update:2006/5/20

2006年5月中旬の、正直へたばった庄司山ルート探訪

兵頭 二十八 先生 より
 道南の山の名前は、その昔の入植者が、未開地の地点識別のために、沿岸の集落から見上げたときの分かりやすさだけを重視して、いかにも投げやりに付けたとしか思えぬものが多い。
 横に長いから横津岳。ピークが三つ見えるから三森山(3つ盛り山)。残雪がそうみえるので袴腰岳、泣面山。(どうもよくわからぬのは貧乏山)。いずれにしても歴史の浅そうな、「マンマやないけ」という趣ならざるはない。
 七飯町[ななえちょう]にある庄司山(570.4m)も、おそらく「障子のように立ちはだかる山」からの転だと思われる。下界から眺めると、この顕著なコブが横津岳を遮り、大きく目立つ。
 七飯町というのは、函館に港町を建設するにあたり、その食糧供給地として開墾された隣接地域で、高架道路上などからは、この庄司山の麓まで、畑が広がっているのがよく見えるのである。また冬には南側の尾根線に道筋のようなものがくっきり現れる。だから函館市街から遠足気分で登山できると思うと、甘い。
 30万都市の市街地のすぐ外縁の里山を庶民の行楽用に整備してやろうなどという段階に、未だにこの北海道は、達してはいないのだ。山に登りたい者は、須らくみずから試行錯誤し、道標の無いルートを見極めねばならない。死と隣り合わせに決行すべき冒険。それが、この地域の散策者のデフォルトの掟である。
 以前から非常に気になっていたが登山道の入り口がどこにあるのかさっぱり分からなかったこの山に、吾が輩は先日、ついに登頂できたので、ご報告申し上げたい。
 なお、途中に道案内らしきものは皆無であった。
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写真番号 キャプション
1  松並木が北海道らしくもない国道5号線の、高架でない方の、通称「大沼国道」。写真の奥が北、すなわち大沼方面で、手前は南、函館市心方面となる。位置は七飯町の1丁目。左手にスーパーの「魚長」が来てしまったら行き過ぎだ。正しい右折路はこの少し手前にある。
2  Uターンするために入った魚長スーパーの駐車場から遠望した「庄司山」(二本の松の間の三角ピーク)。ただし地元民は「七飯山・ななえやま」と呼ぶらしい。
3  ここが正しい「にんにく沢通り」の右折点で、「福田自動車商会」が角にある。
4  広くもない舗装道を東へ進めば、このような農道の四辻に出る。ここをさらに東へ直進する。道を渡った北東角に、大川8丁目の墓地がある(墓石の上に庄司山ピークが見えている)。
 なお、市心から自転車で出かける場合は、LAWSON函館桔梗町店(大沼国道を北上し、道道函館上磯線のクロスを超えてさらに300m弱北上した右側にある)の脇の道を進むと、25分くらいでこの墓地に到達できる。その場合は「蒜沢二号橋」を直前に渡るから、それが目安になる。
5  さらに東へ直進する。左右は畑。振り返ればこんな感じ。左手遠くの台地は函館山、右手遠くのコブは「丸山」である。
6  函館新道(やはり国道5号線なのだが、高架の高速規格である)の下を潜ってさらに東へ直進する。
7  高架を二回くぐって、振り返るとこんな感じ。
8  すると北東角に「大和静観園」があらわれる。ここをまだ東へ直進する。すなわち、ここから道は砂利道となる。
9  この砂利道をずんずん進むのだ。
10  さらに東へ、ずんずん進んで行く。
11  いよいよ山道らしくなる。振り返るとこんな感じだ。
12  さらに道なりに進もう。
13  これは西を振り返った風景だが、この畑が最後の畑で、あとは雑木林の中の山道である。つまり地元民ではなく地元熊に出会う可能性が出てくる。このへんから路面の凸凹が増し、ロードクリアランスの小さい軽自動車だと腹を何度も擦ることになる。
14  右手に、コンクリートを敷いた、秣を堆積させておくためのスペースが現れる。すぐ右手は蒜沢川[にんにくさわがわ]だ。ここから先は、自動車の擦れ違いは困難だ。
 第一回目のルート偵察は、ここで車を引き返し、再び各種資料と照合して確信を得、本番の自転車によるチャレンジに臨んだのである。
 ちなみにさっきの墓場から、ここまで、自転車であれば35分かかる(半分は漕ぎ、半分は押して歩く)。
15  さらに自転車を押して、えっちらおっちら歩く。右側からは沢水の音。
16  とつぜん、目の前が開ける。正面はもちろん庄司山。
17  じつはここには、蒜沢川に2つある砂防ダムのうち、下流側の「2号砂防ダム」があり、その工事をしたときに造成された広場だったのだ。
