没シナリオ大全集 part 4.9
カスピの砲煙
自分で解説:オレは同じような話は二度と書きたくない性格だが、当時の担当編集者は、「とにかくロシアもの」という頼み方だった。そもそも一回目も二回目もロシアだから、オレはロシアなんかもううんざりなのだ。しかし、遂に頼みを断り切れずに書いた。書いて出したら、突っ返された。それをかなり書き直して、また不採用。なにしろ中編(5連載分)だ。結局、たいへんなエネルギーをドブに捨てたのである。これを読んでいるヒマな貴方、劇画原作者なんかになろうと思わん方がエエよ。人生の若いときは二度と来んからねえ。
Part 1:私的制裁
○バクー・カスピ艦隊海軍学校・回想シーン
海軍学校兵舎。
ネーム「バクー市・ソ連邦カスピ艦隊海軍兵学校−−一九九一年−−」
○教場内部
教官のマクシモフが生徒十数人を前に講義中。
マクシモフ「…では状況を与える。貴艦隊は燃料、弾薬共に欠乏、その時火力で数倍する護衛艦群を伴った敵輸送船団が味方領土に接岸中であるのを発見した。貴官の対処は如何」
士官生徒1「状況を艦隊に報告するとともに、交戦を避け迅速に離脱します」
マクシモフ「フム、生徒隊長、君は?」
生徒隊長「同意見です。艦隊は存在してこそ政治力を発揮します。無謀な攻撃で全滅してしまえば、敵に制海権を与えてしまいます」
マクシモフ「良い意見だ。劣勢艦隊は優勢艦隊とは異なる戦術によるべきである…」
サホノ「…いや、それは場合によるのではないか思います、マクシモフ教官!」
マクシモフ「誰だ?…サホノ生徒、君に意見は尋ねとらんぞ」
サホノ「敵護衛艦の主砲が100ミリ以下ならばすぐに沈められることはありません。優速を生かし、衝角攻撃(体当たり)によってでも敵上陸を妨害すべきかと思考します」
マクシモフ「用兵の邪道というのだ、そういうのは」
サホノ「納得できかねます。現に味方市民の人命財産が危殆に瀕している以上、海軍軍人は…」
マクシモフ「黙れ!生若輩の分際で、艦隊勤務歴十余年のわしに講義を垂れようとてか!」
サホノ「ううっ…!」
マクシモフ「貴様らアルメニア人如きは中国人相手に西瓜でも売り歩いていれば良いのだ(*)。栄え有るカスピ艦隊の兵学校になど紛れ込んだがそもの間違い…!」
[※アルメニア人は東欧からシベリアまで股にかけた行商人としても知られている。]
サホノ「教官…それは余りな雑言、わが出身民族の名誉のため、聞き捨てはなりませんぞ!」
マクシモフ「何!?」
生徒隊長「教官に口答えするか!(と、つかみかかる)」
同級生徒1「そんなアルメニア人、やっちまえ!」
外野「ヤキだ、ヤキだ!」
生徒達、よってたかって素手でサホノを殴り付ける。
一部の心有る生徒は、この光景を苦々しく思いつつも顔を背けている。
マクシモフ「フン…(冷たく傍観している)」
生徒隊長、重量感のある置物のガラス細工を掴んで振り上げる。
生徒隊長「教官、これでこいつの性根を叩き直してやります」
サホノ「やめろーっ!」
生徒隊長、そのガラス細工を振り下ろし、サホノの左顔面を激しく殴打、大きな音がする。
サホノ「ぐわーっ!(左目を抑えて床に倒れる)」
同級生徒3「ハハハッ、いいザマだぜ」
同級生徒4「アルメニア人はアゼルバイジャンから出ていけ」
サホノ「くっ…教官…!」
マクシモフ「(鼻で笑いつつ)己の不始末、自業自得だ」
サホノ「き、貴様…!」
