地獄の骨男(仮題)

没シナリオ大全集 part 2


地獄の骨男・2:ニュージャージー・プロット

 (リライト95.5.20)


○ニュージャージー州南部の工場跡地
 三日月の下に延々と続く鉄条網の柵。
 柵のところどころに、『OFF LIMITS(立入禁止)』『OHTEMON CHEMICAL CO.,LTD(大手門化学)』という表示看板が針金で縛り付けられている。
 ところが、その厳重な柵の一箇所の施錠が外れて、金網製のゲートが半開きになっている。
 そしてそこからふたり分の足跡が中に続いている。
 足跡の延長線上、広大なサラ地の中央付近に、二人の男がいる。
 ひとりは懐中電灯で地面のある箇所を照らし、もうひとりはツルハシを振るってそこを掘っている様子。

○跡地中央
 ツルハシの先が何かに当たり、ゴツンという音がする。
 地中から顔をのぞかせたのは、古いドラム缶の一部。
 アンダーテイカーのマネージャーのような風采の弁護士ボイド(40)が、懐中電灯を近付け、そのドラム缶を指で示す。

ボイド「ご覧なさい! 私の申し上げたことが嘘でなかったことが、立証されましたなあ、カラハシさん?」

 ツルハシを杖のようについて腰を屈めたのは、大手門化学の北米駐在員で、NY生活が長く、擦れた感じのする唐橋(36)。
 唐橋、ドラム缶の表面の泥を指で擦り落とす。
 表面はひどく腐食している。

ボイド「(真剣なまなざしで驚き) おおっ、大変だ! そんな状態では、これは内容物も少し漏れ出しているかもしれ…」

 唐橋、急にツルハシを放り投げる。
 そのツルハシ、くるくると回転して、ボイドの足元に突き刺さる。
 ボイド、少しギョッとする。

唐橋「(立上り) そろそろ芝居はやめてビジネスの話をしろ、ボイドさん。あんたは弁護士だが、“市民屋”なんかじゃない」

ボイド「(意表を突かれて) …どうして…?」

唐橋「最高級のスーツを着ていても、骨まで腐ったやつは匂いで分る。NYに14年も出店を張ってればな」

ボイド「(ややムッとして) なるほど…その英語からして、ただの日本人駐在員とは違っておりますなあ」

唐橋「最初に僕の耳にだけ入れてくれたんだ。もちろん…」

ボイド「(揉み手をして) ええ。水ゴコロあり、ですとも。どちらも得をするご提案が…」

唐橋「聞こう」

ボイド「部外には秘密に、こいつの撤去を請け負いますよ。私は報酬、あなたは出世…」

唐橋「(無表情に頷き)…IT’S DEAL[乗ろう]…!」

ボイド「どうやらわれわれは、同じ種類の人間ですなあ」

○数日後・東京丸の内を中心とした大俯瞰・午前10時半

○大手門化学本社ビル・全景

○同ビル内・重役会議室前廊下
 『重役会議室』のプレートと、『只今 会議中』の立て看板がある。

室内から廊下に漏れている話声「………」

○重役会議室内
 来期の決算対策を話し合う会議の最中。
 正面の社長、副社長をはじめ、部長以上の経営幹部が勢ぞろいしている。
 末席には、やる気を内に秘めた若小路がいる。
 正面脇の白板には株価のチャート図や、貸借対照表が。
 その前に立ってさきほどから意見を述べているのは、経理畑一筋の橘専務(53)。

橘「…世はあげて“規制緩和”と申しましても、化学製品すべての原料となるナフサの値段は世界一高いままでございます。円高基調は今後も続く見通しですので、来期決算の赤字を最小限にとどめるため、このさい株式配当の減配もやむなしと存じます。ひとつこれを本日の経営幹部会議のコンセンサスと致したく存じますが…」

 橘、一同を見渡す。

社長(64)「誰か、いまの橘専務の考えに異議のある者はないのか?」

 一同、下を向いたり他人の顔色を窺っている。
 すると、どこの組織にも一人はいる、典型的日和見主義者の小森常務(49)が、早速仕切りにかかる。

小森「(軽薄な笑いを振りまきつつ) じゃあ、みなさん! え〜、ここは議事録には全員一致で賛成ということで…」

声(若小路)「いや、待ってください」

 橘、ギョッとする。
 全員、一斉に末座を注目。

橘『(苦々しく)…若小路…!』

社長「(無表情で)…異論があるのか? 聞こうじゃないか」

若小路「(立上り) はっ…私のような若輩が、甚だ恐縮でありますが…。大手門化学は、デュポンやダウに倣い、M&Aによって日本最大の化学メーカーの地歩を築きました」

橘「(苦々しく小声で) そんな歴史の講義は聞いとらんよ」

小森「(軽々しく尻馬に乗り) そうですとも、ここは社史のおさらいをするところじゃありませんぞ!」

 が、社長は、興味深げに耳を傾けている。

若小路「我々の業界は規模[スケール]こそが競争力です。ファイン化の研究で他社をリードするためにも、我が社はもっと大きくなる必要がある。それには株安につながる減配などもってのほかではないでしょうか」

橘『ムウッ…この若僧が…! (若小路に真っ向から反論されて、内心気色ばむ)』

 社長は、『フムフム』といった感じで、若小路の説を感心して聞き入っている。
 若小路、そうした社長の様子をチラリと視野の隅で確認しつつ、更に話を続けて、

若小路「黒字決算を維持する方法があります。バブル時代に北米に買いこんだまま遊休化している土地を売却するのです」

橘「(もう堪えられないといった様子で) き、君は部長に昇格したばかりの身でありながら、この私の経理分析を真っ向から否定しようというのかね!?」

小森「(すぐ尻馬に乗って机を叩き) そうですよ若小路くん、生意気じゃないですか!」

社長「いや待ちたまえ、橘専務に小森常務。法務部長のいうことは至極もっともだ。それができるなら、ひとつその線で煮詰めてみようじゃないか」

専務「(ショックを受け) しゃ、社長…」

小森「(この風向きに敏感に反応、態度を一変させて) イヤ同感です、社長! 私もこの際はそういう線でいくしかないと思っておりました! さすが若小路くん、社にとって何が最善かをよく見とるっ!」

