interview with ─── vol.2


E先生の手紙

兵=兵頭先生
管=管理人

(2時間目)

管:次のを拝見できますか。

兵:……これだ。封書ですよ。消印が、千鳥/8×/87.0××××12−18、となっていて、一部判読できません。裏側にペンで「六月七日」。宛先は、川崎市小杉御殿町の2軒長屋です。私は引越しマニアでしたのでね。


拝復、五月十六日付と六月三日付のお便りいずれも拝見しました。「諸君!」は残念でしたが、執筆者と編集者には相性というものもあるのであまり気にしないほうがよいと思います。五ヶ月間修業したと思えばよいでしょう。他の雑誌としては「正論」などは如何ですか?編集長への名刺を同封して置きます。
数学の進み方については三輪君からも報告を聴いています。どうか粘り強く頑張って下さい。毎日必ず一時間づつ数学をやる習慣をつけたらいいのではないかと思います。もし万一東工大の大学院入試に失敗した場合でも、私の研究室の研究生になり、実質的には東工大に通いながら、更に数学の勉強を続けて来年度の大学院入試に備えるという方法もありますから、くれ/\゛も短気な判断で諦めることのないようにお願いして置きます。
今年度は主任という役をやらされているのでひどく忙しいのですが、夏休み前(七月にはいったら)に一度研究室をお訪ね下さい。お電話を待っています。
敬具
  六月七日
○藤 ○
 斎藤 浩 様


管:これはどういう意味なんでしょう?

兵:後に『諸君!』に三連載されることになる核武装論文の原形が、このときは何ヵ月か保留された後に「没」になってるんですよ。まさにE先生の仰る通り、こういうのは「相性」だとしか思えません。一般に、雑誌の編集部の人事異同で、それまで書いていた人が載らなくなり、それまで載らなかった人が書くようになるという現象は、よくあります。私が『SAPIO』に書かないようになったきっかけも、担当編集者が『週刊ポスト』に移られたからでした。引き継ぎはないのですね。もちろん、その逆もあることなので、その呼吸をE先生は予め教えてくださっているわけです。
あと、今でもこの件で覚えていますのは、文藝春秋社のような立派な版元ともなると、没原稿にもちゃんと稿料をくれるんですよね。五万円くらいも貰って、そこから1割の税は天引きされている。そうしたことの一いちに、感動したのを覚えていますよ。

管:「三輪君」って、誰ですか。

兵:私は東工大のE教授の研究室では最後のたった一人の院生だったわけですけれども、じつは先輩が一人だけ居られまして、その方です。○井○之○先生の研究室に所属されてたんですが、○井先生が青山に「割愛」されました時に、E先生が博士課程から引き取られた形で……。この東工大はえぬきの三輪先輩に、田園調布の御下宿にて、私は数学の家庭教師になって戴きまして、入試0点は免れた。だから、やはり恩人の一人であります。
また、「短気を起こすなよ」というご警告にも、改めて恐れ入ります。私は「TANK短気たぬき」という異名もあるくらい、見切りが早いのです。

管:う〜む。お次はこれですか。

兵:官製はがきで、消印が、鎌倉/62/7.27/8−12、となっている。表左側にペンで「七月二十五日」。川崎市小杉御殿町の長屋宛です。


拝復、出願手続きを終えられた由、なによりのことと思います。小生七月二十七日(月)より八月末日まで、軽井沢の山小屋で過します。住所と電話番号は次の通りです。

〒389-01
長野県軽井沢町○ヶ滝○○○
(〇二六七)○○−七七○○
なにか御連絡いただくときには、上記にお願いいたします。頑張って下さい。
身体を大切に!                              
敬具


管:軽井沢の別荘ですか。

兵:私はその別荘とやらには一度もお邪魔したことはないです。が、軽井沢というのは、長野市のガキ共にとっては、学校のバス遠足でちょくちょく遊びに行くところでありまして、敢えて言わせていただければ、なにを好んでお金持ちの人々はこんなところに別荘を買うのか。もっと長野県には他に良い別荘地がありますぜ、と言いたいところなんですけど、E先生にいわせると、やはりそこは避暑地での「要人」との会合が一つの目的であったので、他のリゾートではダメだったのです。当時の軽井沢は、長野市からよりも、東京からの方が、時間的には近かったかと存じます。

管:次のは封書ですね。

兵:消印が、千鳥/87 11.2.12−18、と見えて、裏側にペンで「十一月一日」。宛先は川崎市小杉御殿町。この時期には、もう進学試験も合格だったでしょう。裏面の本文。


拝復、お便り拝見しました。
卒論に取り組んでおられるとのこと、洵に結構と思います。よいものを書き上げて、大学院での研究の基礎をつくって下さい。卒論が完成したら、一度是非御連絡下さい。本学大学院での研究の心得について、あらかじめお話して置きたいと思います。
そのほか、外国語、漢文等、研究の土台になる基礎学についても、気を許さずに御勉強下さい。大学院入学後に、あるいは学部一般教育の統計学を履修していただくことになるかも知れません。いずれにしても、工学修士になるコースを歩むわけですから、理工系の単位も取っていたゞかなければならぬだろうと思っています。
向寒の節、身体を大切にして入学に備えるようお願いして置きます。御連絡をお待ちします。
敬具
  十一月一日
    ○藤 ○
 斎藤 浩 様


管:エ〜ッ、これによると、兵頭先生って「工学修士」なんですか?

