没シナリオ大全集 Part 5.8


●”■×”(数字) 『コード・バイオレーション』


自分で解説:プロ選手の身体がボロボロのガタガタだと庶民が知るようになった。ちょうどその頃の試作。

Part 1:めまい


[前振り:テニス選手は、テニス・エルボーという持病に悩まされている。これはボールを打つ瞬間の衝撃振動が長い間に利き腕の肱関節を痛めてしまうもので、このため衝撃振動を吸収するようなラケット材が開発されている。]






(大勢の観客で熱気に満ちたテニスコート。屋外のグラスコートだが、上空から見ると周りにもいくつものコートがあるのにそちらにはひとっこ一人いない。この絵柄から、試合はウィンブルドンのセンターコートで行なわれる最後の男子シングルス決勝だとわかる。貴賓席にイギリス王室のやんごとなき方なども見え、一般客席にも各界の有名人の顔がチラホラ。得点ボードは7−6,6−7,5−7,6−4,5−5で、最終第5セットのいよいよ大詰めであることを示している。)

アナウンサー兼解説者の声
「…試合時間はいま5時間26分を回りました。1992年全米オープンのマイケル・チャン対ステファン・エドバーグのグランドスラム大会のシングルス最長時間記録を更新したわけです。」

(絵は一方のラテンアメリカ系選手、ヨハネス・アモリノスがサーブを待ち受ける姿)

アナウンサー兼解説者の声
「驚くべきスタミナを見せている世界ランキング4位のアモリノス…。これだけの死闘にかかわらず、動きがいっこう衰えていません。」

(絵はもう一方の白人選手、エルヴィン・ミューラーがサーブの前にボールを地面に数回ついている姿)

アナウンサー兼解説者の声
「かたや世界ランキング1位のベテラン、ミューラーには疲れの色がありあり…。さあ、時速200kmを超える弾丸サーブをその体でまだ打てるのか…?」

ミューラー
「ハーッ!」
(左手でボールを高々と投げ上げ、体をしならせて思いきり第1サーブを放つが、あろうことか打球はヒョロヒョロと高い弧を描いて敵陣ネット際へ。会場からオーッと声があがる)

(ミュラー、ハッとして自分のラケットを見るとガットがズタズタに破れている)
ミュラー
「な、なにーっ!?」

(アモリノス、ニヤッと笑ってネット際へダッシュ開始)

アナウンサー兼解説者の声
「おーっと、これは間違いなくリターン・エースだ!どうしてしまったのか、エルヴィン・ミュラー選手は!?どうやらラケットのガットが切れたのか?あっけない幕切れになりそうです!」

(ここから絵は主としてミュラーの視点からみたスローモーションになる。客席やラインズマンなど周囲の風景がひどく歪んでいる。アモリノス、バウンドしたボールを鋭角のクロスへ狙いすましてハードヒット。トップスピンもかかっている。とうてい返せないボールだ。しかしミュラー、なんとかそれを拾いに行こうと必死で走るが足がもつれる。倒れそうになりながらミュラー、自分の足元をふとみる。もつれるはずだ。腰から下の下半身が骸骨になっている。)

ミュラー(倒れながら、無念と恐怖の入り混じった顔でドイツ語で叫ぶ)
「NEIN!!」

(ラインすれすれに入ってバウンドしたボールは歪んだ客席をとびこえ、ウィンブルドンの積雲の浮かぶ青空の彼方へスローモーションで飛びすぎていく)

審判
「試合終了、勝者・アモリノス!」

(どよめく観客。王室のやんごとない方もスタンディングオベーションだ。勝ち誇ったアモリノスが握手を求めてネット際に歩みよってくる。その差し延べられた腕をみると、なんと静脈に針がささったままの注射器が何本もブラブラとしている)

アモリノス
「君の時代は終ったな、エルヴィン…。」
(アモリノスの顔が歪む。その言葉がリフレインしながら消えていく。暗転。)