若小路「(余裕の薄笑いを浮かべ) おそれいります」

副社長「それでは本日はこれにて散会とする。なお、若小路くんは私とひきつづき、ここに残ってくれたまえ」

若小路「かしこまりました、副社長」

 列席者、ざわざわと席を立って会議室を出ていく。
 正面の社長と副社長だけ、席を立たない。
 専務は若小路を睨みつけて出ていくが、若小路は正面を向いたまま無視。

若小路『しかし…社長と副社長と俺だけとは、一体なんのお話が…?』

 ドアが廊下側からバタンと閉められる。
 会議室には3人だけが残され、シーンとする。

副社長「若小路くん。さっきの君の提案だが…」

若小路「(機先を制して深々と頭を下げ) どうも大変出過ぎた態度で、申し訳ござ…」

副社長「いや、そんなことではない。実は、あのニュージャージーの土地は、法的に問題があるのだ」

若小路「えっ?」

副社長「現地の法制は承知と思うが、土地を買った後に、もし地中から不法投棄物が発見され場合、その処理は現オーナーの責任となる。完全に除去しないと、転売も許されん」

若小路「はあ…」

社長「その、不法投棄物が発見されたんだよ。つい、1ヵ月前だが…」

若小路「何ですって…」

副社長「このことはまだ、社長と私、そして現地NYオフィスの唐橋くんと、君の部の中…ナントカかいうベテランの4人しか知らん」

若小路『ゲッ…よりによって中骨の死に損ないが、上司の俺も知らない社の機密を共有してるだと…!?』

社長「それでわしもどうしたものかと悩んでおったんだ。が、さっきの君の演説で肚をくくったよ。若小路、君に、来期までにあの土地を売ることを命ずる!」

若小路「ハッ、身に余る光栄でございます!」

副社長「で、わかってると思うが、若小路くん。もし売り損ねたり、社に余分な負担をかけることになったら、その時は進退を考えてもらうよ。この意味は分るね?」

若小路『(内心、ガーンとなり) オ、オレのキャリア・プランが…!』

若小路「(しかし表面は完璧に取り繕って) はい。あのように申しました以上、それは覚悟の上でございます!」

社長「そうか。だが、うまく転売できたら、私の方こそ君の処遇を考えさせてもらうからな。どうだ、最年少で常務取締役就任というのは?」

若小路「(感動で声にならない)…!」

副社長「(やや慌てて) 社長、役員人事に関するそのような言質[げんち]を自らお与えになりましては…」

社長「まあエエじゃないか。堅いこと言うな、ウワハハハ…!」

○廊下
 心ここにあらずという体の若小路が、法務部に向かってフラフラと歩いていく。

若小路『…見事転売を成功させれば大抜擢人事…。が、失敗すれば、日頃リストラを口にしているこの俺がリストラされる! ああ、この天国と地獄っ!!』

○部室の前

若小路『しかもこの問題を相談できるのが、あの中骨だけだなんて…。トホホ…今年は俺の厄年か?』

○法務部
 若小路が入っていくと、なにやら、皆が慌ただしい様子。

若小路「(近くの寺沢を掴まえ) 何だね寺沢くん、みんないやに慌ただしいねえ?」

寺沢「あ、部長! 花咲くんが…」

若小路「どうしたんだい?」

寺沢「今朝から鹿島港でケミタルタンカーの領収検査に立ち合っていたんですけど、船倉で滑って、水酸化ナトリウムの原液に上半身を突っ込んじゃったらしいんですよ!」

若小路「なにっ!? それで無事なのか、彼は?」

寺沢「命に別状なかったそうですけど、3週間は入院治療が必要だそうです」

若小路「3週間か…こりゃ、アメリカにはやれんわな…」

寺沢「えっ、アメリカ?」

若小路「いや、こっちのことだよ…。(上の空で) そうか、彼も大変なことになったねえ…」

 と、背後から中骨が現れ、若小路に声をかけてくる。

中骨「部長、このドキュメントですが、いくら経費節減のためとはいえ、印紙を省略するのは承伏いたしかねます。裁判の際、有効な契約とはみなされません」

若小路『ムム…いつもながら小うるさいジジイ…! だがここはグッと我慢だ!』

若小路「(ニコニコと) わかったよ、君の方針で頼む。いつもすまないねえ、中骨くん!」

中骨「(意外な反応にやや驚き) はあ? イヤ、とんでもないです、部長」

若小路「(人耳のない窓際の中骨の席に中骨を押して行きながら) ところで君は、NY出張所の唐橋駐在員とは親しいのか?」

中骨「面識こそありませんが、長年、定期的に国際電話で事務連絡や情報交換をしてきました。最近はPL法の動向とか…」

若小路「そうか。それで、ニュージャージー州の土地について君は何を聞いている? 実はあの土地の転売を社長から直[じか]に命ぜられてねえ」

中骨「左様でごさいますか。…あそこには、もともとケムコ・インダストリー社という現地化学メーカーがあった場所です」

若小路「それが倒産してサラ地になったのか」

中骨「はい。NYに近い好ロケーションということで、我が社の将来の製品倉庫用地として、バブル時代に即金で手当てしたのです」

若小路「だが、土地はその後、利用されていないようだねえ」

中骨「バブルがはじけましたから。市況の回復を待っている間に地価も下がり、結局、遊休地化してしまったのです」

若小路「ズバリ、核心に入ろう。今になって地中から不法投棄物が発見されたそうだが、誰が見つけやがったんだ、そんな厄介なモノを!?」

中骨「はあ、唐橋氏によると、数カ月前に、弁護士のボイドと名乗る男が、突然NYオフィスを尋ねてきたそうです」

若小路「なに弁護士? そいつは住民の側に立って訴訟を起こそうとでもいうのか?」

中骨「いえ、それがボイドは『この事実は自分だけが知っている、自分にまかせてくれればすべて内密に処理するが、返答がはかばかしくなければ住民側の代理人になるかもしれない』−−と持ちかけているそうです」

若小路「(なかば独白のように) こりゃあ、そいつと取引するしかなさそうだな。もちろん妥当な金額におさまればだが…」

中骨「若小路部長、まさかそのようないかがわしい話に乗るおつもりでは…? もし土壌汚染が生じているのなら、客土するのが当然の責任ですよ! ごまかして転売したりしたら、結局当社の信用喪失という大損害が…」

