ウェザーノート”創世紀”
[1月売号用]
1995.10.30
(管理人注:劇画版タイトルは「エイハブの航跡」)
自分で解説:これは、連載最後のやつじゃないか? やはり、脚本と作画の関係をご研究なさりたい方のために。
○ヘクトパスカル社
○同・社長室内
フィリピン・ミンダナオ島東海岸の小湾に突き出した海上プラットフォーム型の宇宙ロケット・ランチサイトの施工想像図。
図のランチサイトにはずんぐりした宇宙ロケットも描かれている。[ロシアのSLBMを転用したもの。ただし煩瑣なのでその解説は割愛。]
そのパンフレットを手にした風間が沖石社長と向い合っている。
風間「…ASEAN-JV[ジョイントベンチャー]の衛星打ち上げ事業…」
沖石「そのランチサイト・リグの曳航のため、ウチとベター・ウェザーが支援することになった」
風間「二社で? 二通りの気象アドバイスを出すと、逆に危険じゃないですか?」
ベ社長「ロケットを再保険している日本の損保各社が、一社40億円も分担しているのだよ」
風間「なる…クライアントが保険会社…じゃ慎重になるわけですね」
沖石「しかしな。今回は安全第一でもいかんのだ」
風間「…?」
○南大東島東方沖・フィリピンを目指す大型曳船『第一〇一航洋丸』・夕暮れ
航洋型一千トンの強力なタグボートが一万数千トンのランチサイト・リグを3ノットでしずしずと曳航中。
声(天谷)「このリグの到着が遅れて打ち上げが一日伸びれば…」
○第一〇一航洋丸・船上
ブリッジの天井に天谷が登り、“スカイビショップ”の試作機を調整している。
天谷「…マルチメディア衛星の顧客がそれだけEUにとられちまうんだとよ」
○ブリッジ内
船長(46)が舵輪を握っている傍らに、風間がいる。
風間はテレファックスの高層大気図を受信・出力中。
風間「それで一刻も急ぐのか。…それにしてもまたお前と一緒とは、妙な気分だ…」
天谷「(工具を持って降りてきて)ヘクトパスカル社はどんな調子だ? 相変わらず気象庁のデータが頼みか?」
風間「何を。その自己完結型気象レーダー“スカイビショップ”の試作機とやらも、ヤケに調整に手間取るようじゃないか」
船長「君達、いいかげんにしてくれ!」
風間、天谷「(頭をかき)あ、すいません」
船長「うねりが強まっている。放射状だった巻雲も層状になってきた。二つの移動性低気圧の間をすり抜けるなんて、本当に大丈夫かね?」
天谷「ルーティングはまかせて下さい。この先には気圧の谷が大きく拡がり、無風域になっていますから」
船長「なぜ断言できる? 海の上にはアメダスは無い。太平洋は気象観測データの空白域なんだ」
風間「高層天気図が受信できます。まだ小笠原気団の勢力が強いので、うねりは出ても風は卓越しません」
船長「一日一回のテレファックスで、偏西風と偏東風が逆転するこのあたりの海象を読み切れるかね」
天谷「(しゃしゃり出て)エヘン…ベターウェザーの“スカイビショップ”なら、ドップラー解析によって針路上の波高や風も読み取れます」
風間『なにっ、…そんなすごい装置なのか…!』
船長「(頼りにする風もなく前を見て)…ふつう一万トンものリグを回航するときは、小型タグボートを二隻つける。それを今回はなぜか大型曳船一隻の傭船だ…」
天谷「まずいんですか?」
船長「強風や大波を真後ろから受けたらリグは転覆。曳索を切り離さなかったら、本船も海底にひきずりこま…(突然話を止める)」
風間「ど、どうかしたんですか?(と、船長の視線を追う)」
船首右側から高波が近付いてくるのが見える。
船長「(舵輪を右に回しながら)前の低気圧が吹き送った“一発大波”だ。君達、手摺にしがみつけ!」
天谷「いけね、[スカイビショップの端末の]モニター監視を怠ったぜ!」
船長、波の来る方向に船首を向けようと舵を一杯に切る。
○俯瞰