(ガバッと跳ね起きるミューラー。荒い息遣い。ひどい汗。ベッドの上で悪夢にうなされていたことに気付く。彼のやつれた姿と部屋の様子は彼が療養中であることを示している。開け放たれた窓からさしこむ陽光はすでに高い。この建物を外から見ると、オーストリア・アルプスの麓の針葉樹林の中にある別荘のようである。夏のよく晴れた日で、影が濃い。)

ミューラー(両手でタオルを持ち、顔を覆って汗を拭きながら)
「ああ、またも試合[マッチ]の夢か…。」

(天井の高い部屋の入口ドアがパタッと開く。地味なナリをした若い女、サリー・ニルセンが入ってくる。手にしたトレイにはポットとコーヒーカップとベーコンエッグが2人分のっている。)

サリー(ベッドサイドにトレイを置きながら)
「はい、わたしたちのマッチ・メーカー[※男女を結び付ける者]。」
(“Sports Graphica”というスポーツ写真月刊誌を手渡す。)[※←架空誌名、のつもりです]

ミューラー
「ありがとう、サリー。」
(食事はそっちのけで、くいいるようにテニス記事のページを探す。サリーはベッド際に腰をかけ、ポットからカップにウィンナーコーヒーを注ぐ)

ミューラー
「今回は君の撮った写真はクレジットされてないようだね…。」
(といいつつ目は誌面に釘付け。そこにはアモリノス選手の写真と、『ドーピングについてはノーコメント』の見出しの付いた記事が)

サリー
「ええ。でもここであなたの世話を焼いてる間、オーストリアアルプスの写真を撮って腕も上がっちゃったのよ。スポーツカメラマンから山岳写真家に転向できるくらい」

(サリー、ミューラーがサリーの軽口にはニコリともせず、記事の本文を目で追っているのに気付く。サリー、ミューラーの手から雑誌をとりあげる)

サリー
「エルヴィン…、やっぱり持ってこない方がよかったわね。あなたはいま、療養に専念すべきなのよ」

ミューラー(食事の用意などに気付き)
「ああ…御免。でも…ヤツが全仏男子シングルスで優勝だって…。アモリノスの世界ランキングが今や1位だなんて…」

サリー
「だめよ、体によくないわ」
(サリー、ミューラーにしなだれかかる。ミューラー、困った顔でキスを受ける。サリー、さらに積極的になろうとする)

ミューラー
「いけない、サリー。」
(腕を突っ張り、顔をそむける)

サリー(困惑かつ憤慨して)
「いけないって、どういうことよ、エルヴィン?」

ミューラー
「…エルヴィン・ミューラーはプロ世界ランキング1位のテニスプレイヤーだった。だがこのベッドに寝ている肉体は何だ?クスリに破壊されたボロ人形にすぎない。今の僕に、君の愛に答える資格はない。」

サリー
「あなたのプライドは立派よ、エルヴィン。でも今は私があなたを守ってあげる番だわ!早く中毒を克服して、全米、全仏オープン、そしてあのセンター・コートで、ヨハネス・アモリノス選手とジーガー・コーチに堂々と復讐を遂げるのよ」

ミューラー(がっくりとうなだれ)
「神よ…このような女性を…有難うございます…!」
(目に涙がにじんでいる)

サリー(シーツをめくりあげながら)
「こ、これならいいでしょ?ほら、エルヴィン、すごく溜ってるんだ」

(サリー、フェラチオを始める)

ミューラー(目をとじてあおのく)
「ああ…」

サリー
「楽にして、エルヴィン」
(奉仕を続ける)

(しかしミューラーの顔は苦悩にゆがんだままである)

(午後の陽が傾きかけた別荘のたたずまい。ミューラーのベッドサイドの窓から、サリーが車で街に出掛けていく後ろ姿が見える。ミューラー、ベッドの下からもういちどスポーツ雑誌をとりだす。ページを開くと、全仏大会でジャンピングガッツポーズをみせるアモリノスの笑顔の写真が。ミューラー、色エンピツで一つの写真に○を描く)