若小路「黙りたまえ! 君に企業理念の講演会は頼んでいないよ!」

中骨「申し訳ございません」

若小路「私は用地転売の至上命令を受けているのだ。…客土だと? そんな大工事をさせられた日にゃ、来期の当社株は減配どころか無配転落だよ! 君ごとき万年ヒラ社員が高度な経営問題に口を挟むな!」

中骨「申し訳ございません」

若小路『こいつめ、これが真の愛社精神でございますって顔してやがる。よ〜し、今度こそ貴様を辞表提出にまで追いこんでやるからな!』

若小路「(仕事に戻ろうとコソコソと背中を向ける中骨の肩に手を置き) 中骨くん」

中骨『(ビクッとし) ウヒッ…! 嫌な予感が…』

若小路「(ニコニコと) すまんが、米国に出張してくれんかねえ」

中骨『き、来た…!!』

中骨「はあ、また海外出張…でございますか?」
  [コロンビアから命からがら逃げ戻ってきたばかりなんですけど]

若小路「うむ。花咲が適任なんだが、知っての通り事故で入院中だ。だから頼むよ。真の愛社精神に富む君なら、断りはすまいねえ」

中骨「ハ、ハア…」

若小路「心配はない。唐橋は土壌汚染はなかったと伝えてきている。こっそりすべてのドラム缶を掘り出し、他所へ移してしまえば、転売の障害は何もなくなるんだ」

若小路『フフフ…、もし仮に土壌汚染の事実があって、それが公けになってしまった時には、お前さんが売却失敗の責任をすべてひっかぶるのさ!』

中骨「唐橋さんがそう報告しているのですか…」

若小路「うむ。ところで、彼は頼れる男なんだろうねえ?」

中骨「はい。唐橋さん自身は、語学力だけを買われて大手門に採用された駐在専門要員だと卑下していますが、どうして仕事熱心な模範社員です」

若小路『(冷笑的に) ハハア、それで思い出したぞ。大手門には珍しい三流私大の英文科卒…。かれこれ15年近くもアメリカに島流しされてるっていう哀れなやつだ…』

若小路「フム、それなら私も、今回の社長特命を果たせそうだねえ」

○区立中央総合病院・数日後
 ベッドで、中骨の妻・良子が睡眠中。
 壁には、この前のアマゾンの写真が貼ってある。[この写真は、回を重ねるごとに増えていくことになる。]
 中骨、その横でスツールに腰掛け、『新説・万葉集の研究』という分厚い本を読んでいる。

中骨が想い出す歌『人もなき 空しき家は 草枕 旅にまさりて 苦しかりけり (妻が死んでいなくなった家に住むことは、どんな旅をするよりもつらいものだ/大伴旅人)』

○成田空港・夕方
 離陸後、月に向かって小さくなるジャンボ機。

○NYオフィス・同日昼 (東回りで移動したため)
 マンハッタン南端部。
 ほとんど目立たない高層ビル。

○そのビルの中の一室・大手門化学のNY事務所
 ハドソン河口とニューヨーク港、さらに対岸のニュージャージー州まで見渡せる、窓からのパノラマ。
 下を見下ろしているのは中骨である。
 中骨のすぐ後ろには、地味なスーツの所長・唐橋が立っている。

中骨「いやー、ニュージャージー州はニューヨークのすぐ近くなんですねえ、唐橋さん」

唐橋「完全に通勤圏です。ハドソン川の下に何本もトンネルが掘られていましてね。ニュージャージー州の貨物列車が、ユニオンシティーの大屈曲部から地下に入り、マンハッタン島に出て埠頭に横付けできるようにもなってるんです」

中骨「たいしたもんだ。でも、足がすくんできたから、このへんにしましょう」

 中骨、オフィスの中央のテーブルに着座する。
 改めて見回すと、大手門化学のNY出張所とは思えないような殺風景なオフィスである。
 日曜日なので二人の他に人影はない。