兵:シーッ!それを大声で言うてはならぬ!
 いくら文系に近い研究のできる「社会工学」専攻じゃからとはいえ、数学のロクにできもせぬ工学修士を東工大が送り出したことがあると知れては、関係各位に障りもあろうからのう。国の文教予算を使って、三流の劇画原作者を製造したのかと突っ込まれてもマズい。故に、私も、この肩書は自分からは決して名乗ったりはせんのじゃ。

管:「卒論」は何ですか?

兵:これは国会図書館と防大図書館に1冊づつ寄贈されている『最近国際関係論叢』という、タイトルの古風で厳めしい割りには権威ゼロな、「神奈川大学国際関係論セミナー」(3〜4年生対象のゼミナール)を著作権者とする、1988年2月にガリ版刷りを綴じて50部作った「ゼミ論文集」、そこに収めている数編の駄文のことであります。赤面の至りでございます。ちなみに当時はNEC「文豪」という、同じメーカーなのにPC -98とはぜんぜんシステムが異なる、しかも文豪のくせして少しも漢字を知らぬどうしようもないワープロを使っておりまして、この文集の活字になっている部分の多くは、私がボランティアで打鍵したものですから、なつかしい。

管:次のはまた、官製はがきだ。

兵:消印が、千鳥/63/88.2.1.12−18/TOKYO/CHIDORIとある。表左側にペンで「一月三十一日」。宛先は川崎市小杉御殿町の長屋。葉書の右下隅が欠損していて、表側に「この郵便物は、取扱い中に汚損しました。/誠に申し訳ありません。深くおわび申し上げます。/211 中原郵便局」とタイプされた付箋が貼付されている。


拝啓、奇妙に暖い冬が続いていますが卆業試験はもう終りましたか?二月中旬頃、一度ゆっくりお話する機会を得たいと思います。二月十六日(火)の正午頃は如何ですか。昼食をしながら論文のこと、今後のことを御相談したいと思います。


御都■【以下1〜3字欠損】
御一報■【以下1〜3字程度欠損】
ば幸甚です。
敬具


管:差出人が偉そうな御仁なので、郵便局でも気を遣ったのでしょうね。

兵:しかし宛先は木造平屋の貧乏長屋なのだから、コントラストだね。その長屋も引っ越して、私は目黒区大岡山のすぐ裏手に拡がる住宅地、世田谷区の奥沢に移るのだ。進学が決まってみると、もうこんな砂埃りだらけの川崎なんぞにゃ住んではいられねえ、と思ってね。

管:(私今川崎に住んでるんですが…)奥沢といいますと、高級住宅街と聞きますが。

兵:高級住宅街の中にもスラムみたいなところがあるのが日本よ。廃品回収業のオッサンちの木造離れでね。ネズミとの連夜の「化学戦闘」を繰り広げたのは、そこなのさ。

管:そこに早速舞い込んだのが、次の官製はがきですか。

兵:そのようです。消印が、牛込/63/88 7.27.8−12で、表左側にペンで「七月二十三日」。


前略、岩島久夫、波多野澄雄両氏の住所等左の通りです。一筆お礼状をお出し下さい。要件迄に          
匆々 不一
〒158
【※所番地、1行略】
【※電話番号と姓名、1行略】
〒305
【※所番地、1行略】
【※自宅電話番号、1行略】
【※勤務先電話番号、1行略】
【※姓名、1行略】



管:このお二方は?有名な方々ですよね?

兵:大学院生は何かの学会に所属する。そして、学会の中には、入会の手続きのために、複数の推薦人を必要とするところがあります。E先生がこのお二人に頼めと仰ったのは、「日本防衛学会」への入会でした。岩島さんといったら、防研の元所長ですぜ。この人一人でも充分すぎる!
 波多野さんは、私は残念ながら面識が無いものの、E先生の薫陶も受けた御方で、大東亞戦史についてはかなりなご権威。私のような小僧には本当にもったいなかったんで。……情けない話ですが、せっかくこうしてE先生のお蔭で入れたこの学会、『戦マ』の辞職後、たちまち年会費の払い込みが滞り、今では名簿からも抹消されている筈ですな。トホホ……、トホホホ……。

管:次は、その『○車○ガ○ン』時代の書簡ですか?

兵:そうなります。官製はがき。消印は、鎌倉/2/6.4/12−18と見える。表左側にペンで「六月三日」。宛先は、白山のマンションです。
本文。


拝復、「戦車マガジン」お贈りいただき、洵に有難う存じました。資料がお役に立てて何よりでした。当方三田、日吉、藤沢の三つのキヤンパスを駆けまわって愉しくやっています。どうかお元気で。取急ぎ御礼迄に認めました。
敬具

3時間目へ続く!

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