(部屋の扉がパタンと開く。しかし人の姿は見えない)

ミューラー
「…サリー?何か忘れ物かい?」

(入口から●”■×”(数字)が姿を現わす)

ミューラー
「…きみは、ひょっとして●”■×”(数字)!す、すこし約束の時間より早いのでは…?」

●”■×”
「お前の両手が毛布の外に出ているときがオレにとっては一番都合の良い時間だ。」

ミューラー(うなづきながら)
「噂どおりのプロフェッショナリズム…。僕のたぎるような復讐を託す相手が、氷のように冷静な死神とは頼もしい…」

(ミューラー、握手の手を差し出す。その肱の内側には無数の静注痕があり痛々しい。)

●”■×”
「俺は他人に利き腕を預ける握手という習慣を採用していない」

ミューラー(手を引っ込め、やつれた顔に力ない笑みを浮かべて)
「そうか、それじゃ君は右利きで、しかも多少アンチ・ヨーロッパなわけだ…。握手の習慣(*1)は、背後で酒を注がない(*2)、乾杯するなどの習慣(*3)とともに、権謀術数のヨーロッパ中世で培われたものだからね…」
(と、ベッドサイドに手をのばし、自分でブランデーをつくって飲む)
[※欄外註:(*1)武器を持たず害意のないことを伝える儀式であった (*2)客の背中で酒を注ぐのは毒を混ぜるようで失礼とされる (*3)本来の、主人が客とお互いの器の中味を半分づつ注ぎ合って同時に飲み、毒を混ぜていないことを証明する儀礼だった]

●”■×”
「…俺を呼んだのはテーブルマナーの講義をするためか?」
(葉巻に火をつける)

(ミューラー、もうひとつのグラスに●”■×”のためのブランデーをつくろうとするが、瓶が空になってしまったのでつくれず、機嫌悪そうに窓から投げ捨てて)

ミューラー
「…失礼した。私が狙撃を頼みたいのはこの二人だ。」
(先ほどの雑誌をアモリノスのたくさん写っているページを上にして、ローラー付きのトレイに載せて壁際の●”■×”の方へ突き出す。)

(一枚の写真に色エンピツで二つ○印がつけられている。一人はアモリノス。一人は一緒に写っているメディカルコーチのドクター・ジーガー。)

ミューラー
「ひとりは現在世界ランキング1位のヨハネス・アモリノス。後ろに写っているのはメディカルコーチのドクター・ジーガーだ。そいつは元ぼくのドクターだった。」

(絵は往年の名選手たちの姿になり)

ミューラー
「プロテニス界にはコンピューターによる独特のランキング制度というのがある。グランドスラム以外に年間11以上もの大会に出場し好成績を上げなければそのランキングは消滅、大試合にノーシード出場を強いられる。しかも男子のセット数は女子より多い。最近20代後半で体力を消耗し引退する男子プロが増えたのはこの過酷なシステムのせいなのだ。」

(絵は、ジーガーによっていろいろな薬を試されている当時のミューラーの姿の回想にかわり)

ミューラー
「そのなかで30代すぎても一線級としてとどまりたければ薬物に頼るしかないさ。ジーガーは僕の体にいろいろなクスリを投与してくれた。ヒト成長ホルモン、淡白同化ステロイド、男性ホルモンのテストステロン、アンフェタミン…エトセトラ…。目は血走り、尿は変色したが、おかげで僕は終始6位以内のランキングを保てた。プロテニスにはドーピング検査は無い。使いたい放題さ。」

「しかし、ある日クスリのツケを払う日がやってきた。肝機能障害で、ある試合を途中棄権したのさ。入院検査の結果、生殖器までイカレていた。ジーガーは廃物と化した僕を見捨てて若手のアモリノスに鞍替えし、僕の体で知り得た安全量を投与して彼を'93年の全仏チャンピオンにまでした。若さにクスリが加われば、もう無敵だろう。」

