カスピの砲煙

没シナリオ大全集 part 4.9


Part 3:蹶起


○夜のカスピ海・嵐・数週間後

 時化模様の夜の沖合いを進むサホノの艦。

○ブリッジ
 強風が窓を叩くブリッジで、サホノ、ハンドマイクを取る。

○艦内各所
 艦内のいろいろな持場で士官・下士官・兵たちが耳をすましているところへ、スピーカーから、サホノの声が流れてくる。

サホノのアナウンス「諸君…これまで数週間、第二砲塔下の弾庫で秘かに組み立てていた“装置”は完成した。…これより我が艦は、低気圧の中心に向かい、沈没を擬装…無線封止のままバクー沖に向かう。…同海域では明日午後、アゼルバイジャンの全戦闘艦艇が参加する観艦式が行なわれる。これには海軍司令マクシモフと、大統領ナスタロフスキーが臨場する筈である…」

 艦内廊下の水兵たち、「ウオーッ」というどよめき。

サホノのアナウンス「…我が企図は、観艦式が終了し引き返さんとする敵艦隊に追蹤[←ルビ=ついしょう]し、これを撃沈破しながらバクー港最奥部に突入、“装置”を作動させて…」

 ゴクリと息を呑む士官室の士官たち。

サホノのアナウンス「…アゼルバイジャンの首都もろとも灰燼に帰することにあり。…もとより生還はあり得ぬ片道作戦だ。気がかりのある者は申し出てくれ。退艦を許可する」

副官「降りる者など一人もいませんよ、艦長!」

サホノ「…」

○バクー港沖・午後・曇天
 リガ級フリゲート数隻を中心とする艦隊が、単縦陣で堂々の行進。
 どの艦の甲板上にも、登舷礼で舷側にずらりと並んだ正装の水兵達。

ネーム「アゼルバイジャン・バクー港沖−−」

○スヴェルドロフ級巡洋艦
[※1万3千屯、全長210m、3連装152ミリ砲塔×4基、100ミリ連装砲×6基、機関砲多数、ミサイル武装は無し。戦後間もなく建造された旧式艦だが威容である。]

 観閲官の座乗する巡洋艦が洋上に停止している。
 フリゲートの単縦陣が、その横100メートルのところを対向方向へ次々に通過して行く(ごく普通の観艦式のパターンである)。

○巡洋艦・艦橋
 ナスタロフスキー大統領とマクシモフ海軍司令長官が満足気に艦隊の行進通過を眺め、答礼している。

ナスタロフスキー「昨晩の時化でカザフ海軍のフリゲートが一隻沈没したらしいな、海軍司令長官」

マクシモフ「はいっ、大統領閣下。これでカスピ海の軍事バランスがまたアゼルバイジャンに傾いたというものです」

ナスタロフスキー「石油収入で海軍陣容を充実しよう。カスピを、我がアゼルバイジャンの池と成すのだ」

マクシモフ「そうなれば我国は地域強国。うっとおしいアルメニア人どもをどう処置しようと、もう誰にも口出しはさせません」

ナスタロフスキー「その手始めにこの巡洋艦をウクライナから買ったのだ。どうだ、この艦を“アドミラル・マクシモフ”と名付けては?」

マクシモフ「いえ、もったいのうございます。是非々々“オレグ・ナスタロフスキー号”とご命名あって然るべきと存じまする…」

ナスタロフスキー「ういやつよのう、マクシモフ」

 最後の一艦が通過する。

マクシモフ「さあ、観艦式も無事終了いたしました。これより本艦はバクー港に引き返します」

ナスタロフスキー「うむ、大義。堂々の艦隊運動であった」

○更に沖合い
 単縦陣の先頭艦の見張り士官、水平線上に煙を認める。
うす汚れた別なリガ級フリゲートの一艦がこちらにヘッドオンしてくるのが双眼鏡で認められる。

士官a「おいっ、あのリガ級は…どこからやってきた?」

士官b「あ、あの艦首番号は…!」

士官a「荒天訓練で行方不明のカザフ海軍の船だ!」

○サホノの艦

声「アルメニア国旗を信号マストに掲げよ!」

 と、国旗が、するすると信号マストを昇る。

○サホノの艦の艦橋
 双眼鏡を見ている艦長・サホノ。

サホノ「…間もなくだな。カスピ海で行なわれる最初の海戦は…」

副官「サホノ艦長、全砲塔、水雷共に合戦準備(*)完了であります!」
[※註:海軍では“合戦”という古い言葉が生きています。それらしい感じを出すため、この語彙を採用しました。]