唐橋「(中骨のはす向かいに2人分のコーヒーを持ってきて座り) 殺風景でしょう。本社にはもっといいオフィスに替えたいと、5年以上も言い続けているんですが…」

中骨「電話じゃ長い付き合いの唐橋さんだから遠慮無くいわせてもらうが、こりゃ日本の20年前のオフィスそのままですな」

唐橋「ハッハッハ…。まあ、ホリディで人がいないということもあります。(引出しからメダルの入った箱を取りだし) 中骨さん、これを見てください」

 唐橋が小箱の蓋をあけると、中には小さなゴールドメダルが入っている。
 唐橋、それを首にかけて中骨に見せる。

中骨「金メダル? スポーツか何かですか?」

唐橋「いいえ。これは学生時代に取った、英語スピーチコンテストの優勝メダルなんです」

中骨「そういえば、唐橋さんは英文科のご出身だ。わたしなんざ、読み書きはともかく、スピーチなんて全然で…」

唐橋「でも三流私大です。その三流私大の僕が、東大生や京大生とスピーチを競って勝ったんですよ。(しみじみと) あの時が、我が人生のハイライトだったのかもなあ…」

中骨「そんなことないでしょう。14年もアメリカ事務所を切り回し、今度の土地転売を成功させれば、東京に呼び戻されて営業部長待遇かもしれませんよ」

唐橋「そういっていただけると…。僕は語学力だけを買われて大手門に入った男ですが、今度の土地転売でなんとか手柄を立てて、栄転帰国してみせますよ」

中骨「…」

唐橋「いや、つい身の上話なんて聞いてもらっちゃって…(と、金メダルをしまいこみ) 改めて、NYにようこそ、中骨さん」

中骨「(コーヒーを飲み干し) じゃあ眠気も少し取れましたところで、さっそく仕事の話を…。例の跡地の地中には、一体何が?」

唐橋「ケムコ社のプラントを取り壊す時の残滓液を集めたドラム缶のようです。土地を買うときに、本社が急がせたためにロクな調査もできなかったんで…」

中骨「すると、地下水に1ppmも存在してはならない砒素などの毒物も?」

唐橋「ええ。しかし、土壌中へは漏れ出していませんから、ボイドにドラム缶を密かに処分させてしまえば、あの土地は堂々と転売できるんですよ」

中骨「ボイド弁護士は、後になって大手門化学をゆするようなことはないのでしょうか?」

唐橋「どうして? 彼も弁護士の資格を相当危険に曝すのですから、自分から話を公にできるわけがありません」

中骨「なるほど。でも、いちおう私もそのボイド弁護士に会ってきたいと思います」

唐橋「それなら僕が案内しましょうか? 隣りの州といっても、東京から名古屋へいくくらいありますから」

中骨「なあに、私の“手話英語”でもなんとかなりますよ」

唐橋「そうですか…(と、寂しそうにする)」

中骨「…? 何か、私が気に触ることでも…」

唐橋「(慌てて) いえ、そうではないのです。…ただ、私は今まで語学一筋で社に貢献してきましたけど、外国語なんてもうビジネスマンの特技のうちに入らないってことを、最近つくづく感じるようになりましてね…(と、金メダルの入った箱を手の中で玩ぶ)」

中骨「…唐橋さん…」

○その夜の8時半・ニュージャージー州の田舎道を走るタクシー

○その車内
 タクシーの運転手はジーンズにTシャツというラフな格好の黒人娘・セルマ(29)。
 タクシーの後席で鼻提灯でいびきをかいている中骨。
 タクシー、止まる。

セルマ「(後ろを振り向き、中骨が渡した筆談用のメモ用紙をヒラヒラさせて) お客さん、ここがご指定のトレントン・シュロスですよ!」

中骨「(目を醒まし) えっ、ああ、ついたのか! …ボイドめ、この州のバー(法曹会)に登録しながら自分の法律事務所も構えず、ホテル暮らしとはどういうやつだ」

 急いでホテルの入口に向かおうとする中骨の襟首を、セルマの腕がむんずとつかむ。

セルマ「ちょっと、さんざん、あっちでもない、こっちでもないってウロウロさせられたんだから、チップをはずんでよね!」

中骨「(恐縮して) あっ、すまんすまん…」

○郊外のホテル“トレントン・シュロス”(*シュロス=館/独語)の1階フロア

中骨「…部屋は9階のスイートだそうだが…さて、エレベーターはどこだ…?」

 中骨、広いロビー付近を探し回るが、装飾過多のため見通し悪く、分らない。
 中骨の頭上には、すぐ目の前がエレベーターホールであることが英語のサインで示されているのだが…。

○やや時間経過
 さんざん歩き回った様子の中骨、ホテルの従業員区画に迷い込んでいる。

中骨「…やあ、ここにあった! エレベーターだよ!」

 中骨が駆け寄ったところは、厨房用の荷物エレベーター。

中骨「ヤレヤレ、助かったわい」

 中骨、ハンケチで汗を拭いながら、何の疑問もなく《UP》ボタンを押す。
 扉が開くと、内部の高さは160センチくらいしかない。
 中骨、腰を屈めて入り込む。

中骨「ほう、やけに天井が低いが…そうか、これは車椅子の人用なのだな! さすがはアメリカ、行き届いておる。どれ、便乗させてもらいますよ」

 扉が閉じる。

声(中骨)「わーっ、真っ暗だ、停電だ〜っ!」

 ボタンの脇にある階数表示ランプが、エレベーターがすごいスピードで上昇していることを示す。

○最上階のレストラン
 正装した紳士淑女ばかり。
 ひとつのテーブルに、良い身なりをした、しかしどこか胡散臭い弁護士・ボイド(43)も座っている。
 ボイドはディナーを食べ終ったところで、一人の給仕が皿を下げ、別の給仕がワインを注いでいる。

給仕#1「ボイド様、××××(ワインの銘柄) でございます」

ボイド「うむ…」

○そのレストランの厨房奥の倉庫
 荷物用エレベーターがある。
 小さなランプが点灯する。
 チン、という音と共にその扉が開き、中骨が転がり出てくる。
 中骨、丸焼き用の豚の生肉などが一時的に置かれている大きな段ボール箱の中にドサリと落ちる。

中骨「(箱の中で豚の鼻と鉢合せになって) ヒ、ヒエ〜ッ!」

○ボイドのテーブル

給仕#2「(早足でやってきて) ボイド様、至急というお電話が入っておりますが、お取り次ぎ致しますか…?」

ボイド「わかった、カウンターだな」

 と、高級ワインをほとんど飲みかけのまま、席を立つ。

○レストランの出口カウンター
 隅に電話機が置いてある。

ボイド「(受話器に) そうか…準備できたか…では今夜…手際良くな…私もすぐ向かう…」

 ボイドが電話をしているとき、その脇を、ブッチャーみたいなコックに導かれ、二人の警備員に両肘を無言で力強く掴まれた中骨が通過し、廊下へと連れ出されていく。

中骨「(豚の皮をかぶりながら暴れ) 放せっ、私は怪しい者ではないっ!」

ボイド「(カウンターのレジ係に) 急用ができたので、私は外出するから…(と、中骨らを追い越して廊下へ)」

レジ係「(ボイドの背中に恭しく) またどうぞ、ボイド様…」

中骨「(豚の皮を剥ぎ捨て、コックの襟を掴み) えっ…今のがボイド!? あっ、待ってくれ!」

○ホテル玄関・夜10時
 汗だくで飛び出してきた中骨、左右を見回す。
 と、駐車場の出口からボイドが運転しているのがはっきり見えるBMWが、滑るように出てくる。[※アメリカの弁護士の車はBMWというのがお約束になっている。]

