歌舞伎町×番地

没シナリオ大全集 Part 8.9


1場

冬の朝6時半。
 舞台中央、足場用鉄パイプの枠に工事用の幕で囲われたサラ地がある。
 遠い背景には高層ビルが林立。
 近い背景には雑居ビルが密集。
 上手中景に小さい二階建ての木賃アパートが見え、二階の一部屋だけに洗濯物が吊され、窓際に鉢植などが置かれている。
 ここは新宿区市街化地域のど真ん中、『総合カジノビル』新築のために古い建物を取り壊し、その地面に基礎工事をしている現場で、手前下手には置きっ放しのクレーン兼アースオーガー(ドリルのお化け)、上手の奥には残土を一時的に貯める鉄製の巨大な風呂桶のようなものがあり、下はセメント色に汚れた鉄板が敷きつめられ、その上にはダンプやクレーン車の踏みにじった跡が交錯している。
 囲いの中は一面、泥色と水に溶けたセメント色のツートーン。
 しかもガランとしてダダ広いから、大都会の真ん中なのに、ポッカリとここだけ不思議な廃墟のように落ち着いた空間となっている。
 上手、○○組と書かれた黒地黄色縞の拒馬が並び、舞台を縦方向に仕切っている。
 その上手より、私服のコートを着て、安全靴を履き、ボストンバッグを重そうにかついだアルバイト警備員の葉子(27)、寒そうに登場。

葉子「(メモ帳をみながら)エ〜ト、歌舞伎町×番地、×番地……、あっ、ここか!?」

 葉子、こんどは拒馬の○○組の名前を、持参のメモ帳と照合して確認する。

葉子「○○組……間違いないわ、よし!」

 葉子、舞台上手を縦に仕切っている拒馬をてきぱきと畳んで脇に取り除け、コートを脱ぐと、すでに下には警備員の制服を着込んできている。
 葉子、一回、伸びをする。

葉子「さあて、今日の現場は何時で終るかなあ」

 と言いながら葉子、ボストンバッグを開けて安全帽と指示棒、軍手などを取り出し、身につけると、すっかり警備員らしくなる。

葉子「(腕時計を見て)ちょっと早すぎちゃったか(と、近くの一斗缶かなにかに腰かける)」


 葉子のソロ:この廃墟の砂漠のような風景は今の満たされない私の心と同じ−−と歌う。(葉子は大学時代の恋人が行方知れずなうえに、建築デザイナーになるという夢の実現にも遠いのである。)


 歌い終って一呼吸おいたところで、三匹のネズミが上手から相次いで飛びだし、いずれも葉子の足元を走って、一匹は下手、一匹は舞台奥、一匹は客席方向に降りて、すぐに舞台より消える。
 葉子、このネズミにすっかり驚いて、飛び上がる。
 すると下手から豪快に笑いながら、現場監督の肱片[ひじかた](45)が登場。

肱片「ウワハハ……おいアンタ、ネズミなんかに驚いてて、警備員が勤まるのかよ?」

葉子「あっ、お早うございます。現場監督さんですか?」

肱片「うん、お早う。ヒジカタって呼んでくれ。監督なんてガラじゃねえ」

葉子「警備会社から派遣されました、田中葉子です」

肱片「今日はダンプの出入りが相当あるんだが、アンタ、誘導の方は大丈夫だろうね」

葉子「それは慣れています。大丈夫です」

肱片「慣れている? (茶目っけを出し、葉子の背後の地面を指さし)……ああっ、でっけえネズミだぁ!」

 葉子、また飛び上がる。
 もちろんネズミの姿などどこにもない。

肱片「そんなザマじゃ困るぜ。マグニフィック開発の社長さんは、工事をテキパキやらねえと、おっかねえ人だからな」

葉子「マグニフィック開発?」

肱片「発注主よ。このあたり一帯に、『総合カジノビル』を三、四棟もおっ建てちまおうってんだから大した会社さ」

葉子「じゃあ、(と上手中景の木賃アパートを指し)隣りにあるあのアパートも、壊しちゃうのね?」

肱片「ああ、あそこも予定地さ。まだ一人婆さんが残ってるから解体できねえでいるが、ネズミは勘がいいもんだ。いま一足先に出て行ったようすをみると、じきにあの婆さんも立ち退くことになるだろう」

葉子「ふ〜ん。それで、このへんぜんぶの解体が済んだら?」

肱片「そしたら、こことおんなしように基礎工事をする」

葉子「基礎工事って?」

肱片「なんにも知らねえのか。(と、笑って)よし、時間もあるから教えてやろう。どんなビルでも地盤からつくっていくんだ。まず地下に穴を掘って、土の柔らかさを調べることから始めるのよ。それがボーリングってやつだな」

葉子「(興味深そうに身を乗りだし)それから?」

肱片「それからもっとでかい穴を掘って、基礎のコンクリを打つ。ここは(とボールペンで自分の足元を指し)もうその段階まできてるわけよ」

葉子「(感心したように)へえー」

肱片「へえーじゃねえぜ。その掘り出した土は残土といってダンプで捨ててもらわなきゃならねえ。だからアンタは今日その誘導を頼むぜ」

葉子「(かわいく敬礼して)了解しました!」

 間髪入れずに伴奏イントロ入る。


 肱片のソロ:こんな具合にビルができる−−と、ビル工事の段取りをユーモラスに説明。(パイルを打ち込み、鉄骨を組み上げ、床と外壁をこしらえ、内装を整え、下水管をつなげ、電気を引いて……。)


