川舟

没シナリオ大全集 Part 10.9


白紙やり直し検討案メモ
(97.7.1)

○店の表
 五助、店の奥からすっとんできて小僧#1の頭頂に拳骨を見舞い、顔をしかめる小僧を背に、駕篭の前に立っている断哲の前に深々と御辞儀する。
以下の会話の間にも彼らの傍を、空の大八車や仲買商の牛車に山積みされた炭俵が朝の挨拶や牛追い声とともに河岸地に出入りし、河岸通りをガタガタと右往左往していく。

五助「…これは断哲様、お早いお運びで恐れ入ります。小僧共が大変ご無礼を申しまして…」

断哲「(手代を制する手付きで機嫌良く)イヤ手代さん、小僧共の棚卸し(=人物評価)もなかなかの目利き。元御目見医の断哲も、この頃はすっかり大尽(*)の腰巾着、町幇間のようなものですからなあ」[※註:遊廓で豪遊する財産持ちの旦那]

五助「(恐縮の体で)…ただいま主人惣衛門を呼んで参ります(と、奥へ)」

○母屋に通じる廊下
 主人の居住棟に向かう五助。

五助『(ヤレヤレといった顔で)…なにも師走前の掻き入れ時に、泊まりの連俳会などにおでかけにならずともよさそうな…』

 五助、主人惣衛門の居間である奥座敷前に至る。

惣衛門(声)「断哲先生はいらしたのか? おい、誰か?」

○奥座敷
 女中に手伝わせ、古唐桟の着物に着替え終るところの主人、上州屋惣衛門(50)。
 そこへ五助、顔を出す。

五助「五助でございます。ただいま、表に断哲先生が…」

上州屋「(喜悦満面となり)おお、わかった。すぐ出る」

○裏庭に通じる飛び石の小径
 惣衛門がすぐに出てこないのを知っている断哲、裏手河岸地側の二階庇におゑつの夜具が干してあるのを見つつ、懐手で瓢々と裏庭まで歩いてくる。

○裏庭の井戸
 捨松、蔵脇の天水桶の内側清掃を実施している。
 息が白い。
 あかぎれのある裸足に冷水が容赦なくはねかかる。
 と、そこへ、台所用の水瓶に上水を補給する役のおゑつが出てくる。
 捨松、おゑつに気付き、つるべ水を汲み上げてやる。
 おゑつの手足にもあかぎれがある。
 そこへ断哲が現れる。
 捨松、おゑつ、顔見知りの断哲に御辞儀をする。

断哲「その後辛抱しているかな、おゑつ、捨松」

 おゑつ、捨松、断鉄の唇を読み、頷く。

断哲「おお、唇が読めるか。我が座敷芸にも勝るやつ。…ときにここに夜尿[よばり]の妙薬を持参したぞよ。(懐から紫ふくさにくるまれた塊を取りだし、渡す)」

 捨松、受け取ったふくさを開くと、いたいけな仔猫が顔を出す。
 猫の首に薬袋が下がっており、“三毛行火丸”“日本橋只紋断哲謹調”と風流な草書体で書いてある。
 おゑつ、目で断哲に『貰っていいか』と訊く。

断哲「おお、取るがいい」

 おゑつ、ペコリとおじぎをして屋内へ運ぶため母屋へ走る。

断哲「(捨松に)捨松、明夕品川宿より戻ったら、いい話があるぞ」

 捨松、しかし断鉄のこの言葉は読めず、怪訝な顔。

表から声(下女)「断哲さま!…断哲さまはどちらへ!」

断哲「(捨松に)ではさらば…」

捨松『(断哲の唇を読み)デ・ハ・サ・ラ・バ…デ・ハ・サ・ラ・バ…』

○店の表
 断哲が裏庭から戻ってくると、惣衛門、お内儀に見送られてちょうど表に現れる。

断哲「これは上州屋御主人、古唐桟[ことうざん](*)揃えとはまたご趣向で!」[※註:江戸前期に中国経由で輸入された南蛮絹布で、後代の風流人が争って求め、破格のプレミアムがついていた。]

惣衛門「(機嫌良く)断哲先生も、朝脈[あさみゃく]にはちと目立った縮緬づくめで。…それじゃ五助、二日程明けるからね」

五助「道中お気を付け下さいまし…」

惣衛門「番頭も紀州へ遣いで留守だし、蔵方[くらかた]重手代[おもてだい](=筆頭の手代)として、しっかり頼みましたよ」

五助「へいっ(深々と礼をする)」

他の手代、小僧共「お早くお帰りなさいまし」

居合せた下女達「(小僧達と同時に)お早くお帰りなさいませ」[※“まし”は男言葉、“ませ”は女言葉。]

断哲「(惣衛門と同時に駕篭に乗り込みながら)いいかい、品川までやっとくれ」

駕篭かき(後棒)「合点でがす! おう、先棒!」

○母屋二階からの俯瞰
 駕篭が持ち上げられ、かけ声調子良く遠ざかる。
 それをおゑつが声にならない声を出して見送っている。
 おゑつの傍らには、女中部屋の拭き掃除の途中であることを示す雑巾と手桶がある。
 おゑつの懐には、仔猫がしっかりと抱き締められている。

○パノラマ俯瞰
 遠景の二丁駕篭が橋を渡って遠ざかる。
 近景の神田川では、産地である上州からの炭俵を満載した中型複数丁櫓の荷舟(関舟、荷足舟、他)が、上州屋の土蔵前の河岸へと列を成して下ってきたところ。

○表座敷のすぐ裏にある帳場
 五助が再び八蔵とともに座って大小さまざまな帳面を拡げ、文字や数字を消したり書入れたりしている。

八蔵「(溜息を付き)ああ、それにしても旦那様はいつまで五助さんを手代のままにしておきなさるおつもりなのか…。番頭さんに暖簾下げのあるという話も聞きませんし…」

五助「八蔵、詮ないことだよ。それより今日は、節季の帳簿締めをどうでも終らせたいからね(と、手を出す)」

八蔵「へい、掛残金帳で…(と、渡す)」

表から声(若い手代)「佐野山の荷が着きます!」

八蔵「(大声で)何杯だ!?」

表から声「四…五…いや、まだ来ます!」

八蔵「きっと昨日までの増水が引くのを待っていたんだ。これは忙しくなりましょう」

五助「(不機嫌な顔で腰をあげながら)参ったな…揚げ人足だけじゃ足りやしまい。男衆は総出で昼までに荷揚げに出るんだ」

八蔵「えっ、小僧共も…?」

五助「勿論だよ!…この帳面付けは昼食[ちゅうじき]の後だ。(手をたたき)おい子供や!」

 五助、そういいながら腰の矢立てに筆を収め、裏庭の河岸地の方に出ていく。
 薄い帳簿一冊だけを持って後を追う八蔵。

○裏庭の井戸
 天水桶の最後の一つを藁のたわしで洗い終えようとしている捨松。
 と、他の小僧たちが表に走り出ていくのが見える。
 あわてて後を追う捨松。

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