波に正対し切らないうちに、大きな波が曳き船に襲いかかり、激しく甲板上を洗う。
○ブリッジ内
窓ガラスが割れ、海水がドーッと流れ込んで来る。
曳船は大きく傾く。
○マスト
天谷の取り付けたスカイビショップの本体や、曳船固有の通信アンテナが皆破損してしまう。
○ブリッジ内
天谷と風間は必死で手摺にしがみつき、それぞれラップトップを抱え込んでいる。
船長は落ちついて後方のリグの様子を注視している。
甲板員(スピーカーから声のみ)「キャプテン、曳索に異常なし!」
船長「(後方のリグを見ながらハンドマイクに)了解。リグも無事のようだな」
水はすぐに引いていく。
風間「助かった…」
天谷「…まずい…端末が塩水漬けに…! おい風間、お前のラップトップは無事か?」
船長「(風間の胸ぐらを掴んで立たせ)低気圧の間をすり抜けるだと? みろ、あの乱層雲を!」
天谷と風間、ずぶ濡れの顔で遠くの空を見る。
風雲急を告げている。
○ロング
日没。
風、雨ともに強し。
○マスト
使い物にならなくなったアンテナ類のアップ。
○船室
うねりによるローリングのため、机上のエンピツが自然に転がる。
天谷はデータシートとルーティング用の海図を交互に睨んでいる。
風間は気象FAXを修理しようと試みている。
風間「(修理を諦めて)…ダメだ! ファクシミリも受信不可能だ」
天谷「(片手に紙束を握りしめながら)最後に受信できたこのデータだけが頼りか…」
ドアが開き、船長が入ってくる。
船長「風が強くなって、舵効が悪い。大きな横波を受けるような状況になったら曳索を切り離すから承知しておいてほしい」
風間「今、風を常に船首に受けるように弧を描いて目的地に向かうコースを計算しています!」
船長「しかし後ろの低気圧は30ノットで追いかけてくる。3ノットの本船が追い付かれるのは時間の問題だぞ」
天谷「(手書きの天気図を風間に示し、小声で)さっきラジオを聞いて作った天気図だが…このイサロバール谷線(*)を見ろ、完全に挟み打ち状態だ」
[※註:イサロバール谷線=低気圧等高線が尖った軸線をなしているもので、低気圧の中心はこの軸に沿って移動することが多いとされている。][★この状況の架空天気図を富沢さんにお願いします。]
風間「…!」
船長「どうなんだ?」
葛藤する二人。
インターホン「キャプテン、内地のヘクトパスカルから無線が入ってます」
船長「(二人に顎で合図し)行こう」
○ブリッジ
無線機の前に船長、風間、天谷。
通信士は何かを打電中。
風間が受話器を取っている。
風間「もしもし…あっ、沖石社長!」
○ヘクトパスカル社・同時刻
○同社内・通信室
沖石の脇にはハラハラした表情のお茶汲み鏡子。
沖石「…高度五千五百mの気温傾度が分ればいいんだが、使える手がかりはひまわり5号の雲画像だけでな…」
○ブリッジ
沖石(無線の声)「…言えることは、君達は二つの移動性低気圧に挟撃されているってことだけだ」
風間「そうですか…わかりました」
天谷『…クソッ…こんなとき海洋観測衛星のデータが使えたら…』
沖石「それから、滋賀部長がJVの最新季の決算報告書に、粉飾があるといっている」
顔を見合わせる三人。
風間「ど、どういうことですか?」
○ヘクトパスカル社
沖石「元税理士の彼の見立てでは、JVは世銀融資を断られ、今年倒産してもおかしくない財務体質だ」
○ブリッジ
風間「それじゃJVは、リグをわざと遭難させ、海上保険金で太ることが目的…?」
沖石(無線の声)「かもしれん。悪天を承知で出港を急がせたのだ。とにかく、君は気象予報士としてなすべきことをせよ。以上だ(切れる)」
天谷「(己の頭を叩き)初めから奇妙だったんだ。なぜ気付かなかったんだ!」
船長「(腕組みして波に揺れるリグをかえりみながら)海のビジネスにはこういうこともある」
風間「どうします?」
