28榴弾写真置場

虫のよいお願いシリーズ、其の二[堅鉄榴弾]

ver.2003.0809


(兵頭 二十八 先生 より)
皆様、暑中お見舞申し上げます。

 現在わたくしは、帝国陸軍が明治37年に内地から旅順へ持って行った「28cm榴弾砲」から発射された「堅鉄榴弾」についてできるだけ深く広く調べようとしております。
 それで岐阜県のお近くの方にお願いがあります。

 インターネット情報によれば、不破郡 垂井町 東2丁目 の「喜久一九稲荷神社」の境内に、旅順で鹵獲し日本まで回航してきたロシア軍艦『バヤーン』の船内から2発発見されたという(おそらく不発の)28cm砲弾のうち1発が展示されているとか。

 まことに勝手なお願いですが、この砲弾のディテールを、できるだけ鮮明な写真に収め、それをこのサイトの一隅にて公開して戴けないでしょうか?

 そのさい、次のリクエストがあります。

一、他の砲弾との間違いでは絶対にないことを確実に承知するため、直径、銅帯のない胴中の外周長、全長を、それぞれ実測してみてください。

二、弾底信管の螺部分の大きさが精密に分るように、そこに巻尺/モノサシを当てた写真も撮影してください。

三、弾頭部分に何かネジこまれていないかどうか、クロースアップもお願いします。
 この三つ目のリクエストの意味は、「28cm砲弾」にも数種類があって、弾頭に信管のついているものは、旅順で発射された「堅鉄榴弾」ではないのではないかと疑われるからです。
 じつは函館の「船魂神社」にも、函館要塞の重砲連隊が大正時代〜昭和前期に奉納した28cm砲弾が現存するのですけれども、これは弾頭に信管のようにも見えるものがネジ止めされています。(ちなみに砲弾の外肌は赤錆びてはおらず、ナマリ色で、これは「一号釜石鼠色銑」、つまり南部鉄の鋳物であったという情報に合致するかもしれません。)

 この他、大連の博物館にあるというタマも、インターネットの写真を見るかぎりでは、明治37年に旅順で撃った「堅鉄弾」ではないのではないかという疑問が湧くのです。(日露戦後に旅順要塞の主となった重砲兵部隊が持ってきた、普通の榴弾、あるいは榴霰弾ではないか?)

 他にも、「近くの神社に直径28cmの砲弾がある」という情報がございましたなら、この掲示板にご一報くださいますと幸いに存じます。

岐阜の喜久一丸稲荷神社の現存28cm砲弾のレポート
report 1:Masato-Shit 様 の レポート
report 2:読書公社 様 の レポ−ト

(管理人 より)
 画像の形式は、大体何でもokです。もし送っていただける方いらっしゃいましたら、[scheherazade@elle.design.co.jp]までよろしくお願いします。

 情報を御提供頂いた方々に、改めて感謝。


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