中骨「(手を振りながら走り) あっ、ボイドさん! お話が…!」

 しかし、ボイドの車はすぐに加速していってしまう。

中骨「あ〜」

 と、息を静めつつ、一瞬途方に暮れるが、

中骨「…?」

 目の前に、オンボロ・タクシーがキーッと停まる。
 サイドウインドウが開くと、セルマのオンボロタクシーだ。
 よくみると、車体にはぶつけた痕だらけである。

セルマ「セルマちゃんのタクシーはいかがですか? チップ1ドルにつき1マイルのスピード違反OKっすよ!」

○セルマのタクシー車内

中骨「(乗り込みながら独白) 出張先ではささいなことには目をつぶることにした。(セルマに)…さっき出て行ったビーエムに追い付けるか、セルマ?」

セルマ「任せてよ! 私、そういうお客を待ってたのよね!」

 タクシー、ひどく空吹かしして、タイヤをきしらせながら発進。

○俯瞰
 深夜の田舎道を、2台の車が距離をおいて疾走している。

○セルマのタクシー車内
 メーターは、80マイル/h前後を指している。

セルマ「…ボイド? ああ、スキャンダル企業が主な得意先の、灰色ロイヤーじゃない?」

中骨「(急カーブで右に左に振られながら) 地元じゃ“名士”ってわけか?」

セルマ「まあね。でも彼の絶頂期は、ケムコ社の嘱託弁護士だった頃よ。はじめは空軍相手の契約事務をやっていたのに、だんだん経営にも口を出すようになって、それで『気体爆弾』の見込み増産まで…」

中骨「何だって? 『気体爆弾』…?」

セルマ「投下すると成分ガスが蒸散し、空気中の酸素とよく混ざったところで、広い範囲の地雷を一気に誘爆させてしまうほどの大爆発を起こすのよ。その原料液を製造していたのが、ケムコ社ってわけ」

中骨「しかし…君は、なんでそんなことに詳しいんだ?」

セルマ「私、もと空軍の整備兵なのよ。基地縮小政策で整理されて、いまはタクシーころがしてるけど」

中骨「(納得し) なるほどね…。それで、ケムコ社はどうして倒産した?」

セルマ「レーガン政権時代に爆弾の発注がすごく増えそうだったので、ボイドが受注量以上に原料液の生産を増やすよう助言したらしいのね」

中骨「(うなずいて) 化学産業は、生産量が多くなるほどコストは下がるからね」

セルマ「ところが冷戦終了で米空軍からの発注はパッタリと…。原料液の大量の在庫を抱えて、ケムコ社は倒産しちゃったの」

中骨『その跡地を、バブルで金が余った大手門化学が即決購入してしまったんだ…』

セルマ「(前方を指さし) あっ、ボイドのBMWが停まってるわ!」

中骨「えっ…たしか、ここは…!?」

○半月の下に霞んでいるケムコ社工場跡地

声(中骨)「…ケムコ社の工場跡地…今回、転売を命じられた土地じゃないか…!」

○時間経過・深夜のケムコ社工場跡地
その月の光に照らされて、厳重な鉄条網が巡らされたゲートの脇に、ボイドのBMWが横付けしている。
ボイド、ポケットから鍵を取り出して厳重な金網ゲートを難なく開ける。

○その手前
 道端に停めたタクシーキャブを盾にして、セルマと中骨がゲートの方をそっと窺っている。

中骨「(声を潜めて) なぜだ? なぜボイドはゲートの鍵なんか持ってる?」

セルマ「あなたの会社も案外ヤバイことやってたりして…。ま、私はどっちでもいいんだけど…」

中骨『まさか唐橋さんが…? でも、後で確かめてみなくては…!』

セルマ「見て…!」

 中骨が注目すると、ボイドはゲートの外に向かって何か手招きしている。
 すると、暗闇の中から、荷台にユンボのついた4輪中型トラック(日本で“タイガー”と呼ばれる道路工事用の機械)が走ってきて、ボイドの誘導で敷地内に入って行く。

中骨「あれは、工事機械だ」

セルマ「何かを掘り出そうっていうのね。もっと近寄ってみましょう」

○時間経過
 鉄条網に沿って、地面を匍匐前進してきたセルマと中骨が、金網越しに敷地内を注視している。

中骨『結局こんどの出張も、平穏無事には終りそうにない…』

 すぐ目の前で掘開工事が行なわれている。
 ボイドが指示した場所を、タイガーが掘る。
 すると、銀色に輝く円筒状のコンテナが露出する。

セルマ「あっ、何か出てきた!」

中骨「円筒状の液体コンテナだな…」

セルマ「1ダース以上、掘り出してるわよ!」

 タイガーに乗ってきた数人の作業員が、掘り出された銀色のコンテナを地表に並べていく。
 その数は、みるみる1ダース以上になる。
 するとボイドの指示で、今度はタイガーが並べた液体コンテナの上に薄く土を被せていく。
 他の作業員たちは、掘り返した穴にシートをひろげてかける。

○時間経過
 ふたたびタクシーの位置まで戻った中骨たちの見守る先、仕事の済んだタイガーとボイドのBMWが走り去って行く。
 顔を見合わせて頷くセルマと中骨。

○時間経過
 きしみ音を立てながら、ゲートが開く。
 中骨が敷地内に、ぬきあしさしあしで入って行く。

セルマ「(ヅカヅカと後から続き) あのさ、土地のオーナー会社の正社員なら、そんなコソ泥みたいにしなくてもいいでしょ!」

中骨「あ、そっか…」

○敷地の中央
 シートのかけられた大きな穴を前にして 二人、顔を見合わせる。
 二人、シートをめくって、穴の中を懐中電灯で照らすが、錆びたドラム缶が一個転がっているだけ。

中骨『…唐橋さんが初めに見せられたのはこのドラム缶だ。だが最近の化学メーカーはこんな容器に廃液をつめたりはしない。これはきっとフェイクだ…』

セルマ「(指さして) あっちにシートをかけてあるのが、さっき掘り出していたコンテナね」

 二人、土をかけられたコンテナの方に移動。
 中骨とセルマ、コンテナの表面にこびりついている土を手ではらいおとす。
 コンテナの表面が露顕する。

中骨「(表面を指で擦って) えらい高品位のステンレスを使ったコンテナだ。何年も埋まっていたのに錆び一つない」

セルマ「いつでも出荷できるくらいピカピカだわね」

中骨「ハハハ…“出荷”か。砒素や燐の詰まった化学廃液を買い取る酔狂なやつはいないよ。こういうのは持主が金を払って業者に処理してもらうのさ」

 セルマは中骨のその言葉に納得しない様子で考え込みながらコンテナをじっと眺めている。

中骨『とにかく、ボイドが鍵を持ち、堂々と敷地を掘り返したことについては、明朝にも唐橋さんに問いたださなくては…』

○やや時間経過・敷地から離れたところ
 フロントウインドウ越しに、中骨がセルマのタクシーに乗って去って行く様子が見えている。
 男の手がタバコに火をつける。
 暗闇に浮び上がった顔は、ボイドだ。
 いつのまにか、ボイドのBMWが戻ってきて、見張っていたのだ。