18  上流側から広場を振り返る。左手がダムになる。普通の登山者は、ここに自家用車を駐車し、ここからは歩くようである。わたしも自転車を置いていくことにした。
19  ダム広場から北をみるとこんな感じ。違法ゴミ捨てダンプは、ここからさらに少し上まで進入して、沢に廃材を捨てたりするようだ。
20  特に急傾斜でもなく、楽なアプローチだ。
21  下流のダム脇駐車場から10分くらい歩いてくると、このような二俣分岐点に出会う。右の道は蒜沢川の方へ下っている。この右の道を進む。
22  すると、上流側の砂防ダムが見えてくる。下流側のダム脇からここまで、歩いて15分である。
23  この砂防ダム、ぜんぜん砂が溜まっていないということで、地元の自然団体は無駄な土木工事のサンプルとして挙げている。水量モニターのボックスが設置されていた。ここで、沢の上に渡された、ブリキ板の橋を渡ると、いよいよ本格的な登山道だ。
24  渡って、南岸から北岸を振り返る。このワイルドな橋。 
25  南岸から砂防ダムを振り返る。
26  少し登り、また振り返る。
27  やや行くと、入林届けのボックスが現れる。ここの標高がちょうど300m。熊注意の看板が倒れている。ただし地図とかコース表示とかは何も無い。
28  入林届けのボックスから庄司山山頂570.4mを見上げる。記帳をみると、だいたい毎日1人くらいのペースで入山者がある様子だ。(この日はさいごまで、他の入山者を見かけることはなかった。)
29  ここで不注意にもわたしは、左側の道を迷わず進んでしまった(だって広いんだもん)。左、すなわち北へ進む登山道は、「北尾根コース」といい、積雪期以外は山頂まで行けないのだ(藪こぎが大好きな人は別だ)。写真は、道の途中からピークを振り返ったもの。どんどんピークから遠ざかっていくのだ。
30  下界を見る。
31  もうすぐ尾根線に出るというところ。なぜかオートバイのようなもので誰かがここまで来ているらしいタイヤ痕があった。
32  尾根線まであと一歩のここで、登山道が笹薮の中に消失。しょうがないので引き返す。この地点まで、入林ポストから約30分。ここから入林ポストまで戻り道は20分くらいか。
33  入林ポストに戻って気がついた。道は右側(南側)にもあることを。それが正しい「蒜沢川コース」であった。再び気力を奮い起こしてアタック再開。写真は南側斜面から望む山頂方向。
34  入林ポストからおよそ35分、ヘトヘト状態で山頂の鳥居に辿り着く。鳥居の向こう側が「北尾根コース」に続いている筈だが、もう確かめようという気力は湧かない。
35  小さな祠に鉄の草鞋が奉納されていた。看板のようなものが雪の重みで潰れたように倒れていたが、起こして確認してみる気力無し。
36  鳥居の内側から、南側、つまり函館市街方向を見下ろす。山頂からの眺望に関しては既に複数のウェブサイトで画像のUPがあるようなので、省略しよう。ここから入林ポストまでは25分で戻れた。脱水していたので沢の水を飲み、さらに上流ダムの橋から下流ダムの駐輪場所までが徒歩17分。そこから下り坂を自転車で降り、墓まで16分。そこから疲労した足でローソン桔梗町店まで漕いで14分だった。
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38  オマケ。家に戻る途中、こんな素敵なハウスが……。

コンテンツ[兵頭二十八の放送形式]より
 「七飯山」ではなくて、地元の方は「七飯岳・ななえだけ」と呼ぶことがあるそうです。聞き間違えました。
2006年05月29日 17:12

(管理人 より)
 ニートハウス。学校に通学せず、独身で、収入を伴う仕事や就労に向けた活動をしていない15〜34歳の人ばかりが住んでいて時折どう考えても感情移入できない突発的でセンセーショナルな事件が発生するハウス───では勿論なくて、neatなハウスなんでしょう。
 先日読んだ[ライトノベル「超」入門/新城カズマ 著]という本に載っていた話。まぁ、有名な話でもあるんでしょうが、[ライトノベル]という現在では定着した名称も、当初は他候補に[ニートノベル]というものがあったそうな。これと似た(或いはよりシンプルな)プロセスで命名されてしまったハウスのなのかもしれませんね。
 (ニート対策に熱心な大家さんが2ヶ月前に命名してたら凄いけれども)

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