●”■×”
「ジーガーについては分かった。アモリノスに復讐したい訳は何だ?」

ミューラー(拳を握り締めて)
「彼はアルゼンチン屈指の大富農の息子で、大金を餌に3年も前からジーガーの奴を買収していたのだ!そして、自分との試合の前には、僕の体調を崩す目的でジーガーに異常な薬の調合をさせていた。もし1位の僕を破れば、数十位下位の選手でも一挙にランキング一桁代に浮上できる今の計算システムに着目したのだ」

●”■×”
「なる程。…では、お前の望みの狙撃の方法とやらを聞こう…」

(夕暮れの中を、街への買物から車で帰ってきたサリー。別荘に近付くと、ミューラーが部屋の奥の誰かに向かって話しているのが見える。)

サリー(車を運転しながら)
『誰かしら…今日は病院から往診がくる日ではないし…』

(再び、室内)

●”■×”
「…依頼の内容はよくわかった。指定口座への入金を確認し次第、仕事に着手する。」

ミューラー
「たのむ、●”■×”(数字)。生涯獲得賞金の残りすべてを振り込むよ」
(おもわず握手の手を差し出す)

(●”■×”、出ていく)

ミューラー(●”■×”を見送り、右手を降ろしながら)
『…フットボール[※サッカーのこと]、自動車レース、テニス…。西欧で生まれたスポーツが、新大陸の選手やアジアのスポンサーや薬物のために次々と非ヨーロッパ化されていく。そしてとうとう僕自身がテニスをすっかり汚してしまった…』
(頭を抱えて泣く。そのバックの窓からは落日とオーストリアアルプスが遠望され、象徴的である)


(林道を歩いている●”■×”。置いてあった自分の車が見える。と、そのすぐ隣りに別の車が停めてある。サリーの車である。●”■×”が用心しながら近付くと、サリーは●”■×”の車の前に立って彼を待ち受けている。)

サリー
「私はサリー・ニルセン。エルヴィン・ミューラー選手の付添い看護人で…友達でもあるわ。」

●”■×”(左手はズボンのポケットの中。右手は背広のポケットにつっこんだままで)
「俺になにか用か?」

サリー
「失礼ですけど、あなたは見かけない方だわ。お医者さまでもないみたいだし…。エルヴィンの交友関係はほんとに狭いんです。小さい頃からテニス、テニスの毎日で。だから私はエルヴィンの知人なら一人残らず知っているわ。でもあなたの顔を私は…」

●”■×”
「俺は新しく管財人として呼ばれたロッテルダムの弁護士のデ○ーク…」

サリー
「嘘!私はスポーツ・カメラマンだから分かるの。あなたのような目くばりをする人は、弁護士なんかのはずがないわ!」

●”■×”
「…じゃ、なんだ?」

サリー
「エ、エルヴィンから、アモリノス選手と彼のコーチに関して何か頼まれたのね?そうでしょ?…お願い、私にお手伝いをさせて!」

●”■×”
「…」

(すでに宵闇は深い。暗闇の森の中を、●”■×”の運転する車が走る。助手席にはサリーがいる。)

サリー
「私ならプレスのIDカードを持っているから、選手控室にだってフリーパスで近付ける!アモリノスとジーガーに復讐するなら、私くらい得難い助手はいないでしょ?」

●”■×”(前を見、ハンドルを握りながら)
「…」

(車が夜の林道にキキーツと停車する。車内。サリーが上半身の着物を脱いでいるところ。)

サリー
「こ、ここまでしても信用して貰えないの?」

(満月。アルプス。黒い森。停車している車から女のよがり声。)

サリー(●”■×”と全裸でからみながら)
「おおーっ、エルヴィン、愛しているわ!エルヴィン!そうよ!おおーっ」

Part 2

戻る