ボイド「(煙を吐きながら) 今夜中に“キップ”の手配だな…」

○NY事務所・翌早朝
 壁の時計は朝の6時15分を指している。

声(中骨)「唐橋さん!」

 出勤したばかりの様子で、椅子に腰掛け、コーヒーをすすっている唐橋。
 その前に、やや怒気を含んだ中骨が立って見下ろしている。

中骨「…どうして私がボイドの周辺を調べ終る前に、彼にあの敷地のゲートの鍵を渡してしまったんです」

唐橋「あなたのやり方では、あの土地はいつまでも売れないからですよ。中骨さん、この件はひとつ私に任せといてもらえませんか」

中骨「冗談じゃない、社員として、これが会社の信用問題だということが分らないのですか?」

唐橋「社員として…? お言葉だが中骨さん、本社の非生産部門だけを勤めてきたあなたに、大手門化学の、いや、企業の何が分るというのです」

中骨「うっ…」

唐橋「私も三流大卒のハンディを克服しようと、独学で英米法を学びました。それは、大手門化学が現地でも尊敬されるようにと願ってでした」

中骨「…」

唐橋「しかし現実には、多少ダーティでも、本社事業部門の意向を最優先に立ち回った者が、私を追い抜いて次々本社に呼び戻されていった。今度の社長特命は、今度こそ私が日本に帰れるチャンスです。どうか邪魔しないでいただきたい!」

 電話が鳴る。

中骨「た、多分、私への電話です (と、手を延ばす)」

○同時刻・ニュージャージー州内の鉄道貨物ヤードがみえる幹線道路脇
 タクシーを停めたセルマが、コーラを飲みながら、ノンビリと公衆電話をかけている。
 タクシーの中には、置き去りにされた客が、何事かという顔でセルマの後ろ姿を見ている。

セルマ「すごく変なのよ、ナカホネさん! ボイドと作業員たちは、昨日またあの現場に戻ったらしいの」

○NY事務所

中骨「えっ、液体コンテナが消えていた? きっとトラックでどこかに持ち去ったんだよ、セルマ」

 唐橋も顔を上げて注目。

唐橋『液体コンテナ? …ドラム缶ではなかったのか!』

○公衆電話

セルマ「それでいま、近くの鉄道ヤードを通りかかったら、その液体コンテナがNY埠頭行きの貨物列車に積み込まれてるのよ。

○NY事務所

中骨「NY埠頭へ? なぜ東部にいくらでもある処理業者のもとへ直接陸送しないんだろう…」

○公衆電話

セルマ「…で、きのうあんなにチップももらっちゃったことだし、知らせてあげようかな、とか思って」

○NY事務所

中骨「ありがとう、わざわざ知らせてくれて (電話を切る)」

唐橋「(中骨をみつめる)…」

中骨「お聞きになったでしょう。どうもボイド氏の狙いは大手門からの手数料じゃなくて、廃棄物を私物化することにあったような気がしてならないんですが…。唐橋さん、お心当たりはありませんか?」

 唐橋、無言だが何か思い当たる節がある様子で席を立ち、窓際に寄る。
 下界のパノラマ。
 対岸のニュージャージー州…、ハドソン河…、マンハッタン南端の埠頭…。
 その桟橋に一隻の貨物船が船尾を見せて横付けしているのが小さく見える。
 荷役作業中のようだ。

唐橋『あの貨物船…昨晩接岸したやつ…』

 唐橋、双眼鏡を取り上げ、その貨物船を見る。
 船尾にEl Alameinと船名が、またその下にBYRILIAと国名(架空)がペイントされている。

中骨「(唐橋の様子をいぶかしんで見ている)…?」

唐橋「(机上の電話をかけ) もしもし、港湾組合? いま接岸中のビリリア船籍のアラメイン号の出港予定は? …今夜か明日中? どうも (電話を切る)」

中骨「どうしたんです?」

唐橋「いや…私はその鉄道ヤードへ行って、液体コンテナの中味が何か、ボイドに確かめようと思います。失礼!」

 唐橋、上着をつかんでオフィスを飛び出す。

唐橋「ビリリア国…たしか中東のアブナイ国だったな…ハッ、まさか…!」

 中骨も唐橋の後を追うように駆け出す。

○貨物ヤード
 昨晩の作業員と同じ面子が揃って、地面に置かれた数十個もの液体コンテナがフォークリフトで無蓋貨車へ積み付けられていくのを見守っている。

作業員#1「ボイドさん、あれが最後の一個です」

ボイド「(腕時計を見ながら) どうやらかけこみで、貨物列車の発車時刻に間にあわせたな」

 するどい汽笛が鳴り響く。
 積み付けの終った貨車が、ゆっくり移動して、長い列車の後尾に連結される。
 ガタガタタターン…という貨車連結時の金属音が、ヤードに響きわたる。
 鉄道職員が旗を上げ、連結OKであることを先頭機関車の機関士に伝えている。
 そのあとから、別な荷物を積んだ貨車が続々と連結のためにヤードを走ってくるのが見える。

