珠玉の没シナリオ大全集 part 10.9
自分で解説:江戸時代の炭の流通機構について調べていたら、「子供の道行」「それも一切無言」というクライマックスシーンを突如妄想した。そこで前後をいろいろと考えてみたが、どうにもまとまらなかったので、放棄! ここに載せるのは、途中で何度も破綻している断片であって、これから炭屋の話を一つ書いてみようとでもいう危篤な研究者以外が読んでも絶対に苦痛なだけであることを、予めご警告したい。まあ、身障者を登場させようとした段階で、すでに商業劇画誌への持ち込みの期待成功率はゼロと考えるべきものであった。
それまで理解の外であった心中プロットを初めて私に理解させたのはもちろん近松だ。都市の孤独の中でどんなに言葉を尽くしても世間に通じぬ自分の真心が一人の男(女)にだけは黙っていても通じたとすればそれは喜び。その稀有な幸せを羨み、ことほぎして、観客は泣いたわけだ。
その逆説として、知識豊富だが経験に乏しく、弁舌滑らかであるがゆえに、却ってその言葉が実にしらじらしく聞こえ、思う女に真心を伝えられない…そんな代表のキャラとして、奇妙な幇間の片思い物語も考えたことがある。が、それは前半1/10も書けなかった。筆者があまりにも経験不足だからだろう。
川舟
●登場人物表
唖の小僧 捨松(11)
唖の下女 おゑつ(11)
上州屋主人 惣衛門(50)
幇間医師 只紋断哲(44)
重手代 五助(26)
下級手代 八蔵(24)
先輩下女 たけ(35)
あらすじ
江戸中期、神田川沿いに蔵と河岸場を構える炭問屋の大店・上州屋。
ここに、聾唖の小僧捨松と、同じ障害を持つ縫子(お物師)のおゑつが奉公していた。なぜこの二人を雇い入れたかは、主人の惣衛門と番頭(紀州まで使いに行っていて作中登場せず)しか知らず、重手代の五助以下、他の奉公人は必ずしも彼らを歓待しているとはいえなかった。
季節は十一月。師走を控え、江戸の炭薪需要はピークに達しようとしていた。にも関わらずその朝惣衛門は、幇間医師の断哲を伴い、品川宿で催される句会とやらに出掛けてしまう。
輸送動脈である神田川水路の上流では、昨日まで数日来の大雨のため炭運搬船が停滞、そのため晴れ上がったこの日は、炭蔵前の河岸に入舟が殺到、てんてこまいとなっていた。次期番頭としてその腕を試されているとも知らぬ五助は、ついイライラと当たり散らす。
舟からの荷揚げの手伝いを命じられた捨松は、俵の中に、詐欺同様に持ち込まれた難破船荷物の粗悪品が混じっているのを発見し、機転をきかせて分別しておくが、五助はそれを理解せず、捨松を一方的に折檻する。さらに五助は、断哲がおゑつに“夜尿症の特効薬”として与えた仔猫まで溺死させてしまう。
雪時雨となった夕方、安らかな死顔の猫の屍を埋めながら、二人は心中を決意する。
折りしも七五三とて、寺社の門前など着飾った親子で騒々しい下町であったが、捨松とおゑつにとってはどんな音にも邪魔されぬ二人だけの“道行”であった。
句会と称し実は二人の最終落ち着き先を決めてきた惣衛門が品川から戻り、捨松の判断の正さを看破。奉公人総出で二人の行方を探す。
しかし時すでに遅く、彼らが発見したものは、薄氷の張った古池へと続き途絶えている、実の兄妹の足跡であった…。