船長「気象次第だ。横波も、後ろからの波も受けずに、目的港までたどりつける可能性はあるかね?」
風間「見てのとおり本船はもう濃密な降雨域、つまり低気圧の中心近くに捉えられています」
船長「だから? 低気圧が進む方向から遠ざかることはできないのかね?」
風間「低気圧の進む方向が…いまひとつ読み切れないので…」
船長「つまり本船の安全のため曳索を切り離し、身軽になって最寄りの港に避難しろということか。…ではベターウェザー社の方は?」
天谷「レーダー、テレファックス…予測の手段をすべて奪われた以上…風間に同意見です」
三人、しばらく無言で睨めっこ。
視野の端に波に翻弄されるリグが映っている。
船長「(二人に背を向ける)役に立つ気象サービスだな…」
天谷「こ、この海域でもしリグに引き込まれて沈没したら、海上保安庁の巡視船がかけつけるまで丸一日以上かかるんですよ」
風間『丸一日? 泳げないんだぞ、俺は…!』
曳索が風に鳴っている。
船長「(首だけで振り返り)君達、ボイスパロットの法則を知ってるか?」
天谷「えっ…勿論そりゃあ…初歩の初歩…ですから」
風間「…風に背を向けた時、左手の方に低気圧の中心があるっていう」
船長「では、なぜ背を風に向ける? なぜ、正対した時の右手方向とは言わないのかね?」
風間「うっ…」
天谷「それは…アレ?」
船長「ボイスパロットはオランダ人で、この法則は船乗りのために考えたものだ。当時の船は…」
風間「そうか!…帆船は常に風を背に受けて航走する!」
天谷「予報士試験ではそんな問題出ないからなあ…」
船長「私一人であればこの状況では曳索を解き、リグは放棄しただろう。しかし、今回は気象のプロが二人も乗組んでいる。一○世紀のオランダ船長にくらべたらはるかに恵まれた立場にあるのだ」
天谷「では、リグを放棄せず、あくまで目的港に向かわれる気なんですね?」
船長「君達が嫌なら、無理強いはせんが…」
風間「やりましょう! うねりの周期は11秒。あのリグの大きさなら堪えられないことはない」
船長「(満足気な笑みを浮かべ)いいだろう…」
船長の手、スロットルレバーを“FULL AHEAD”の位置に入れる。
船長「船首船艙に海水注入! 吃水下げ!」
声「吃水下げ! アイアイサー」
船長「(ハンドマイクに)錨チェンを3節(200m)余計に垂らせ! 後部デッキから廃油を撒いてリグの周りの波を鎮めろ!」
○全体俯瞰・時化の中を航行する曳き船とリグ
○時間経過
航行する曳き船とリグの水平ロング。
背景では切れ切れの雲の間から、満月が覗いている。
○ブリッジの左右張りだし上(時間経過)
風の吹いてくる船首方向に背を向け、びしょぬれ状態で左舷後方と右舷後方を見張っている風間と天谷。
船長「(舵輪を握りながら)二人ともよくやってくれた。降雨域もうまい具合に抜けたようだな」
天谷「低気圧の中心からはうまい具合に遠ざかっています!」
船長「風間君、横合いからの一発大波は来ないだろうね?」
風間「この針路なら正面以外からの大波は心配することはありません」
船長「そうか。二人ともブリッジに入りたまえ」
風間・天谷「…?」(中に入る)
船長「(前方を指さし)見たまえ。イワシクジラの群だ」
○ロング
イワシクジラの群が、タグボートを先導するようにはるか前方を泳いでいる。
風間・天谷「(息を呑み)…!」
船長「あいつらも二つの低気圧を避けて最適のコースを選んだのだろう。それが君達のルーティングと一致したということは…」
風間「船長…」
船長「もう安心だ。本船はあと三時間で目的港に到着する」
風間「(感動の面持で風間に)…予報士の創世紀に立ち会ったみたいだ…」
天谷『フン、なにを感動してるんだこいつ。…オレの収穫は、各国の海洋観測衛星のデータ取込みを思い付いたこと…。これで気象庁データへの依存度をますます減らせるかもしれん…!』
(終)