ボイド「(悪党仲間の作業員たちに) よし、めいめい埠頭に向かってくれ。分け前はそこで払う」

作業員#1「了解、ボス」

 作業員たちはブラブラとヤードの中を歩いていく。
 ボイドだけは作業員たちとは別方向、自分のBMWを停めてある場所に向かう。

○BMWの場所
 ボイドが車に近寄る。
 と、構内の鉄塔の陰から急に唐橋が現れる。

唐橋「(ボイドの車の中にあった航空券や南国向きの衣装バッグを掲げ) ボイドさんよ、キューバで一生豪勢に暮らせるほどの報酬は、ウチは約束してないがなあ」

ボイド「(驚き) カラハシ、車上狙いのマネか!」

 ボイド、航空券を奪い返そうとする。
 唐橋、とびのく。

唐橋「トラック1台では重すぎ、貨車に移しかえたのが運の尽きだったな」

ボイド「ど、どういうことです?」

唐橋「とぼけるな。あのコンテナは、ケムコ社が過剰生産してどこにも売り先のなくなった、気体爆弾の原料液を封じ込めたものだ!」

ボイド「ハハハ…いかにもそうですよ。でも、私の知っているカナダの処理業者が、その原料液を安全に処分できるっていうんで…」

 そういいながらボイド、後ろ手にて、構内の物置の壁にかけてある消防用の斧をさぐっている。

唐橋「嘘をつけ。貴様は中東のビリリア国に法外な値段で気体爆弾を売るつもりなのだ! 化学薬品は税関でもいちいちサンプル検査できないからな!」

ボイド「いや〜、あなたの才能は英語だけじゃないですな。しかし、ビリリアだろうと北朝鮮だろうとどうだっていいじゃないですか」

唐橋「なにっ!?」

ボイド「あなたはあの土地をいつでも転売できるようになった。そうです、カイシャに忠誠心を認められるんだ」

 ボイドの後ろ手は、しっかりと消防斧を掴んでいる。

唐橋「お前と僕との最大の違いがいま分ったよ。弁護士という自分のプロフェッション(天職)を裏切って恥ずかしくないのか!? すぐに列車の発車を停めさせろ!」

ボイド「(不敵に微笑み) わかっておられませんなあ…オレはあくせく働く弁護士なんてやめるんだ。さしづめ今日のところは、死刑執行人さ!」

 ボイド、斧でいきなり唐橋を横に薙ぐ。
 唐橋、とっさにバッグを放り投げるが、ボイドの斧はそれを真っ二つに切り裂く。
 バッグの中からは、サングラスやパナマ帽など、南国キットがこぼれる。
 ボイド、第二撃を振りおろす。
 唐橋、かろうじてかわす。
 斧はBMWのフロントガラスをメチャメチャに砕く。
 と、後ろでクラクションの音がする。
 ボイドと唐橋、音の方を振り向くと、中骨を乗せたセルマのタクシーが猛スピードでこちらに向かってくる。

中骨「(後席の窓から半身を乗り出し) 唐橋さん、大丈夫か〜っ!」

ボイド「チッ…!(BMWに飛び乗る)」

唐橋「ボイド、待てっ!」

 唐橋、なにか薬ビンのようなものを手にしてBMWの前にたちはだかる。

ボイド「轢き殺されたいのか、カラハシ! 一体、カイシャがお前に何をしてくれたというのだ! (中骨を顎で示して) どんなに尽くしても、結局はあの冴えないジジイのようになるだけだぞ!」

唐橋「法曹試験を受けたときの初心を思い出せ。このビンは濃硫酸入りだぞ! 市警察もすぐにかけつける!」

 唐橋、ビンの蓋を捻って外し、いまにも壊れたフロントガラスから車内にぶちまけようとする。
 ボイドと唐橋、しばらく黙ってにらみ合う。
 中骨とセルマ、タクシーを降りてすぐちかくまで駆け寄るが、ハラハラして成行きを見守るしかない。
 緊迫した間。
 ふと、車のエンジン音が止まる。
 ボイド、ゆっくりとBMWから出てくる。

ボイド「(観念した顔で) いい発音してるな、ジヤップのくせによ」

 と、ボイド、車のキーを唐橋に投げ渡し、ふてくされたようにドッカと腰をおろす。
 パトカーの近付いてくる音。

中骨「(唐橋に) すごい、どう言って説得したんです?」

唐橋「こいつはシンナーの匂いが嫌いだったらしい」

 と、瓶を置くと、それはただのラッカーシンナーの溶剤である。
 ピーという汽笛。

セルマ「(中骨と唐橋に) 列車が動きだすわ…!」

 ガチャガチャガチャーン…という音とともに、列車がゆっくりと動き始める。

唐橋「あれは気体爆弾の原料液なんだ! 止めないと、NY埠頭からビリリア行きの貨物船で…!」

中骨「よし、わしが走っていって機関士に事情を説明するよ (と、行きかける)」

唐橋「中骨さんじゃ無理だ! 僕が行って説得してきます (と、走り出す)」

中骨「(走って唐橋を追いかけながら) 唐橋さん、ここからは、会社の名誉を守るための仕事です! 私は法務部だから当然だが、営業社員のあなたはこれ以上危険を冒す必要はない!」

唐橋「いいや、どうしてもお手伝いさせていただきます!」

中骨「しかし土地は問題無く転売できますから、これでもうあなたは日本へ、栄転帰国できるのですよ!」

唐橋「中骨さん、僕は日本ではツブシの効かないダメ社員だってこと、知ってるんです。日本人がどんなに英語を極めたって、結局ネイティヴの高校生レベルだ。でも、見ていてください…!」

 唐橋、全速で列車に向かって走って行く。

中骨「(息切れしてスピードダウンしながら) 唐橋さん…!」
  『ツブシのきかないダメ社員は、私自身だ…! 唐橋さん−−すまん!!』

○ヤードの向こう側
 列車は徐々に加速していく。
 そこに唐橋が走って追い付こうとしている。
 帰りかけていたボイドの仲間の作業員たちが、その唐橋の様子を見て騒ぐ。

作業員#2「あいつ、列車を止める気だ!」

作業員#1「おい、やつをひきずりおろせ!」
 
 作業員たち、あわてて一斉に追いかける。

唐橋「(走りながら、自分にいいきかせるように) やってやる! 僕だって、やってやるぞ!」

○貨物列車
 唐橋、とうとう最後尾の貨車に飛びつく。
 その後ろから、作業員たちが走ってくる。
 唐橋、貨車の上によじのぼると、危なっかしく前の貨車に移動し、そうやって先頭の機関車までたどりつこうとする。
 しかし列車は非常に長大な編成で、先頭まではまだ相当ある。
 作業員たちのうち、足の速い数人が、最後尾の列車になんとか飛びつくことに成功。
 残りの足の遅い作業員たちは、加速した列車からおいてきぼりにされ、あっというまに小さく遠ざかる。

