

新発心「これは後の笑い草じゃな。(床の真ん中に胡座して)…それにつけても心得ぬのは彼の女[むすめ]がし様。一期一会のことわりを悟らずして、げにもにがにがしきことならずや…」

 と、外壁を触診するような物音がする。

新発心「…誰そ!」

 入口を探すような物音は塔を一周する。

新発心「…さては信女とて庵主殿が手引してこれまでまかりしや」

亀姫(声)「怨み申しに来たりけり」

新発心「(腰を抜かしつつも姿の見えぬ亀姫に答えて)のう物狂[ぶっきょう]や、こなたは人聞き悪しい事をおおせらるる、何の怨みぞ」

亀姫「おのれは口の開いたままに其つれな事をいうか」

新発心「(恐怖を克服し、作り笑いを浮かべて)あな痴れがまし。どこの御方とは存ぜねども、われは通りすがりの出家にて。念のう迷惑致す間、了簡なられてくだされい」

 シーンとする。
 新発心、壁に耳をつけ、亀姫は去ったと思う。

新発心『失せたか…!(勝利の笑みを浮かべる)』
 
 と、羽目板の隙間より、大蛇一匹這い入る。

新発心「く、くちなわ…!」

 大蛇、舌を出して新発心の気配を探る様子。

新発心「シッ、しさりおれ!」

 しかし大蛇、鎌首を持たげて新発心に迫る。

新発心「執心の強い畜生かな」

 新発心、数珠を出し、蛇を叩き伏せようと振り上げる。

○変成寺・全景
 ヒーッという悲しい絶叫が響き渡る。

○境内
 比丘尼、長刀を手に、変事を感じて仏塔の方へ駆けて行く。

庵主「(後から追い付いてきて)もしや狂女とやらの、破れ垣より忍び入りしか」

比丘尼「それは必ずあるまじく候。さきほどより門外うちながめて候えども、遂に狂女の影も見えなく候」

○仏塔・夜明け
 太陽が山の端に顔を出し、塔の先端にも陽が射し始める。
 塔の回りには、もちろん亀姫の姿などない。

新発心(声)「あら熱や、堪えがたや…」

比丘尼「申し、新発心殿、いかなることの候ぞ?!(と呼ばわって戸板に耳をつける)」

 シーンとする。
 比丘尼、庵主と顔を見合わせ、頷いて、扉を開く。
 堂の中に朝日が満ちる。

比丘尼「…!」

庵主「あら浅ましの御事や…(と手を合わせる)」

 比丘尼、庵主の背後で震えて合掌している。

○外光の差し込んだ堂の中
 新発心は閼伽水の盆の中に顔を突っ込んで死んでいる。
 その顔は、浅い盆の中でこちらを向いており、苦悶の形相、物凄い。

○時間経過・寺の裏門
 寺男や近郷の者が無縁仏を裏山の墓地に運び出す。
 見送る庵主と比丘尼。

庵主「…先刻、所の長者より使者の来たりて、未明、長者が女[むすめ]の薙ぎ鎌にて胸元えぐり、はかなくなりしこと、承って候」

比丘尼「されば生害なせし少女[をとめ]の妄執、霊鬼となりて新発心を追い詰め参らせたるか」

庵主「霊といい鬼というも、その元問わば、かの新発心が持ち合わせたる慙愧[ざんぎ]懺悔の心より、生ぜし影によも他ならじ」

比丘尼「すれば仏法を違え、女犯を重ねし彼の僧にも、一片の良心のあると申されるにや」

庵主「などかは無くていかがすべき。自ら救われんと願う心の内に、既に良心の兆[きざ]すべく、その良心あるゆえに、呵責の霊鬼も現ずるなり」

比丘尼「されば合点致し候。…人の心こそ、鬼神よりなお恐ろしからずや(合掌)」

 裏山から、荼毘の煙が立ち上る。
(完)

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