マクシモフ「サホノ、親心までに諭してやろう。…アルメニア人は所詮は山の蛙。軍艦を指揮するなど永久に無理なのだ、フ、フフハハ…、分かったか!」
サホノ「マクシモフ!…も、最早堪忍ならぬ!」
と、左目から激しく出血しながらも立ち上がろうとするを、再び引きずり倒され、生徒たちに足蹴にされるサホノ。
マクシモフ、その騒ぎを背に、冷笑しながら教場を出て行きながら、
マクシモフ「堪忍ならずば何とする?山の蛙は山で鳴くがよかろう。バカな奴だ」
○列車の中
海軍将校のきちんとした、しかし幾つかのカギ裂きを繕った跡のある制服を着装、片目に眼帯をかけたサホノ、カスピ海西岸を北上する列車に揺られながら、ぼんやりと右側の窓の外に広がる海を見ている。
足元には私物持物を詰め込んだ大きなダッフルバッグが転がしてある。
サホノは冒頭シーンにくらべてひどくやつれ、生気に欠け、ほとんど無表情である。
○アティラウ港・回想続き
グリエフ(アティラウ)市の景観。
ネーム「カザフスタン・アティラウ港(旧名グリエフ)−−」
○同港・カザフスタン海軍の建物
『カザフスタン艦隊司令部』と書かれた表札の前に全く無表情で立つサホノ。
○同建物内・港を見下ろせる部屋
汽車の中にいたときと同じ格好で、足元にダッフルバッグを置いたサホノが上級将官の前に立って帰着報告をしたところ。
上級将官「(サホノに関する書類を見ながら少しも歓迎の表情無く)帰ってきたか、サホノ大尉。バクーで聞き及んだと思うが、ソ連邦は崩壊した。これから君はカザフスタン海軍の少佐として北カスピ海を警備してもらう」
サホノ「(無感動に)私の艦は、どれになりますか?」
上級将官「うむ、わが国なりの民族政策を反映した、特別な一艦を用意しておいた」
○アティラウ港・軍用埠頭
リガ級フリゲートが数隻停泊しているが、中でも目立って痛みのひどい一艦がある。
[※註:リガ級は旧ソ連カスピ海艦隊の最大の軍艦。1,260トン、91×10m、蒸気タービン、30ノット、人力装填式の単装100ミリ砲塔×3、37ミリ連装機銃塔×2、25ミリ連装機銃座×2、3連装魚雷発射管×1、ミサイル武装は無し。]
サホノ、その艦を見つつ、埠頭の上をタラップ前まで荷物を持って歩いて行く。
タラップ前に、サホノを待っている士官がいる。
副官「新任艦長のサホノ少佐でありますか?」
サホノ「そうだ、君は?」
副官「この艦で副官を勤めることになりました、通信科出身のハチャトゥリアンです。(艦を示し)ご案内致しましょう」
サホノ「(共にタラップを渡りながら)私がバクーの海軍指揮課程で、最低の成績をつけられたことは知っているか?」
副官「はい。しかしそれは少佐がアルメニア人だからであります」
サホノ「なぜ分かる」
副官「自分もアルメニア系だからであります」
サホノ「…!」
副官「ついでに申し上げれば、この艦の乗員は水兵まで、カザフ在住のアルメニア系で占められております。最近アゼルバイジャンから逃げてきた者もおります」
サホノ、その言葉に驚きながら甲板に達すると、水兵達が走り出、登舷礼で迎える。
ラッパが鳴る。
先頭の士官「艦長にィー、敬礼ッ!」
全員の敬礼。
サホノ、隣りの副官を見ると、彼もサホノに向き直って敬礼している。
サホノ「…」
先頭の士官「あなたのお帰りを、全員お待ちしておりました!」
敬礼する全将兵の表情に、心からの歓待が表われている。
サホノ「(いままで無表情で来たが、ここで泣いてしまう)…諸君…!」