唐橋「(肩で息をしながら、気分は高揚し) 見ろ、僕だって企業のヒーローになれるんだ…!」

 いまや列車はすごいスピードに加速している。
 唐橋、次々と前の貨車に飛び移りながら、後ろを振り返る。
 殺気だった作業員たちが同じように貨車を飛び移りながら、唐橋との間合いを詰めてきている。
 唐橋、ふと足元をみると、例のコンテナである。

唐橋「これが気体爆弾の原料液を高圧で封じ込めたコンテナか…」

 唐橋、一つ前の貨車に移りながら、

唐橋「もうじき、ユニオンシティーの大屈曲部…それを右に曲がれば、すぐにハドソン川の下をくぐる長いトンネルに入る…!」

○列車後方

作業員#2「あいつ、このままじゃ、機関車までたどりついちまうぜ!」

作業員#1「しょうがねえ、こいつは使いたくなかったが…」

 作業員#1、44マグナムの3・5インチ・リボルバーを抜き、唐橋を狙う。

○列車下方
 レールの継目の広いところがあり、ガタターン、と揺れる。

○列車後方
 44マグナムの銃口が火を吹く。

○列車前方
 唐橋の耳許を弾丸がかすめる。

唐橋「…!」

 第2発目が発射される。
 その弾は、唐橋のひとつ後方の貨車の気体爆弾原料液コンテナに命中、蓋をしめつけているボルトをはじきとばす。
 その蓋のすきまから、色のついた液体がシューッと漏れ出す。
 作業員#1以外は、その毒性の強いガスを浴びてしまい、悶えながら転落。

唐橋『まずい、気体爆弾の成分ガスが漏れ出した…! 海底トンネルに入る前に列車をとめないと…ガスがトンネル内に溜って爆発したら、トンネル全体が崩壊する!』

 唐橋、急いで最先頭の機関車に近付く。
 ユニオンシティーの大屈曲部にさしかかり、列車は大きく90度、右に進行方向を転ずる。
 唐橋も作業員#1も、振り落とされそうになる。
 作業員#1、うまくガスの風下を避けながら前に移り、さらに弾丸を1発発射。
 機関士、その音に気付いて窓から顔を出す。
 すぐ後ろのタンク貨車まで来ていた唐橋、機関士に手で止めろと合図する。

唐橋「爆発性の液体が漏れ出してる! トンネルに入る前に列車をとめないと、大災害になるぞ!」

機関士「本当か?」

唐橋「あれを見ろっ!」

 機関士の位置からも、何かが漏れ出しているのが見える。
 機関士、前を見るともうトンネルの入口が近い。

機関士「よし、分った! よく知らせてくれた!」

 と、青くなって顔をひっこめる。

○機関車
 運転士の手、急ブレーキをかける。

○列車前方
 列車、急激に減速する。
 唐橋、タンク貨車の壁にしがみついたまま、前方に大きく振られる。
 機関士、心配になって再び横の窓から顔を出す。
 そこへ、作業員#1が拳銃を発射。
 唐橋はとっさにタンク貨車の天井に飛び上がって弾をかわすが、その弾は、窓から首を出して後ろをのぞいた機関士の額に命中してしまう。
 機関士、グッタリとなる。

○列車後方

作業員#1「くそっ、ジャップめ…!」

 よく狙って5発目を発射。

○列車前方
 タンク貨車の天井にへばりついた唐橋の背中に、その弾丸が命中する。

唐橋「ウグッ…!!」

 しかし列車は、トンネルに先頭機関車がハナを突っ込んだところでやっと停止する。

作業員#1「(激しい怒りに燃えて) よくも、計画を邪魔してくれたな! とどめを刺してやる!(と、貨車の上を大股で歩いて唐橋に近付く)」

 トンネル入口の天井のコンクリートと土の間から地下水が湧き出して、小さな滝のように落下している。
 それがいまは、ちょうど唐橋が倒れ臥しているタンク貨車の蓋の上へザアザアと降り注いでいる。
 そのタンク貨車の横や蓋には、“Sodium Hydroxide”(=苛性ソーダ) という表示がハッキリ見える。
 唐橋はまだ息がある。

唐橋『(口から鮮血を吐き) グフッ…! けっきょくどの国でもヒーローなんて無理なのか…僕みたいな外国語バカは…』

 作業員#1、拳銃を構えながら貨車の上を歩いて近付いてくる。

作業員#1「(唐橋のすぐ後ろに立ち) フヘヘヘ…俺はもとユニオンパシフィックの機関士でね。列車はまた俺が動かしてニューヨーク埠頭まで運んでやっからよ。ムダ骨、ゴクローサン」

 それを聞いて唐橋の顔色が変わる。
 作業員#1、唐橋を見下ろしながら、その頭に拳銃の照準をしっかりつける。
 唐橋は水に打たれているハッチのハンドルに手をかけている。

作業員#1「カイシャの奴隷として死ぬことだ、背広を着た家畜め!」

 唐橋、最後の力をふりしぼってタンク貨車のハッチを一挙に全開する。
 それにより、落下している地下水がその開口部よりタンクの中へ直接ドーッと流れ落ちる。

作業員#1「(一瞬手を止め) …???」

唐橋「(作業員#1を上目で見て) 苛性ソーダと水が混ざったときの、化学爆発ってやつを教えてやる。白ブタの尻穴野郎!」

作業員#1「なにィ…!?」

 タンク内の苛性ソーダが激しい反応を起こし、開口部から爆発的に飛散する。

作業員#1「ぐわああぁぁ…!」

 全身に滝のように苛性ソーダ原液を浴びた作業員#1、みるみる融けて骨になる。
 唐橋も白い骨灰になっているが、背広はやや原形をとどめている。
 その白骨化した首からは、英語スピーチで賞として貰った小さな金メダルが下げられていた。
 そこに、遠くからパトカーとセルマのタクシーがかけつけてくる。

○タクシーの中
 車内からは、貨車の上で何が起こったかがよく見えていた。

セルマ「唐橋さん…! (中骨に向き直り) 分らないわ、どうしてあそこまで…?」

中骨「…非生産部門のサラリーマンには、分らん!(泣く)」

 (第2エピソード・完)


第1話PART1 第1話・粗案 第一エピソード
ニュージャージー・プロット 第2エピソードの案の2
「骨」第二話アウトライン 第二話

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