update 2005/4/10

沖ノ鳥島調査団───ようこそ、禁断のリゾートへ

 
写真
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キャプション
北小島
北-1

 こちらは北小島。護岸一段目の船着場側にだけ、珊瑚の死骸の礫が溜まっている。大嵐の波で打ち上げられたものだろう。そして他の場所では強風のため、礫はすぐに吹き飛ばされたのだろう。十字架状のオブジェは、もやいの柱。

北-2

 北小島から観測施設を見る。その右側は東小島。左側には作業台基盤が見える。

北-3

 北小島もリーフの近くにあり、潮騒が聞こえる。

北-4

 北小島には防護ネットは被せられていない。しかし天然の猛威がいかなるものかは、護岸コンクリートの表面を見れば一目瞭然だ。


北-5

 そろそろ干潮なので内部はドライだった。


北-6

 内部には礁湖底から吹き上げられてきた珊瑚礫が堆積していた。


北-7

 熱心に撮影しているのは某公共放送のクルー。

北-8

 蓋で隠されていないと、御神体もあまり有り難くない?

北-9

 シュノーケルをつけて船着場から泳ぎだした『新潮45』記者。サメは見かけなかったが噂は聞いた。このあたりの水深はせいぜい3mくらいか。各種熱帯魚とナマコ、ウニなどはいるらしい。海藻とヒトデは見当たらず。

北-10

 黒っぽく見えるところが隆起岩や珊瑚の群落。干潮時にはその上に腰掛けられる浅さとなる。

作業台基盤
作-1

 ここは作業台基盤。円堡状護岸が東小島や北小島と類似だが、御神体は無い。帝国海軍が昭和13年に97式大艇用の基地をつくろうと、ここにケーソンを数百埋設して、まず灯台を建てようとしたのだが、未成のまま放棄。それを戦後、建設省が再工事して、一時は気象観測タワーを建てた。現在はヘリパッドと、各種耐候実験の残滓があるのみ。手前は何か植物の耐久テストをしたものらしいが、完全にミイラ化していた。


作-2

 93年にここで耐錆金属の実験をしたらしい。けっきょく、チタンでなければダメだと分かったのだろう。なお、タモ網による釣果はゼロであったので、併せてご報告しておく。

作-3

 作業台基盤のすぐ近くに、無人の観測所がある。そこにはリモコンのテレビカメラも複数あり、沖ノ鳥島に誰かが近づけば、バッチリ撮影されてしまう。


作-4

 フジツボもヒトデも無い海とは、要するにここは「砂漠」ではなかろうか? 2種類の蟹だけが、テトラポッドの隙間でサバイバルしていた。

作-5

 消波ブロックは粗鋼製だからなのかもしれないが、塩と日照りでこんなふうに…。ところで87年というと、青函トンネルや本四架橋の完工が決まった年であり、建設省は新たな「プロジェクト」を求めていた。このめぐりあわせがなくば、あるいは沖ノ鳥島は消滅していたのかも…。


 
続く

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