サホノ「(艦橋内の士官全員を見回して)お前達、勝っても負けても死ぬのだぞ…それでも私についてくるか?」

副官「(色をなし)何と!」

士官1「艱難辛苦、沈没を擬装してまでここに至り、今さら心外な!」

士官2「我ら虐げられしアルメニア人、積年の恨みを晴らすのはこの時!」

士官3「地獄の底までお供する所存!」

サホノ艦長「…うむ、では礼砲を撃ってやろう。砲雷戦用意!」

○サホノの艦の甲板上
 三基の100ミリ砲塔と三連装魚雷発射管および機銃座が、対向コースでやってくる単縦陣先頭のリガにピタリと照準を合わせる。

○アゼルバイジャン艦隊の単縦陣先頭のリガの甲板上
 登舷礼で堵列している水兵たち、サホノ艦を見て動揺が走る。

水兵a「ボイラー全開だぞ、煙突から火の粉を吹き出してる」

水兵b「艦首波を見ろ、25ノットは出てる」

水兵c「このままのコースだと、正面衝突だ!」

士官d「(ずっと見ていた双眼鏡を下ろして)信じられん…あれはアルメニア国旗…!」

○ロング
 サホノの艦と単縦陣の先頭艦、まさに擦れ違わんとす。
 戦闘艦上の水兵たちは慌てて艦尾方向に走る。

○サホノの艦の甲板上
轟然斉射の火を吹く100ミリ主砲。
 外部に露出した砲尾では、水兵がただちに次弾を手動で装填する。
37ミリと25ミリの機関砲も派手にうなり始める。

○アゼルバイジャン艦隊
 後続艦にも擦れ違い様に100ミリ砲弾が命中し、水兵らが吹き飛ばされる。
 単縦陣を乱して右往左往するアゼルバイジャン艦隊。
 早くも全艦が炎上、傾斜しており、壊滅状態だ。
 サホノの艦、最後尾の艦を銃撃して全速通過、シーンとする。
 天候は曇りで、波やや高く、風雲急を告げている。