 この肱片の歌に合わせて肱片配下の職人たちが多数登場し、ダンスによって基礎工事をてきぱきと進めていく。
 葉子もダンプトラックのバック誘導の振付けや肱片への合いの手コーラスでそれに参加する。
 歌が終ると肱片は「よ〜し、昼の休憩だ! みんな一時間休んでくれ!」と怒鳴ってそのまま上手から歩み去る。
 職人たち、つるはしや安全帽を放り出して葉子を取り巻く。

葉子「工事現場って面白い! それにその作業服……日本の男の人にはすごく似合うのね!」

職人#1「ハハハ…面白え警備員さんだ」

職人#2「(指示棒を振る手付きをして)長いのかい?」

葉子「いいえ、じつは、きのう講習を終ったばっかりで……」

職人#3「なんだ、なりたての警備員さんか。(皆、笑う)だが心配はいらねえ。俺たちだって最初は新米さ」

職人#4「そうとも、みんないろんな仕事をやってきてるんだ」

葉子「ええっ、いろいろな仕事?」

職人たち「(口々に)ああそうとも!」


 職人たちの自己紹介の歌:ブルースギタリスト志望だったやつ、実家の自転車屋を飛び出したやつ、結婚式場のビデオADだったやつ、駅の弁当売りだったやつ、援助交際ですってんてんになったやつ、病院に車で薬を届けて回る営業マンだったやつ、などなど……。−−でも、俺達はいまではこの仕事に誇りを持っている、と締めくくる。


職人#5「あんたも、遊びが目的のアルバイトじゃなさそうだ」

職人#6「なにやら思い詰めてるようにも見えるが」

職人#7「なにか、目指しているものでもあるんかい?」

葉子「はい。私は……建築デザイナーをめざして勉強しているんです」

職人たち「(口々に)へえー、そうかい」

職人#8「がんばりなよ。(軽く)それで、彼氏いるの?」

葉子「……」

 数人の職人、職人#8を肘で小突く。

職人#8「悪ィこと聞いちまったかな……」

葉子「いえ……いいんです。彼は、いました。同じ大学で、建築技師になるといっていた。でも、卒業後、すぐに行方が知れなくなってしまって」

 職人たち「よくある話だよな」などと言い合っている。

葉子「…それで、もしかして、こうして建築現場の警備員をしていたら、きっと彼に会えるような気がするんです。(急に明るく)……そんなこと、あるわけないんですけどね」

肱片「おいみんな、昼休みは終ったぜ(と、爪楊枝で歯をほじりながら上手より顔を出し)、仕事だ、仕事だ!(と怒鳴ってすぐにまた引っ込む)」

 職人たち、あわただしく持場に戻っていく。
 葉子にスポットあたり、伴奏始まる。

 
 葉子のソロ:実家にお金がなくてアルバイトをしなくちゃならないけど、私には捨て切れない夢がある。でもそれだけではない。本音は、彼が忘れられない。もし彼に出会えたら−−と。


 この歌の途中で冬の太陽が早くも西に傾き基礎工事もあらかた終了した様子。

肱片「(上手より登場しながら)よーし、みんなご苦労さん。基礎工事はすっかり終った。さあ、道具を片付けて、地面の泥を洗って、みんな車に乗り込みやがれ!」

 クレーン車と大きな泥土溜めも、舞台の両袖に引き込まれて、なくなる。
 肱片、いったん上手に退場。
 職人たちはバラバラに下手に退場。
 葉子は、掃き掃除を始める。
 あたりはすっかり暗くなり、遠景は夕焼け。
 そこにまた肱片、上手から登場。

肱片「ごくろうさん、ダンプの誘導、よくやってくれた」

葉子「どうもおつかれさまでした。あとは片付けておきますから」

肱片「(うなずき)それで、明日は8時半から鉄骨を組み上げる。この前の道路(と、ボールペンで示して)を、8時から通行止めに、頼むよ(と、いいながら下手へ退場)」

葉子「(退場した肱片の背に呼びかけるように)分りました。私は6時半には来ています!」

肱片「(声のみ)おう!」

 すぐにワンボックスカーのドアが閉じる音がして、次いでエンジン始動して立ち去る音(FO)。
 肱片を見送った葉子、すばやく安全棒その他をボストンバッグに放り込み、コートを羽織る。
 次いで、拒馬をオープニングの状態に戻すと、舞台暗転。
幕。

◎三匹のネズミたちの幕間コント<その1>

 いうまでもなくこのネズミたちは、最初に登場したネズミと同一であり、急に引越を決意した事情などを面白おかしく語って引っ込む。
[※このネズミのコントを生徒につくらせてください。三匹のネズミは、たとえば貧乏学生、クラブのホスト、引越業者、携帯電話セールスマン、借金取りなどという庶民的なキャラクターに設定するのも良いでしょう。また時代劇、あるいは歌舞伎狂言にしてしまってもいい。]

2場

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