○サホノの艦・艦橋

サホノ「応戦のいとまはなかろう。既に式典用の弾はすべて射耗した後だろうからな」

副官「艦長、マクシモフの乗った巡洋艦がどこにも見当たりません」

サホノ「一足先にバクー港に帰ったか」

副官「送り狼になりますか」

サホノ「うむ…(双眼鏡を強く握り締める)」

○ロング・日没間近
 燃える敵艦隊の残骸と夕日を後に、白波蹴立ててバクー港へ向かうサホノの艦。

○バクー港
 巡洋艦が防波堤のすぐそばまで戻って来ている。

○巡洋艦艦橋
 伝令らが電報紙を持って右往左往している。

ナスタロフスキー「早く、早く埠頭に付けろ!反乱艦が追い付いてくるではないか!」

マクシモフ「大統領、落ちついて下さい。報告によれば相手はフリゲートただ一艦。この巡洋艦の装甲と火力に敵するものではありません」

ナスタロフスキー「わ、私を無事上陸させてから反撃するのだ。よいな!」

マクシモフ「もうじき接岸しますからご安心召されい」

士官a「報告!謎のフリゲートはアルメニア国旗を掲げているそうです」

マクシモフ「(電報紙をひったくって読み)うろたえ者、この艦首番号は、カザフの行方不明艦だ」

ナスタロフスキー「一体どうなっとるんだ、マクシモフ!」

参謀(冒頭の生徒隊長)「司令、これはきっと、あのサホノのやつが反乱を…」

マクシモフ「うむ艦隊参謀、お前もそう思うか…」

参謀「サホノの狙いは何なのでしょう!?」

マクシモフ「バカ者、このわしに決まっておろう!わしを逆恨みしてやってきたのじゃ!…大統領閣下、これからあの狂犬の鼻面を叩き伏せてご覧に入れます」

ナスタロフスキー「一刻も早く接岸せよ!」

○サホノの艦
○同・艦橋

士官1「バクー港だ」

副官「天佑だ!全くの無防備、丸裸だぞ」

見張り「港内に、敵巡洋艦!」

 双眼鏡画像に、一番奥の埠頭に接岸しているマクシモフの巡洋艦と、埠頭上を走り去るナスタロフスキーの黒塗りリムジンが見える。

サホノ「見参だ、マクシモフ!」

士官2「…ウクライナが石油と交換に売り飛ばした旧式のスヴェルドロフ級か」

士官3「マクシモフもきっとまだ乗艦しているはずです!」

見張り「敵艦の砲塔がこっちを向いた!」

艦長「よいか、あの一五二ミリ砲十二門の斉射に捉えられたら、この壮図もそれまでだ。慎重に狙え!」

士官ら「はいっ!」

サホノ「水雷発射!」

 魚雷発射管から三本の魚雷が海中に滑り込む。

見張り「敵艦、発砲炎!」

 たちまち十一本の巨大な水柱に挟叉される。
 艦橋基部で大爆発。
 ガラス割れ、艦橋に居合せた士官ら全員壁に叩きつけられる。
 もうもうたる煙、各所に火災も発生。

サホノ「(物につかまって這い上がりながら)て、敵巡洋艦はどうなった!?」

○巡洋艦

参謀「初弾、フリゲートの艦橋基部に一発命中!」

マクシモフ「(双眼鏡で眺めつつ)山の蛙め、思い知ったか。次の斉射で止めを刺す!」

スピーカー「雷跡ーっ、左60度ーっ!!」

マクシモフ,参謀「何ィーッ!!」

○ロング
 巡洋艦の艦尾に轟然、高い水柱が立つ。
 他の二本は岸壁に激突、埠頭上のガントリークレーンが恐竜のように倒れる。

○巡洋艦艦橋
 マクシモフら、衝撃と振動で床に尻餅をつく。

参謀「(電話を取り)射撃指揮室、何をしている、反撃せんか!」

○巡洋艦艦橋下部の射撃指揮室

士官e「今の雷撃で配電盤に故障!主砲塔四基とも回りません!」

○巡洋艦艦橋
 参謀とマクシモフ、顔を見合わせる。

○サホノの艦

副官「全火力で艦橋を狙い撃て!」

○ロング
 巡洋艦の艦橋に砲弾と銃弾の集中着弾。

○巡洋艦
 マクシモフ以下、床に伏せてサホノ艦からの火力指向を凌いでいる。

マクシモフ「狂犬め、ヤケを起こして衝角攻撃で来るか!?」

○サホノの艦

サホノ「副官、いよいよやるぞ!“装置”の起爆準備よいか?」

副官「(艦内電話を片手に)そ、それが…弾庫からの報告では…先程の命中弾で不具合を起こし…調整が遅延しています!」

サホノ「何っ、千載一隅のこの機会に、起爆できないだと?」

副官「(電話を片手に)修復にはなお数時間を要する見込みとのことです!」

サホノ「(目前の巡洋艦を見据えつつ)ううむ…、ここまで来て、みすみす…!」

士官2「起爆に失敗しては犬死にです!」

副官「“装置”をアゼルバイジャンに渡すことはできない!ここは一時退避すべきでは、艦長!」

サホノ「む、無念…!」

○ロング・夕日没せんとす
 防波堤の前で急反転するサホノの艦。

声「砲戦止め!転針180度!煙幕展張、全速維持!各班長は損害を報告せよ!」

○巡洋艦

マクシモフ「(喜色満面にて)見よ、やはり犬艦長が臆病風に吹かれ、尻尾を巻いて逃げよるぞ!」

Part 4

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